01-31 科学教育と似非科学

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大阪大学 Global COE 2010 年度 No. 2 , January 31, 2011

科学教育と似非科学

鈴木邦彦

昨今の目に余る似非科学の跳梁 サイエンスとは何か? 数学は自然科学ではない 似非科学の具体例ー信念から詐欺まで 似非科学が蔓延る原因は何処にあるのか? 科学教育のあり方 無知に基づくマスコミの無責任 権威を崇拝するな。 権威は人間に過ぎない。

• 前回は 米国の研究・研究費制度といふ極 めて実利的なテーマでしたが、今回は 雲 の上で霞を食ってゐるやうな、何の役にも 立たない、得にもならない話をします。 • 時には霞を食ふことも、研究者には大切 なことであると考へます。何故ならば、 • 役に立つ・得になるといふことと、価値が ある・重要である と言ふことは、お互ひに 独立した尺度だからです。

似非科学とは • 「科学」といふ権威の衣の陰に隠れて、「科学」の目には疑問に思は れることを社会に向って発信すること。動機は信念から詐欺に亘る • サイエンスの進歩にも拘らず、似非科学の跳梁は目を覆ふものが ある。 現在、はびこってゐる 「似非科学」 と戦ふことも、研究者の 責任である。 • 「似非科学」の全てが嘘、詐欺ではない、むしろ、言ってゐる人も そ の内容を 信じてゐる 場合が少なくない。 • 多くは、無知で無責任なマスコミが容認、宣伝することによって生き 永らへてゐる。必要なのは知識ではない、物事を論理的に考へる習 慣である。結局、これは、基礎的な科学教育に繋がる問題である。 • 最も肝心なのは、個人、個人がイデオロギー、先入主、権威、信念、 信仰に目隠しされて、自分自身の思考を停止しないこと。

何処に一線を劃すか? --- 個人に依る • • • 教祖様に撫ぜて戴くと、見えない眼も見えるやうになり、歩けない人も歩ける やうになる。 • • • • ガマの油は万病に効く 犀の角の粉、イモリの黒焼きは衰へを感ずる男性にお勧めである。 年をとっても矍鑠としてゐたかったら、脳内の「核酸」を補給すべし。 運勢は 自分の生まれた星、方位、六曜、名前、印鑑 等によって支配されて ゐる。 • • • • • Uri Geller は「念力」 でスプーンを曲げる。 この腕輪をしてゐると その霊気で血液がサラサラになる。 特定の血液型の人は、それに対応した性格を持つ。 高濃度の酸素を吸入すると健康に良い。 コラーゲンを摂取すると美肌になる。 ヒアルロン酸、グルコーサミンは関節の 病気に効果がある。 「マイナスイオン」を発生する空気洗浄機は健康に良い。 この瓶の水は、特別の分子構造を持ってゐて、健康に良い。

科学教育

現在の似非科学、疑似科学の跳梁の根源は 最も基礎的な 科学教育が日本の教育制度から失はれてゐる ことにある。 1.科学とは何か? 科学的知識とは何か。信念、信仰、数 学などと、何処が根本的に異なるのか? 2.全ての分野に於いて、日進月歩し、増加して行く 自然 に関しての具体的な知識。 現在の科学教育は (2)を伝達することを強調するのあまり、 (1)に注意を向けないだけでなくて、(1)を伝達する場が失 はれてゐる。 然し、(1) は永続するが、(2) は習ってから 10 年もすれば、大部分は入れ替はってしまふものである。

私が 1949 年(昭和 24 年)、私が高校 2 年生の時に買った Claude Bernard の 「実験医学序説」。 武蔵小山は 私の高校、前 都立八中、 現在の小山台高校、のある東京目黒線の駅。 280 円は、当時の高校 生のお小遣ひでは簡単に買へる値段ではなかった。 戦後 4 年の出版 で、紙質も製本も悪く、日焼け、傷みが激しい。

自然科学とは

個人及び人類全体としての経験か ら帰納して 自然が如何に機能して ゐるかを知ることが自然科学の本 来の目的。従って、経験とは無関係 なこと

(

信ずるか信じないか=宗教 など;論理にのみに基づく演繹=数 学)は自然科学の領域ではない。

信じることは経験を超越する 信じることは

a priori

であって、 経験には左右されない。

従って、 「神の存在」「死後の世界」等の 問題に就いては自然科学は無 力である。お互ひに口を出す権 利はない。

ある敬虔な老人の話

論理も経験を超越する

人間の持つ論理も

a priori

であっ て、経験には左右されない。 従って、公理から演繹されることで 構築される数学はそのシステムの 内部に論理的な矛盾がなければ、 経験と矛盾するかだうかは問はな いもので、自然科学ではない。

