ナッシュ交渉解援用による、権力と意味の一モデル

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ナッシュ交渉解援用による、権 力と意味の一(いち)モデル

桜井芳生 (鹿児島大学法文学部) 2003年3月15日数理社会学会発表 [email protected]

http://member.nifty.ne.jp/ysakurai/

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要約

権力状況と呼びうるゲームの検討から始める。 無限繰り返し化してはじめて、脅しが効きうること を確認するが、そこでは均衡は非一意化してしま う。 ナッシュ交渉解を援用することで、服従反抗がど の程度生起しそうかをみつもる。 モデルの45度線が、ある点の上をとおるか下を とおるか、で、大きく場合分けされる

• • • • 以上のモデルを、意味の観点から再考す る。 「下を通る場合」には、「しようがない権力」 として思念されることがありそうとなり、 「上を通る場合」には、「(反抗)しようがあ る権力」と思念されることが、ありそうとな る、のではないか。 とくに「下から上へと横切った」さいに、先 行者から後行者へと、「不可視(だった)の 権力」の「発見」が語られる蓋然性が高ま るのではないか。(要約、おわり)。

闘争と意味 ?

• 本発表の背後にあるいわば大きな問題意識は、 第一に、「闘争」とでもいったようなものを、社会 (科)学がいかに把握することができるか、という ことである。 • ある種の合理性を仮定すれば、ひとは、「負ける とわかっている戦い」をしないだろう。 • とすると、「勝負」がおこなわれるのは、私か相手 のすくなくとも片方が非合理的である、か、ゲー ムの構造にかんして情報が不完備である場合だ け、となってしまうのだろうか。

• まさに、「ゲーム」の理論において、ひとの 多くは、「ではいったい、闘争、というものは どのようなものなのか?。それが生じるの は、どこかに非合理性もしくは情報の不完 備性が存在する場合だけなのか」というな ぞへと回付されているのではないだろうか。 • ゲーム論「以後」の現在において、われわ れは、「闘争」というものをいかに把握する ことができるのか、そのモデルの一つ(あく まで、「一つ」)にでもなるような議論の提示 を試みたい。

意味の政治?

• 第二の問題意識は、以下のものである。 • いわゆる社会的なるものあるいは社会的に意味 づけられたもの(以下若干のカテゴリーミスを無 視して、「意味」ともよぶ)が、政治的に構築され たものである、という認識が、ある程度共有され つつあるようにみえる。このこと自体に、異論は ない。 • しかし、この方途の社会認識は、少なくともある 一つの難点をはらんでしまうと、感じられる。すな わち、その「意味」が社会的に構築される「政治」 的メカニズムをどう把握するか、という問題であ る。

• 端的にいって、このような論者の多くは、 • 自らが批判した「決定論か非決定論か」 「決断主義か客観的情勢主義か」という二 分法的難点を、 • 「政治」なるカテゴリーに「先送りしただけ」 ではないか、という懸念を容易には払拭し がたいと感じられる。 • 本稿は、意味をめぐる政治がいかなるメカ ニズムになっているかという問題意識へと 展開しうる一つの端緒的モデルの提起を 試みるものである。

権力ゲーム

• 権力状況として記述されうる以下のような状況を 考察することからはじめよう。さしあたり、プレイ ヤーBが先手の一回交番(都合二手でおわり) ゲームとして読んでほしい。 プレイヤーA 鞭を打つ(制裁) 鞭を打たない プレイヤーB 服従 不服従(反抗) 4,-3 5, 3 1,-2 3, 5

• すなわち、プレイヤーA(いわゆる権力者) は、鞭を打つよりも打ちたくない、一方、プ レイヤーBを服従させたい。それで、「服従 せよ、さもないと打つぞ」と「脅す」わけであ る。 • 他方、プレイヤーBは、服従するよりは服 従したくない。 • しかしまた、打たれるよりは打たれたくない。 • はたして、プレイヤーAは、プレイヤーBを 「服従」させることができるだろうか。

• この選好行列においておもしろいのは、権 力者の方も、服従者がたとえ、服従したと せよ、服従しなかったとせよ、制裁するより は制裁したくないと選好していることである。 • • これは通常「制裁」という際には、制裁者の 側にもなんらかの心理的実際的コストがか かる場合が多いので、かなりリアリティの ある選好行列といえるだろう。

• じつはここにおいては服従者は、「不服従」 を選択するのが合理的なのである。 • なぜなら、もし「不服従」を選択したとしよう。 「後手番」の権力者の選択は、「不服従・制 裁」と「不服従・非制裁」との「二択」となる。 上述のように権力者の側も他の事情が同 じならば制裁はしたくないのであったから、 彼権力者は制裁しない。 • 結局、服従しなくても制裁はうけないという ことになるので、先手の服従者は第一手に おいて服従を選択する合理性は存在しな い、のである。

