Transcript S36 - Hi-HO

ドイツ医療職裁判所 判決集

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職業裁判所判決

医師職業裁判所とその判例は 日本ではほとんど紹介されていない。 なぜ見過ごされてきたのだろうか? 通常の法律、通常の刑事裁判や民事裁判とは 違った次元に位置するために、医師や法律学者 はその存在と重要性に気がつかなかった? 2

V.

「医師職業裁判所判例集」からの判例 判例1(

1991

年): 救急業務

夜間の救急当番に当たっていた一般医が、救急受付 センターを介して 午前 4 時 35 分 に急患の連絡を受けた。 夫からの電話で、妻は心臓疾患の既往はないが、呼 吸と体を動かすことに関係のない胸部の痛みを訴え ているという内容。 また、 6 時 10 分 にも再度同様の電話連絡があったが、 2度とも電話で指示を与えただけであった。 7 時 35 分 にその患者の家庭医が診て心筋梗塞と診断、 その後心電図で確認されたというケース。 3

職業裁判所は、このケースは心筋梗塞のような 重篤な疾患を疑わなければならない状況であっ たのに、そのような判断をせず、患者や家族の ために往診をしなかったことは義務に違反する として、戒告と 2000 マルクの罰金を科した。 ドイツで開業されていた柴田三代治医師によ ると「患者への処置を電話の指示で済ませる ことはできるが、私の場合は、初めての患者 のときには、何があるか分らないので必ず往 診して確かめることにしていた」とのこと。 4

判例4(

1999

年):期限切の薬

ある医師が救急箱に期限切の薬を入れていた。 診療室にも期限切の薬を多量に残しており、ま た錆びた器具を使っていた。 その医師は「良心的な職業従事」の義務に違反 したと判断され、 1500 マルクの罰金を科せられ た。 医療上事故などの支障があったとは書いてない。 5

判例5(

1997

年):ひき逃げ

医師が歩行者をひき逃げして死なせてしまった。 刑事裁判では、 10 ヶ月の実刑と 3 年の運転免許 停止の併科。 そして医師職業裁判所は、ひき逃げしたときに救 急処置をする医師としての義務を怠ったというこ とで 5000 マルクの罰金を科した。 6

判例6( 1984 年):不正確な研修証明書 研修医が外科の専門医の認定を受けるために提出 した手術のリストに、自分が執刀していないかなりの ケースを、自分が執刀しているかのように書き込ん だ。 外科の部長医は医長の言葉をそのまま受けて、病 院の証明として提出した。 職業裁判所は研修医に罰金 2000 マルク、外科部長 医にはリストを抜き取り検査もしなかったということ で罰金 8000 マルクを科した。 しかし、第 2 審で部長医の罰金は 2000 マルクに減額 された。 7

判例6( 1981 年) :救急業務 • W 地区で開業している女医が 20km 離れた別の B 地区に引っ越した。 3 週間に1回まわってくる夜間 の救急当番のとき、最初は診療所に泊まってい たが、その後夜 10 時以後は 20km 離れた B 地区 の自宅に戻り、留守番電話で自宅に連絡が取れ るようにした • 電話連絡を受けてから診療所までは車でも 20 分 は掛かる 8

• 時間がこれだけ延長することは、重大な疾患の ときには深刻な結果をもたらす • また、電話を掛けずに診療所に来た患者は、無 人のため、病院に行かなければならなくなった • そして苦情が多数寄せられた • そこで病気の母親を抱えていたこの女医は、翌 年度に代診を置くことにしたので、このような苦 情はなくなった 9

• 職業裁判所は、最初は診療所に泊まり込んでい たから、その女医は救急業務の重要性を良く 知っていたはずであるのに、自宅に戻るように なったことは、医師としての義務違反で処罰に相 当すると判断したが、しばらくして代診を置くよう にしたという状況を考慮すると、戒告処分にとど めておくのが相当という判決を下した 10

判例1( 1998 年):保険の不正請求 • 概要:ある病院の部長医が数年にわたって、週 末(僅かな期間ではあるが)に帰宅する患者が入 院しているように書類を作り、疾病金庫から入院 の費用を不正に入手していた。 • 部長医はそれによって病院が支払を受けられる と考えたからである。その場合、通常勤務の女医 がその行為を手伝った。 11

• ここに示された判例は部長医のものではなく、そ れを手伝った女医に対するものである。その女 医は刑事裁判で有罪となり、 4 万マルクの罰金を 科せられた。 • しかし、その女医への制裁はそれだけでは済ま ない。日本には存在しない医師職業裁判所は、 「その女医の行為は、医師に対する信頼を著しく 傷つけた」という根拠で 1 万 5 千マルクの罰金を科 した。 12

• その女医は部長医の行為を手伝ったということ で刑事罰受けたわけであるが、さらに医師職業 裁判所からも罰せられ、合計 5 万 5 千マルクの罰 金を支払わされたことになる。 • ドイツの医師職業規則には 「 医師の職務に関 連して寄せられる信頼に応えなければならない 」 という抽象的な規定が書いてあり、これによって 上記のような制裁が下されたことになる 13

• ところで、ドイツで 30 年あまり家庭医として開業し てこられた柴田三代治医師から最近貰った手紙 によると、病院勤務の中年医師の月収は 7 千 ―8 千マルク(夜勤手当なし、税込)とのこと。上記の 判決は 1998 年であるが、罰金の重さは 1 年間の 収入に匹敵するくらいになる。 14

• 「刑事裁判の判決による刑事罰には、部長医の 行為によって医療保険(疾病金庫や被保険者) に負担がかかったことや、医師という職業の信頼 に関わることが含まれていない。 • そのような医師としての職業違反行為には職業 裁判所による懲罰が必要で、それによって医師 という職業の信頼性が回復できる。」と判例集に は書いてあった 。 15

