人文学Ⅱ ー生と死の探求ー 第15回 永遠のいのち 20140122 飯嶋 秀治

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Transcript 人文学Ⅱ ー生と死の探求ー 第15回 永遠のいのち 20140122 飯嶋 秀治

人文学Ⅱ
ー生と死の探求ー
第15回 永遠のいのち
20140122
飯嶋 秀治
[email protected]
Ⅰ. 「永遠のいのち」を記す聖典
1.仏典と聖書
• ゴータマ・シッタルダ(
B.C.563-483頃)
『スッタニパーダ』
「ああ短いかな、人の命よ
。百歳に達せずにして
死す。たといそれよりも
長く生きたとしても、ま
た老衰のために死ぬ」
[Anonymus1984:181]
• イエス(B.C.5-33頃)
「マルコ福音書」
「アーメン、あなたたちに
言う、ここに立っている
者たちの中には、決し
て死を味わうことのな
い者らが幾人かいる、
神の王国が力をもって
到来したことを見るまで
は」[Anonymus2005:
102]
Ⅱ.現代科学の最先端で
1.延命
• 科学技術
①移転の方法
ロボット工学+人工知能(Artificial
Intelligence)[黒川1998]
→だがAIロボットが人間に接近すれ
ば接近するほど、死にも接近する
という逆説が発生
②再生の方法
ES細胞及びips細胞によるヒト・クロ
ーン人体バンク[大和2008]
→技術的、法的、倫理的課題
Ⅲ.私たちが見失っていること
1.命の宿り方
• 殺生から得る感覚
「小鳥や犬や猫をペットとしてかわいが
ったり、すぐ『かわいそう』を口にし
て、すぐ涙を流す子どもたちが、他
人が殺すものなら平気で食べ、食
べきれないと言って平気で食べもの
を捨てるということが、わたしには納
得がいかないのだ。」[鳥山1985:
15]「殺す人と食べる人が分離され
たときから差別がうまれ、いのちあ
るものをいのちあるものとさえみる
ことができなくなってしまった」「鳥山
1985:16]
2.ある精肉店のはなし1
/25‐31KBCシネマ
Ⅳ.永遠のいのち
1.水俣の世界
• 水俣病患者補償運動と
漁の世界
「このままでは親父にすまんという気
持ち、これはその後もずっと長く
あったです」[緒方・辻1996:45]
「イヲばとるっていうことは命をとるっ
ていうことでしょ。だから、あんま
りらくさん網にかかると、こっちの
命までとられる気がしてくるんで
す・・・タイとかの高級魚は活きの
よさを保つために、とるとすぐ血
を流すんですが、この時にはい
つも『すまんな』という気持ちにな
る」[緒方・辻1996:196]
2.本願の会、誕生
• 水俣病簡易年表
• 緒方正人
1908日本窒素肥料(株)設立
1941後に水俣病と疑われる患者
1956水俣病公式確認
1953芦北町女島生まれ
1959有機水銀説から「漁民暴動」へ
1968政府が公害病と認定
1969水俣病裁判始まる
1959父、急性劇症型水俣病で死去
1973患者側勝訴による補償協定
1974認定申請
1975ニセ患者発言への抗議で逮捕
1985認定申請取り下げ、脱会
1994「本願の会」発足(17人で「本願
の書」)
1978県債発行
1989和解への動き
1996和解調停
3.本願の来歴
• 既成の宗教教団
• 本願の会
「この辺は西本願寺系が多いんです
が、住民の方ではこれを葬式仏教と
割り切っている。つまり死んだ時か
らしか世話にならんものだと。一方、
寺の方でも生きて病んでいる者には
何ひとつしない。四〇年間、水俣病
について知らん顔でとおしてきたん
だからすごい。それでも住民は逆ら
いはしない。以前は特に寺を大事に
しとったそうです。しかし、じゃぁそこ
に信を置いているかというと、そうで
はない。子どもがいやいや授業を聞
いているようなもんでしょうか」[辻&
緒方1996:207]
「私たちは決して宗教団体をつくろう
としているのでもないし、いわゆる組
織仏教的なものではないんだ、とい
う気持ちもある訳です。/…「本願の
会」というのは“本願とはなんぞやと
いう課題を抱えていきます”というの
を表明したのであって、本願というこ
とについて解き明かしたというふうに
はさらさら思ってないわけです。… /
おれにとってはいちばん馴染みがあ
