Transcript 第8回メディアの歴史
メディア論 第8回 メディアの歴史④ 担当:野原仁(地域科学部) 前回の復習 19世紀=メディア史の 新たな段階→①マスメ ディアの成立=1830年 代アメリカ・西欧②電子 メディアの登場=19世紀 末 本日のテーマ 前回の続き 日本のマスメディアの 歴史を知ろう キネトスコープ シネマトグラフ 19世紀=メディア史の新たな段階 ①マスメディアの成立=1830 年代アメリカ・西欧 ②電子メディアの登場=19世紀 末 なぜ19世紀末にマスメディアが成立したの か? 政治的要因:検閲の禁止・普通選挙 の実施など 産業的要因:大量生産の実現など 社会的要因:都市人口の増加・鉄道 網の整備など 文化的要因:人々の読み書き能力の 向上 技術的要因:さまざまな新技術の発 明 マスメディア新聞の原点 1833年アメリカ『ニューヨー ク・サン』がそれまでの定価6セン トを一挙に1セントに値下げし、部 数を4000部から6万部に増加= 「ペニー・プレス」の登場 1855年イギリスで印紙税廃止、 69年保証金制度廃止 マスメディア新聞の登場 1830年代アメリカ;1万部を超 える新聞の登場 1880年代アメリカ→ピュリッ ツァーの『ワールド』vsハースト 『ニューヨーク・ジャーナル』(激 しい部数競争によるスキャンダル報 道の横行=イエロー・ジャーナリズ ム) 電子メディアの登場 2つの系譜 ①1837年アメリカ人モールスに よる電信の発明→電話→ラジオ→テ レビ→インターネット、とつながる、 空間を超えた「ネットワーク」メ ディア ②リュミエールによる映画の上映→ ビデオ・レコード→DVD・CDとつな がる、時間を超えた「貯蔵」メディ 電信と電話 いずれも電気信号を用いて、遠距離 の人間同士で情報をやりとりするこ と いずれも有線・無線の両方がある 電信:コード化された電気信号を 使って情報をやりとりすること 電話:音声を電気信号に変換して会 話をすること 電話の発明と無線電話としてのラジ オ 1876年;アメリカのグラハム・ ベルが電話を発明→アメリカ・西欧 で急速に広まる ラジオ;もともとは無線電話の技術 としてスタート→1895年イタリ アのマルコーニが基本技術を発明 しかし、電話のような通信メディア ではなく、放送メディアとして発達 第1次世界大戦とラジオ放送の開始 1912年タイタニック号沈没→無 線通信の威力を示す 1914年第1次世界大戦勃発→無 線電信・ラジオの活用 1916年頃アメリカで世界初のラ ジオ放送開始 テレビの誕生 1897年;ドイツのブラウンがブ ラウン管を発明 1910年代;各国でテレビジョン 技術の開発が盛んになる 1926年;日本の高柳健次郎がテ レビ実験に成功 1933年;アメリカのツヴォリキ ンがアイコノスコープを発明→実用 化へ テレビ放送の開始 1935年ドイツ・ベルリンで世 界初の定期放送開始 1936年ベルリン・オリンピッ ク中継 1936年イギリスBBCテレビ放 送開始 1939年アメリカNBCテレビ放 送開始 ここまでのまとめ 電子メディアの2つの系譜 ①1837年アメリカ人モールスに よる電信の発明→電話→ラジオ→テ レビ→インターネット、とつながる、 空間を超えた「ネットワーク」メ ディア ②リュミエールによる映画の上映→ ビデオ・レコード→DVD・CDとつな がる、時間を超えた「貯蔵」メディ 明治以前の日本のメディア史 明治維新までは、マスメディアは存在 せず 本も一部の限られた人を除いて読むこ とはできなかった 基本的には「口伝え」によるコミュニ ケーションが中心 江戸時代の都市部では、「かわら版」 などの印刷メディアもあった 新聞の登場 江戸時代末期(1860年頃)に、オラン ダの新聞を幕府が入手・翻訳して重臣 らに配布 日本に滞在していた外国人が英字新聞 を発行 これらをマネして日本人も新聞を発行 日本語で書かれた初の近代新聞は1870 年創刊の『横浜毎日新聞』(子安峻) 戦前の日本のメディア 言論の自由は限られた範囲内でしか存在せ ず=検閲で政府に都合の悪い情報はカット 