放射化学Ⅰ

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放射化学 Ⅰ

第二回

放射化学

内容

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第一章 元素、原子、同位体 第二章 原子核のいろいろな性質 第三章 放射壊変 第四章 天然放射性元素 第五章 核反応

放射化学

百島先生 3年前期

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第六章 放射線と物質の相互作用 第七章 放射線の測定 第八章 原子炉と核エネルギー 第九章 核反応を誘起するための粒子源 第十章 人工放射性元素 第十一章 放射化学の分析化学への応用 第十二章 放射化学の年代学への応用 第十三章 放射化学の宇宙化学への応用

第1章 元素、原子、同位体 1.1 放射化学の源流

– 放射能の発見 1895年 レントゲン X線の発見 Wilhelm Conrad Röntgen Germany Munich University Munich, Germany The Nobel Prize in Physics 1901 1896 年 1 月 23 日にレントゲンが撮った Alfred von Kolliker の手の X 線写真

• • • • • 真空放電をおこなってX線を放出させるときに蛍光 が発した。関係があるのか? ベクレル(1896) 硫酸ウラニルカリウム化合物を 用いて、蛍光と写真乾板の黒化度をしらべた。 黒化度はウランの量にのみ依存。蛍光と関係ない。 X線と異なる透過性のあるウラン線が発見された。 金属箔を透過し、空気中で気体を電離して電気伝導 性を与える。

The Nobel Prize in Physics 1903

"in recognition of the extraordinary services he has rendered by his discovery of spontaneous radioactivity" "in recognition of the extraordinary services they have rendered by their joint researches on the radiation phenomena discovered by Professor Henri Becquerel"

1898 年、キューリーとシュミットはトリウムを含む化合物からも 同じ放射線が放出されていることを見出した。 同年、キューリー夫妻は放射線を放出する現象を放射能と名づ けた。ウランやトリウムを含む天然の鉱物が強い放射能をもつ。 より強い放射能をもつ微量元素の存在? キューリー 1898 ピッチブレンド( U 3 O 8 を主成分とする。閃ウラン鉱)からポロニウ ム、ラジウム発見。 酸で分解した溶液に硫化水素を通じて

Bi 3+

とともに生じる硫化 物沈殿からポロニウム、同分解液に

Ba 2+

SO 4 2-

を加えて生じた 硫酸バリウム沈殿からラジウム 。

The Nobel Prize in Chemistry 1911

"in recognition of her services to the advancement of chemistry by the discovery of the elements radium and polonium, by the isolation of radium and the study of the nature and compounds of this remarkable element" Pitchblende Great Bear Lake in the Northwest Territories of Canada, where it is found in large quantities associated with silver. Some of the highest grade uranium ores in the world have been found in the Athabasca Basin in northern Saskatchewan. It also occurs in Australia, Germany, England, and South Africa. In the United States it can be found in the states of New Hampshire, Connecticut, North Carolina, Wyoming, Colorado and New Mexico.

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Maria Skłodowska-Curie

Born November 7, 1867, Warsaw, Congress Poland Died July 4, 1934 (aged 66) Sancellemoz, France Polish, French Fields Physics, Chemistry Institutions University of Paris Alma mater University of Paris ESPCI Doctoral advisor Henri Becquerel • Nobel Prize in Physics (1903) Davy Medal (1903) Matteucci Medal (1904) Nobel Prize in Chemistry (1911)

ラザフォード α 線の散乱から原子モデル構築。気体の放射 性物質(エマネーション)。トリウムやラジウムから放出される ラドンと名付けられた。 α 線と β 線の発見、ラザフォード散乱による原子核の発見、原 子核の人工変換 1908年ノーベル化学賞