“数学は自然科学ではない” (Bertrand Russell)     Mathematics is

a priori

(Bertrand Russell) , and Natural Science is empirical . Mathematical truth can be verified and once verified, never needs to be confirmed. Scientific truth can never be verified and it must be repeatedly confirmed no matter how sure it may seem. 数学の定理は一度証明されれば 100% 正しいが、自然科学の命題 は、 100% 正しいと言ふことはあり得ない。 明日の朝、太陽が東 から昇る確率も 1 ではない。 数学は特別の形を取った人間の論理そのもの であって、人間の 経験には左右されないが、自然科学は 人間の経験に基づいて帰 納された系である。その間には埋めることの出来ない溝がある。 理論物理と数学の間の溝は、質的なものであって、理論物理と 社会学・経済学・心理学などとの間の溝より遥かに深い。 例へば、 一般相対性理論が如何に美しく構築されてゐても、そ れだけでは 自然科学の市民権は得られなかった - 人間の経験に 反しないか?? ( → 水星の近日点の揺れ、重力の場に於ける赤 色偏移、そして、最後に 太陽の縁を通る光の曲る角度)

論理を無視してはサイエンスは成り立たない    人間の論理: 人間の論理は人間の脳の構造、代 謝、電気生理に依存したものであるかも知れな い。宇宙にはそれ以外に 別の論理系が存在する かも知れないがそれは我々の理解力の外である。 サイエンスは 人間の論理を唯一の コミュニ ケーションの方法として使ふ。 天啓、以心伝心、 腹芸、直感、想像、妄想、論理的矛盾、は サイ エンスのシステムの内部では許されない。 然し、既に議論したやうに、サイエンスは 系と して、我々の経験に矛盾することは許されない。 ある意味では、経験は サイエンスの公理である。

サイエンスとは? (基礎科学と応用科学)     サイエンスは哲学、芸術、 文学などと並んで人類の文 化活動の一つであって、そ の本来の目的は自然が如何 に機能してゐるかを知るこ とである。 研究の価値は如何にそれに 基づいて更に自然を理解す ることに役立つかで決る。 従って、実利的に役に立つ 必要はない。 サイエンスを推進するのは 研究者の知的好奇心である。     サイエンスの目的は自然が如 何に機能してゐるかを知るこ とを通して人類の福祉を増進 することにある。 研究の価値はそれが如何に人 類の福祉に貢献するかで決る。 従って、実利的に役に立たな ければ、サイエンスとしての 価値はない。 サイエンスを推進するのは、 研究者の人類に対する愛情・ 責任感である。

「役に立つサイエンス」 と 「役に立つことを目的としないサイエンス」 どちらが “古臭い” のか? 現代の厳しい経済環境に 於いては、大部分税金に よって賄はれてゐるサイエ ンスは実利的に役に立ち、 人類の福祉に貢献すること (のみ)を追求すべきであっ て、 「無駄」 な 「遊び」 は 許されない。 それは 「古き、 良き昔」 への郷愁に過ぎな い。 動物は自己保存・快適 (実 利・福祉)を求めることしかし ない。人類のみが 営々と何 万年もかけて、実利とは関係 のない 「無駄」 の中に価値を 見出して人類文化を築いて来 た。それを忘れることは、人 類であることの特権を放棄し て、これまでの進化の道を逆 行することではないのか?

似非科学への個人的な反応

論理には個人差は無いが、似非科 学に対する心理的な反応には、論 理を超えた個人的な差がある。 寺田寅彦は イモリの黒焼きの効能 についての科学者の反応を三種類 に分類してゐる。

寒月君とイモリの黒焼き-1

「甲種の科学者は初めから黒焼きなんか効 くものかと否定して掛る。蛇でもイモリでも焼 いてしまへば結局炭と若干の灰になってし まふのだから、黒焼きが効くものなら消し炭 を食っても効くわけだ。」 「うっかり偽物に引っ掛かる恐れはない代り に、本当に価値のあるものを見逃す恐れが ある。 既知の真実を固守するに忠実で、未 知の真実の可能性に盲目である。」

