Transcript メディア・リテラシー
メディア・リテラシー
情報社会と情報倫理
第2回
講義内容
メディアとは
リテラシーとは
では,メディア・リテラシーとは
インターネット時代のメディア・リテラシー
メ デ ィ ア と は (1)
media
情報の伝達媒体
内容はコンテンツ(contents)
メ デ ィ ア と は (2)
メディアの変遷(かなりラフ)
洞窟 - アルタミラ洞窟
石板
皮紙・紙 - 巻物から綴じた物
我々にどのような
電気(電信)
影響を与えたのか?!
電波(放送) - ラジオからテレビ
インターネット
メ デ ィ ア と は (3)
マス・メディア
テレビ,新聞
(少数から)多数へ
メ デ ィ ア と は (4)
インターネット
情報の伝達媒体だから,メディアと言える
メール,ブログ,ホームページ,つぶやきなど
少数を対象にするものが多いか?
多数の場合もある
双方向
マス・メディアと相違点
リテラシーとは
literacy
読み書きの能力
読み書き算盤
コンピュータ・リテラシー
コンピュータを使いこなす能力
メディア・リテラシーとは(1)
インターネット以前から
“メディア”は,マス・メディアを指す
市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分
析し,評価し,メディアにアクセスし,多様な形態
でコミュニケーションを造りだす力。また,そのよ
うな力の獲得をめざす取り組み(文献24 p.4)
メディア・リテラシーとは(2)
一言で言えば(文献25 p.4)
“テレビに騙されないようにする”
テレビ,ラジオ,新聞,雑誌の内容を“そのまま受
け取るのではなく,自分なりに判断する力”
前半のみ
なぜ,メディア・リテラシー(1)
今度の土日月に遊びに行こう!
天気予報(tenki.jpより)
天気はどうだろう?
なぜ,メディア・リテラシー(2)
天気予報を見て,自分で判断する
降水確率何%までなら,遊びに行くか?
では,テレビ,ラジオ,新聞,雑誌,インターネット
の情報に対しては…
なぜ,メディア・リテラシー(3)
ドラマはフィクション
では,情報番組は
“納豆ダイエット”捏造
ニュースは
なぜ,メディア・リテラシー(4)
“すべては編集されている”(文献25 p.20)
“編集でイメージが変わる”(同 p.22)
“編集”の意図を見抜く力
簡単に身につけば良いのだが
そして…
単に情報の受け手ではなく
メディアに対して,言いたいことは言う
インターネット時代となって
インターネットというメディア(1)
ブログ,ホームページの情報
大量
信頼度は?
“誰が作った”は判断基準になるか?
責任者はいるのか?
チェックされているのか?
インターネットというメディア(2)
Wikipedia
評価が分かれている
問題点がいろいろ指摘されている
学生のレポート(誤りをそのままコピー)
インターネットというメディア(3)
インターネットで最も影響力のあるものは何か?
検索サイトか?
Yahoo,Google …
(検索結果に)出てこない情報は誰も見ない
そのような情報は,存在しないことと同等
検索サイトの判断基準は?
検索サイトは信用できるのか?
インターネットというメディア(4)
インターネットは情報発信の敷居を低くした
誰でも情報発信者になることができる
匿名でも
本当?
情報発信者として(1)
気楽に情報発信
利点であると言えよう
インターネットは世界中に開かれている
仲間内だけのものではない
誰が見るか分からない
情報発信者として(2)
読み手がどのように解釈するか?
書き手を実際に知っている・知らない
記事全体・特定の記事だけ
書き手・読み手の
職業・性別・国籍・人種・宗教
などが影響する?
情報発信者として(3)
情報発信者と受信者の価値観の相違
冗談が通じない相手かも
文字だけのコミュニケーションの難しさ
最近は画像もあるが
Web以前から
情報発信者として(4)
薬物を使った事件
薬物についての情報を検索
Webサイトを発見
情報発信者として(5)
しかし,自分の想定していない意図で使われる
可能性
入手方法・致死量
まとめ
反対意見にも
耳を傾ける
自分にとって
情報の受け手として
“心地悪い”情報
信頼できるか?
別の情報源は?
情報の送り手として
内容に問題はないか?
誤解されないか?
などなど…
興味を持ったら文献などで,さらに勉強を
とりあえず
ネット上のデマ、自主的削除を含む適切な対応
を~総務省が通信4団体に要請
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/
20110407_437944.html
新しいメディア,新しい問題
最後に
私(だけではないだろうが)の授業だって,注意し
て受けなければいけない
私の意図を理解しないといけない
“従え”ということではない