直島アートプロジェクト

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Transcript 直島アートプロジェクト

直島アートプロジェクト
~アートの力で島おこし~
社会学部4年
横山 千裕
目次
一章
二章
三章
四章
五章
研究主題と論文の構成
直島の歴史「アートの島」への歩み
実際に見た直島、繁栄の理由
他の美術館との比較
まとめ
一章 研究主題と論文の構成
論文主旨
・(国内)旅行が好き。
・その中でも四国が一番好き。
そろそろ一人旅してみたい・・・
香川のうどんが好きだから・・
・直島の「島全体が美術館」という記事と
このポスターが気になる。
・卒論で部屋に籠るのが嫌だ!!
自分の足で動こう!
見に行こう!!
・・・そもそも直島ってどこ?
・香川県高松市から北へ約13km、
岡山県玉野市から南へ約2kmに位置する瀬戸内海に浮かぶ島。
・島の面積はわずか8平方km、
中京大学の
周囲16kmの小さな島である。
人口は約3400人(2008年現在)・・・ 一学年分くらい
の人数。
・平均年齢60歳、過疎化を辿る。
年間来島数が19万人!!
この小さな島が10年をかけて、島全体で行ってきた
「アートプロジェクト」が世界から注目を集めている。
直島について
・島の集落
中部を中心に、戦国時代の海城の
城下町の原形を残す本村(ほんむら)地区
昔からの漁港の村である積浦地区。
西部に位置する、島を出入りするフェリーの
玄関口となる宮之浦地区の3集落からなる。
・三菱マテリアルの事業展開
北西部には三菱マテリアル精錬所が存在する。
東洋一の銅の精錬所、日本の金の60%以上が直島で生産されている。
→近年ではリサイクル事業も行っている。
・自然とアートの共生
直島南部は、豊かな自然が残り
瀬戸内海国立公園に指定されている。
「アートプロジェクト」は自然が広がる
南部を中心に至る所で行われている 。
「美術館」の定義
直島・・・「アートプロジェクト」を柱に
島全体を「美術館」に見立てている。
本来の美術館の定義
・美術館は「博物館」の一つの形態。
・博物館法の第1章での定義づけ
「歴史、芸術、民族、産業、自然科学等に関する資料を収集し、
保管し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、
その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、
あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」
➔「美術」の分野に特化した博物館=「美術館」である!
美術館のように日本語の表記としてまったく別のものとしてあつかわれる
博物館の形態に、資料館、歴史館、科学館、さらには動物園や水族館も数えられる。
国内の美術館
国内には美術館が数千館存在。
➔1970年から1980年代にかけて各地に美術館の設立ブームが起こった。
全国の都市そして地方都市へと拡大していった背景がある。
美術館は運営・管理団体で3つに分類される。
①国立美術館
東京国立近代美術館、国立西洋美術館(東京都)、京都国立近代美術館、
国立国際美術館(大阪府)、国立新美術館(東京都)の五館のみである。
京都国立近代美術館
国立新美術館
国立国際美術館
2001年「独立行政法人法」が施行され、独立行政法人が運営、管理することに。
かつて国立美術館は、国が直接運営、管理していたが
法律によって国から切り離されることとなった。
要するに・・・
国立西洋美術館
美術館を運営する資金などを税金で
まかなわれたが、今後の運営は企業
と同じく独立して行われる。
東京国立近代美術館
五館を1つの団体で運営することによって、
美術館同士の連携や効率的な運営を目指すことを目的としている。
背後に考えられるのは国のコストカット。
②公立美術館
豊田市美術館、金沢21世紀美術館etc…
各都道府県にある県立美術館や市立美術館のこと。
地方公共団体によって運営・管理されている美術館。
2003年「指定管理者制度」が公立美術館に導入される。
「公の施設」を地方自治体が管理・運営してきたが、
業務に関して委託できたのは地方公共団体が指定した
財団法人などのみだった。
「指定管理者制度」の導入によって、民間企業やNPOなどへ
委任することもできるようになった。
<「指定管理者制度」の目的>
美術館の施設の運営・管理の地方行政のコスト削減を見直し。
民間企業のノウハウや活力を活用した住民サービスの向上。
地方公共団体での経営効率化。
委託
例えば、「展覧会を開きたい」などどんなことをするのにも
一度地方自治体を通し許可をもらってから行っていた。
運営・管理以外でもほとんど委託先の民間企業やNPOに任せるというものである。
委任
地方自治体の財政難を受け、公立美術館の存続は困難。
美術館は、地方から切り捨てられたとも考えられる。
③私立美術館
企業や個人が運営・管理を行っている美術館。
1970年から1980年代
美術館設立ブーム
1990年代前半
バブル崩壊
企業や個人が美術作品のコレクションを持ち
一般に公開するために美術館を設立する。
多くの私立美術館では負債を抱え始める。
➔来客数の伸び悩み、施設の維持ができないなどの
問題を抱え、閉館に陥っているのが現状である。
二章 直島の歴史
「アートの島」への歩み
この章では直島の歴史に触れ、
「アートプロジェクト」が島で成り立つまでの経緯を知っていく!!
