Transcript シーボルト江戸参府紀行
日本の自然現象記録媒体 としての海外史料の分析 総合科学専攻 3081-6017 小山研究室 縄巻小春 1 研究目的 近世の日本を訪れた外国人の手記には、近代科学の知識を備 えた者としてのいくつかの地震・噴火関連記事が載せられて いる。 北口(2003)は、新異国叢書34冊、商館長日記17冊 十六・十七世紀イエズス会日本報告資料集13冊の分析を行 った結果、1865年薩摩硫黄島の噴火、1881年伊豆大島の 噴煙、など新史料を確認した。 しかし、日本側の史料との照合が不十分な上、分析対象とし て異国叢書などの重要典籍を欠くなどの網羅性に乏しかった。 本研究は、異国叢書を含めた海外史料に対する系統的な記述 探索と内容分析を目的とする。 2 研究方法 異国叢書(全13冊),新異国叢書(全35冊)などの 現在入手可能な海外史料(和約)をできるだけ多く読 む。 日本を訪れた外国人の旅程を年代ごとに白地図にま とめ、地震・火山関連の記事をピックアップする。 抽出した記述を、日本側の資料と照らし合わせる。 地震・噴火の詳細を分析する。 3 対象とした史料 異 国 叢 書 ◆昭和4年に雄松 堂から刊行され シリーズ ◆政治・経済・文 化・宗教・風俗 習慣・自然に至 るまでのありの ままの姿が描か れている ◆全13冊から構成 されている 新 異 国 叢 書 第Ⅰ輯 15冊 ◆キリスト教伝来から、鎖 国の形成・洋楽の展開から 動乱の幕末までの記録。 第Ⅱ輯 10冊 ◆開国期から明治の動乱期ま での、個人的な日記・紀行。 第Ⅲ輯 10冊 ◆近代の日本に関する外国人 の記録の邦訳。オランダ人 が多いが、アメリカ, イギリス等各国人に及び、 自然科学者・旅行紀等いる。 4 対象とした史料 浅間山の噴火の様子 被害の様子が記されている ティチング日本風俗図誌より 4 史料に記された期間 1550 慶元イギリス書翰 イエズス会士日本通信 イエズス会日本年報 デ・サンデ天正遣欧使節記 異国往復書翰集/増訂異国日記 抄 耶蘇会士日本通信 ドン・ロドリゴ 日本見聞録 セーリス日本渡航記 ヴィルマン日本滞在記 ケンプェル江戸参府紀行 シーボルト日本交通貿易史 1600 1650 1700 1750 1800 1850 4 史料に記された期間 ゾーフ日本回想録/フィッセル 参府紀行 グレタ号日本通商記 スポルディング日本遠征記 クルウゼンシュテルン日本紀行 ティチング日本風俗図誌 ツンベルグ日本紀行 シーボルト江戸参府紀行 メイラン日本 ドゥフ日本回想録 レフィスゾーン 江戸参府日記 ペリー日本遠征日記 ハイネ世界周航日本への旅 ペリー日本遠征随行記 ゴンチャーロフ日本渡航記 ポンペ日本滞在見聞記 エルギン卿遣日使節録 ホジソン長崎函館滞在記 1750 1800 1850 4 史料に記された期間 1800 オイレンブルク日本遠征記 スミス日本における10週間 パンペリー日本踏査紀行 マローン日本と中国 アンベール幕末日本図絵 オイレンブルク遠征図録 シュリーマン日本中国旅行記 シェイスオランダ日本開国論 ヘールツ日本年報 ディアス・コバルビアス日本旅行記 ギメ東京日光散策/レガメ日本素描紀行 モースのスケッチブック クロウ日本内陸紀行 グラント将軍日本訪問記 バード 日本紀行 アーノルド ヤポニカ 1850 1900 5-1 旅程とその途上での地震・噴火 イエズス会 日本年報 下 1586年1月初め 豊後 地震 ドン・ロドリゴ日本見聞録 1611年8月21日 若松 地震 ヴィルマン日本滞在記 1651年9月12日 長崎 地震 1652年1月26日 江戸 地震 ケンプェル江戸参府紀行 上 1691年3月23日 江戸 地震 1691年10月14日 長崎 地震 1691年11月10日 長崎 地震 1652年1月26日長崎 地震 16~17世紀 1611年8月21日若松 地震 1612年5月 1585年8月 1611年10月 1588年2月 1691年3月23日江戸 地震 1652年11月 1691年11月 1651年9月 1691年2月 1691年10月14日長崎 地震 1691年11月10日長崎 地震 1651年9月12日江戸 地震 1586年1月初め豊後 地震 5-2 旅程とその途上での地震・噴火 ティチング日本風俗図誌 パンペリー日本中国旅行記 1783年7月27日 浅間山の噴火 ティチング日本風俗図誌 1783年8月1~4日 江戸 地震・噴火 ティチング日本風俗図絵 1793年1月18日 雲仙岳 噴火 1793年2月6日 長崎 