Transcript 「恥」と「義理人情」
第八章 「恥」と「義理人情」
一、日本人の「恥」
1.「恥」に関する表現:
「名を惜しむ」、「恥じらい」、
「恥じ入る」、「恥をかく」、
「恥を知る」、「顔が赤くなる」、
「体が緊張する」
「身の置き所がない感じになる」、
「穴があったら入りたい」
2.武士:
鎌倉武士「名こそ惜けれ」
—行動規範、「よき名を求
め、悪しき名を忌む」倫理
生まれ
室町―江戸時代、「名を重
んじ」「恥を知る」武士道
論。
垂直構造を有する主従関
係を基礎的紐帯とする武士
階級の生活規範。
「名」も「恥」も、主従関係を
維持するに不可欠な「体面
(たいめん)」、「面目」の意
識として重視。
3.町人:
個人として「体面」、「面目」
意識、「一分(いちぶん)を立
てる」「一分が廃(すた)る」
生活規範重視。
他人から侮(あなど)りを受
けるとか、人から笑いもの
にされた時に「一分が廃(す
た)れた」「顔が立たぬ」と考
え、多大の犠牲払っても
「一分を立て」るよう努力。
4.日本人の特色:
人間相互の間柄を重
視する日本人の思考方
法の特色に関連。人倫
組織場中で、どのよう
に見られるかとは、重
要な関心事。意識が形
成、日本社会の基本的
構造が、感受性作。
5.『菊と刀』:
*「恥は他人の批評に対する反応である。人は人前で
嘲笑され、拒否されと思い込む時恥を感じる。恥は
強力な強制力となる」
日本人の行動原理は「ただ他人がどういう判断を下
すであろうか、他人の判断を基準に自己行動方針
を定める」。他人を規範とする「他律」、「他人本位」
の倫理。
日本人が「罪」の重大さよりも「恥」の重大さに気を
配っている。
「恥の文化には、人間に対してはもとより、神に対し
てさえも告白する習慣は無い。」
西洋の「罪の文化」は、
道徳の絶対的標準を説
き、良心の啓発を頼み
にする。
「原罪」思想があって、
人間は生まれながらに
深い「罪」を背負った存
在、神の教えに従って
生きることで、救済され
る。
日本人に欠けていたの
は、「自律性」である。
「恥」を基調とする国、「外
面的強制力に基づいて
善行を行う」。他人批評
に対する反応が、思考や
行動目安。感が、社会の
文化形成の原動力となっ
ている。
「恥」意識が、名分に関わ
ると、「汚名」になる。汚
れをきらい、それを取り除
き、汚名を雪ぐ方法「禊」。
「恥の上塗り」と、告白す
ると、なおさら恥をかくこ
と。
*両者をパターン化して区別するため、西洋
人にも恥辱感があり、日本人にも罪の意識が
存在する。日本人は、「罪」の重大さより、
「恥」の重大さに重点をおき、この重点の置き
方の差が、社会構造や国民性、即ち文化全
体に大きな違いを生じさせていると。
6.日本国内の批判:鶴見和子、川島武宜、和
辻哲郎、柳田國男。作田啓一氏は『恥の文化
再考』を発表し、「恥」と「罪」を対立概念では
なく、「優れているかそうでないか」ではなく、
同一平面にある方向性の違う両極としてとら
えるべきだ。「恥」には、公開場での嘲(あざ
け)りに対する反応と、賞賛される恥や、また
「人見知り」や「間のわるさ」などから来る「羞
恥心」も含まれる。「恥」には羞恥(しゅうち)心
が含まれているので、「恥」による行動の規制
は、外側の世間だけではなく、自我の内側か
らも行われる。
日本における「罪」の観念を初めて学ぶの
は、親の言いつけに背くと罰を受け取ること
を知る段階においである。恥=外面的制裁、
罪=内面的制裁という図式は無理であると
批判。善悪基準に立つ罪の観念が、最初
外面的制裁を通じ学ばれ、優劣基準に立
つ恥観念も、外界判定に関りなく個人行動
を規制。
様々な批判:「罪」観念は、ある行動を禁止す
るだけ、「恥」観念は、理想我に自らを近づけ
る行動を奨励する。「恥」はアチーヴメントの
動機付けを強化するが、他方で達成の原理
を伴う競争のスピリットを抑制する作用を持つ。
競争過程においては当然自己が露(あら)わと
なってくるが、自己顕示は羞恥によって限界
を画されという様々な議論もあった。
ニ、義理人情
1.「義理」は、中国のもので、中日の差異:
①物事の正しい筋道、道理。
②わけ、意味
③人のふみ行うべき正しい道
④特に江戸時代以後、人が他に対し、交際上の
色々な関係から、いやでも務めなければならない行
為やものごと。体面、面目、情誼
⑤血族でないものが血族と同じ関係を結ぶこと。
①と③は、中日両国同、②は中国使われ、④と⑤で
は日中違う。日本の「義理」、中国語の「情義」「情
面」「情分」「正義」「情理」「礼節」と種々に表す。
2.江戸以前も、慣習的
事実として義理、社会
生活規範として義理は
