映画業界に歪み ピンク映画やヤクザ映画が登場

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Transcript 映画業界に歪み ピンク映画やヤクザ映画が登場

映画館の社会史
-なぜ人は映画館に行くのかー
学籍番号 1540050086
椎名 一真
問題意識
1950年代後半の映画業界は黄金期を迎えていた。
1958年には、11億2千万人という過去最高の入場
者数を記録する。これは、国民一人当たりが年間1
2,3回劇場に足を向けた計算になる。それが、19
60年を境に急激に入場者数を落とし、1995年に
は1億2千万人を切る事になった。2000年以降、シ
ネマコンプレックス(シネコン)の登場を契機に、入場
者数は1億6千万人を保つようになる。なぜ、かつて
人々は映画館に足繁く通いつめていたのか。それ
は、時代を重ねるごとにどのように変化していった
のか。歴史的に、映画館と映画業界を考察していく。
目次
第1章 戦前の映画業界
1.1 日本映画史初期~弁士の活躍~
1.2 トーキー映画の登場
1.3 戦時中の映画館の歴史
第2章
2.1
2.2
2.3
2.4
戦後の日本映画
戦後日本映画の隆盛
映画の凋落
ピンク映画とロマンポルノ作品
名画座の全盛
第3章
3.1
3.2
3.3
3.4
近年の映画館
ミニシアター映画の誕生
シネマコンプレックスの登場
現在のサービス・割引と娯楽としての映画
堀江氏インタビュー
結
参考文献
附属資料
戦前の日本映画業界
1930年代、無声映画からトーキー映画(音声映画)へシフト
弁士の活躍
トーキー映画の登場
大手映画会社
トーキー映画を取り入れる
小さな映画会社
無声映画や低予算のB級映画
戦後の日本映画業界
敗戦
GHQに統治・管理
1950年代
黒澤明や溝口健二らが海外の映画祭で受賞される。
様々な名作に恵まれた時代。
1958年
11億2千万人を超える入場者数。
「七人の侍」 黒澤明
1951年独立
テレビの契約者数と映画館入場者数の推移
万
3000
120
2500
100
2000
80
1500
60
テレビ契約者数
1000
40
映画館入場者数
500
20
0
0
1953
1955
1960
1965
1970
1975
億
映画の凋落
プログラムピクチャー
大手映画会社6社(東宝、松竹、大映、東映、日活、新東宝).の2週間毎
の2本出て封切り映画量産システム。
スターシステム
各社専属の俳優や監督をかかえ、作品によってそれを置き換えて撮影
していく方法。
映画業界に歪み
映画業界に歪み
ピンク映画やヤクザ映画が登場
劇場から女性や子供が遠いていく
映画館数と入場者数の変化
12 億
館 8,000
7,000
10
6,000
8
5,000
6
4,000
3,000
4
2,000
2
1,000
0
0
1946 1951 1956 1961 1966 1971 1976 1981 1986 1991 1996 2001 2006
全国映画館数
映画館入場者数(千人)
シネマコンプレックスの登場
様々な法律の改正
シネコンの登場
アメリカなどの支援
ブロックブッキングの崩壊
シネマコンプレックスのスクリーン数の推移
3,500
3,000
2,500
2,000
スクリーン数
シネコン
1,500
1,000
500
0
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
レッド・クリフの入場者数の推移(2008.12/1-12/7)
日劇1の動員数
人
TOHOシネマズ梅田の動員数
2000
1800
1600
1400
1200
1000
800
600
400
200
0
12月1日
12月2日
12月3日
12月4日
12月5日
12月6日
12月7日
様々な映画館
結論
映画館は時代毎の作品やニーズに合わせて変遷を見せて
いた。
ピンク映画やヤクザ映画で女性の客足を減らしていたが、
近年のミニシアターやシネコンの登場と各種割引でその客
足は増加した。
シネコンは日本映画業界を救ったが、映画館を均一化し
た。
なぜ、人は映画館に行くのか
人それぞれ、理由は様々である。
だが、人々はかつてから、映画館に様々な楽しみや
喜びを期待して映画館に通っていた。
映画館に行けば何かを味わえる