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望遠鏡は世界を変えた

る 肉眼でしか「宇宙」を見 ことができなかった時代、 それは神が支配する時代 だった。

「宇宙」は神の鎮座する神聖な場所であり、天体の形 も 完全無欠な「球」であり、その軌道も完全な「円」で なければならなかった。それらは神の完全性からくる 性質だった。

ところが、初めて「宇宙」に向けられた望遠鏡が映し 出したものは、完全完璧な「球」 ではなく、地上と 同じ穴ぼこだらけの月面だった。これが、世界が一変 した瞬間だったのだ。

1608

Hans Lippershey (1570-1619) ハンス・リッペルス ハイ 眼鏡職人 オランダ人 望遠鏡を発明した一 人

望遠鏡の発明

約 400 年前、オランダ の眼鏡屋ハンス・リッ ペルスハイはたまたま 二枚のレンズを組み合 わせると遠くにあるも のが近くに引き寄せら れて見えることに気付 き「ガリレオ式」と呼 ばれる望遠鏡を発明し ました

1609

年 ガリレオ・ガリレイ 望遠鏡を宇宙に向ける

Galileo Galilei (1564 -1642) ガリレオ・ガリレイ 職業天文学者 イタリア人 彼の発見した木星の 衛星は 4 つまとめて 「ガリレオ衛星」と 呼ばれている。 ガリレオ・ガリレイは、 1609 年 に倍率 3 倍の望遠鏡を作りその筒先 を宇宙に向けました。 ガリレオ はその望遠鏡で月のクレーター、 木星をまわる 4 つの星を発見し、 太陽系の縮図というものをを見い だしました。 人間の宇宙観を地球中心の天動説 から地動説へと大転換する原動力 となったのは、こうした初期の望 遠鏡による星の観測だったのです。

ガリレオによる月面のスケッ チ ガリレオが発見した 木星の 4 大衛星の動き。 彼自身のスケッチ。 土星には、耳を発見した。 その頃の性能の悪い望遠鏡 では、輪を認識する事が困 難であった。 また、金星の満ち欠けのス ケッチも残している。

1611

年 現在の屈折式望遠鏡の 直系祖先の誕生

1611 年ドイツの天文学者ヨハネ ス・ケプラーは、現在の屈折式望 遠鏡の直系祖先となる「ケプラー 式望遠鏡」を発明します。 ホイヘンス、カッシー ニ ヘベリウス等の天文学 者 によって作られた。 長大な空気望遠鏡。 ガリレオ式に比べて天体の観測 に向いた特性により、以後の主流 はこのケプラー式となります。 このころ望遠鏡は対物レンズが ホイヘンスにより 20cm のものも作 られるようになりましたが、色ず れを抑えるため焦点距離も長くな り 60 mにもなりました。

Christiaan Huygens(1629 - 1695) オランダの天文学者であるホイ ヘンスは、 2 枚の平凸レンズを配 したハイゲンス式接眼レンズを 1703 年に発明し、長大な空気望遠 鏡で土星の衛星「タイタン」を発 見したり、火星の黒い模様や極冠 と呼ばれる白い模様を発見した。 肖像画の下のスケッチは、彼が 残した人類史上初の「火星」のス ケッチ。これは、入門用小型望遠 鏡でも見える「大シュルチス」と 呼ばれる模様である。

ニュートン式反射望遠鏡 万有引力の発見者であるイギリスの ニュートンは 1670 年頃に現在の反射式 望遠鏡の直系子孫であるニュートン式 の反射望遠鏡を発明します。 ニュートンの発明したこの反射望遠 鏡は、口径 15cm でしたが焦点距離は 1.5m

程で、筒の長さはせいぜい 1m 強 だったと思われます。 こうして反射望遠鏡の出現により、 20cm ほどの口径で止まっていた望遠 鏡の口径は一気に大口径化していきま す。