るのはやっぱり恵比寿さんで、いま
埋め立て地に恵比寿さんを彫って祀
ってあるけど、それは水俣の魂の痛
みと向き合い、さまざまな魂や命と
対話していきたいという表明だと思う
んですよ。」 [緒方2001:197-198]
1.病の苦しみ
1.もう一つの本願
• 水俣病簡易年表
• 杉本栄子
1908日本窒素肥料(株)設立
1941後に水俣病と疑われる患者
1956水俣病公式確認
1938生まれ
1941漁村に移る(父、進は網本)
1959有機水銀説から「漁民暴動」へ
1968政府が公害病と認定
1969水俣病裁判始まる
1959母トシ入院、雄と結婚も流産
1973患者側勝訴による補償協定
1973勝訴
1974認定
1978反農薬水俣袋地区生産者連合
1981夫認定
1994「本願の会」発足(17人で「本願
の書」)
1978県債発行
1989和解への動き
1996和解調停
1969漁村の3軒と共に提訴
2.もう一つの本願②
• 部落の変貌
• 死との直面
「前の日もいっしょにご飯を食べとっ
た人たちが、その[母のマンガン病]
放送があったちゅうばっかりに誰も
来なくなった」[杉本2000:133]
「たてつづけに三人流産しました」[
杉本2000:134]
「私たち部落からは四軒ほど訴訟に
立ったんですけれども、いろいろな
切り崩しに耐えきれずに次々と部落
を去って行きまして、最後まで残った
のは私たち一軒だけでした」[杉本
2000:137-138]
「私たち漁師の命とする綱を切ってく
れた」[杉本2000:138]
「私の考えを読み取ってくれる父でし
たので、父が亡くなってどうしても耐
えきれずに泣く日がいっぱいありま
した」[杉本2000:136]
「昨日まではいっしょになっていじめ
たおばさんやおじさんが、次々と劇
症の水俣病になっていく」[杉本2000
:139]
「裁判が終わっても、私たちの身体
は今日死ぬか、明日死ぬかちゅうこ
とをいつも迎えていました」[杉本
2000:141]
2.転回
3.もう一つの本願③
• 海
• 舟霊、エビス、のさり
「本当に、もう私は死ぬって覚悟をき
めとったんですが、そげんするうちに
海にひっちゃえて(落っこちて)、『い
やあ、これで死んでよかったじゃな
あ』ち思って抵抗せんば、ポカーンて
浮かって来っとです」[杉本2000:
141-142]
「しびれた身体にもかかわらず、風
の色、魚の色、いち早く見えるんで
す。ぼやっとしておれば舟霊さんが
、『こっでもわからんとか』ちゅうぐら
い、チャチャチャチャち騒いで教えて
くれます」[杉本2000:142]
「海に行くからこそ、ちっぽけな陸で
あるちゅうか。人を憎んだり、いろい
ろなことで悩んでも、海に行けばす
ぐ次の波で打ち消してくれる」[杉本
2000:142cf.立花1985(1983)]
「風が来れば、『今日は休んでよか
っだな』とか、具合が悪かれば、『今
日はエベスさんが来んなちいわった
で、おーい、行かんが(行かないぞ)
』」[杉本2000:144]
「父もいい遺してくれたように、『水俣
病も“のさり”じゃねって思おい』と。
自分たちが求めんでも大漁したこと
を“のさり”という」[杉本2000:146]
4.もう一つの本願⑤
• 宗教/本願の会
「この会が発足するときはいろいろ
な話を聞いて、ある人は、これは宗
教団体じゃぁなか、無宗教やっでと
言う人もいたし、そういうことで変て
こりんな話ばかし聞きよったが、でも
、作ろうとするみんなの気持ちが、
拠りどころとして何かを祈りたいとい
うのが誰しもあったと思う。…/…我
々は形としてできることをということ
で、最初はお地蔵さんじゃなかった
が、いろいろなころを考えて、祈る場
所を基本として、何かをしようとした
。ところが祈りなんかすれば宗教の
関係とみなされ、ああいうところ(埋
立地)では何もできない」[杉本(雄)
他2009:9]
3.再生
5.まとめ
• 水俣市の漁村においては、水俣病と共に、部落の人間関係が褶曲し、頻繁
に、そして急激に死に直面するも、海からの景観で陸での出来事を相対化
し、生かされている自己を見出すに至る。
• そこにおいて、「宗教」は、緒方の「『八代の麻原彰晃が南下して水俣に出
てきた』なんて言われたらたまんない」[緒方2001:198]という発言にもある
ように、1995年に起きたオウム真理教を強く念頭においてそこから距離をと
