貴重文物講習会 第13回(平成20年度 第7回)

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貴重文物講習会 第13回(平成 20 年度 第 7 回)

九 州 大 学 と ア ー ト -過去から未来へ-

平成20年10月24日(金)15:00~16:30 中央図書館新館4階 視聴覚ホール 後小路雅弘 ( 人文科学研究院教授 )

はじめに

赤タスキで応召した 肖像たち

平成18年度・19年度P&P 九州大学教育研究プログラム・研究拠 点形成プロジェクト

「大学とアート~〈公共性〉の視点から」

ある日の調 査風景・・・

絵画修復家による調査

1.青山熊治「九州大学工学部壁画」 をめぐって

九州大学工学部本館に一枚の壁画があるの を知っていますか。 九州大学 旧工学部本館 昭和5年竣工

その壁画の 運命を知って いますか。 九州大学工学部本館会議室

青山熊治「壁画」全図

作品の基礎データ

• • • • • • • • 題 名 「九州大学工学部壁画」 作 者 青山熊治(明治19年生~昭和7年没) 制作年 昭和7年(未完) 設置 昭和8年5月3日 技法材質 油彩・画布 サイズ 257cm×572.3cm 中央下部に金属板「西川博士還暦記念 昭和7 年 筆者 青山熊治」 設置場所 九大工学部本館4階 第二会議室

依頼者=西川虎吉

明治 元年 大阪市生まれ。 明治26年 東京帝国大学工科大学卒 明治29年 東大助教授を辞し、日本舎密製造入社 明治41年 九州帝国大学工科大学教授 大正 5年 旭硝子顧問となりソーダ事業実現へ尽力 昭和 4年 九大を定年退職 昭和11年 満州曹達社長 昭和23年 死去 享年81歳 安田宣義「近代日本化学工業草創秘史29ソーダ灰工業 ─ アンモ ニア法ソーダ工業(3)7. 〈ソーダの父〉 西川虎吉博士」『化学工 業』1989年12月号

朝倉文夫「西川虎吉博士像」

壁画制作の経緯

• • 西川虎吉(談)「故青山熊治氏の人と絵」『美 術新論』

No.76 8-2

1933年2月号 昭和4年僕は停年で九州大学を退職したの で、有志諸君が何かこの際記念品を作ってや らうと云ふ計画があった。大正十二年に工学 部が焼けて、その復旧工事が昭和5年に出 来ることになってゐたのでこの私の記念品と して、その会議室に壁画を作らうと云ふことに なった。

西川博士の意図

• • 西川虎吉(談)「故青山熊治氏の人と絵」 『美術新論』

No.76 8-2

欧洲各国の大学や、公の建築物は必ず絵画 や彫刻の様な美術品で飾られてゐる。我国 に於ても将来大建築物と共にこの美術品が 遺される事は、色々な点に意義を齎らすもの であると思っていたので、この際壁画でもつ くって戴けたら、誠にいい記念ともなるし、喜 ばしいことだと思ってゐた。

青山熊治

• • • • • • • 1886・明治

19

年生~1932・昭和

7

年没 兵庫県生野町生まれ 東京美術学校中退 明治40年 東京府勧業博覧会 「老坑夫」2等賞 明治43年 第 13 回白馬会 「アイヌ」白馬会賞 第 4回文展 「九十九里」3等賞 明治44年 第5回文展 「金仏」2等賞 「ホワンチ ウ」 この後 福岡、満州、ヨーロッパを彷徨

青山熊治

• • • • • • 大正15年 第7回帝展 「高原」特選・帝国美 術院賞 昭和3年 第9回帝展 審査員 「黄昏」 昭和4年 第 10 回帝展 「朝」 昭和5年 第 11 回帝展 審査員 昭和6年 第 12 回帝展 審査員 「静物」 昭和7年 第 13 回帝展 「投網」