1730

年頃 屈折望遠鏡の技術革新

フランフォエール 9.5

インチ屈折 赤道儀 チェスター・ムーア・ホー ルは、本業は法廷弁護士、光 学は趣味だったそうです。彼 のアクロマートレンズの発明 により焦点距離を短くしても 色収差が少なく口径比が 15 から 30 程度で十分にシャープな像 が得られるようになったこと から、次々と口径の大きな屈 折望遠鏡が作られるようにな りました。

1700

年代後半から 望遠鏡が巨大化

1789 年にはイギリスの天文学者 ウィリアム・ハーシェルにより対 物鏡の直径が 122cm もある反射望 遠鏡が作られ、ハーシェルはこの 望遠鏡で天王星を発見しました。 1845 年にはイギリスのロスにより 口径 184cm の大反射望遠鏡が作ら れます。対する屈折望遠鏡も、巨 大化の一途を辿ります。 1897 年に は、アメリカのヤーキース天文台 に対物レンズの口径が 1m もある巨 大な屈折式望遠鏡が誕生するまで になります。

技術的な行き詰まり

反射望遠鏡は、先に述べたように 1845 年には直径 184cm にも達しましたが、 反射鏡は大変な重さとなり、また反射 率は 20 %程度で、せっかく大きな反射 鏡を作っても大変非効率的であったと 思われます。 また屈折望遠鏡もヤーキース天文台の 1mを最後にそれより巨大なものは今 に至るまで作られていません。

反射望遠鏡の技術的ブレークスルー

1850 年~ 1860 年頃に反射鏡は金属鏡からガラスの表面に 銀メッキを施したガラス鏡の時代を迎えます。同じ口径 でもより軽量な大口径の反射鏡を作成できるようになり、 1918 年にウィルソン山の 254cm が作られるまでに巨大化 しました。 1908 年 ウイルソン 山 154cm 望遠鏡 1917 年 ウイルソ ン山 口径 254 cm 望遠鏡 1897 年 ヤーキース天文台 101 cm 屈折式望遠鏡

1948 年 パロマ山口径 508cm 望遠鏡 米国で 1948 年にパロマー山に主鏡の直径が5 m も ある反射式望遠鏡が作られるまでになります。そ の後 1978 年に旧ソ連で主鏡が 6m の望遠鏡が作られ るまで(失敗作と言われています)、 30 年もの長 きに渡り米国パロマー山の5 m の反射式望遠鏡は 世界最大の望遠鏡として君臨しました。パロマー 山天文台の口径 5m の反射望遠鏡は、建設以来約 60 年が経過しましたが、新型の観測装置が取り付け られて今でも天文学の研究の第一線で活躍する大 望遠鏡の一つとなっています。

赤道儀から経緯台へ、マルチミラー化、能 動支持による超薄型高精度ミラーの登場 パロマー天文台に設置された 5m の望遠鏡を追い抜くべく計画されて 1978 年にソ連で建設 された 6m の望遠鏡は、望遠鏡を支える架台に経緯台を採用しました。それまでの天文台 の望遠鏡はすべて赤道儀でしたが、回転軸の一つを地球の地軸と平行にしなければなら ず構造的に不安定でした。 1948 年にパロマ山の口径 5m の望遠鏡が作られて以来 30 年間そ れを超える大きさの望遠鏡が作られることはありませんでした。 経緯台は構造的に巨大な望遠鏡を支えるには好都合でしたが、観測する天体を正確に追 い続けるための両軸のモーター制御は、高性能な電算機なしでは非常に難しく、写真を 撮影する場合もそのままでは視野が回転してしまうため、カメラ装置側をそれに合わせ て回転させる必要がありました。せっかく作られたソ連の6 m の巨大望遠鏡ですが、電 算機のトラブルや鏡面の支持方法などに問題があったらしく失敗作と言われています。 その望遠鏡を超える世界最大の望遠鏡が完成するまで更に 20 年の歳月が必要でした。 1998 年 構想に 12 20 月 24 日、日本の国立天文台が建設した 8.2

