明月記 - 京都大学

Download Report

Transcript 明月記 - 京都大学

七夕の夜に何が起きたか?
~京都天文学、陰陽師、妖怪~
付喪神絵巻: (京大図書館蔵、室町時代
に作られた?)
百年の長い年月を経た古道具は妖怪変化
する。これを付喪神という。 康保(946968)のころ、これら付喪神は船岡山にす
み、深夜、一条通り(大将軍八神社--安倍
晴明神社)を練り歩いた。
安倍晴明(912--1005)はこれを見た ?
(安倍の屋敷は一条通りの南、土御門通)
近くの北野神社は古道具市
が開かれていた。大徳寺、真
珠庵には百鬼夜行絵巻(土
佐光信)がある。(室町時代)
一条商店街のパンフ
大将軍八神社:大将軍は陰陽道にい
う太白(金星・西方)の精、ここの八は
北極星、北斗七星を神格化した=方
位の神。 安倍家(皆川家)につたわ
る古天文資料がある。
妖怪ストリートの延長に一條戻橋
がある。死者があの世からこの世
に戻ったという橋。安倍晴明(921
-1005)は式神を一條戻橋のたもと
に封じ込めた。
晴明神社
(堀川今出川)
(安倍の屋敷跡)
一条通りのみでなく、平安京は百鬼夜行の街だった?
今昔物語(京大図書館蔵:国宝、鈴鹿本、今昔物語集の現存最古の写本)
貞観年間(859~877)、美福門(平安京大内裏の外郭十二門のひと つ、大内裏の
南面、朱雀門の東、二条通に接し、東 壬生通に向かう)の周辺で東大宮大路の方
から歩いてくる100人ほどの鬼
巻27 本朝付霊鬼
在原業平中将女、被鬼語第七
北山科に女を囲う。ある日、雷鳴が響き、女の頭のみが残った。
於内裏松原鬼、成人形女語第八
小松の天皇の御代、よく見れば、ただ女の足手ばかり離れて有り。「此れは、鬼の
、人の形と成りて此の女をくらひてけ る也けり」とぞ、人云ける。
参官朝廳弁、為鬼被語第九
清和天皇(850~880)の御時, 赤く血肉なる頭の髪ところどころ付きたる有り。傍
を見れば、笏沓も血付きて有り。
大鏡
天暦10年(956): 蘇我入鹿を先頭に、蘇我馬子、蘇我倉山田石川麻 呂、山背大兄
王、大津皇子、山辺皇女など藤原氏を恨んで死んだ者 たちの行列の話。
そのいくつかを安倍晴明(912--1005)は見た。その証拠は
4
今昔物語27巻
東三条の銅の精、人の形と成りて堀
り出ださるる語第六:東三条殿(藤原
氏)の式部卿宮(三条天皇の敦明親
王?)が「南の山に身の丈三尺、五位
の太った奴が、時々歩いているのを
見たがこれは何者だ」と陰陽師(晴
明?)に問う。「銅器の精です。東南
の角の土の中にいます」。(押小路通
釜座)
今昔物語24巻 (京大図書館では欠
版)
安倍晴明が幼少の頃賀茂忠行の供
をした時、夜道に鬼の姿を見て忠行
に知らせた。忠行は晴明の只ならぬ
才能を知り、陰陽道の全てを教えた。
 陰陽師の元祖=以後の子孫は天
文観測を官職にした。
5
藤原定家 (1162-1241) が安倍家が観測した客星、大客星(星の
最後の大爆発)の記録を泰俊(晴明から8代目の子孫)から聞いて
記録した。
冷泉家
に伝わ
る国宝
明月記
王良、参・觜・天関、騎官
日本「最古」の星図、天文成象(1699)、著者は渋川昔尹、父親の春海が
制作した。下図は 長久保赤水(1717-1801)のもの 「京都大学理学部数学
教室所蔵」、 明月記の超新星の位置は赤丸、 七夕の星は青丸
觜・天関
7
騎官
1006年、京の七夕の
夜、南天低く、怪しげ
な赤い星が3つも光っ
ていた。
火星
観測は安倍晴明の息子安倍吉平(- 1027)
か吉昌 (- 1019)。 記録は藤原定家
「一條院 寛弘三年 四月二日 葵酉
夜以降 騎官中 有大客星 如螢惑 光
アンタレス
明動耀 連夜正見南方或云 騎陣将
1006年の超新星 軍星本体 増変光」
8
かに星雲 (1054)
明月記
後冷泉院天喜二
年四月中旬以降
丑時 客星
一代要紀 (京大図書館、
平松文庫にも同じ記述
あり)
天喜二年甲午四月大
客星出
かに星雲
1054年7月5日
京都の未明
1006年の初夏
安倍晴明の息子は
日本の1000年
の故郷(京都)
から情報を発信
1230年
藤原定家
は日記に
(明月記)
2006年
私は
皆川家に伝わる
古天文資料。
国産1号、渋川春
海製作の天球儀。
大
将
軍
八
神
社
伊西
能三
忠条
敬天
、文
経台
度
0
安倍家天文台跡石
(梅林寺、円光寺)
おわり