Transcript と日本人の美意識
日本人の無常観
一、「無常」と日本文学
仏教:万物流転の無
常感。つまり、世間
の物が生滅、変化し
て常住でない、人生
のはかなさ。
日本人の思考方法:
生の普遍的原理を把
握ではなく、人間関
係重視の傾向や情趣
に流れる無常観も、
世界観確立でなく、
詠嘆的=抒情的な哀
感の表現の仕方、和
歌、俳句に使われた。
弘法大師の作「いろは」歌は、日本人の無
常を示し。
「色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常な
らむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見し酔ひ
もせず」
世の移り変わりが極めて早く、美しい花の
ような人生の短さと幻さを嘆き、歳月は人
を待たない。
王朝文学の『竹取物語』『伊勢物語』以後、
『大和物語』を経て『源氏物語』表現の典
型を形作る。津田左右吉氏は「源氏物語の
一篇は、人生のはかないこと、作品の主題
が宿世や無常指摘。
『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎(ぎおんしょ
うじゃ)の鐘の声、諸行
(しょぎょう)無常の響き
あり、沙羅双樹の花の色、
盛者必衰(しょうじゃ
ひっすい)のことわりを
あらわす、おごれる人も
久しからず、只春の夜の
夢ごとし、たけき人も遂
にはほろびぬ、偏(ひと
へ)に風の前の塵に同
じ。」
盛者必衰、因果応報(い
んがおうほう)の仏教思
想が貫流。
鎌倉初期の鴨長明の『方丈記』は、仏教的
無常観を基調に様々実例を挙げて人生の無
常を述べ、ついに隠遁して日野山(ひのや
ま)の方丈の庵に閑居するさまを記した。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、も
との水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる
例なし。世中にある、人と栖(すみか)と、
またかくのごとし。」現世はかりそめのも
のであり、頼むに足らないという無常観を
述べている。
吉田兼好『徒然草』
も、人生の様々の事
象についての思索や
見聞等を、243にま
とめ、無常観の思想。
南博氏は、日本の文
学そのものが、無常
観を人々の心に植え
付ける」と、『日本
人の心理』。
現代日本人の心理に
も影響。土井晩翠の
「荒城の月」は、作
曲家滝廉太郎一代の
名歌。
日本の歌謡、日常
生活の無常の幻滅感、
散る桜、眩(まばゆ)
い美しさの後の無限
の虚しさ。
大陸と離れ、孤島、
外族の侵入が少なく、
独自に発展。「無
常」が日本人の心理
に深い影響。「もの
のあはれ」、「わ
び」、「寂」の美意
識、心の底に秘めた
孤独を文学美術に託
し表現。
二、「無常」と日本人の危機感
「無常」は、変化し消滅、永遠にとどま
るものはないという冷徹な哲学的認識の
「無常観」。「無常」のあり方が、日本
人の移りゆくものへの細かな感受性や、
常なるものへの強いあこがれを中心とし
た感じ方や考え方、つまり「無常感」を
育ててきただけではなく、「無常」の消
極の中に積極を求め、変化のなかに新生
を求める考え方を育てられてきた。
『平家物語』の全編は、
「無常」と感傷、冒頭
の「盛者必衰」の言葉
には、人生無常の道理
を語る一方、また現実
世界の変化規律を総括
し、新生事物の成長を
認めた。
日本列島は、気候の変
化が激しい。平野が少、
川が短く、雨量が多い
と洪水。また、火山、
地震、津波、台風など
天災地変の多い自然環
境、日本人は、危機を
感じる一方、宿命的な
「無常」のもと、自然
に順応し、せっせと働
いた。無常感からの危
機感は、賭け精神と結
びついて日本人の勤労
意欲をもたらした。稲
の栽培、現代企業活動
の経営。「働きばち」、
「残業」。
