山梨県身延山の精神病者

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Transcript 山梨県身延山の精神病者

山梨県身延山の
精神病者
橋本 明
愛知県立大学文学部
小林ひとみ
身延山頂より市街をのぞむ
愛知県立大学大学院国際文化研究科
七面山登頂
身延山信仰をめぐる
赤沢宿
トポグラフィー
奥の院
雄滝
身延駅
本堂への急な階段
久遠寺三門
「
身
延
山
の
乞
食
」
かつて「乞食」が多くいたという、
久遠寺三門近くの杉並木
1934年10月13日(峡中日報)
資料提供:桑名貫正氏(身延山大学公開講座
「身延山と文化Ⅲ」配布資料、2008年8月)
身延深敬園
(みのぶじんきょうえん)
綱脇龍妙
(1876-1970)
旧・身延深敬園に至る橋
1906年ハンセン病患者の
療養所・身延深敬病院とし
て発足。後に改称して身延
深敬園。1992年閉園。
現在の身延川
身延の精神病者への言及
「今モ毎月五六人ノ精神病者来リ詣ツル」
呉秀三『我邦ニ於ケル精神病ニ関スル最近ノ施設』(1912年)
「(1911年に)身延へまいりましたら、なんか、
大学から役人が来る。で、病人などを預つてい
るとうるさいと云うので、私の行つた日には病
人は皆どつかへ逃げ出してしまって・・・」
斎藤玉男の口述(1968年):出典は『八十八年をかえりみて―斎藤玉男
先生回顧談―』(1973年)
長谷川寛善と
身延山功徳会
長谷川寛善
(1877-1934)
覚林坊
眼病守護で知られる覚林
坊(日朝堂)へ詣でたこと
が契機で仏門へ。無住
だった大善坊の留守居番
となる(のちに住職)。
1906年、同地で無宿者の
保護事業として「身延山功
徳会」を開始した。
大善坊内にあった頃の
身延山功徳会
:
増
築
さ
れ
た
写収
真容
提施
供設
長(
一
谷九
川四
美〇
子年
さ)
身延山功徳会の
その後
現在の
「養護老人ホーム功徳会」
(1973年に移転新築)
藤岱(ふじぬた)の滝
および周辺の寺院と旅館
藤岱の滝
身延
藤岱(ふじぬた)の滝
および周辺の寺院と旅館
本堂
旧・患者収容所
藤岱の滝
向昌院
藤岱(ふじぬた)の滝
および周辺の寺院と旅館
簡易旅館「瀧の庵」(戦前)
藤岱の滝(戦前)
写真提供:橘田政照さん
表現型(phenotype)の類似性
キーワード:
家庭的な看護
ゲール(Geel)
キーワード:
巡礼・慈善・公的
身延
岩倉(京都)
キーワード:
保養・経済原理・私的
藤岱の滝
遺伝型(genotype)の類似性