り、また彼ら自身が所属してきた「組織仏教」とも距離をとってきた。だが病
とその過程において、部落の人間関係が変容し、死を間近にする中で、特
に、恵比寿[緒方2001:197-198]や舟霊[杉本2000]といった彼らにいのちを
齎すものとのつながりを強化し、生き残った人々の重みを増させてきたよう
に思われる。
• 漁村の杉本家では、罹災を自らの内に取り込み、水俣病を「のさり」として
生きるようになった。そうした新たな自己を、「祈り」とその具体的形態として
の地蔵の彫琢を以て、新たな世界に位置づけようとする本願が、他方で生
み出したのが、反農薬水俣袋地区生産連合であった。
6.まとめの後に
Ⅴ.おわりに
谷川俊太郎「あなたはそこに」
もう一人のイエスーオスカル・ロメロ(1917-1980)
「これは一九七九年の、彼のクリスマス 「彼女は最近までエルサルバドルにいて、
イブ説教の言葉です。/幼な子イエ
そこで『生まれて初めて、初期キリスト
スを、可愛らしいクリスマス人形の中
教の物語が自分にとって現実になりま
に探してはいけません。/今夜なにも
した』というのです。ケラーが出会った
食わずに寝た栄養失調の子供たちの
のは、身体と精神の癒しや食事のまわ
中に、玄関で新聞紙に包まって眠る
りに組織された草の根の共同体でした
貧乏な新聞少年の中に、探さなくては
。/『復活したロメロ』は、いたるところ
ならないのです。…-ロメロ大司教は
の壁に貼られているけれども、『…死の
一九八○年、四旬節のミサを挙げて
力に痛めつけられないほど完全に自分
いる最中に暗殺されました。」
たちの生命を共有した―男女の殉教者
たちと一緒に、現れ続けています』。…
「けれどもイエスと同じように、そこで話
正義に加わったせいで誘拐されて強姦
は終わりませんでした。十三年後に、
されて殺された母親の遺志を受け継い
シカゴで私[クロッサン]の歴史研究の
でいる、というサルバドル人女性の感覚
シンポジウムに学者たちが集まった
を通じて、磔と復活はケラーにとって今
のですが、ドリュー大学神学校で教え
の現実になりました。『悪の力も、彼女
ているキャサリン・ケラーの発言には
の人生の意味を止めることはできなか
感動しました。 」
ったのです』。」[クロッサン・ワッツ1999]
永遠のいのち
• 「延命」に生きる人々
AI
クローン
• 「死を味わうことのない
者」
緒方さん/杉本さん
谷川俊太郎(の詩)
イエス/ゴータマ
…おおいなる「いのち」を見出した者に、「死」は訪れ
ず、自らの「延命」に執着した者に「生」が訪れない
のかもしれないという逆説
参考文献
Anonymus1984『スッタニパーダ』中村元訳 岩波文庫
Anonymus2005『福音書共観表』佐藤研編訳 岩波書店
緒方正人語り・辻信一構成1996『常世の舟を漕ぎて…水俣病私史…』世織書房
緒方正人2001『チッソは私であった』葦書房
クロッサン、ジョン&リチャード・ワッツ1999『イエスとは誰か?』飯郷友康訳 未刊行
黒川伊保子1998『恋するコンピュータ』筑摩書房
杉本栄子1973「記憶の折箱」、創立記念誌編集委員会編『創立記念誌袋小学校百周年袋中学校二十五周年
記念』創立記念事業編集委員会:177-180
杉本栄子1985「海が私の舞台 杉本栄子 茂道」、羽賀しげ子『不知火記 海辺の聞き書』新曜社:49-91
杉本栄子2000「水俣の海に生きる」、栗原彬編『証言 水俣病』岩波新書:129-142
杉本雄1995「よみがえる水俣の海」、環境創造みなまた実行委員会編『再生する水俣』葦書房:42-47
杉本雄ほか2009「命の願いを求めて―本願の会座談会」、『魂うつれ』36:5-26
谷川俊太郎詩、田中渉絵2003『あなたはそこに』マガジンハウス
立花隆1985(1983)『宇宙からの帰還』中公文庫
萩原修子2009「語り得なさに耐える」、『宗教研究』第83巻第2輯361号:289-312
やまだようこ2007『喪失の語り―生成のライフストーリー』新曜社
大和雅之2008「再生医療研究の現状と展望」 、『現代思想』36(8): 108-120
吉本哲郎編2009『杉本家の水俣病50年―知らないのは罪 知ったかぶりはもっと罪 嘘を言うのはもっともっ
と罪』市立水俣病資料館
その他
『魂うつれ』(1998~2011)
『かづら』(~2011)