・これも多くの読者にとってはいうまでもないかもし れないが、じつは現実の権力ゲームが権力的た りうるのは、じつはゲームは一回交番(都合二手 で終わり)ではなくて、「繰り返し」的になっている からなのである。 ・私権力者としては、もしゲームがいま私が直面し ている第二手で終了してしまうのなら別に制裁し たくない。が、もし相手が服従していないのに制 裁しないとしたら、「今後なめられてしまう」だろう。 よって、「後々のために、シメシをつける、ために も」いまこの第二手のみの利害に逆らって制裁し よう、となるわけである。

• これまた言うまでなく、「繰り返し」といっても「有限繰り返 し」ではダメである。 • 有限繰り返しであれば、最終回の手番の者は、(権力者 でも服従者であっても)自分のその回の選好に基づいて のみ選択するだろう。つまりは、最終手番より一手前の 選択は最終手番に影響しない。 • とすると、最終手番の一手前の者も自分のその回だけの 選好に基づいてのみ選択するだろう。よって、最終手番 の二手前の選択は、最終一手前に影響しない、、、、、以 下同様、、、、。 • こうして、第一手の服従者は、第二手の権力者の存在を 顧慮することなく、第一手を選択するだろう。つまりは、 「不服従」を選択するだろう。(ここまでの議論は、チェー ンストアパラドックスとよばれている事例と同様である)。

無限繰り返しゲーム

• というわけで、「制裁」が効くためには、ゲーム は「無限繰り返し」になっている必要がある。 • が、はなしはまだおわらない。ゲームが無限繰 り返しに変化すると、かなり自然な条件(時間 選好率が十分に小さい、など)のもとで、均衡 が一意に決まらなくなる、ということがおこって しまう(フォーク定理)。

• 無限繰り返しであるので、服従者である貴方は 権力者に対して、「今回だけは見逃してくれ、次 からはちゃんと服従するから。見逃してくれな かったら、未来永劫反抗してやる!」といって、一 回だけ非服従(し、制裁されない)することが可能 になる。 • 権力者の側としては自分としても制裁するよりは 制裁したくないので、この取引に応じることは合 理的である。なにしろ、ゲームは今後「無限回」つ づくのだから(時間選好率は十分小さいのだか ら)、目先の一回の非服従をみのがしても、それ によって自分の制裁のコストが控除されるのなら 「ずっと反抗される」より十分ペイするからだ。

・とすれば、これまた言うまでもなく、まったく同 様の論理によって、服従者は「今後n回だけ は見逃してくれ、それ以外はちゃんと服従す るから、(みのがしてくれなかったら、ずっと反 抗してやる)」といってn回だけ不服従すること が可能になる。 ・同様に、権力者としては、何しろ「今後無限回 ゲームはある」のであるから目先の「n回」不 服従を「お目こぼし」しても、その後ずっと、反 抗されるよりはペイする。

まとめると、

• 上記のような権力状況にみえる場合も、一 回交番では、権力者の脅しは効かない。 • 繰り返しにしても有限回では、また脅しは 効かない。 • 無限繰り返しにすれば、脅しが効きうる。 • が、また一方で、反抗の可能性も生じてし まう。

服従者の自我慰撫としての「権 力」という意味

• そのような状況でも、ほとんどの場合、プレイヤーB は、服従してしまい、いわば、プレイヤーBは、みずか らの選択でもっても服従者の地位を選択しているとい いうる。 • このようなプレイヤーBの自我を慰撫する機制のひと つとして、「Aが権力者だ」という「意味」が、いわばAと Bとの「共犯」によって共有される蓋然性が生じるので はないか(この意味共有は、AにとってもBの反抗の 蓋然性を封じることになるので好都合である)、と、筆 者は論じてみたことがある (桜井芳生1997「権力バブルの再生産メカニ ズム」『人文学科論集』第45号p51-68(鹿児島大学法文学部)。

自他弁証(自分と他人へのいい わけ)としての、意味

• • いわば、「服従する必然性がないのに、服 従していること」への 「自他弁証(自分と他人へのいいわけ)」と しての、「権力」という「意味」(づけ)、であ る。

無限繰り返しゲーム化による、 状況の「交渉ゲーム」化

• しかし、蓋然的とはいえ、「どれほど」、Bは服従 するのがもっともありそうだろうか。そしてまた、 所与の状況が若干変化した場合に、このような ストーリーに変化は生じないだろうか。 • ある先行研究をヒントにすることで、これらの問 題について、かなりの洞察をうることができる、と おもわれる。すなわち、いわゆるナッシュの「交渉 解」の議論である。

