Transcript が超新星 - 京都大学
今年は世界天文年:400年前ガリレオは ●1610年1月7日ガリレオが 望遠鏡(14倍)で木星の衛星 を発見。 左より、エウロパ・イオ、 木星、ガニメデ ●翌日(1月8日) 左より木星、 イオ、エウロパ、ガニメデ ● 金星の満ち欠けを発見 ◎ 地動説を確信する。 今京都では: 1000年の時を駆ける天文学 Analemma 地球の公転軌道は 楕円である。自転軸 が公転面から23.4度 傾いている。 A. Ayiomamitis 野村 仁 B. Urschel 星の運命は「星重」によって決まる。 超新星 1987年に60万光年 のかなたでおこった 超新星。 ニュートリノの検出 でノーベル賞 超新星で辿る日本史 超新星の爆風が拡がってゆ く様子。(約20年の経歴) 明月記 実際に観測し、 記録したのは 安倍晴明の子孫 例:晴明の次男 安倍吉昌 (?1019) 陰陽寮の長(頭) :SN1006 藤原定家 (1162-1241) が超新星 (星の最後の大爆発=客星、大客星) の過去の記録をまとめた。 かに星雲 (1054) 後冷泉院 天喜二年 四月中旬 以降 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星 この記事がアマチュアー 天文家により、Popular Astronomyに紹介、「超新 星爆発の最初の実証例」 として国際的に認められた。 (中国、日本、アラビア、の み、ヨーロッパには一例の 記述もない) 中性子星を のこした。 高倉院治承5年6月25日(1181年8月19日)の客星 3C58 の意義 X線観測:冷たすぎる中性子星 クォーク星か Chandra image of 3C58 第2、第3世代の素粒子(小林、益川理論) が露わにでる。 SN1006 一條院 寛弘三年 四月二日 葵酉 夜以降 騎官中 有大客星 如螢惑 光明動耀 連夜 正見南方 藤原 行成の日記「権記」 (991-1011)、藤原道長(999-1022) 「御堂関白記」)(国宝)、「日本紀略」、「吾妻鏡」、「百錬抄」 「玉葉」、「一代要記」、「暦図」「賀茂史綱」など、全て7月以 の記述 (日没後すぐ)。 枕草子:長保3年(1001年)~寛弘7年(1010年) 源氏物語 (1008年脱稿)、紫式部日記(~1010年)、どの日 にも記録はない。真夜中で両人共にぐっすり寝こんでいた? 最北ではスイス、アルプスの山と谷をよぎった超新星。 天文衛星「すざく」はSN 1006が史上もっとも明るかったこと、宇宙 の加速器であることを証明した。この加速器が湯川の中間子を 実証した。 明るさの記録 (感覚的で明らかに誇張がある?) ○中国: 地上の物がはっきり見えた(5日の月 -8.5等級) ○エジプト: 1/4の月より少し明るかった ○シリア: 月のようだった。 ○イラク: 月のようだった ○イエメン: 水面がぎらぎら輝き太陽のようだった ○スイス: 目がくらむようだった (アルプスの山 々をかすめる) 参考 金星-4.6等級 : 満月 -12.6等 記録からは史上最高の明るさ? 史上最も明るく輝いた星 湯川秀樹と宇宙線 朝日新聞 2006/12/01 京都と江戸の天文学争い (暦合戦) 江戸で、澁川春海が新暦を作成、 水戸光圀:京 都梅小路で天体観測をさせ江戸と京都の暦の正さ のコンペ ー>江戸方の勝利「貞享暦」が幕府から 発行(澁川春海) 次の「宝暦暦」の策定には天文方の役人に加え陰 陽頭の土御門泰邦(安倍泰邦)が関わった。 「寛政暦」:以後江戸方に主導権 この時西三条に天文台(御土居の上?)をつくる。 伊能忠敬は日本初の本初子午線(経度0)をおく 土御門家中興の人、安倍泰邦は梅 小路の自宅に大表土台(日時計)と 渾天儀台(天体観測機器)。 梅林寺の大表土台 明治維新になり、陰陽寮は廃止(安倍晴雄 晴栄は東京へ 資料は府資料館と大将軍八神社へ 安倍(土御門)の天文学は京都大学へ。最後の華、上臈土御門 藤子 (和宮の名代として江戸無血開城に尽力)= 安倍朝臣邦子 そのころ天空では:最も若い超新星: 約100年前、銀河中心付近で起った。 膨張速度は毎秒14,000 km ! 嵯峨野 時雨亭跡 晴明墓 小督局跡 LRT 古天文資料。 国産1号渋川春海 大将軍 八神社 製作の天球儀。 西三条天文台 経度0: 御土居跡? 土御門天文台石 (梅林寺、円光寺) 花山天文台 清閑寺(小督局の 墓)、高倉天皇陵