今日の「無常」は、明日の
「希望」がつないでいる、
変化の中に新生を求める革
新精神が育てられてきた。
日本人は、自己否定という
変化の中で、中国の隋唐文
化を吸収して、律令国家を
建設した。西欧文化を吸収
して、政治、経済面などで
の改革を通して、国力を高
めた。
自己否定は、日本人に革新
主義をもたらしたと同時に、
また日本人に盲目的な拝外
主義をもたらした
紀元607(推古天皇十
五)年、日本の朝廷が
小野妹子らを使節とし
て、隋に派遣し、翌年、
隋煬帝(ようだい)が裴
世清を使節として小野
妹子と一緒に日本に派
遣した。日本の朝廷は
使節のために、土木建
築を行い、新館を建て、
道を整え、四ヶ月の後
に正式に推古天皇が裴
世清使節を会見した。
推古天皇
道元
西天及神丹人本质直,盖
「我聞海西有大隋,
为中华,教化佛法则迅速
礼儀之国,故遣朝貢。
领会。我朝自来人少仁智,
我夷人,僻在海隅,
难期正种,此番夷使然…
不聞礼儀,是以稽留
且我国之出家人,诚不如
境内,不即相見。今
大国之在家人,举世愚笨,
心量狭小…如此之辈,即
故清道飾館、以待大
使坐禅,岂能立即证得佛
使、冀聞大国惟新之
法!…我国之人,仁智未
化。」
开,人又迂曲,即使教以
正直之法,则甘露反成毒
汁。
江戸時代の儒学者荻生徂
徠は、中国文化へのの極
端な崇拝者として、祖先の
日本式の復姓「物部」という
名字を、中国式の一文字
姓「物」に変え、物徂徠と名
乗り、品川に引っ越した後、
中国により近づいたことを
喜んだという。
近代の西洋文化崇拝
高橋義雄、1884年、『日
人種改良論』
谷崎潤一郎の『細雪(さ
さめゆき)』『陰翳礼(い
んえいらいさん)賛』の
ような日本的自然美と伝
統美を描く晩年の伝統へ
の回帰、早期と中期の作
品、西洋の芸術にしろ、
制度にしろ全てがいい
『痴人の愛』には白人崇
拝の観念。拝外主義が主
導
三、「無常」と日本人の死生観
仏教の「無常」思想、日本人の死生観に最も影響。
浄土宗は「厭離穢土(えんりえど)、欣求浄土(ごんぐ
じょうど)」、汚いこの世を早く去り、極楽浄土を求む
べきと。
道元は、『正法眼蔵』の中で、「生死を生死にまかす」
と述べ、生死の問題にとらわれることなく、一瞬一瞬
に全力を尽くして生きることを教えた。この考え方は、
鎌倉時代以後、明日にも戦場に散るかも知れない
武士達の心の支えとなってきた。
武士道:忠誠や礼儀.素質倹約など重んじる
鎌倉時代から発達し、武士身分を誇りに、将軍に忠
義を尽くす献身的な姿勢
江戸時代官僚化した武士に対して、武士の在り方
が、儒教の思想に「士道」と大成
江戸時代中期に九州佐賀藩の『葉隠』では、「士道」
に反対し、「武士道と言ふは、死ぬ事と見つけたり」
と、戦国的武士道の復活を主張。
武士のいう「死の覚悟」とは、仏教の悟りと違って、
世俗の中での心の持ち方、戦闘に従事する者の心
がまえ。生命への執着と死に直面した時にうろたえ
ないための心がまえ
「死の覚悟」をなしうる根底
には、「無常観」が働いてい
る。武士としては、「無常」
を感じながらも、「名」や
「恥」名誉を重んじ、主従関
係を中心とした人間関係。
日常的な雑念や欲望を「無
常観」によって夢.まぼろし
と受け止めることによって、
より純粋におのれの名誉
や主君のために行き死ぬ
べく心がけたのである。
「死の覚悟」を徹底した「切
腹」。、「士道」では「切腹」
を主張しないが、「切腹」す
る武士は、壮絶に死ぬこと
を通して、自らの名と家名
を活かし遺族への保障を
得る。「切腹」の儀礼と制度。
記録が源平の平安末期か
ら現れ始め、南北時代に、
「切腹」観念が固定。江戸
時代形式化され、扇で切腹
の真似して、首切り役人に
首を切られる。
1873年「改定律例」、切腹
刑が廃止、自殺法の一種と
して「切腹」が残された。
心中
「心中」:江戸時代初期、近松門左衛門が武士