○三菱マテリアルの受け入れと環境問題
●観光産業の誘致
○「直島文化村構想」
●ベネッセの取り組み
・「ベネッセハウス」
・「サイトスペシフィック・ワーク」作品の導入
・「家プロジェクト」の開始
・スタンダード展
○「直島アートプロジェクト」集大成
・「地中美術館」建設
・2004年以降の直島
○三菱マテリアルの受け入れと環境問題
1915年
直島内の農業、漁業の不振。
三菱鉱業の事業展開誘致を受け入れ、金属の製錬を開始!
島の北部に工業地帯が完成。➔金の精錬量日本一に。
1917年
関連企業も含め島をあげての大きな事業へと発展。
人口増加、財源も豊かになり瀬戸内海の離島の中でも
有数の豊かな島となった。
問題発生!!
・銅の製錬により、排出される亜硫酸ガス(SO2)を含む
煙害で北部の木々は枯れ、山は禿げ山と化していった。
・煙害の影響は直島だけに留まらず周囲の島をも巻き込んでいった。
銅の製錬を行っていない島々でさえも煙害の犠牲となった。
1970年代
銅の市場価値の下落、製錬事業の低迷。 ➔人口が大幅に減少、
過疎化が進む。
三菱マテリアルでの新規事業開拓が迫られる!
1975年から16年間
・三菱マテリアル銅製錬所の
敷地内に産廃処理施設の
建設がはじまる。
・約55万トンを越す廃棄物を
処理することが目標。
・リサイクル事業も開始。
豊島(てしま)では国内最大規模の
産業廃棄物の不法投棄が発生!
○観光産業の誘致
・煙害による島内の禿山化・・・直島の自然が損なわれる
・産廃処理施設の建設による
「直島も汚染されるのではないか」 という島民の不安。
「風評被害」
の対策を直島町は行った。
「風評」とは、世間の評判、うわさ、とりざたといった意味。
「風評被害」を単純に言い換えれば、「うわさによる被害」。
マスコミの報道をきっかけにあいまいな情報である風評が
立ち、特定の地域、業界、企業などに経済的な被害が発
生するということ。
被害対策の一つとして直島は観光産業の受け入れを始めた。
「直島アートプロジェクト」が始まった経緯。
○「直島文化村構想」
1985年
・三菱マテリアル製錬所の環境問題
・製錬所事業の縮小化による人口の過疎化
・豊島の産業廃棄物不法投棄問題
・島内でのリサイクル事業の開始
直島が大きな変化を迎える年
ある会談が行われた。
・風評被害問題
直島町長
三宅親連氏
直島の南側一帯を
清潔で教育的な文化エリア
として開発したい。
❤
瀬戸内海の島に世界中の子供達
が集える場をつくりたい。
福武書店創業者
(現・ベネッセコーポレーション)
福武哲彦氏
直島再開発の約束= 「直島文化村構想」
1986年
福武哲彦氏が他界
息子の福武總一郎氏が意思を継ぎ、「直島文化村構想」を始める。
1989年
先駆けとして「直島国際キャンプ場」をオープンさせた。
当初は試験的に福武書店の社員と子どもたちがキャンプを行うところから始まり、
1989年に一般向けに営業を開始した。
2006年に「ふるさと海の家つつじ荘」と名前を変え現在も営業している。モンゴル風のテント「パオ」を
宿泊施設にしているところから「国際キャンプ場」としての狙いが考えられる。
○ベネッセの取り組み
ベネッセハウス
「直島文化村構想」から
「ベネッセアートサイト直島」へ名を改める。
・1991年4月福武書店は「ベネッセ(よく生きる)」
を企業理念として発表し、建設途中の美術館に
その名前を付けた。
・美術館のコンセプトは「自然・建築・アートの共生」
安藤忠雄氏設計によりオープン。
・現代美術を中心に展示した美術館と
宿泊施設の一体化した複合施設。