寒月君とイモリの黒焼き-2

「乙種の科学者は問題がアカデミックな 研究に掛けるにはまだあまりに生々しく て、一寸手が付けられさうもないから、ま ずまず敬遠して置く。」 「アカデミックな科学の殿堂の細部の建 設に貢献するには適してゐるが、新しい 科学の領域の開拓には適しない。」

寒月君とイモリの黒焼き-3

「丙種の科学者は却ってかうした毛色の変った 問題に好奇的興味を感じ、人の手を付けない 中に何か新しい大きな発見の可能性を予想し て、独創的な研究の端緒を物色しようとする。」 「時として荊棘の小道の彼方に広大な沃野を 発見する見込みはあるが、その代り、不幸にし て、底なしの泥沼に足を踏み込んだり、思はぬ 陥穽に嵌って憂き目を見ることもある。」

脂肪肝に効果、○○・○○の「魔法の水」 ○○県○○市内で湧いてゐる天然還元水「○○○水」に、肝臓内の 脂肪を減少させ、脂肪肝の症状を軽くする効果のあることが、○○大大 学院医学系研究科の○○○○教授のマウス実験による研究結果で明 らかになった。 20日に県庁で発表した ○○教授は「脂肪肝は肝硬変や 肝がんの原因にもなる。身近にある水に効果があることが判り、非常に 驚いている」と語った。 ○○教授は マウス20匹 を使って実験。業者が製造してゐるバランス 朝日新聞 online 版 2011年1月21日 9時10分 ル値の高い食事を与へたマウスに分け、それぞれに水道水と天然還元 水を3カ月間与へた。 3カ月後 、マウスの肝臓を取り出して分析した。 通常の食物を与へたマウスは、どちらの水を飲んでも脂肪酸や総コレ ステロールの数値に違ひはほとんどなかった。一方、コレステロール値 の高い食事をした場合、天然還元水を飲んだマウスの方が 脂肪酸や総 コレステロール、中性脂肪とも、水道水を飲んだマウスに比べ、数値が 半減したといふ 。 ( 某大手日刊新聞 online 版 2011 年 1 月 21 日 9 時 10 分 )

この記事の何処に問題があるか この新聞記事には科学情報として多くの問題がある。 “県庁で発表した“ のではない。 信頼のおける科学情報は 県庁などで発表されるも 実験は 各々 5 匹のネズミで成り立ってゐる四つのグループで行はれた 。 信頼出来る結論を出すために充分な数か? 実験期間は三ヶ月。 信頼出来る結論を出すために充分か? 高コレステロール食を摂り、この実験水を飲んだネズミの肝臓のみで、 脂肪酸、中性脂肪、コレステロールが半減した 。 そんなことがあり得る か? ネズミは生存出来るか? 高コレステロール+水道水のネズミの 所見は? ( 所見が誤って報道された? 親切な解釈は?) この結果は、実験水の還元電位が水道水に比べて低いことによって 起ったものである。 論理的に許されない結論

メディアの無知、無責任 と 「権威」 の崇拝 この湧水に関する記事からも明らかなのは、科学 の本質に就いての科学教育の欠如 第一にマスメディアの科学の本質に就いての無 知と無責任であり、 第二に 一般の人たちの「権威」 に対する崇拝で ある。 これは、細々した 具体的な知識とは無関係であ る。自分は科学を知ってゐると錯覚して、一般の 人達を馬鹿にしてゐる「専門バカ」も呉越同舟。

血液型と性格

似非科学が社会に害をなす典型的な例: 全く何の根 拠もないにも拘らず「信じ込んで」ゐる人が少なくない 入社試験で血液型を採用の基準の一つにする企業が 存在するどころか、少なくないと言ふ。 日刊新聞の個人に関する記事で屡々、その人の血液 型に言及する。タクシーの運転手の血液型が車内に 掲示してある。 最近、度が過ぎるまでに強調されてゐる 保護」 は何処へ行ったのか? 「個人情報の

