親子で学ぶ戦国時代の医学と薬草

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薬草と本草学
-親子で学ぶ戦国時代の医学と薬草-
茨城大学人文学部 真柳 誠
2010年8月8日 一乗谷朝倉氏遺跡資料館
「クスリ(薬)」とは?
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現在のクスリには大きく2種類がある
第1種:天然物やその加工物
天然物は草木、動物、鉱物など
 薬草などの天然物は、ヒト以外の動物も利用
 ヒトは歴史記録がある以前から、薬草などの
天然物をクスリとして利用していた
 代表は漢方薬・民間薬などの生薬
 多くは経験から効果を理解
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第2種:人工的な化学合成物質
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多くは実験から効果を確認
「クスリ(薬)」とは?
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クスリには4つのレベルがある
レベル①:苦痛の除去→病気の治療
 レベル②:疲労や衰弱の回復→滋養強壮
 レベル③:体調の維持→保健
 レベル④:生命の維持→長生き
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クスリとは、健康なココロとカラダを維持し
たい、という人間の本能を満たすモノ。
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この意味で、生命にとって薬と食べ物は同じ
→医食同源
近代以前のクスリの研究
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中国
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最古の研究書は1世紀の
『神農本草経』
「神農」は農業と医薬の神
「本草」とはクスリの本質
「経」は経典・古典の意味
約2千年間、「本草」の分
野で、クスリを研究
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代表は16世紀の『本草綱
目』
13世紀の『湯液本草』は新
しいタイプの本草書
日本
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中国の影響で研究を開始
中国各時代の本草書を筆
写や復刻して研究
朝倉氏遺跡出土の『湯液
本草』もその一例
日本独自の研究
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日本の研究は平安時代9
世紀の『本草和名』が最古
江戸末期まで2千以上の
本草書が著述された
代表は18世紀の『大和本
草』など
藤原京出土の木簡
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藤原宮(694~710)遺跡から「大宝三年
(703)」や「典薬」、さらに「本草集注上巻」
(No.74)と記された木簡などが出土している
以上は703年以降に廃絶された溝SD105から、
まとまって出土した典薬寮関係のもの
 図右はNo.74の表面、図左は真柳の模写
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これは、西暦500年ころの中国で編纂された
『本草集注』3巻本を、奈良時代700年ころに
研究していた証拠
中国の敦煌で発見の7巻本『本草集注』
敦煌本の迫力で緊張する学生たち
唐代7世紀『新修本草』の奈良写本
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『本草綱目』初版(国立国会図書館蔵)
9
『湯液本草』とは?
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中国の王好古(1200-1260)が著述
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「湯液」とは薬草など生薬を煮出したスープ、つまり煎じ薬のこと
王好古は紀元前1世紀の前漢時代にあったという、伊尹の『湯液経法』と
いう書から、この書名をつけ、1248年に著述
従来の本草書はクスリの効果以外に、薬名の起源、産地、品質などの
博物的内容も記載
本書は博物的内容を省き、効果だけを記した新タイプの本草書
内容は、多くの論説と図説からなる前半の総論と、草・木・果・菜・米穀・
玉石・禽・獣・虫の順に計242種の薬物を収載する後半の各論からなる
一乗谷出土の焼片は『湯液本草』
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記されていた文字の「酒を用いず」をヒントに判定
酒を用いる、用いないという考えは方は、生薬の大黄を加工する方法と
して、金元の本草以降から出現
その代表例として『湯液本草』と対比すると、全文字が一致していた
『湯液本草』の印刷出版
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中国版
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朝鮮版
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元代1335年版
明代1399~1424遼藩初版
明代1484年遼藩第2版
明代1508年熊氏種徳堂(梅隠堂)版
明代1529年遼藩第3版梅南書屋版
明代1583年周氏仁寿堂版
明代1601年「古今医統正脈全書」版
など
1488年内医院版
1529~1544年内医院版
日本版
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1597年小瀬甫庵版
1658年武村市兵衛版など