• 判例集には以下のことも書いてあった。「この部 長医は血液学の腫瘍方面で活躍している医師で あり、治療に高いコストがかかるので、このような ことをやってしまったということのようである。 • 部長医は刑事裁判で高額の罰金刑になっている ので、職業裁判所の方では中等度の罰金で十分 ということになった。 • そして医師会の被選挙権の剥奪という処罰やマ スコミで騒がれた免許抹消については、不必要と 判断された。」 16

• この判例集は女医の刑事罰の種類ついては述 べていないが、部長医の刑事罰は詐欺罪であっ たらしい。 • 帰宅している間の患者の入院費は、退院の日と 戻った日以外は計算しないという協約が以前に できていたので、それに対する違反で刑事罰に なったということである。 17

判例4( 1999 年):医師の暴言に対する処分 • 主旨:医師は、患者から気分を悪くさせられても、 患者に対しては、医師の名誉を傷付けるような 発言は慎まなければならない。 • 事件の経過: ある医師が 1997 年 12 月 25 日のク リスマスの日に、医師補助者(日本の看護婦に 相当する)と一緒に診療所で、 19 : 00 まで割り当 てられた救急業務当番に従事していた。( 19:00 が交代の時間) 18

• • 18 : 50 頃A(女性)が、自分の母親が頭痛である と診療所に電話してきた。医師は診療所に来て もよいが、すぐ来るようにと返事した( 19 : 00 から は救急当番医が交代するので)。 医師はこれから 1 件往診をしなければならなかっ た。そして、その間に更にもう 1 件往診依頼が 入ったが、出かけずにAを待っていた。( 19 : 00 ま でに受けた依頼は、その時間が過ぎてもその医 師が全部処理しなければならない規則になって いる) 19

• • 患者である母親と娘は、診療所を直ぐに見つけ られなかったので、 19 : 20 頃にやってきた。医師 は補助者をすでに帰宅させており、往診に出か けるところであったので、患者が遅くきたことを 怒っていた。 しかし、医師はドイツ語の喋れない母親とドイツ 語の喋れる娘 A を診察室に入れ、検査を行い、 血圧を測り、注射をして頭痛薬を処方した。この 約 10 分の処置の間に、医師は次のような怒りを ぶちまけた。 20

• • 「頭痛の患者のために半時間あまり診療所に釘 付けになった。」そして、「彼女らの故郷(その家 族はトルコの出身であるが、数十年もドイツに住 んでいる)では、そんなに長く待っていてくれるよ うな医者は見つけられないだろう。それなのに医 師は自分たちのためにいつも待っていてくれると でも思っているのか。」 そこで、製薬会社の助手であった 23 歳のAは、 「あなたが医師の職業を選んだときに、いつも患 者のために存在しなければならないことを知って いなければならなかったはずだ」と反論した。 21

• この教訓に刺激された医師は、「あんたはドイツ をもっと勉強しなければならない」と言い、ある種 の悪口(辞書にないので翻訳不能)を述べた。こ の発言は、ドイツにいるトルコ人全体を見下した のではなく、彼の怒りをぶちまけただけであった。 • この事件は職業裁判所で次のように判断された。 22

• • 医師にとっては、クリスマスに待たされたことやA の無礼な教訓があったとしても、これは弁解には ならない。医師に期待されることは、患者に対し て客観的に、思慮深く振る舞うことであって、い かなる場合にも医師の名誉を傷つけるような発 言をしてはならない。この件では、トルコ国籍人 に対する侮辱的発言とそのような動機を生んだ 状況がある一方、医師が義務を守って救急業務 を勤めた事実があるが、地区職業裁判所はこれ らを勘案して、医師会代弁者(医師の裁判官)が 提起した 2,500 マルクの罰金を、職業の信頼を守 るための処罰として適当であるとした。 この場合の罰は、通常の刑事罰ではないし、患 者への慰謝料といった性格のものでもない。 23

判例8( 1998 年):診察を受け付けなかった場合 • • 生徒が授業中に首を後方に曲げたとき、頚椎部 に音がして強い痛みを感じた。教師は生徒を整 形外科の診療所に連れて行き、すぐ診てくれるよ うに依頼した。 医師補助者(ドイツの診療所では通常看護婦で はなく、 3 年間の専門教育を受けた医師補助者 が医師を手伝っている)は、教師から事情を聞い て救急ケースではないと判断し、午前中は多数 の患者が待っていて間に割り込ませることができ ないと説明した。 24

• 教師が診察を強く望んだので、医師補助者は他 の整形外科に連絡し、生徒はそこで診察を受け、 救急を要するものではないことが分かった。職業 裁判所は訴えられた整形外科医に無罪を言い渡 した。 • この状況では職業義務に違反する行為がないこ とが確定した。整形外科医は診療を拒否してい なかったので、患者を断る判断を補助者に認め ていたことが医師の義務に違反するかどうかの 問題であった。 25

• 9 時に始まる診療時間はすでに予約で一杯で あった。多数の診療所が存在するような町では、 急を要すると思われないときは、熟達した医師補 助者にあとから訪れた患者を他の医師に紹介さ せても差し支えはない。 • しかし、救急処置が必要であるかどうかの判断を 医師補助者に任せることは、医師にとって少なか らぬリスクを伴う。したがって、医師は救急患者と いわれる患者の健康状態を自ら確認することが 望ましい。 26

• 直ちに医療処置が必要かどうかは、医師が常に 自ら決定する義務があるというのが医師会代弁 者(医師の裁判官)の見解であるが、裁判では必 ずそのようになるとは限らない。 • なお、本件の医師補助者は、電話であまり遠くな い整形外科医を紹介できたということで、義務を 果たしていると判断されている。 27