Transcript メディア理論4
視覚メディア論 クレーリーの視覚メディア論を起点に ※教科書『自己メディアの社会学』 「2章 1 自己を造形させるメディアとリアル」 ■もうひとつのメディア論 メディア論(マクルーハン・オング)の射程 口承文化論 文字・活字論 電子メディア論 もうひとつのメディア論「視覚=ヴィジュアリティ」論 ※いろいろな視覚論があるが・・・・ ■ジョナサン・クレーリー Jonasan Crary(1990): Techniques of the Obserber. ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』(1997) CG=ヴァーチャルリアリティ前夜の時期 〈関心〉 「イメージ生産の新生テクノロジー」 「視覚性(ヴィジュアリティ)の本性の変容」 「観察者と視覚イメージとのあいだにもはや何の 指示対照的関係も存在しなくなるような実践」 ■視覚の抽象化の源流 現在のイメージ生産=「視覚の抽象化」 ▼150年遡る 19世紀前半に生じた「視覚の再編成」 視覚・観察における ルネサンス的モデル 古典主義的モデル ■補足:ヴァーチャル・リアリティ D.ゼルザー(MIT)のリアリティ構成の3要素 プレゼンス(再現) インターアクション (相互作用) オートノミー(自律) ■補足:ヴァーチャル・リアリティ 廣瀬通孝(1993)『ヴァーチャル・リアリティ』 「実際には存在しないが、本質において存在してい ると同等の効果が有する」 写実的リアリティ 没入的リアリティ ふるまいのリアリティ 操作的リアリティ 電話のように相手がいる→ふるまい方の作法 マン〜マシンが主導権をシェ アする関係 ■補足:没入 「主観的な視点から世界を覗き込む」感覚 「映像世界の中にいる」という感覚 「身近等の視点から世界を眺めるのではなく、 自らの分身が別の空間に投射されるのだ という考え」(廣瀬) ■カメラ・オブスキュラ① カメラ・オブスキュラ ※17〜18世紀に登場 ※暗箱の中に対象を投影し、逆さまにして映った映 像を模写する装置 新しい主観性のモデル カメラオブスキュラ的視覚経験 =近代的主観性=自己意識=個人的された主体 ■カメラ・オブスキュラ② (加藤による補足 61頁〜62頁) 素=肉眼で(対象を操作していない) + メディアを使って=〈メディア化〉の回路 「メディアを媒介とした対象世界の再構成」 でも、・・・ 素朴なリアリティ観にたちつつ、身体からの解放の 始原 身体から旅だって、再び身体にもどる ■メディアを媒介とする視覚 18C〜19C 電気的メディアの前の 「メディアを媒介とした対象世界の再構成」 窓・めがね・鏡 幻橙劇場(ファンタスマゴリア) ランドスケープミラー ■ステレオスコープ ※2つのレンズ穴をのぞき込むと、錯視のような 形式で立体映像が表象される器具 3D リアルと視覚性の混淆 立体感・触覚性さえも→「視覚的な経験へ」 「指示対象から切り離された視覚」 リアリティはフィクション(擬制)であるという現代的 なリアリティ観の始まり。 ■メディアとしての写真 写真・写真機 記録と保存 自己の 被フレーム化 ■補足:マス・メディアへ 2節:自己の被フレーム化と情報的現実論の誕生 69頁 マスメディアの力 擬似イベントとグラフィック革命 テレビ時代 送り手の影響力 VS 受け手の力 ■補足:自己メディアへ 3節:再び自己メディア論へ 77頁 (マスメディア)メディアに登場する快楽 ▼ (個人メディア)噴出する欲望 ■バーバラ・スタフォード 『アートフル・サイエンス』(1994=1997) 『グッド・ルッキング』(1996=2004) 『ヴィジュアル・アナロジー』(1999=2007) 口誦−視覚文化 テキスト文化 口誦−視覚文化 口誦−視覚文化 1000年サイクル ■B・スタフォード② いろいろな語彙を使っている。 「教育の再・魔術化」 「ムービー・オーラ」 「イメージ・リテラシー」 啓蒙的 視覚文化 イメージ教育 公共 幻惑的・退廃的 東洋趣味的視覚文化 個人的ナルシズム ■B・スタフォード③ 教養主義的、公共主義的な遊戯・感覚文化論 18世紀の啓蒙時代 「語彙とイメージの共働」 イメージ・ リテラシー 「グラフィックな綺想」「気散じ」 「合理的な」「娯楽」 ■B・スタフォード④ 「21世紀という新啓蒙時代」 「マス・メディアがどんどん個人的で個別的なもの になっていくにつれて、あらゆる形式のグラフィッ ク・ディスプレイが、もう一度、共通の儀礼、公の 関心と結びつかねばならないであろう。これが啓 蒙主義の教えてくれたことである。」 ホイジンガの遊び論への共鳴 『ホモ・ルーデンス』遊びから文化が生まれる。 ■ジョン・バージャー① 『イメージ Way of Seeing』(1972=1986) 『見るということ』( ) 見ることと、人間の欲望とを相関させて論じている。 広告分析(神話分析)に応用できる。 「男性が女性をまなざす」という解釈フレーム イデオロギー的な視覚論 ■J・バージャー② 見ることと見られること 女性のヌード写真=「光景としての女性」 「男は行動し、女は見られる。男は女を見る。女は 見られている自分自身を見る」(58) 「つまりそこで彼女は光景となる。」 「彼女の体は絵を見ている男性に向けられているか のうよに配置されている。」(68) 「女性は男の欲望を充足させるために存在し、自ら の欲望は満たされることはない。」(68) ■J・バージャー③:広告論 ⅶ 広告の宇宙 「欲望のトポス〜他人の羨望」 「広告を〈見る=購買者〉は、その商品を買えば変わ るであろう自分自身の姿をうらやむように仕向け られている。購買者は、その商品によって変身し、 他人の羨望の的となった自分を夢見る。 その羨望が自己愛を正当化するのでだ。」166頁 ■日本の視覚論 〈映像・視覚文化論系〉 高山宏 伊藤俊治 港千尋 〈映画・映像の社会学系〉 長谷正人 中村秀之 ■ミニ課題:広告批評 バージャー的な視点からの広告の記号分析 広告 2点 テクストは除外し、写真は、消費者にどのように「見 て欲しい」と意図されているのか。 メタファー(隠喩)としての広告写真