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社会保障論講義 4章1節 「医療改革の現状と論点」 学習院大学経済学部教授 鈴木 亘 1.将来の医療保険料はどこまで上 昇するのか 図表 4-1 医療保険料の将来予測 2008年 2015年 2025年 2035年 2050年 2075年 2100年 後期高齢者医療制度保険料額(月額、円) 6,200 6,974 8,594 10,591 14,489 24,426 41,177 国民年金満額に対する比率 9.4% 10.0% 11.1% 12.5% 14.6% 18.7% 23.9% 保険料率(健保組合) 注)筆者による試算 7.5% 8.1% 8.7% 9.6% 11.2% 12.1% 11.7% 3.医師不足問題の背景と対策 • ここ数年、「医師不足問題」は急速に社会問題化。 • 一国全体のマクロレベルで本当に医師数が不足し ているのかどうかについては、疑問。 • よく言われるように、わが国の人口千人当たりの医 師数は2006年現在2.06人と、OECD加盟国平均の 3.1人を下回り、主要先進国の中で最低レベル。ま た、長年にわたって、政府が医学部の入学定員を規 制し、医師数のコントロール。 • こうした状況は最近急に発生したというわけではな い。わが国の人口千人当たり医師数の推移をみると、 1996年の1.83(病院勤務医1.18)から、2006年は 2.06(同1.32)と、最近はむしろ着実に増えてきてい る。 • 医師不足問題で主役となる「勤務医」とは、病 院に勤務している「サラリーマン医師」のこと。 いわゆる町医者(診療所)や、病床数の少な い「小さな病院」のオーナー医師は、「開業 医」。 • 医師不足問題を論じる際には、勤務医と開業 医は区別して論じる必要がある。ちなみに、 政治的影響力が強いことでよく知られる「日 本医師会」は、主に開業医が所属する団体で あり、したがって勤務医の利害ではなく、開業 医の利害を主に代弁する。 • 本来、市場メカニズムの元では、勤務医不足問題は 絶対に起こりえない。 • 勤務医不足問題の背景として、まず第一に挙げら れるのが、近年急速に高まったとされる医療へ「安 全要求」と、それに伴う医療訴訟や医師の逮捕の増 加という現象。 • これは特に産科や外科などで顕著。そのようなリス クを勤務医が背負わざるを得なくなったために、相 対的にリスクが少なく、収入も多い開業医へのシフ ト現象が生じている。そのようなシフトに伴って、 残っている病院の勤務医の労働が過重なものとな り、耐え切れなくなってさらに退職が相次ぐという現 象が起きている。 • 通常の市場メカニズムの下では、まず病院の 診療価格が上昇する。そうなると、需要が抑 えられ、病院にかかる人の数が減る。また、 診療価格上昇は病院経営を好転させますの で、勤務医の給料を上げたり、看護師やコメ ディカルの配置を増やして労働環境を改善さ せ、勤務医を再び増加させるよう努力する。 このように市場経済の下では、診療価格が上 昇することによって、再び、需要と供給の両 方が一致し、医師不足問題は生じない。 • 第二に、医師不足に拍車をかけているといわれてい るのが、いわゆる「コンビニ受診」といわれる安易な 夜間の受診増加や、高齢者達の病院志向の高まり。 これによって、病院勤務医の労働量が増加して、病 院離れが加速化している。しかしながら、これも本来、 市場メカニズムが機能して、診療価格が変化すれば、 何の問題も生じない。 • 病院の医療サービスの診療価格は上昇しますから、 需要は抑えられる。一方で、診療価格上昇は、病院 の経営を好転させるので、先と同様、病院は勤務医 を増やすべく、給料を引上げたり、労働環境を改善さ せるなどして、医療サービスの供給を拡大。この2つ の効果によって、再び、需要と供給の両方が一致し、 医師不足問題は生じない。 • 問題は、医療という分野には価格や参入の規制が あり、このような市場メカニズムが機能しないという こと。特にこの場合、診療報酬単価による価格規制 の問題が重大。 • まず、安全要求の高まりによる供給減ですが、診 療価格が上昇しませんから、病院は、勤務医が開 業医にシフトするのを、そのまま指をくわえてみてい るほかない。 • コンビニ受診や高齢者の病院志向の高まりといっ た需要増についても、価格統制によって医師不足 が顕現化。つまり、こうした病院の医療サービスの 需要増に対して、診療価格が上昇しなければ、いつ までたっても需要は減らないし、供給を増やす努力 も行なわれない。結果として、医師不足問題はいつ までたっても解消しない。 図表 4-3 病院医療サービス市場の需給分析 1 S1 診療価格 供給曲線(S0) E1 P1 P0 A ② E2 ① E0 ④ ③ B D1 需要曲線(D0) QA Q0 患者数の超過需要=医師不足 QB 患者数 • さらに、医師不足に影響していると考えられるのが、 近年の診療報酬引下げ。診療報酬引下げは、医師 誘発需要によって相殺される面があるが、2002年 以降、診療報酬の引下げがこれほど連続して矢継 ぎ早に行なわれてはさすがに影響も出てくる。特に 外来よりも入院医療の引下げが大きいため、入院 患者の少ない開業医よりも、入院患者の多い病院 経営の側に引下げの影響が大きく出ている。これは、 ただでさえ、診療価格引き上げを行なわなければ成 らない状況下で、価格がさらに引下げられたという ことですから、供給はさらに減少し、需要はさらに増 加する。 図表 4-4 病院医療サービス市場の需給分析 2 S1 D1 診療価格 P1 A P0 B C QC D QB QA 医師不足 QD 患者数 • 以上の考察は、一般的な病院の勤務医不足の問題 以外に、小児科・産科の医師不足問題や、過疎地・ 地方病院の勤務医不足問題にも同様に当てはめる ことができる。 • 小児科・産科の医師不足問題の場合は、これらの 診療科が、特に訴訟リスクが大きく、夜間診療など の労働環境も悪いために、さらに大きく供給が減少 したとみれば良い。本来であれば、これらの診療科 の診療価格は、内科や眼科などの他の診療科に比 べて大きく上昇しなければなりませんが、診療価格 がほぼ固定されているために、医師不足問題がより 深刻化していると解釈できる。 • 一方、過疎地・地方病院の勤務医不足問題 は、上で説明した要因のほかに、2004年から 始まった「新医師臨床研修制度」が大きく影 響している。 • 新医師臨床研修制度とは、これまで大学の 医局で行なわれてきた単一診療科での研修 制度に問題があるとして、複数の診療科の ローテーションを組んだ「臨床研修病院」を新 たに認定し、2年間の研修を義務付けたもの。 臨床研修病院として認定されるためには、病 院の側も、さまざまな診療科で一定以上の人 数の医師が必要となる。 • これまで研修医達は、いわゆる大学閥人事が幅を 効かし、人事面や地域医療のネットワーク面で密接 な協力関係にあった「系列病院」に、大学の医局か ら、いわば選択の余地なく派遣されていた。しかしな がら、この新医師臨床研修制度開始以降は、研修 病院を自由に公募で選べるようになった。 • このため、特に地方大学の研修医達が、過疎地な どにある地方の病院ではなく、都会にある総合病院 での研修を希望し、過疎地・地方病院の医師不足 問題が顕現化。 • 大学病院自体が医局に残らない医師の不足を補っ たり、あるいは臨床研修病院と認定されるために、 中堅医師を系列病院から引上げた。 • しかし、この「新医師臨床研修制度」の問題も、市場 経済の下では、過疎地病院や地方病院での診療価 格が引上がる一方、人気のある都会の病院の診療 価格が供給増で引下がるということで調整が行なわ れるはずですから、本来は、医師不足の問題には ならない。 • 以上の考察から言えることは、需要面や供給面に 生じた様々な医師不足の原因は、本来、市場経済 の下では医師不足として顕現化する問題ではない ということ。それが顕現化したのは、診療報酬という 価格統制が行なわれているからに他ならない。また、 診療報酬自体の変化が医師不足の原因となってい る。 • したがって、この問題への対策は明らかであり、一 義的には、「診療報酬単価を自由化して、市場経済 の下で価格調整出来る様にすればよい」ということ。 • しかし、この医療の分野では、医師と患者間の「情 報の非対称性」(患者の病状に対して医師の方が患 者よりも詳しいため、患者は医師の言いなりになり やすい)という現象があるために、価格を自由化す ると、全体として診療価格が一気に上昇してしまう 危険性がある。もちろん、こうした価格上昇に対して は、情報の非対称性が無い「保険者」(医療保険の 運営者)の機能を高めて対抗することが理論的には 可能。 • しかし、アメリカのように、価格が完全に自由化され ている国の状況をみても、この「保険者機能の強 化」(保険者が診療価格を交渉・設定したり、保険加 入者がかかれる病院や診療所を決める)だけでは、 情報の非対称性問題を完全に解決することは難し い。その意味で、どの程度価格を自由化するか、ど の範囲で行うかなどは、慎重に検討した上で、たと えば特区でテストするなどして、段階的に進めるべ き課題。現段階では、ある程度の価格規制を行ない ながら、需給を反映して診療報酬単価をスムーズに 改定するという困難な道を模索することが現実的な のかもしれない。 • そこで今の医師不足問題の話に限れば、次期診療 報酬改定において、具体的に、まず、病院の診療報 酬を大幅に引上げる必要がある。財源不足下では、 開業医の診療報酬を大幅に下げて、そのざいげん とする。 • 開業医の診療報酬引下げを行なう理由は、財政的 な中立を保つ意味もあるが、勤務医からシフトして 相対的に開業医が過剰となっていると考えられるか ら。また、産科、小児科、過疎地・地方病院の診療 報酬単価は大幅に引上げるべき。 • 市場メカニズムが機能すればそうなったであろう価 格まで、つまり、「医師不足問題が完全に無くなるま で価格を変化させるべき」と言える。 • 実は、こうした価格による需給調整の考え方 は、2年に1度の診療報酬改定でも、全く考慮 されていないというわけではない。例えば、小 児科医不足問題に対処するために、2006年 の診療報酬改定では、他の診療科が引下げ られる中で、小児科の診療報酬は小幅なが ら引上げらた。また、2008年の診療報酬改定 でも、病院の再診料引上げ等の病院の収入 対策が行なわれる一方、(最終的に見送りに なったものの)開業医の再診料引下げが提案 されました。問題意識は十分に共有されてい るといって良い。 • しかしながら、問題は、この程度の価格変化では 「焼け石に水」であり、余りに規模が小さく効果がみ えないということにある。 • それは、中央社会保険医療協議会(中医協)におけ る診療報酬改定のプロセスにおいては、例えば、開 業医の団体である日本医師会の影響が強いなど、 なかなか、需給メカニズムとは無関係な政治的要因 が影響してしまいがちで、必要な需給調整がスムー ズには行なわれないから。 • その意味では、政治的なプロセスにゆだねる部分を なるべく少なくしてゆくことが改革の一つの方向性。 例えば、需給状況を表す何らかのインデックス(指 標)に診療報酬の基礎的部分をリンクさせ、自動的 に決まる部分を高めることなどもその一案。 • 民主党政権になり、中医協メンバーが大幅に 入れ替わり、医師会からの3名の委員が外さ れた(医師会外し)。 • ただ、診療報酬に必要な財源は、確保されて いない(長妻大臣は、財源を希望している)。 事項要求項目となった。したがって、財源中 立的な開業医の診療報酬引き下げは、有力 な選択肢の一つ。 • 事業仕分けでも、病院の診療報酬を引上げ る一方で、開業医の診療報酬は引下げるべ きとの議論が相次ぐ。 • ちなみに、民主党は、医師不足対策として、 大学の医学部定員を将来的に1.5倍程度に 増加させることをマニュフェストに。しかしなが ら、その財源は全く確保されていない状態。 また、新規入学者が一人前の医師になるま でには6年以上の歳月がかかりますので、こ れはずいぶん悠長な対策であるといわざるを 得ない。しかも、上に述べたような問題の構 造が変わらなければ、いくら、医学部の定員 を増やしたところで、問題の解決になるかどう かは極めて疑わしい。