• ナッシュ交渉解のロジックを援用する前提として、上 記のように、はじめの状況が「無限繰り返し」になった ばあい、そのゲームが一種の「交渉ゲーム」として解 釈しうるものになったことを確認しよう。 • すなわち、「n回みのがしてくれ、そうしたら、m回服従 してやろう。」「m ‘ 回服従せよ、そうしたら、n ’ 回みの がしてやろう」という • (いわば暗黙の)交渉ゲームとして解釈するわけであ る。交渉が成立しなかったら、両者ともに、「ずっと反 抗」「ずっと打つ」のトリガー選択肢をもっている。

• とすると、この状況は、服 従・不服従の比率をどれ ほどにするか、という交 渉ゲームとなり、交渉フ ロンティアは、プレイヤー Aの平均利得を横軸に、 プレイヤーBの平均利得 を縦軸にとると、毎回服 従(打たない)(全回服従、 0回みのがし)による(5, 3)と、毎回反抗(全回み のがし、0回服従)(打た ない)の(3,5)をむすぶ 線分となる。

• ナッシュ交渉解にとっての基準点は、双方 がトリガーをとった場合の、(1,-2)である。 よって、ナッシュ交渉解は、基準点を原点 とみなした場合の、プレイヤーAの利得とプ レイヤーBの利得の積が、最大になる場合 である。

• • • • いま後論の都合のために、交渉フ ロンティアの線分を、直線に延長し てかんがえよう(直線αとする)。 もし仮想的に、交渉フロンティアが、 いまの条件のもとでの「(5,3)から (3,5)を結ぶ範囲」に限定されてお らず直線α全体であったとすると、 ナッシュ交渉積は、基準点(1,-2) から、右上45度にひいた直線と、直 線αとの交点において、 すなわち、点(5,3)よりももっと下 方の部分で、最大になるだろう。 (なぜなら、もし交渉フロンティアが 線分でなくて、直線なら、ナッシュ交 渉積は、基準点を一つの頂点に、 直線上の点をその対偶の頂点とす る長方形の面積となる。よって、そ れが最大になるのは、その長方形 が正方形であるとき、すなわち、対 角線が45度線となるとき、だから)。

• しかし、いま交渉フロン ティアの下限は、(5,3) である。よって、この条 件のもとでのナッシュ交 渉積最大は、(5,3)の 点となる。これは、プレ イヤーBの方が「弱み」 があり、それゆえ、ほと んどつねに、プレイヤー Bが服従してしまうとい う直観・現実にぴったり 対応している。

• では、両者のプレイヤーの、いわ ゆる力関係が変化したら、どう、 なるだろうか。一番簡明には、プ レイヤーBの「打たれることへの嫌 さ」加減をかえてみればよい。す なわち、当初の利得行列の「打た れた」場合のプレイヤーBの利得 を上方に変化させてみればよい。 利得行列のおける、プレイヤーB の「打たれる、反抗」への利得「 2」が、上方へと変化すると、上記 の議論における「基準点(1,-2)」 のy座標が上方へとシフトする。そ れにおうじて、上記の「45度線」も、 上方へと平行移動する。

• こうして、45度線が(5,3)の上を通過するよ うになったとしよう。 • その場合、ナッシュ交渉積最大となるのは、 その45度線と、線分「点(5,3)から点(3, 5)」との「交点」である。 • 交渉点が、「(5,3)から(3,5)」の内部にあ るということは、上記の交渉ゲームにもどし てかんがえると、「つねに服従するわけで もなければ、つねに反抗するわけでもな い」状況である。

• 45度線をさらに上方へとシフトさせてみよう。 • 通過点が、点(3,5)を上方へと越えると、先 ほどのロジックとまったく同様に、交渉点は(3, 5)となり(点(3,5)に、はりついてしまい)、これ は、「毎回反抗」を含意する。

無謀領域、と、闘争領域、との分別へ?