➔ミュージアムショップやカフェ、レストランがあるのは
今では普通。スイートルームやスパまでついたホテルが
美術館の中に完備されているのは異例のこと。
ちなみにお値段1泊3万円~6万円。
・瀬戸内国立公園の制約の条件を守り
自然環境に配慮した建設方法。
➔ほとんどが地中に潜った建物、地形を活かし設計のため、
外観からはほとんどが見えない。
➔美術館には異例で壁面部分が少なく、展示物を掛ける場所が
少ないため展示作品が建築に合わせて選ばれるようになった。
「サイトスペシフィック・ワーク」作品の導入
「サイトスペシフィック・ワーク」とは?
★実際にアーティストに直島へ足を運んでもらい、
「直島にしかない作品」を制作してもらう手法。
★展示方法や場所もアーティストが作品に合わせて考え、
設置するため、ただ無造作に置かれているわけではないのだ。
作品が直島の自然環境に合わせて設置されている。
★直島の土地に限定された
作品たちは、永久的に展示される。
展示場所は、「ベネッセハウス」の館内だけに留まらず、
周囲の海岸線や森林内にもおよぶ。
家プロジェクト
本村地区の古い一軒家をベネッセが購入したところから
「家プロジェクト」は始まる。
・「サイトスペシフィック・ワーク」形式をとり、元々の家屋を
現代アートと組み合わせ修復、再建、そして保存している。
・「家」を一つの作品と見なしアーティストが手を加えていく、
外観だけでなく、家屋内の空間も作品と見なしている。
「家プロジェクト」は人々が暮らす町そのものの中で
「サイトスペシフィック・ワーク」を行う。
アーティスト達は本村地区の歴史、地域性、
本村地区に暮らす人たちの生活環境を踏まえ作品を制作。
「はいしゃ」
「南寺」
「きんざ」
「家プロジェクト」は1997年から10年をかけて7件の「家」がアート作品となった。
○「直島アートプロジェクト」集大成
地中美術館
福武氏が、クロード・モネの「睡蓮の池」を購入。
この作品を直島的に解釈して広げる意図から
構想されたのが「地中美術館」。
たった3人のアーティストの作品が永久展示。
作品数は限りなく少なく、鑑賞者にゆっくりと
作品と向かい合う時間をあたえている
展示スペースの設計が、各作品のためだけに行われているので、
雰囲気がまったく異なる。
➔常に新しい感覚でアート作品に触れ、体感することができる。
地中美術館は照明の使用を建設者の意向であ
まり使用していないため、薄暗い。
外から指す直島の自然の光が作品を照らす。
季節や時間帯によって作品の見え方が違う。
永久展示された作品、これ以上拡大しない建物、
それらはこれから先も変わらない「サイトスペシフィック・ワーク」である。
地中美術館は時を止め、鑑賞者を迎え入れる。
三章 実際に見た直島、繁栄の理由
地域×アート
過疎化、高齢化が進む直島で、なぜ「アートプロジェクト」は溶け込めたのか。
・「直島通信」の発行
「アートプロジェクト」の活動内容、進行状況や
制作中のアーティストの特集を載せている。
アーティストについてだけではなく、直島に住む人たちにも
スポットを当てているのが特徴的。
地域に時間をかけて、「アートプロジェクト」を浸透させる。
・ワーク・イン・プログレス=「家プロジェクト」
都市空間にインスタレーション作品を設置する際、
周囲の人々を巻き込み、設置のプロセスそのものを
作品の一部として取り込んでいく制作手法。
「家プロジェクト」第一弾「角屋」
「シー・オブ・タイム‘98」
空間と作品を作る過程を共有し合うことで・・・
アーティスト・・・ 「家」=空間の価値や歴史を理解。
直島の人たち・・・作品に対しての意図を知る。
