医の倫理

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医の倫理

第7回 現代医学の成立と「医の倫理」

~戦争と医学の関係をめぐって~

1.戦争と医学

(1)疫病と検疫隔離制度 ペスト:14世紀・17世紀に欧州全土で大流行 1664 ‐ 65 年 ロンドンで7万人の死者 → 検疫隔離制度のひろがり マラリア:17世紀に欧州全土で大流行 → キナの効果を実証する機会に コレラ:19世紀に二度の世界的大流行 第一次( 1817 ‐ 23 ) 日本にも上陸 第二次( 1826 ‐ 37 ) さらに大規模に

cf. コレラの第二次世界流行 18 26 年 ベンガル地方 29 年 ペルシア 30 年 モスクワ 31 年 メッカ、エジプト、トルコ、ベルリン 32 年 ロンドン、パリ、アメリカ東部 3 3 年 メキシコ 34 年 バルセロナ、アメリカ西部 1851 年 国際衛生会議(パリ) 1907 年 国際公衆衛生局 ⇒ 世界保健機関(WHO)へ

(2)熱帯医学 19 世紀末にアフリカ大陸の植民地化完了 → 植民地医療が集約され「熱帯医学」に ex.1. 1899 年 熱帯医学校(ロンドン) 1907 年 王立熱帯医学協会(英国) ex.2. 1900 年 黄熱委員会(アメリカ) → 米西戦争におけるキューバ対策 1901 年 熱帯医学研究所(アメリカ) → パナマ運河の建設工事対策

(3)軍陣医学 感染症=昔から軍隊の悩みの種 ex. ナポレオンの敗北 → 発疹チフス ①「戦闘死」<「病死」の時代 ex. クリミア戦争( 1853 ‐ 56 年) 露:「戦闘死」=4万人、「病死」=9万人 仏:「戦闘死」=2万人、「病死」=7万人 ②「戦闘死」>「病死」の時代 ex. 日露戦争( 1904 ‐ 05 年) 露:「戦闘死」=3万1千人、「病死」=8千人 日:「戦闘死」=5万8千人、「病死」=2万2千人

Reference

日本における「脚気論争」 脚気=ビタミンB1の欠乏から末梢神経、心臓に障害 → 麦、豆類、米ぬかの摂取で対処可能 ⇒ 海軍 陸軍 : イギリス医学の観点から麦飯に切り替え : ドイツ医学の観点から麦飯導入を中止 → 森林太郎(鴎外)の「活躍」(?) 日清戦争の脚気患者 海軍=ほぼゼロ、陸軍=2万人 ※ 鈴木梅太郎が米ぬかからビタミンB1を抽出、決着

2.戦争と医療・福祉

(1)社会政策のはじまり ビスマルクによる強制加入式疾病保険 19 世紀末 → 社会主義の「予防」 cf. 日本 後藤新平 ボーア戦争( 1899 ‐ 1902 )の「衝撃」 英国 : 体力低下防止委員会 不健康な市民の存在=国力低下の原因 市民の身体的虚弱=国家の軍事的虚弱 ⇒ 総力戦( total war )における「人的資源」の 維持・管理の必要性

Reference

戦争( warfare )/福祉( welfare )テーゼ 戦時中に発展をみた社会政策は、階級・信条その他軍隊内の 位階にかかわりなく、国民全体の第一義的なニードを満たすこ とに集中した。〔中略〕障害を被り労働能力を失った者に対する 医療やリハビリの総合的体系が、国家の手で組織されることに なったのもその一例であった。昔のように陸海軍の兵士に限っ てそういう施策をすることは不可能になり、ひとしく一般の市民 も ―― 爆撃の犠牲になった人たちばかりでなく工場内で災害を 受けた人たちも ―― 包含することになった。はじめ特定階層を 対象に創設された緊急医療サービスの組織と機構は、後日、 全国民を対象とする医療サービスの原型となった。 (R.M.ティトマス『福祉国家の理想と現実』、74頁)

(2)優生学と民族衛生 ①優生学( eugenics ) フランシス・ゴルトン(英) 『人間の能力とその発達の研究』( 1883 年) 「一般の生物と同様に人間の優良な血統をすみやか に増す諸要因を研究する学問的立場」

自然科学主義( scientific naturalism )とあいまって 社会ダーウィニズム( social Darwinism )の流行へ

アメリカの「実験進化研究所」(1904年)、「優生学記録 局」(1910年)をはじめ、各国に優生学関連の組織が

②優生政策 積極的優生学=「よい」遺伝形質の増加 消極的優生学=「悪い」遺伝形質の抑制 ( ⅰ )断種 1907 年 インディアナ州で断種法成立 1913 年までに16州で、 23 年までに32州で成立 1923 年 連邦最高裁が断種法合憲の判決 「犯罪傾向の子孫を放置し、精神遅滞の子供を 餓死に追い込むのを座視するよりは、社会が、 明らかな不適応者が子孫を作らないようにする ことは全体にとって善である。強制的な種痘の 法理は、十分、輸卵管切断にまで拡大しうる」

( ⅱ )移民制限 ローリン「アメリカという現代の溶鉱炉の分析」 「生物学的に劣等な」東欧・南欧移民によって 精神障害者・犯罪者が急増し、アメリカを危機 に陥れている

1924 年 絶対移民制限法 東欧・南欧からの移民は事実上不可能に cf. 「黄禍論」により中国・日本からの移民 はすでに禁止 ⇒ 1965 年の移民国籍法まで人種差別的な傾向

Reference

ドイツの優生政策 1933 年 遺伝病子孫予防法を制定 1935 年 婚姻健康法、帝国公民法を制定 → ナチズム期に 36 万~ 40 万件の不妊手術 日本の優生政策 1938 年 厚生省設立(陸軍の強力な要請による) 1940 年 国民優生法、国民体力法を制定 cf. 優生保護法( 1947-96 年) → 「不良な子孫の出生の防止」が目的のひとつ 母体保護法( 1996 年~)でようやく削除

( ⅲ )「安楽死」 1939 年 「遺伝性および先天性重症患児の 登録に関する帝国委員会」 「精神病院帝国作業委員会」(RAG)

T4作戦=組織的な「安楽死」の実行 ドイツ国内の州立精神病院を中心に ・ ガス室への押し込め(COガス) ・ 薬物の過量投与 ・ 計画的な食糧制限 が行われ、 41 年までに7万人以上が「ガス殺」された

「医学の制度化」と 「戦争

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福祉国家」の連関

(1)医学と国家(政治・経済)の結びつきの強化 → 「資源としての人間」( homo materia ) (2)「生命の質」に対する国家・社会の判断 → 生産性、効率性、労働可能性の重視 cf. 「新しい優生学」の登場 (3)医療プロフェッションの自律性と責任の問題 → 「ニュルンベルク」の教訓は活きたか? cf. 七三一部隊、戦後のアメリカ医学