イサーン

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「開発とローカリズム」 2004.10.21
「人口調査・地図・博物館」
後期博士課程 渡部厚志
([email protected])
0.今日の講義
「想像の共同体」とは?
人口調査
地図
「イサーン」の形成
まとめ
1.「想像の共同体」とは?
国民は「イメージとして心に描かれた想像の
政治共同体」
「国民国家」以前の王国権力…区切られた領域
の隅々まで同じ国民が住む国家ではない
ラテンアメリカを起源とする「国民国家」
行政区分の(宗主国との/植民地内の)分断
+日常言語によって印刷されたメディアの普及
→「われわれ国民」の想像が可能に
2.人口調査
2-1 「アイデンティティ」の構成
アイデンティティ・・・人口調査による構成物
なにごとも分類してやまない植民地国家の精神
による想像
→当事者による受容には時間がかかる
完全性、明晰性をもとめる熱意
…すべての人がひとつの場所を持つ
*何のための調査?
2.人口調査
2-2 人口調査のふたつの特徴
「会社の船の上」からの人種的分類
○○に住む○○人の仮説→調査
…当事者の分類や内部の多様性とは無関係
「数量化」=一系列の、複製可能な「○○人」
「ひとりのコーチシナ人は、ある国家領域に住む、
集計可能な一系列のひとつの数」
=あたらしい人口統計学的地形学
2.人口調査
2-3 並列の観点
民族・人種ヒエラルキーにもとづく官僚機構
もともと多様な人々を
「中国人は中国人、マレー人はマレー人」
それぞれの学校教育、裁判所、警察、文化政策
→同じ経験を共有する「われわれ」の想像
=当事者によるアイデンティティ範疇の受容
3.地図
3-1 19世紀シャムの地図
仏教的宇宙論の地図/軍事遠征や交通の案内図
重要なものの違い:国境は示されない
目の高さで見たもの(縮尺の概念はない)
3.地図
3-1 19世紀シャムの地図
英仏との国境交渉難航…1820年代~60年以上
・「支配領域」概念のくいちがい
…多くの地方国(ムアン)の多重支配
⇒近代的主権=排他的支配を確定せず
・「国境」概念のくいちがい
近代地図の導入
「国境=排他的な主権国家を区切る線分」
→政治語彙(統治領域の概念)の変化
中心から想像した「クルン、ムアン」 (くに、市)
から国境で区切られた「プラテート」(国)へ
3.地図
3-2 ヨーロッパ式の新しい地図
地表のすべてを幾何学的な格子に区切って空の
箱に埋める(完全性・明晰性)
軍事測量:「空間の監視を目指して行軍」
常備軍=外国から領土、領民、資源を守る
<現実の科学的抽象⇒地図>ではなく
<地図⇒現実(空間や人々の想像)>
1884年~:タイ、フランス、イギリス
それぞれの国境調査隊の競争
「国王は主権下の全ての地方を知りたい」
3.地図
3-3 人口調査と地図の交差
①歴史地図
「区切られた領域」が
昔からあることを示す
=支配の正当化
3.地図
3-2 人口調査と地図の交差
②ロゴとしての地図
=地理的文脈から
切り離して記号化
・帝国支配の正当化
・ 「想像の絆」の強化
4.「イサーン」の形成
4-1 イサーンの意味
イサーンの意味
①タイの東北部(コラート高原)…地理
②「東北地方の住民」…居住区分
③東北地方に住み、ラオ語を話す人…民族
「イサーン」:20世紀後半以降の概念
「開発される対象」のイサーンはどのように
タイの一部になったのか?
4.「イサーン」の形成
4-1 イサーンの意味
ラオ語を話す人々
タイ東北部:1500万
ラオス南部:180万
4.「イサーン」の形成
4-2 「ラオ」の定義
タイ政府の定義:ラオス国内のラオ語話者
/東北タイにいる人は「イサーン」
ラオス政府の定義:ラオス国民一般
(国境の内部の人)
自称・他称の歴史的変遷(プリント参照)
タイ→ラオ→イサーン
4.「イサーン」の形成
4-3 「イサーン」概念の浸透
19c コラート高原(メコン西岸)の「地方国」
人口400~600で頻繁に移動する小さな「くに」
⇒納税以外は、タイ中央と疎遠な未開拓地/
ベトナムなど多重の支配
*住民の自称:東岸で「タイ」、西岸で「ラオ」
開拓の起点としての「地方国」
地方国新設・拡大・分離
…地方権力の拡散&税収の確保による間接支配
4.「イサーン」の形成
4-3 「イサーン」概念の浸透
「タイ」化(背景:フランスのインドシナ支配)
州県制導入→政府の直接統治(1880~)
地名、民族名としての「ラオ」使用禁止
…国民としての同一性を強調
⇒民族の差異は棚上げ「タイの周縁」化
鉄道開通、中央の行政・教育浸透(1920~30)
「東北の地はタイのもの、われらイサーン、タイ
国民として一致団結」
*「イサーン」は1950年ころでも浸透せず
4.「イサーン」の形成
4-3 「イサーン」概念の浸透
1962 タイ・第一次国家経済開発計画
未開発の象徴・イサーン農村の宣伝
ラオスの共産化とベトナム戦争:米・タイ政府と共
産主義勢力の対立の場に
「共産主義者の巣窟」として喧伝/
共産化阻止を口実に開発・開拓
中央の視線「東北部」の内面化/
「肝を食う共産主義者」=ラオと分離
4.「イサーン」の形成
4-3 「イサーン」概念の浸透
イサーンから見たラオ:共産主義支配、遅れた地
域、低い生活水準
ラオから見たイサーン:タイ化し、戦争の経験を
共有しない人たち
タイから見た「ラオ」:「ラオは自分たちで主人に
なったことがない隷属民」
…イサーン(国内の従属地域)への視線の倍音
⇒「ラオ」ではない「タイ」の一地方「イサーン」浸透
=「想像の共同体」の形成
5.今週のまとめ
先週のテーマ:
単一基準=市場価値による、地域の文脈を無視
した開発/人々からの意思決定の剥奪
開発(&調査、研究、報道)の対象となる
「地域」や「人々」
…外から与えられた概念と当事者の経験のせめ
ぎあいでできる「想像の共同体」