中世都市の発達

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Transcript 中世都市の発達

1.中世都市の発展
1) 中世の都市
(1)旧都=京都、鎌倉、奈良→産業・交通の発展
→中世でも政治、経済、文化の中心
(2)新興都市→農村手工業の発達・商品経済の発展
(a)門前町=鎌倉時代に成立
→寺社参詣の流行(庶民の娯楽)
門前町の例=宇治(伊勢内宮)、山田(伊勢外宮)、
坂本(延暦寺・日吉神社)など
(b)城下町、港町、宿場町、寺内町
=室町時代に成立
農村における手工業の発達・流通経済の発達
→ 市場の発達、農村の市場として繁栄
①城下町=大名の領国経営の中心
城郭の変化(山城 → 平山城・平城)
機能と性格
(a) 軍事・政治の中心 → 武士の集住
(b) 商業の中心 → 楽市、楽座の実施
←大名の保護と統制
・楽市(市座の撤廃)=たいていの城下町では実施
・楽座(座の撤廃)=楽市と比べると少ない、
岐阜加納(織田氏)など
城下町の例=小田原(北条氏、現・小田原市)、駿河
府中(今川氏、静岡市)、山口(大内氏、山口市)
豊後府内(大友氏、大分市)、春日山(上杉氏、上越市)、
一乗谷(朝倉氏・現福井市)、など
②港町=海運送業の発達
港町の例=敦賀(越前)、大津・坂本(近江)、桑名
(伊勢)、兵庫(摂津、もと大輪田泊)、小浜(若狭)
草戸千軒(備後)、など
③宿場町=東海道を中心に発達
④寺内町=一向宗の寺院・道場を中心にその内側に
成立した町(商業集落)
寺内町の特徴
(a)自衛のための集落…環濠・土塁をもつ
→ 一向一揆の拠点
(b)商業の発達=門徒の商工業者の集住、楽市の実施
寺内町の例=石山(石山本願寺、摂津)、吉崎(吉崎道
場、越前)、富田林(河内)、今井(大和)
吉崎御坊古絵図
(滋賀県照西寺所蔵)
外敵から町を守るため、
七筋八町の交差点の
いたるところに「あてま
げ」と呼ばれる見通し
を妨げる工夫をし、ま
ちの周囲は土塁と竹
草戸千軒町の再現(室町時代末期
一向宗(浄土真宗)興正寺別院を
中心に形成された宗教自治都市
2.自治都市の成立
1) 自治都市の成立
堺、博多=日明貿易の中継
地として商業活動の活発化
→富のよる自治権獲得(戦国大名に資金提供)
(1)博多=大内時代:九州で最も富裕な町。有力商人の
「年寄」役職が自治運営(フロイス)→龍造寺、島津
→
氏の戦乱で焼失→秀吉の復興事業が「太閤町割り」
→12人の「年行司」
(2)堺=兵庫湊→堺=日明貿易(細川氏のもと)の中継地
→琉球貿易・南蛮貿易の拠点、堺=「東洋のベニス」
環濠都市(戦乱から町を守る堀を巡らせた)。豪商36
人の会合衆の合議制による自治的な都市運営
→織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服。都市機能が解
体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。
(3)京都=町衆が父の自治の中心
(a) 「町衆」=応仁の乱後の復興の中で自治組織をつくっ
た土倉、酒屋などを中心とする商工業者
(b) 町衆の活動
・上京、下京の町組結成
・月行事による運営
・自衛活動…かこい、木戸の設置、法華一揆の運営(町
衆は日蓮宗門徒、一向宗に対抗)
・文化活動…祇園祭の再興、御伽草子、小歌、盆踊り
(4)その他の自治都市=自治の権限は弱い
(a)大湊(伊勢)=北畠氏の支配下で、上納金と引換えに
24名の会合衆による自治が認められた。
(b)平野(摂津)=「平野七名家」と呼ばれ、宗家の坂上氏を支え、
中世の自治都市平野の自治に携わった。
(c)桑名=室町時代に商人たちによる自由都市が形成。日本屈指の
貿易都市。東海地方と畿内の交易の中継地
中世都市の発展
鎌倉
古代以来、(① 奈良
) 、(② )京都
、(③ ) の都市は政治、経済、文
化の中心であったが、中世以後も政治、経済、文化の中心的役
庶民
割を果たしてきたが、中世になると、(④ ) の娯楽としての寺社
参詣
門前町
(⑤ ) の流行するに伴って(⑥
) が発達していった。また、地
手工業 ) の発達が
方において(⑦
) の発達と農村における(⑧
商品生産
農村の市場や町を飛躍的に増加させ、また、(⑨
) 宗教の発達
新興
と共に大寺社だけでなく地方の中小寺院の門前町も繁栄するな
ど、さまざま要因から新興都市が成立していった。室町時代には
更に大名の領国経営の中心となる(⑩
) 、商品流通の発達に
