中山森彦博士 1867-1957

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Transcript 中山森彦博士 1867-1957

仙厓展 九州大学文学部所蔵中山森彦コレクション

福岡市美術館30周年記念事業 九州大学 法文学部85周年文学部60周年 記念事業

中山森彦博士

1867-1957

明治40年 京都帝大福岡医科大学(九大医学部)第2 外科教授として赴任。

外科手術の権威として附属病院長など務める。 大正6年退官。

昭和29年 米寿記念の中山 森彦博士 背景に仙厓作品

中山森彦略歴

• 森彦博士は、慶応3年京都生まれ。代々天皇 家の侍医で、父は明治天皇の侍医。祖父は孝 明天皇の侍医で、和宮の降嫁に同行するも暗 殺される。和宮が中山兄弟の学資を援助。森 彦博士は明治25年東京帝大医科大学を卒業 後、陸軍軍医となり、森鴎外とも親交。ドイツ留 学を経て、明治40年現在の九州大学に赴任。 大正6年に退官。

九大風雪記

(森彦、平次郎の)兄弟がまた揃いも揃って専 門の医学の他に兄森彦は美術評論に、弟平 次郎は考古学の研究に専門家以上に高く買 われていたのは学会の異風景だった。 (森彦博士は)外科医としての手腕も相当なも のだったが美術批評家としてより以上優れて いた。実際絵画に対する鑑識眼は大したもの で、山崎朝雲、和田三造、冨田溪仙などの元 老も、中山の批評に一目置いていたし、

・・・坂本繁二郎、児島善三郎など郷土出身の 美術家は何れも中山の批評だけは素直に受 け入れていた。 鬼頭鎮雄 『九大風雪記』 西日本新聞社 1948年

中山兄弟 ともに九大医学部で教鞭をとった医 学博士 兄 森彦 美術評論家 美術収集家 美術愛好 家 弟 平次郎 九州考古学の父 金印発見地調査 鴻臚館の場所推定 妹 小春 九大文学部に兄たち遺愛の仙厓作 品、書籍、考古史料を寄贈

中山文庫に見る森彦博士の「読書」

森彦博士の蔵書 『立体派・未来 派・表現派』裏表 紙の書き込み

児島善三郎、安井曾太郎の献本

青山熊治 九州大学工学部壁画 昭和7年

森彦博士の業績

• 福岡美術会第1回記念展(大正11年)審査 委員長など • 九州大学工学部壁画(青山熊治作)の画題 決定にかかわる • 自宅に美術館を建設のため、美術品を収集。 (仙厓はじめ、同時代美術も収集) → 現在は 仙厓を除きコレクションは散逸。

山崎朝雲作 『仙厓和尚坐像』 昭和15年 (部分) 仙厓百年忌(昭和10年)に併せて博 士が制作を依頼したもの。

中山森彦博士について、さらに詳しく知りた い方は、川上貴子「中山森彦博士の生涯と 仙厓蒐集」(仙厓展パンフレットに掲載)をご 一読ください。