相互が協力することにより「ワーク・イン・プログレス」は成り立ち、
作品として「家」は再び目覚める。
・地域をアートで飾る
<「スタンダード展」で各家庭に贈られたのれん>
展覧会後も本村地区の軒先に掛ける運動が継続的に行われている。
のれんによってケとハレの日を演出し、町並みを彩ることが目的。
<屋号名プレート>
本村地区を中心に玄関先に表札と一緒に飾られている。
200年~300年程前の屋号名を表現。
「アートプロジェクト」を町おこしに繋げるためには、
アーティストやベネッセだけに頼っていてはいけない。
地域自体が積極的に関与し、共に「アートプロジェクト」を
作っていくことで成り立つのである。
人×アート
「直島アートプロジェクト」が直島で暮らす人、
来島者など直島に関わる「人」へどのような影響を与えたのか。
・直島に昔から住む人たちへの影響
➔直島観光ボランティアガイドの会の設立。
直島の人たちからアート作品へ歩み寄るために設立された。
平均年齢70歳代! 直島の高齢者の人たちを元気づけた一例。
➔出会う直島に住む人たちは「直島アートプロジェクト」に対どこか
誇らしげで、嬉しそうな印象を受けた
「直島アートプロジェクト」は・・・
直島に住む人たちに元気と、自信を与えた。
生活の一部として受け入れたことであり、
暮らしそのものは昔から変わらないのである。
・来島者への影響
来島者が直島で体験する出来事の一つ一つは、他の美術館で
は絶対に体験できない。
直島での体験や時間そのものがアート作品
「地中美術館」で体感する独特の緊張感、
屋外作品を見るために体を動かし、自分の足で歩き、
作品を鑑賞することなどが当てはまる。
自分自身の感性を刺激され、
新たな自分自身を探すキッカケとなっているのだ。
繁栄の理由
・福武氏のリーダーシップ
「瀬戸内海の風景の中、ひとつの場所に、時間をかけてアートをつくり
あげていく。」をコンセプトに「直島アートプロジェクト」は行われてきた。
➔年月をかけ直島に住む人の理解を得てきた。
アーティストによる作品制作も時間をかけて行われたのが事実。
➔福武氏は学芸員の資格を持っていない。
美術館勤務の経験がないまま「直島アートプロジェクト」に
取り組んだ。
彼はとにかく前例のない新しい美術館を目指したのである。
・直島でしか出会わないものへ
「直島アートプロジェクト」の面白さが人を集める。
「直島アートプロジェクト」に対する人、地域の関与も面白い。
瀬戸内海の島という閉鎖された立地、直島の美しい自然が
「アート作品」との融合によって、
そこでしか出会うことのないものを生み出している。
「アート作品」だけに良さが留まらない理由は・・・
直島の人たちから来島者への関わりを持ち、
もてなそうと言う志が感じられる。
「アートの力」
「アートプロジェクト」が過疎の島、煙害の島と世間から存在を忘れ去られた
直島にもう一度スポットライトを当てた。
「アートの力」が「人」、そして「地域」を豊かにした。
「直島アートプロジェクト」は確実に、
「アートと人」、「アートと地域」のつながりを強くし、
「人と人」の新しいつながりをも結んでいる。
最後に
「直島アートプロジェクト」は「アート」と「地域」、
そしてそこに暮らす「人」たちを強く結びつける新
たな可能性となっている。
過疎の島には、年間多くの人が訪れる。
そして「アートプロジェクト」を通した出会いは繰り返される。
アートは「人と人」、「地域と人」を結びつける。
そこで生じる感動は、
一生忘れられない「アート体験」となるのだ。
ご静聴
ありがとうございました!!