大日本帝国憲法第29条:日本臣民ハ法律ノ 範囲内ニ於テ言論著作印行集会結社ノ自由 ヲ有ス→言論を規制するさまざまな法律 (刑法・新聞紙法・出版法・映画法・治安 維持法など)により、特に天皇制など体制 への批判は厳しく処罰された 天皇制軍国主義を美化し、侵略戦争に積極 的に協力した=基本的に権力に迎合 戦前の日本の新聞の特徴 明治時代:特定の政党とむすびついて、そ の政党の主張を主な内容とする「大新聞 (おおしんぶん)」と、世の中のできごと の報道を主な内容とする「小新聞(こしん ぶん)」に分かれていた 大正時代にはいると、政治的な主張や政府 批判よりも日々の出来事の報道に重点を置 くようになっていった→特に犯罪や事件な どの「社会ネタ」が多い マスメディアとしての新聞の成立 毎日(1872)読売(1874)朝日(1894) 新聞が定着した1880年前後に、すでに数万 部の部数が発行される(大阪朝日新聞の 1885年の発行部数は約33,000部);識字率 の高さ・新聞購読所の存在など 日清戦争・日露戦争・第1次世界大戦と、 戦争が起きるごとに部数を急速に伸ばす 激しい部数競争で、有力新聞だけが生き残 り、独占集中化が進む。特に大阪では、朝 日と毎日が2強 大正デモクラシーとメディア 戦前の日本=天皇絶対主義・帝国主 義・軍国主義 大正時代=この枠の中で、自由と民 主主義を求める運動(大正デモクラ シー)が起こる 映画や雑誌などの「ニュー」メディ アもこの時期に普及する一方で、こ うしたメディアが大正デモクラシー を促進した ラジオ放送の開始 1925(大正14)年東京放送局がラジオ 放送開始 1926(大正15)年に東京・大阪・名古 屋の3放送局が統合して、日本放送協会 が誕生 政府による国営放送ではないが、実際 には政府が番組内容を決定 戦争とメディア 日本:明治初期から対外侵略を繰り返 してきた 特に、1931(昭和6)年満州事変から 1945(昭和20)年の敗戦までの15年間 の戦争中は、政府・軍による厳重な検 閲とメディア側の積極的な協力により、 新聞・ラジオ・映画・雑誌などの各メ ディアは政府・軍の「プロパガンダ」 機関であった GHQのメディア戦略 プレスコード・ラジオコードなどにより、 GHQの政策遂行上好ましくない報道や 国家主義・軍国主義的論調を規制(=検 閲) 初期は日本の新聞・ラジオの民主化を促 進させたが、冷戦の勃発により、労働組 合運動などを弾圧 1950(昭和25)年;メディアからのレッ ドパージ(共産主義者追放)実施 2元放送体制の確立 1950(昭和25);GHQ主導に より、放送の基本的な枠組みを決 める「放送法」「電波法」「電波 監理委員会設置法(後に廃止)」 が成立 戦前のNHKを改組した新NHK と民間放送との2元放送体制の採 用 テレビ放送の開始 1953(昭和28)年2月1日;NHKがテレ ビ放送開始、8月日本テレビ放送開始 最初のNHK契約数866(大卒初任給 11,000円テレビ25万円) ほとんどの人は街頭テレビで楽しむ 一番人気はプロレス! 「一億総白痴化」(by 大宅壮一);テレ ビ番組の低俗さを皮肉った造語 娯楽の王様の交代 庶民の娯楽の王様=映画 1958(昭和33)年;制作本数500本 年間映画観客数11億2700万人とピー ク(2001年281本・1億6300万人) 1959(昭和34)年;皇太子結婚ブー ム→テレビの爆発的普及と映画の衰 退のきっかけとなる 戦後日本のメディアとタブー タブー(禁忌);その事に言及するとよ くないということが、ある社会や席で暗 黙のうちに認められている事柄 日本のメディアのタブー;天皇(制)・ 皇室批判、日米安保体制批判、共産主義 礼賛、スポンサー批判、同和問題、政財 官+暴力団との癒着批判… 放送中止番組や圧力で闇に葬られた記事 は数限りないのが実情 本日のまとめ 日本のマスメディア:明治期に成 立したが、戦前は国家のプロパガ ンダ機関であった 現在も多くのタブーを抱えている 次回のテーマ コンピュータとインターネッ トの歴史を学ぶ