• 以上のようなモデルはすこし興味深いとおもわれ る。 • なぜなら、反抗が比較的「無謀」な領域と、無謀 でない領域とが、分別される、からである。 • このモデルは、「場合によって、ほとんど常に服 従すること」「場合によって、ほとんど常に反抗す ること」「服従したり反抗したりする場合があるこ と」、とを、一つの統一的視点から、把握すること を可能にする。

• いままでの議論をふりかえってみよう。 • 権力状況としてもちだされることのある一 回交番ゲームを再考することからはじめた。 • そのゲームを愚直に一回交番として解釈 すると、プレイヤーBは反抗することに合理 性が生じるのであった。

• よって、モデルを現実の振る舞いにちかづけるた めには、そのゲームを、繰り返しとして解釈しな おす必要があった。しかし、有限回の繰り返しで あると、遡及的帰謬法のロジックにより同様に、 反抗することが合理的になってしまう。 • したがって、解釈は、無限繰り返しへと進む。無 限繰り返し化すると、「服従、打たない。(ただし、 反抗するなら、打つ)」が(も)、均衡解になる。し かし、フォーク定理により、均衡は、非一意化して しまう。 • 事態は、無限回の繰り返しのなかで、どれほど の割合で「服従してやる」、か、「反抗してやる」か、 の交渉ゲームとして解釈しうるものになる。

• 非一意的なナッシュ均衡のうちで、どれが実現す るのかについて、通常の非協力ゲームの枠組み では、なかなか分析することができない。 • • しかし、ナッシュ交渉解のロジックをわれわれは 援用することができる。 • ナッシュ交渉解自体、かならず当事者はそこに 交渉をおちつける必然性を含意しない。が、双方 の力関係のもとで、交渉がどこにおちつきそうで あるか、を、ある程度のありそうさ・説得力で、示 してくれるだろう。

• • • (周知のように、いわゆる(ナッシュ交渉解 を非協力ゲームによって基礎づける)「ナッ シュプログラム」の一つとして、 Rubinstein1982 によって、提案応答ゲーム において、将来の利得に対する割引因子 が1に近づいていけば、 サブゲームパーフェクト均衡は、ナッシュ交 渉解にちかづいていくことが、明らかにされ ている)。 ( Rubinstein, Ariel 1982 “Perfect Equilibrium in a Bargaining Model”,

Econometrica

50 (1982), 97-110. )

• モデルによる分析結果は、すこしく興味深 いものであった。すなわち、当初の利得行 列のままであるとすると、無限繰り返し ゲームにおけるフォーク定理的分析では、 均衡が非一意である(反抗することもあり)、 • のに対して、ナッシュ交渉解的視点でみる と、「つねに、服従」ということがもっともあ りそうになってしまうのである。

• プレイヤーBの「打たれることへの嫌さ(利 得「右上」)」をすこしシフトさせても事態は 同様である。 • ↓ • このことは、当該のような状況において、プ レイヤーBがほとんど服従してしまうという 現実とうまく対応している。

• しかし、プレイヤーBの「打たれることの嫌さ」 をもっと上方にシフトさせると、すなわち、「打 たれることがそれほど嫌でなくなる」と、事態 は、ことなった局面へと至る。 • ↓ • すなわち、交渉解は、無限繰り返しゲームに おける、非一意の交渉フロンティアの内部に はいりこむことになる。ここにおいても、交渉 解は一意である、が、その現実的含意は「つ ねに服従」ではなくて、「(ある一定の割合で) 服従したり、見逃したり」ということになる。

• こうして、このモデルは、「服従する必然性は、 つねに存在しないこと」、と、「場合によって、ほ とんど常に服従すること」「場合によって、ほと んど常に反抗すること」「場合によって、服従し たり反抗したりすること」、とを、一つの統一的 視点から、説明することを可能にする。

「意味付け」と「シフト」との関連

• このようなモデルの帰結を、前に述べた、 「自他弁証としての意味」論と関連づけると 少しく興味深い思弁を展開できる、とおもう。

• 事態が、すなわち、例の45度線と交渉フロンティアを延長 した直線との交点が、点(5,3)「より下」にある場合には、 ナッシュ交渉解的にかんがえて、プレイヤーBはつねに 服従することがありそうになるだろう。 • ここにおいて、プレイヤーの「自他弁証(自分と他人への 言い訳)」として、「ここに権力がある」「Aは権力者だ」とい う「意味づけ」が生じる蓋然性が生じ、プレイヤーAもまた、 ある程度までは、この意味づけを共有する誘因をもつ(こ の意味共有が、プレイヤーBの反抗の芽を摘むことにな るから)。 • この領域において、プレイヤーBが「反抗」(しながらも、 制裁されない)するのは、かなり「無謀」なことといえるだ ろう。

• ただし、ここにおいて「権力」を声高にかたる ことは、みずからの境遇の劣位性と反抗の 困難さを、自他に顕彰するようなものになっ てしまう。 • ので、ここでの権力は、たかだか • 「しようがない権力」として、 • ほそぼそとぐちられるにどどまることがあり そうだろう。(あまり意識されないことも多い だろう)。