の「忠」を分解し、作った言葉という。江戸初
期、男女が愛情を示し確認の行為、誓紙、断髪、
入墨(いれずみ)をすることを「心中立てる」「心中
する」と。江戸中期、生命をかける「心中死」、
「心中情死」と
近松は、『曽根崎心中』という浄瑠璃を書。大
坂内本町醤油屋平野屋の手代徳兵衛と、北の新
地の天満屋の遊女お初の悲しい恋愛物語で、最
後に二人が曽根崎天神の森で情死自殺する。死
によって愛情を全うし、「死によって生かす」と
いう日本固有の死生観が貫かれている。
輪廻思想の影響、現実社
会で結ばれなかった男女
は、死後、天国で一緒に
幸せになれると信じる人
もいた。近松門左衛門の
『心中天の網島(あみし
ま)』の、「寂滅為楽」も、
生を否定し、浄土を追及
する思想。
現代作家の渡辺純一の
『失楽園』は、現代日本
人の心中物語を書き、現
代日本人の愛情と死に対
する観念を反映した。
自殺
第二次世界大戦後も、日本社会依然と自殺の伝統が残されてい
る。
1968年にノーベル文学賞を受賞した川端康成が1972年に自殺し
1970年に三島由紀夫が切腹という方法で自殺した
自殺は、本人にとって悲劇、家族や周囲の者に悲しみや困難、社
会全体に損失。日本の自殺、ルーマニア、ハンガリーと世界で上
位。厚生省の統計、98年以来、7年連続の3万人超。
原因は、病苦、経済生活問題など様々、仏教による日本人の死生
観も自殺行動に影響を与える。「死によって活かす」自殺は、そ
れ自体が潔い行為と見られ、罪悪視されることはない。
仏教に由来する厭世思想の影響もあり、自殺をタブーとするキリ
スト教文化圏の思想とは大変異なっている。
四、「無常」と日本人の美意識
日本人美意識の底:自然との一体感と、仏教
の「諸行無常」の考え方が流れている。
物の哀れ
もののあはれ
平安時代の美意識が「もののあはれ」
本居宣長の著作『紫文要領』や、『源氏物語玉の小櫛(たまのおぐ
し)』主張された文学論。
『紫文要領』:「人のおもきうれへにあひて、いたくかなしむを見
聞きて、さこそかなしからめとをしはかるは、かなしかるへき事を
するゆへ也。是事の心をしる也。そのかなしかるへき事事のこころ
をしりて、さこそかなしからむと、わが心にもをしはかりて感する
が物の哀也。」、「四季折々の景色は、殊にもののあはれを感ずる
物なり」
「もののあはれ」とは、本来「見るものきくものふるる事に、心の
感じて出る嘆息の声」であり、自然の月や花を見て、「ああみごと
な花ぢゃ」「はれよい月かな」と感じるもの
感情主観の一致するところに生ずる美意識として、優美、繊細、沈
静、観照的理念である。
紫式部の『源氏物語』を 「女ばかり、身をもてな
始めとする文学の世界
すさまも、所せう、あは
にも、色濃く反映された。
れなるべきものはなし。
『源氏物語』全体で、「も
物のあはれ、をりをかし
ののあはれ」は14個所
き事をも、見しらぬさま
出てくるが、「紫の上」
に引き入り、沈みなど
の晩年の述懐を描いた
その一例として、同書
すれば、何につけてか、
の「夕霧」中の一文をと
世に経るはえばえしさ
りあげて見よう。
も、常なき世のつれづ
れをも、なぐさむべきぞ
は。」と。含蓄(がんちく)
で、女性特有のデリ
ケートな心情
清少納言の『枕草子』
にも、「折節の移りかは
るこそ、ものごとに哀な
れ。「もののあはれは
秋こそまされ」と、人事
に言ふめれど、それも
さるものにて、今ひとき
は心も浮きたつものは、
春の景色にこそあは
れ。」と、(第十九段)
「もののあはれ」にふれ
たくだりがある。
「もののあわれ」の「もの」が、自然であっても、
人間であっても、人工物であってもよい。対象
を眺めることによってもたらされる哀歓が、す
べて「もののあはれ」ということになる。
このように、人間性の自然のあらわれ、すな
わち美しいものを見て素直に美しいと感じる
心の動き、情によって直観的に事物をとらえ
ること、無限定な対象を眺めることによって触