琵琶撥火山 噴 火 1793年3月1日 九州 地震 スミスにおける十週間 1793年 雲仙岳 琵琶撥火山 噴火 1793年1月18日雲仙岳 噴火 1860年4月 18世紀 1862年2月 1863年4月 1783年7月27日 浅間山 噴火 1860年6月 1793年琵琶撥火山 噴火 1783年8月1日~4日江戸 地震・噴火 1793年2月6日長崎 琵琶撥火山 噴火 1793年3月1日九州 地震 5-3 旅程とその途上での地震・噴火 スミスにおける十週間 シーボルト江戸参府紀行 1860年5月26日江戸地震 1825年10月1日、 パンペリー日本中国旅行記 23日、24日出島地震 1862~63年横浜地震 1828年5月26日出島地震 オイレンブルグ日本遠征記 上 へーツル日本年報 パンペリー日本中国旅行記 1854年12月江戸地震 1871年5月29日横浜地震 スミスにおける十週間 1854年江戸地震 グレタ号 日本通商記 1854年12月江戸 地震 1855年11月11日下田地震 1825年10月1日、23日24日出島 地震 1855年6月 1860年5月26日江戸 地震 1860年6月 1862年~63年横浜 地震 1863年4月 1862年2月 1826年2月 19世紀 1860年6月 1854年江戸 地震 1826年2月 1856年1月 1863年4月 1860年4月 1860年4月 1828年5月26日出島 地震 1862年2月 1855年11月11日下田 地震 1854年江戸 地震 1871年5月29日 横浜 地震 6-1 地震・噴火記述の分析 シュリーマン 日本中国旅行記、 へーツル 日本年報より 二時に、すなわち(1871年)五月二九日のことであるが、かなり強烈 な地震が横浜の住民によって感知された。ヨーロッパ人地区の大きな 倉庫が震動により、重大な損害を受け、一方また日本人の町では何軒 かの家が損傷を受けた。人々は、ここ七年来このような激しい震動を 感じた事はないと断言している。(横浜に近い)弁天で、震動ははじ め南西から北東に向かって、続いて、北東から南西に向かって起こっ たことが地震計を使って観測された。温度に特別な変化を惹き起すこ とはなかった。 気象庁Wedページの活火山総覧・日本被害地震総覧(宇佐 美、2003)で調べたところによると、この地震に関して の記録が確認できなかったため、新発見の地震記述と思 6-2 地震・噴火記述の分析 グレタ号 日本通商記より 十一月十二日(十月三日) 昨晩、強い地震があって、不意に眠りを破られた。真夜中、寺がひど く揺れだして、幾度か、頭を壁にぶっつけた。~省略~ 地震は、少な くとも四十秒継続した。私が、今まで経験したうちで、最も強大なも ののひとつであった。この地震が、規則正しく揺れ続けないで、途中 に切れ目があったとしたら、確実に寺は崩壊したであろう。そして、 われわれは、残骸の中に埋まったに相違いない。ところが、家屋は揺 れたが、梁がしっかりしていた。もし、衝撃を受けたら、柱が折れた ことであろう。 日本被害地震総覧:1855年 Ⅺ 11 江戸及び付近 推定震度5~6 1855年安政江戸地震 下田での体感記録 近代知識を持った外国人ならではの感想 6-3 地震・噴火記述の分析 シーボルト江戸参府紀行より 最も烈しかりしは千八百二十八年五月二十六日にありし地震なり。~省 略~此地震は濁逸里にて八里程東南に位する天草にて最も激烈なりしと 云ひ、此島の近傍海中に山の噴火に似たる現象を見たりと云ふ。同じ 頃、長崎の西南凡そ四十濁逸里なる高島には石炭没し。凡そ、四濁逸 里なる野母崎にては石の沸像は邱上より海中に轉び落ち。温泉獄も動 揺し、夏中輕き震動引続きて、一二度ならず反復して土地の隆起を生 じ。 被害地震総覧(宇佐美、2003)と内容が一致するが、 「天草の海中で噴火」の真相は未解決のままでる。 実際に何が起きたのかを知ることは今後の課題 7 まとめと今後の課題 ◆これまで合計66点の史料記述を読み、日本を訪れた外国人 の旅程をまとめることができた。 ◆史料記述から、地震に関する記述25件、噴火に関する記述 7件を確認できた。 ◆確認した記述から、新発見と思われる1871年5月29日 横浜での地震記述を確認することができた。 ◆1855年安政江戸地震の下田での地震体感記録を確認できた。 ◆1828年5月26日 長崎の地震で地震の詳細を確認できたが、 天草の海中噴火の真相が未解明である。 ◆さらに多くの文献を参照する。 ◆抜き出した地震・火山記述について日本側の史料との照合 を進める。