青山熊冶の画業

Ⅰ Ⅱ Ⅲ 白馬会・文展で受賞を重ねる20代前半 福岡・満州・ヨーロッパを流浪 帝展に復帰 受賞 → 審査員 40代

テーマ

• • 西川虎吉「青山熊治君と壁画」『福岡日日新聞』 昭 和8年12月9日 壁画の意味は、木、火、土、金、水の五行を工科 に属する原始的人物として、此等の職人が今や山 気神聖にして将に立春に入り万木草花発芽開化せ んとする時に当って自己の英気を養ひつつ残雪を 頂ける高原に集まり、牧童の一笛を聴きつつ休養 せる有様で、ぼんやりした所に何物か活気を貯へて 一致協力仕事に従事せんとするのであって大工、 左官、鍛冶屋、等の人物、山あり、水あり、水車あり、 小舟あり、陶器窯ありと云ふ様な具合であって、五 行の調和宜しきを得て産業の発達を来すの意であ る。

壁画(部分)

木 火/土

→ 金 水 ←

水車

木 土 火 陶器/窯

ソルボンヌ大学「諸科学の寓意」(絵葉書)

2.肖像画と肖像彫刻 (1)総長たちの肖像画

岡田三郎助「第 2代総長真野文 二像」1922年

和田英作 「第4代総長 松浦鎮次郎 像」1938年

山喜多二郎太「第3代総長大工原銀太郎 像」1932年 中村琢二「第9代総長菊池勇夫」195 3年頃

応用化学教室

(2)博士たちの肖像画/肖像彫刻

鹿子木孟郎「宇佐見桂 一郎先生像」1928年 和田三造「不詳」

満谷國四郎「高 壮吉先生肖像 画」1930年

山崎朝雲「大森 治豊先生像」1 910年

小田部泰久「大 森治豊先生像」 (三代)1973年

原田新八郎「吉田 とめ像」医学部

3.中山森彦博士が愛した仙厓

仙厓 群蛙図 座禅志て 人は仏になると云 我れは かえる の子はカエル也

仙厓義梵(せんがいぎぼん) (

1750

1837

)。

• 江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧。美 濃国生まれ。 40 歳から 62 歳に至る 23 年間を 聖福寺の第 123 世住持としてすごす。本格的 な作画は住職を退任した以降で、禅の教えを ユーモアをもって描き、その画は人柄とともに 博多の人々に親しまれた。 • 「うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人 ごとに 紙おいていく」(仙厓自作の狂歌 )

中山森彦博士と仙厓コレクション

• • 106 点の仙厓関係資料(仙厓作品36点、複製品69 点、山崎朝雲作木彫仙厓和尚坐像 1 点) 実弟平次郎博士(本学医学部名誉教授)の所蔵品 と合わせて、昭和 34 年に妹の小春氏により文学部 に寄贈。博士は、明治 40 年に創設まもない本学医 学部(当時、京都帝国大学福岡医科大学)第二外 科2代目の教授として赴任。大学付属病院長などを 勤め、大正 6 年に退官。外科手術の権威であり、本 学医学部の臨床医学育ての親とされる。美術にも 造詣が深く、美術品収集家としても著名であった。

「 博士の集めたコレクション 中山森彦と仙厓」展 2008年5月 九大中央図書館

「美術」と「美術でないモノ」のはざまで

南薫造「古城朝暾 ( 白鷺城 ) 」1917年

多々羅義雄「(博多湾鵜来島遠望)」1928年

安永良徳 青陵の泉 1968年 六本松地区

久保記念館 1927年

朝倉文夫 久保猪之 吉先生像

構成見本園(永見健一) 1935年 農学部

ストックアンカー 1932年

利休ゆかりの釜掛けの松

ムラージュ(人体模型) 医学部新島 嘯風

まとめに代えて

九大とアートの 新たな関係を求めて

伊都キャンパスのアート・プロジェクト

林明弘(リン・ミンホン/マイケル・リン)「グリーン ハウス」2008年 伊都・工学部

たほりつこ「 QIAO チャオ」2006年

再び旧工学部 本館へ