発される感動、それが「もののあはれ」である。
デリケートで無目的、それは日本文学の特質。
2、「幽玄」と「わび」、「寂」
中世文学、芸術、芸能の美意識は、「幽玄」である。和歌の
世界で「幽玄」を確立したのは藤原俊成(ふじわらのとしなり)、
彼は、和歌に表面的な美ではなく、神秘的な奥深さを言外に
感じさせるような静寂な美しさ、繊細美と静寂美の調和した
深々とした余情を求めた。
鴨長明、「詞に現れぬ余情、姿に見えぬ景気」と説明、この
美意識の根底に仏教的な考え。
連歌論に「飛花落葉」、自然の中に生きるものの、はかなさ
を説く仏教の無常観が「幽玄」の美意識を形作った。この「幽
玄」の美は、和歌から連歌へと受け継がれ、さらに能楽.茶
道などに浸透し、江戸俳諧の「寂」として継承されていく。
茶道
「幽玄」の理念から、安土
桃山時代の「わび」「寂」。
茶道は、一輪の野の花や
日常雑器のなかに美を見
出した。「わび」は、茶道の
世界で、千利休に理想とし
て重んじられ、奢らず質素
のなかに、豊かさと静かな
心を秘めた「侘び」美意識
を求め、わび茶として大成。
きわめて狭小.簡素な茶室
空間、しかも限定された時
間に、かえって無限に豊か
な美を見出すことができる。
茶会は一期一会(いちごい
ちえ)
俳句
「幽玄」の美意識から、江戸時代
の松尾芭蕉によって俳諧の世界
で確立。芭蕉の「枯枝に 烏のと
まりけり 秋のくれ」という一句に
は、「寂」の精神にもとづく寂静.
枯淡の情感があらわれている。
芭蕉は「わび」「寂」のほかに
「しおり」とは、「しおれる」「しぼ
む」「枯れる」ことであり、
「細み」は、「繊細な美しさ」を意
味しているが、
いずれも無常観とかかわりがあ
る。このように、日本人の美意識
には、仏教的な思想に源を発す
る一つの大きな流れが、今日ま
でずっと続いている。
「幽玄」を最も大切な美の
一つと説く世阿弥らの能
では、「秘すれば、花なり。
秘せずは花なるべから
ず」と説く。ここで「花」と
は、客観に与える能の美
しさ、感動をたとえるもの
であるが、それはすべて
をあからさまに表現する
ところではなく、切り詰め
られた表現、秘められた
表現こそ咲くというのであ
る。
いき
江戸時代の町人の美意識で、気がきいてセンスのよい事。
気持ちや身なりがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気を
持っている。「いき」には「張り、あだ、あか抜け」の3条件が
あるとされ、「張り」とは自分の考えを貫く心、「あだ」は下品
にならないこと、「あか抜け」は人生の表裏に通じた軽妙さと
言える。または、人情の表裏に通じ、特に遊里、遊興(ゆう
きょう)に関して精通していることも。実際の行動に制約の多
かった時代に、知性や感性を持つ人々の新しい美意識とし
て定着。その意味での伝統的な「いき」の美意識は、現在の
日本にはすでに存在していないと嘆く人もいるが、「いきな計
らい」「いきな着こなし」などの言葉は今でも多用されている。
「幕の内弁当」
伝統的な美意識を近代文明と調和させ、現代に花咲かせ
たものを「幕の内弁当」的美意識といったのが、栄久庵憲司
(えくあんけんじ)氏である。「幕の内弁当」には、ご飯と煮物、
焼き物、漬物などさまざまなおかずが少しずつ彩りよく入っ
ている。一つ一つの素材はごくありふれたものであるが、そ
れらが全体としては調和の取れた美として、狭い弁当箱の
中にきっちり納まっている。「わび」、「寂び」そして「いき」の精
神に立ち、見た目の美しさ、味と言う機能でも優れている。こ
の「幕の内弁当」的美意識は、世界の市場で人気のあるコン
パクトにパッケージされ、デザインも優れた家庭電器製品、
オートバイ、自動車などの製品にも生かされて、さらに日本
が世界をリードしている大規模集積回路の、極微小の世界
の根底にも存在していると言ってよい。