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一乗谷が信長軍の焼き
打ちにあったのは1573年
すると一乗谷出土『湯液
本草』のルーツは以下の
版本が候補
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元代1335年版
明代1399~1424版
明代1484年版
明代1508年版
明代1529年版
朝鮮1488年版
朝鮮1529~1544年版
一乗谷出土の『湯液本草』焼片
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焼片の『湯液本草』は
すべて1紙に20行、1
行に16字で統一して
筆写されている
これは印刷物を忠実に
筆写したため
この行数・字数に該当
する版本は2種だけ
該当する『湯液本草』の版本2種
1399~1424遼藩初版
1508年熊氏梅隠堂版
書物の印刷出版と日本
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木の板に文字を反転して彫り、書物を印刷する技術は、
中国で8世紀ころに開発
12世紀には中国南方の福建で出版業が盛んになる
福建では16世紀まで多くの書物が販売用に印刷され、と
くに15世紀の熊宗立は一般向け書物を多く出版
当時の中国貿易船は多くが福建から出帆し、室町時代の
堺港に荷揚げした
このため当時の日本に渡来した中国書は福建の印刷物が
多く、熊宗立とその一族が出版した医書だけで30種類以
上が日本に現存
当時の堺は貿易で栄え、最新の中国知識を学ぶため京都
からも名僧や名医が来ていた
日本の医書出版と堺・一乗谷
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堺では室町後期の1528年、日本で最初に印刷出版された医書は、
熊宗立が出版した『医書大全』の復刻
8年後の1536年、日本で二番目に印刷された医書も、熊宗立が
出版した『俗解八十一難経』の復刻
これを朝倉家の一乗谷で印刷した名僧の谷野一栢は、1509年こ
ろに堺で『俗解八十一難経』など熊宗立の医書を学び、多数筆
写していた
以上などから、一乗谷出土の『湯液本草』は、熊宗立版を忠実
に筆写した本の焼け残りと判断される
今から500年ほど前、中国の福建で熊宗立の出版した医書が堺
に輸入され、京都を経由して一乗谷まで伝えられていた
この長い道のりと歴史を、出土した『湯液本草』が私たちに教
えてくれた
日本の本草研究
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中国の影響で研究を開始
中国各時代の本草書を筆写や復刻して研究
朝倉氏遺跡出土の『湯液本草』もその一例
日本の研究は平安時代9世紀の『本草和名』が現存最古
江戸時代は国産薬の開発策などで、本草の研究が発達
江戸末期まで2千以上の本草書が著述された
代表は18世紀の『大和本草』など
日本の本草研究
本草の研究とは
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博物面
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効果面
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薬名の由来と別名
中国名と日本名の関係
何を使うか(新薬、類似薬、偽薬)
産地と品質
治す症状(頭痛や下痢など)
治す理由(温める、冷やすなど)
臓腑や経脈との関係
効果の「めやす」
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薬気(寒-涼-平-温-熱)
五味(酸・苦・甘・辛・鹹〔塩味〕)
毒性(無毒・小毒・大毒)
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分類法
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自然分類(草木など)
効果分類(鎮痛薬など)
使用面
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加工法
配合法(七情:単行と相須・
相使・相畏・相悪・相反・相
殺)
製剤法(煎剤・散剤・丸剤・
膏剤・霜剤)
服用法(時間・用量・年令・
体力・症状)
処方法
以上はすべて、毒性の低減
と、効果の増強が目的
本草書の分野
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総合本草
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絵付き本草
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正統本草:神農本草経→本草集注→新修本草→・・・・
その他:本草綱目など
中国:新修本草、図経本草など
日本:馬医絵巻、図解本草など
分野別本草
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博物本草・臨床本草・救荒本草・食物本草など
中国最古の食物本草
敦煌出土『食療本草』(8世紀初期)
ミソ・納豆・豆腐も載る日本の
食物本草『本朝食鑑』(1692)
現代的意義
22
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本草学は中国で約2000年、日本で約1500年にわたり積
み重ねられてきた体系であり、その現代的意義は多面に
およぶ
①中国の中薬学や日本の和漢薬学など、伝統医療の基礎分野
②生薬学・天然物化学・薬用資源開発など、現代薬学の資料
③医学史・薬学史・生物学史・農学史・科学技術史など、歴史学の史料
④博物学・文献学・文字(字形・音韻)学など、中国学・日本学等の史料

このように本草学は、それ自身の研究にとどまらず、諸分
野の研究にも限りない価値を提供している
ご
自
由
に
質
問
し
て
く
だ
さ
い
ご
清
聴
あ
り
が
と
う
ご
ざ
い
ま
す