伴い、海運送業の発達で
(⑪ )が開かれ 、東海道を中心に
城下町
⑫
) 、がにぎわい、浄土真宗の勢力の強い地域では、寺院
港町
宿場町
や道場を中心に(⑬
) が各地に建設されていった。
寺内町
城下町の発達
軍事・政治
戦国大名の(① 領国
) 経営の中心となり、(②
) の中心としての機能として、
防衛
(③ ) が集住し、戦国時代に生き残る(④
) 都市と商業の中心としての機能を
武士
山
兼ね、城郭も(⑤ ) 城から(⑥ ) 城・平城に変化し、戦国大名の保護と統制の
平山
元に、都市を発展させ、現金収入が流入するために(⑦
) を実施し、流通
楽市、楽座
経済を円滑に奨める都市機能を図った。
城下町の例としては、岐阜加納(⑧
) 、小田原(⑨
、現・小田原市)、駿
河府中(⑩
、静岡市)、山口(⑪
、山口市)、豊後府内(⑫
織田氏
北条氏、大分市)、
大内氏
春日山(⑬
、上越市)、一乗谷(⑭
・現福井市)、などあげられる。
今川氏
大友氏
上杉氏
朝倉氏
港町の繁栄←海運送業の発達
海陸交通の要地に商業の発達に伴って成立した港湾都市。港町の
例=敦賀(越前)、大津・坂本(近江)、桑名(伊勢)、兵庫(摂津、
もと大輪田泊)、大湊(宇
治・山田の外港)、小浜
(若狭湾)、平野(京都の
外港)、尾道(備後)、瀬戸
内海沿岸の草戸千軒(備
後)、坊津(薩摩)、直江津、
三国、淀など
宿場町→東海道の宿
駅主体を中心に発達した
町。遠江引馬宿・島田宿、
三河矢作宿
「都市桑名」『宗長手記』「大永六年条」
桑名よりむかへの舟、うたひのゝしり、さい合せこぎちがへ、送迎のふめ一つに
なりて、心もとなくぞおり侍りし、(中略)此津南北美濃尾張の河ひとつに落て、み
なとのひろさ五六町、寺々家々数千軒、きこゆる西湖ともいふべし。数千艘橋の
下広く、旅泊の火、星か河辺のなどふるごとも、さながらにぞみえわたる」
「自由都市堺」『耶蘇会士日本通信』
「堺の町は甚だ広大にして、大なる商人多数あり。此の町はベニス市の如く執政
官に依りて
「自由都市堺」『耶蘇会士日本通信』「永禄五年堺発
日本全国当堺の町より安全なる所なく、他の諸国に於て動乱あるも、此町には
嘗て無く、敗者も勝者も、此町に来往すれば皆平和に生活し、諸人相和し、他人
に害を加うる者なし。市街に於ては嘗て紛擾起ることなく、敵味方の差別なく皆
大なる愛情と礼儀を以て応対せり。市街には悉く門ありて番人を付し、紛擾あれ
ば之を閉づることも一の理由なるべし。紛擾を起す時は犯人其他悉く捕えて処
罰す。然れどの互いに敵視する者町壁外に出づれば、仮令一投石の距離を超
へざるも遭遇する時は互いに殺傷せんとす。町は甚だ堅固にして、西方は海を
以て、又他の側の深き堀を以て囲まれ、常に水充満せり。此町は北緯三十五度
半の地にあり」
自治都市と町衆
(① 日明
)貿易の根拠地である(② ) で富裕な商工業者たちが、戦
堺
平和
取引
国の争乱をさけて(③ ) な環境と自由な(④
) を主張して、
自治組織
(⑤
) を形成。豪商から選ばれた36人の(⑥
) (えごうしゅう)
会合衆
商業都市
の合議制で市政を運営、(⑦
) 本来の形を回復、領主の支配
から独立して自治市政を行い、(⑧ ) のため周囲に堀を巡らし、
牢人
(⑨ 自衛
) をやとい、武力での(⑩ ) 体制を取った。
自衛
自治都市と町衆②
同じ時期に、山田(伊勢)、大湊(伊勢)、博多(筑前の港町) 、酒田
などの都市にも類似した自治組織が見られた。
豪商
博多では、12人の(① 年行司
) (年寄)と呼ばれる(② ) の会議で市
土倉
政を運営。京都のような古い政治都市でも(③ ) ・酒屋などを中心
町衆
とする商工業者である(④ ) が作っていた自治・自衛的協同体を
町組
(⑤ ) といい、上京・下京に結成された自治組織で、独自の(⑥
)
町法
を定め、町衆から選ばれた(⑦
) によって自治的に運営され、
土一揆
(⑧ 月行事
) ・一向一揆から町を(⑨ ) していた。応仁の乱の戦火で
自衛
焼かれた京都の町を復興し、(⑩
) (祇園社の疫病除け祭礼→
町ごとに町衆の山鉾をつくって参加する華麗な祭)を再興。
祇園祭
寺内町
=(①一向宗
) の寺院・道場を
中心にその内側に成立した
町(商業集落)。
一向一揆の拠点として自衛
のための(② 集落環濠
)
・土塁をもつ町。
門徒の(③ 商工業者
) の集住、
(④ ) の実施で商業が発
楽市
達。
寺内町の例
=石山(石山(⑤本願寺
) 、摂
津)、吉崎(吉崎(⑥ )道場
、越
前)、富田林(河内)、今井(大
和)