存在。贈り物の返礼
「義理」は、日本社会の
一種の社会規範。西鶴
や近松の作品をこのよ
うな人たちが多く登場
する。社会関係を規制
する生活規範、道徳、
近代生活の中も生き続
け。
3.『菊と刀』の分析:人は
『義務』を返済せねばならな
いと同様に、『義理』を返済
せねばならない。しかし『義
理』は『義務』とは類を異に
する一連の義務である。特
に日本的なもの。日本人は
すべて、行動動機や、名声
や、その本国において人々
の遭遇するいろいろのジレ
ンマについて語る時には、
必ず常に『義理』を口にする。
果されなければならない返
済の規則。
(1)世間に対する「義
理」―主君に対する義
務.近親に対する義
務.他人に対する義
務.遠い親戚に対す
る義務、
(2)名に対する「義理」
―人から侮辱(ぶじょ
く)や失敗の謗(そし)り
を受けた時にその汚
名を「雪ぐ」義務、自分
の失敗や無知を認め
ない義務.日本人の
礼節を踏み行う義務
に分類している。
4.武士間では、「義
理」は広義では人のふ
み行うべき道を意味し、
狭義では君臣主従の
間で守るべき道を意
味。
町人意識の「義理」
は、先方から提供さ
れた好意に、こちらも
好意を返すという場
合と、約束を守るとい
う場合が多い。
農民の場合、贈り物
のやり取り、供応の
交換、労働の協力な
どの形式で、好意と
好意の交換を行って
いる。
日本人全体の社会規範と
して、好意交換の慣習とし
て理解した方が適当。冠婚
葬祭に際して行われる家
の互助関係をはじめ、家屋
の改新築や災害病気に対
する互助関係、「本家」に対
する「分家」の年始礼や盆
礼、地主小作間や、親戚知
己(ちき)間の贈答慣例など
に現われている。「義理」と
は、日本の社会関係を規
制する、一定の生活規範
の意味であった。
「義理」は「人情」との対概念として、「義理」は公(お
おやけ)を、「人情」は私(わたくし)を意味する。
「義理」は社会規範であり、人の自由な行為を拘束
するもの、人の自然の感情、自然の欲求としての
「人情」を圧迫、拘束する。
「義理」を立てれば「人情」が犠牲にされ、「人情」に
従えば「義理」にそむく事になる。その意味で、「義
理」と「人情」が対立するものとして考えられ、離すこ
とのできない楯両面のような関係でもある。
9.「義理」は、日本の近代的官僚機構の中にも、近
代的企業組織の中にも、存在
大企業体や官僚組織においては、その「公」的関係
と並んで生じた成員相互の個人的「私」的関係にお
いては、彼らを「家」関係として結びつく。
「私」的関係には「公」的関係が反映して、職場にお
ける下位者は上位者から世話や恩顧を受けて「義
理」を感じ、同位者相互でもその関係での「義理」を
感じ合う。
「家」関係の季節の挨拶や冠婚葬祭等における手
伝いを、ある場合には「公」「私」混同して行うことが
それであった。
「義理」と「人情」の板挟みのような「義理」と
「人情」を最もよく示すものは、西鶴や近松、
為永春水(ためながしゅんすい)らの作品。
西鶴の描く義理が「あく
までパーソナルな人間
関係において成立する
情的紐帯(ちゅうたい)、
魂の呼応であり、また
それを裏返した名誉の
道徳、自尊の心、つま
り意地で。
近松に於いては、情と
葛(かっ)藤(とう)すると
ころの義理と変じ、他
者との関係において成
立するもの、他者への
共感として成立するも
の、義理と人情の対立
ではなく、葛藤と呼ばる
べき
関連知識
1相克する「義理」と「人 「義理」と「人情」はしば
情」
しば対立するものであ
り、日本では、 「人情」
義理とは社会生活を営
よりも 「義理」を重んず
む上での他人に対する
るべきだと考えられてき
道徳的なルールである。
た。
人情とは人間が誰でも
持っている自分や家族
友人などへの自然の愛
情である。
2近松の作品に見る
「義理」と「人情」
江戸時代の文芸は「義
理」と「人情」を題材にし
たものが多い、中でも、
近松門左衛門は心中
物語で「義理」と「人情」
の板挟みに苦しむ人間
たちを描いて人気が
あった。
例えば 「心中天の網
島」
3赤穂事件と忠臣蔵
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大序
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六段目
八段目
九段目
十段目
十一段目
4現代の「義理」と「人情」
近代的な契約精神に基づくブジネス社会に、
封建時代そのまま「義理」と「人情」は不必要
であるが、日常の心配りとしての「義理を欠か
ないこと」なお必要とされることが多い。