• 事態が「シフト」して、例の45度線が、点(3,5)と(5,3)と の間を通過する場合をかんがえよう。ここにおいては、上 記の意味において、反抗は無謀ではない。 • ここにおいて、注意に値するのは、「権力」という言葉の 一種両義的な含意である。 • 「あいつは、権力者だ」「ここに権力がある」と呼ばれる場 合、「ここに力関係の非対称性がある」という含意と、 • 「そうでありながらも、劣位者の方からの反撃の余地もな いことなない。闘争の余地がある」という含意が、(場合 場合によってその比率はことなっているだろうが)、 • 両方の含意をわずかなりともそなえている場合が多いの ではないだろうか。

• とすると、事態が、すなわち、例の45度線 が、点(5,3)を、【下から上方へと横切って シフトした場合】に、 • このような両義的含意をもつ「権力」という 意味づけが当事者にかたられることがあり そうなことになるのではないだろうか。 • (「(反抗)しようのある権力」)。

• とくに、事態が、点(5,3)の下方から上方へとわずかにシ フトした、場合を考えよう。 • 社会現実を生きる身としての当事者(ゲームプレイヤー) は、そのわずかな変化を無意識に感受し、「ときには反抗 (しつつ制裁されない)」という事例もしょうじうるだろう。 ・このような場合、シフト後の現在の状況が、ごくわずか変 化する以前であった、「シフト前」の状況へと、外挿・同一 視されて、 ・「われわれは、じつは、(もともと!)反抗可能な状況にあっ たのだ。ここには、(反抗の余地のある)権力があったの だ。」と思念される蓋然性が生じる、のではないか。 ・すなわち、「ここには、不可視の権力があったのだ」と思念 される蓋然性が生じるのではないか。

• 「点(5,3)を下から上に横切った」局面において は、反抗の蓋然性を手にしたプレイヤーBは、 • 旧来の「(反抗しても)しようがない権力」の意味 づけを振り捨て、 • 「しようがある(反抗可能)権力」の意味づけを 唱道する誘因をもつだろう。 • 問題は、プレイヤーBの「同類たち」であるとおも う。

• 社会において、多くの人が似たような境遇にある としよう。しかし、社会変動のつねとして、細かく 見ると個々人のおかれている境遇は微妙にこと なっているだろう。 • このモデルの文脈からすると、同じくプレイヤーB 的境遇にあるひとたちがありえ、 • そして、そのうち一定程度は、「シフト後」の境遇 にあり、一定程度は「いまだシフト前」の境遇にあ り、 • それでありながらも「ごく最近まで、同様境遇にい たがゆえに、彼ら自身が、シフトの「前、と、後」と して、ことなった境遇へと「早・晩」的にばらけてい ることへの自覚がどぼしい」ということがありうる だろう。

• この場合に、意味をめぐる政治が興味深い(?)体をしめ すことがありうるだろう。 • ↓ • すなわち、「同じくしいたげられている同一階級(と当事者 たちが思念している集団)」の者たちのあいだで、事態が、 すなわち、例の45度線が、点(5,3)を、【下から上へと横 切ってシフトする場合】に、このような両義的含意をもつ 「権力」という意味づけが当事者にかたられる蓋然性が 高まるといえるのではないか。 • いわば、 • 「シフト後」の者たちから、「シフト前」の者たちにむかって、 「ここに不可視の(不可視だった)権力が存在するのだ。 みずからの被抑圧的境遇と反抗可能性に 、めざめよ (う)!」、とでもいったように。

実証可能な?予測

• ここから、少し興味深い「実証可能な予測」を導 出することができるのではないだろうか。すなわ ち • [予測] 例の45度線が上記の点(5,3)を「下か ら上に」横切るとき、「権力告発・指弾」(のような こと)が、(とくに「より早く横切った先行者」から、 「同一階級」の「後行者」にむけて?)なされる蓋 然性がたかまる、だろう。 • 、と。

「意味をめぐる政治」における、 劣位者同士の利害の不一致?

• 意味をめぐる政治というととかく優位者と劣位者 との闘争ゲーム(のみ)であるかにみえるかもし れない。 • しかし、それだけでは、事態の振る舞いを十全に は理解しがたいだろう。 • むしろ、劣位者同士における意味づけへの利害 状況(?)の不一致に(も)今後は注目するのが 生産的であると、私は直観している。

• 本稿は端緒としてたんに一つの事例に即し たモデルを提起するのみである。 • が、このモデルは、「意味と政治」をめぐる問 題にある種の普遍的洞察をあたえると感じ られる。 • このモデルの「さらなる一般化」が今後可能 であるように感じられる。