藤原定家 (1162-1241) が過去の記録をまとめた - 宇宙線研究室

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超新星で辿る京1000年の宇宙学
SN1987A (下):可視光
その後の20年 (右下):X線
京都大学宇宙総合学ユニット長 小山勝二
超新星残骸の研究
進化:時間発展を
たどることが重要
晴明神社
式神を封じた
一條戻橋
(安倍の屋敷跡
土御門通=北門)
稲住神社
(土御門家の屋敷付近)
明月記
藤原定家 (1162-1241) が過去の記録をまとめた。
実際に観測し、
記録したのは
安倍晴明の子孫
例:晴明の次男
安倍吉昌 (? - 1019)
陰陽頭 (SN1006)
3C58 (1181)
高倉院 治承五年 六月廿五日 庚午 戌時
客星見北方 近王良 守伝舎星
高倉院治承5年の客星(3C58)
X線観測から冷えすぎた中心星をみつ
けた。これはクォーク星かもしれない。
当時は平家物語の世界。 高倉院と
小督の悲恋の物語、徳子(建礼門院)
も宮中(雲井)に見たかもしれない。
「思いきや 深山の奥に住まいして
雲井の月をよそに見んとは」
王良 (OhRyo)
Cassiopeiaβ
伝舎 (Densya)
=Camelopardalis
かに星雲
(1054)
後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降
丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星
大如歳星
後冷泉院天喜2年:の記事がアマチュアー天文家により、
Popular Astronomyに紹介、「超新星爆発の最初の実証例」
として国際的に認められた。(中国、日本、アラビア、アメリカ
原住民のみ、ヨーロッパには一例の記述もない)
中性子星(NS) をのこした。
天関 (Tenkan)
Taurusζ
觜, 参 = Orion
一條院 寛弘三年 四月二日
SN1006
葵酉夜以降 騎官中 有大客
星如螢惑 光明動耀連夜正見南方或云騎
陣将軍星本体 増変光
藤原 行成の日記「権記」 (991-1011)、藤原道長
の日記「法成寺摂政記」 (999-1022)(「御堂関白
騎陣将軍
記」)(国宝)
「この世をばわが世とぞ思う望月のかけたること
もなしと思へば」
他、「日本紀略」、「吾妻鏡」、「百錬抄」、「玉葉」、
「一代要記」、「暦図」「賀茂史綱」など、全て7月
以降の記述 (日没後に見られる)。
枕草子:長保3年(1001年)~寛弘7年(1010年)
源氏物語 (1008年脱稿)、紫式部日記(~1010
年)。の世界、だがどの日記にもSN1006の記録
はない。真夜中で両人ぐっすり寝こんでいた?
最北ではスイス、アルプスの山と谷をよぎった
騎官
南天(観測に不利):世界中の記録:30
参考 かに星雲 北天(観測に有利):10
明るさの記録 (感覚的で明らかに誇張がある?)
○中国:
地上の物がはっきり見えた(5日の月
-8.5等級)
○エジプト: 1/4の月より少し明るかった
○シリア: 月のようだった。
○イラク: 月のようだった
○イエメン: 水面がぎらぎら輝き太陽のようだった
○スイス: 目がくらむようだった (アルプスの山
々をかすめる)
参考 金星-4.6等級 : 満月 -12.6等
記録からは史上最高の明るさ?
何が分かったか:1000歳の意味
OVII band
3-5 keV
やはり史上最も あかるかった。
宇宙の加速器であった。
千年で100兆ボルト まで加速した
この加速器が湯川の中間子を実証した?
土御門家中興の人、安倍泰邦は梅小路
の自宅に大表土台(日時計)と渾天儀台
(天体観測機器)をつくった。
梅林寺の大表土台
300年前
太平の眠り
(銀河中心)を
覚ます超新星
(1000年前)
明治維新になり、陰陽寮は廃止:安倍=土御門の天文学は京都大学へ
最後の華、上臈御年寄土御門藤子(最後の当主、土御門晴雄の妹)が
和宮の名代として江戸から京都へ、無血開城に尽力。 安倍朝臣邦子
との関係は、本人 ?
最も若い超新星:約100年前、
銀河中心付近で起った。
膨張速度 14,000 km/s
3 超高エネルギー粒子
の加速がわかった
OVII band
3-5 keV