mの巨大な反射望遠鏡「愛称:すばる 望遠鏡」がファーストライト(初めて天体の光を望遠鏡に入れること)を迎えたのです。 年近く、計画が正式にスタートをしてから 9 年の歳月と総予算 400 億円(自衛隊 が 200 機導入した F15 戦闘機の、一機 110 億円に比べれば安いものです)を投じて建設した すばる望遠鏡は、様々な新技術の開発と最新のテクノロジーを導入し世界一の巨大望遠 鏡として君臨、めざましい成果を上げています。(左側囲み記事参照)。 シングルミラー ( 一枚鏡)の望遠鏡はこの大きさが限界と言われており、マルチミラーテ レスコープ(左側囲み記事参照)と呼ばれる望遠鏡や、ヨーロッパ南天文台の VLTno の 様に、 8.1

mの望遠鏡を4台建設し干渉計とすることで更に大きな望遠鏡と同等の能力を 得る天文台が建設されています。また計画中の巨大な望遠鏡は、口径 100 メートルのもの も有りますが、口径が 2 倍になると建設費が 6 は、国際的な強力が欠かせないと言えます。 倍になってしまうので、こうなると一国の みでは建設が無理になってきます。今後の巨大望遠鏡の建設、ひいては天文学の発展に

なぜ望遠鏡は、どんどん大きくなってきた のでしょうか。 天体望遠鏡は 400 年前に発明され、その大きさはどんどん大きくなってきました。最初 は肉眼での観測でしたが、写真術によりフィルムを利用した写真観測が 1800 年代後半に は主流になり、ずーっとフィルムが観測に使われて来ました。ここ 20 年は、フィルムに 感光させる方法よりも数十倍も感度の高い CCD の開発が進み天体観測は CCD 全盛の時代 を迎えています。 なぜ大きな望遠鏡が必要なのでしょうか。大きな口径の望遠鏡で有るほど、より暗い天 体を観測出来るわけですがそれが意味するところは、地球からより遠い距離にある天体 を観測できると言うことなのです。より遠い距離にある天体を観測出来るという事は、 今現在より過去の宇宙を観測する事に他なりません。地球の属する我々の銀河系から一 番近い銀河は、 210 万光年の距離があります。光が届くのに 210 万年もかかる訳です。今、 日本が世界に誇るすばる望遠鏡は、 120 億光年も離れた銀河の観測ができるまでになって います。これは宇宙の 120 億年前の姿です。そうです!望遠鏡とは、一種のタイムマシン の様な物なのです。そして望遠鏡で観測した 120 億年前の宇宙と、今の宇宙を比べる事に より、我々の宇宙がどのようにして産まれ、われわれの宇宙がこれからどうなって行く のかを探求するのが、天文学なのです。さらに遠くの宇宙(過去の宇宙)を詳しく調べ る為に巨大な望遠鏡の建設が今も続けられている訳です。 また最近、巨大な望遠鏡では、他の恒星の周りを回る、我々の太陽系以外の太陽系捜し にも使われています。今はまだ、我々の太陽系の木星の様な巨大なガス惑星しか見つ かっていませんが、恒星のまわりを回る惑星は、多くの恒星で見つかり始めていて、太 陽の様に周りに惑星を従える恒星は、珍しくなくむしろ一般的で有ることが分かりつつ あります。さらに大きい望遠鏡が建設され、分解能(より細かいところまで見る能力) があがれば、我々の太陽系の様に、木星軌道の内側にある小さな岩石惑星を直接観測で きるようになり、スペクトル観測で酸素が存在する事が分かれば、大量の酸素の存在は 光合成をしている植物が存在する事になりますから、生命の存在を直接的な証拠として http://www2.tbb.t com.ne.jp/starlight.net/historyofthetelescope.html

用 より引

ハッブル宇宙望遠鏡

ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた宇宙の姿