Homeopathy • 「本来人体に害をなす物質の水溶液を極端に希釈したものは人体にそれに対す る抵抗力を与へ、健康を推進する。」 • • • この「妄想」に基づいた民間治療法を Homeopathy と称し、世界各国で巷間に広 く行はれてゐる。 日本にも これを信じ、依存する人、組織は少なくない。 「極端な希釈」 といふ意味は、 Avogadro number (=6.02 X 10 23 )を遥かに超えた 希釈、従って、その溶液にはその物質の分子は最早存在しない状態である。 • • 2010 年夏に 日本学術会議は 日本医師会等の同意を得て、 Homeopathy には 理論的に全く科学的な根拠は無く、実際の治療効果もゼロであることが確立して をり、信ずる人が信じ続けるのは勝手だが、医療関係者がそれを行ふことは誤っ た印象を世に与へるので、厳に慎むべきである、といふ声明を出した。 然し、「信ずる」 は全ての経験を超越する。「信ずる者は救はれる」 は根強い。 世 界には地球は平らであると信じてゐる人々も未だに存在する。 欧米の国の中には Homeopathy は る (例へばフランス)。 placebo 治療であると割り切ってゐる国もあ

Placebo 効果

Placebo 効果とは? 逆 Placebo もあり得るか? “マイナスイオン”、“コラーゲン”、“グルコーサミン” 人間の心理 と 脳の構造、代謝、電気生理との相 関関係は、いまだに何も判ってゐないに等しく、今 後解明に待つよりない。 然し、心理も 脳の機能に基づく現象でしかないの で、それが身体現象に何らかの影響を及ぼすこと は当然である。

似非科学と野放しの儲け最優先の資本主義 多くの似非科学は利益最優先の資本主義の 隠れ蓑として利用されてゐる。 無知に基づく真摯な信仰から 百も承知の詐 欺に至るまで、あらゆる程度があり、どこかで 線を引くことは難しい。 最終的には 「個」 が 「科学とは何か」 に就い てはっきりした理解を持つ以外にない。

似非科学を指摘するリスク

似非科学を指摘することにはリスクを伴ふ。 多くの場合ホリエモン流の野放しの資本主義 の背景を持つ → 言ひがかりをつけられる。 然し、効果が無いと言ふ必要は無い、のみな らず、自然科学の本質上、さう言ふことは多く の場合誤りである。 言ふべきなのは、 「効果があると言ふ客観的 な証明がない」 である。

朝日新聞に載ったフルページ広告 (2009年9月9日) 「幾つになっても冴えてゐると言はれたい」 「アタマ にも分布してゐる核酸が鍵」 「核酸は 炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミ ン、ミネラル、食物繊維 に次いで、第7の 栄 養素として注目を集めてゐる。」 「核酸を 30年に亘って研究して来た 〇〇氏 に依れば、きっかけは 1970年代に ヨーロッ パの栄養学者が粉ミルクの有効成分を研究 してゐた時に、核酸といふ物質が 脳にも分布 してゐることが判ったのです。」 痛風患者である私のコメント。 あと五日で(!)79歳の私が 「幾つになって も冴えてゐたい」 あまりにこの広告に引っ掛 かって、この会社の製品を摂り、挙句の果て に、痛風発作が起ったら、この会社は責任を 取ってくれるのか?

学ぶとは

「自分の目で見て、自分の手で触っ て、自分の心で考へたものだけが 本物なんだ。本で読んだことなんか 風が吹けば吹っ飛んじゃふんだ。」

(私が教養一年生の時、学生実習のガマ蛙を前 にしての私の恩師木村雄吉先生の言葉。我々は この言葉に導かれて一生を過した)

科学教育のイロハは単純

「常識」に支へられた「健全な懐疑心」 あくまでも自分の考へを放棄しない。「権威」の衣を纏った「人 間」に依存しない。 納得できなくても、納得できない自分を信 用する。 ”When we meet a fact which contradicts a prevailing theory, we must accept the fact and abandon the theory, even when the theory is supported by great names and generally accepted” ( “ Introduction to the Study of Experimental Medicine ” , Claude Bernard (1813-1878)) 蟻地獄 ( 薄羽蜉蝣)が排泄することを発見した 小学生が良いお手本。

アリジゴク、おしっこする 千葉の小4が通説覆す発見 「アリジゴクは排泄しない」という「通説」が 覆されるかもしれない。千葉県袖ケ浦市 の小学4年生、吉岡諒人(りょうと)君(9) が夏休みの自由研究で、アリジゴクの「お 尻」から黄色の液体が出ることを確認した 吉岡君から質問を受けた日本昆虫協会 は「通説や本、インターネットの情報を鵜 呑みにせずに発見した、価値ある研究」と して今年度の「夏休み昆虫研究大賞」に 選んだ。6日に表彰式があった。 朝日新聞 2010年11月8日