1871 年 1889 年 ニュージーランド、ネルソン近くのブライトウォーターで生まれる。 クライストチャーチのカンタベリー・カレッジ(現在のカンタベリー大学)へ進学。在学中に電 波検知器を作る。また、鉄の磁化に関する論文で理学の学士号を取る。 1895 年 ニュージーランドの奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所の 研究員となる。トムソンの指導のもと気体の電気伝導の研究を始める。 1898 年 ウランから二種類の放射線( α 線と β 線)が出ていることを発見。この年にメアリ・ニュートンと 結婚。同年、カナダ・モントリオールにあるマギル大学の教授となる。 1899 年 放射線のアルミ箔の透過を調べ、 α 線と β 線を分離。 1900 年 - γ 線が電磁波であることを示す。ソディと共同でラジウム、トリウム、アクチニウムの研究を 始め、放射性元素が互いに移り変わると考えるようになる。「半減期」の概念を作る。 1902 年 1907 年 元素が放射線を放出すると別の元素に変わるという放射性元素変換説を提唱。 マンチェスター大学教授となる。この年、ガイガーと共同で α 粒子の計数に成功。これは後 にガイガー・ミュラー計数管として実用化される。 1908 年 ボルトウッドと共同で放射性元素の変換系列を調べて変換が鉛で終わることを発見し、ま たその速度を求めた。この年、 α 線をガラス管に集め、放電スペクトルを調べることで α 線がヘリウム 原子核であることを発見。また、 「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」によりノーベ ル化学賞を受賞 。 1911 年 ガイガー、マースデンとともに α 線の散乱実験を行い、原子核を発見 。この実験結果に基づ いて ラザフォードの原子模型 を発表。 1914 年 1917 年 1919 年 ナイトに叙せられ、サー・アーネストとなる。 ケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所の所長となる。 - α 線を窒素原子に衝突させ、原子核の人工変換に成功。 1920 年 中性子の存在を予言。中性子は教え子のチャドウィックが 1932 年に発見し、それによりノー ベル物理学賞を受賞している。また重水素の存在も予言し、研究を行なった。 1937 年 1997 年 ロンドンで死去。 66 歳。 原子番号 104 の元素がラザホージウム (Rutherfordium) と名づけられる。

1.2 原子の構成

原子の本質は核外電子か原子核か? 化学反応 or 核反応 原子核 陽子と中性子 核種 AとZが決まることで一義的に決まる 同位体 同中性子体 同重体 isotope isotone isobar Zが等しい Nが等しい Aが等しい

1912年 トムソンによってはじめて同位体発見される。 当時トリウムやラジウムのなかに、放射能特性や質量数がことなる核種があるこ とが知られていたが、非放射性元素にも存在することを明らかにした。 1913 ソディー 同位体を命名。 フレドリック・ソディ( Frederick Soddy, 1877 年 9 月 2 日 – 1956 年 9 月 22 日)はイギリス の化学者。放射性元素の研究で、アルファ崩壊・ベータ崩壊などを見出した。 1921 年に原子核崩壊の研究、同位体の理論に関してノーベル化学賞を受賞 した。 オックスフォード大学を卒業し、 1900 年からカナダ・モントリオールにあるマギル 大学で、アーネスト・ラザフォードと共に放射線の研究を行った。 1903 年、ウィリアム・ラムゼーとラジウムの原子核分裂によってヘリウムが生成さ れることを確認した。 1904 年から 1914 年までグラスゴー大学で、ウランが核分裂することによってラジ ウムが生成されることを示した。また放射性元素が、化学的性質が同じで原子量 が異なる同位体を持つことを示した。後に非放射性元素も同位体を持つことも示 した。元素が α 線を放出して、原子番号の低い元素にかわること(アルファ崩壊) ベータ線を放出して原子番号の大きい元素になること(ベータ崩壊)を示した。 1914 年 スコットランドのアバディーン大学、 1919 年オックスフォード大学の教授と なる。 1921 年 ノーベル化学賞受賞。

素粒子

物質を構成する粒子 分子-原子-原子核-素粒子 原子核を構成する粒子として陽子、中性子、ニュートリノが 存在することが1930年代にはわかっていた。 1934年 湯川秀樹 原子核に働く核力を説明するために、それまでに見つかって いない、新しい素粒子である中間子の存在を理論的に予言。 1949年 ノーベル物理学賞 “for his prediction of the existence of mesons on the basis of theoretical work on nuclear forces”

最初の写真 米国アルゴンヌ国立研究所に設置された Zero Gradient Synchrotron の水素泡箱で観測された史上初のニュートリノ( 1970 年 11 月 13 日)。ニュートリノは電荷を持たず泡箱に軌跡を残さない。写真右 手中央の黒い影の右側で三つの軌跡が突然始っている。この位置で ニュートリノが陽子に衝突した。同時に生成したミュー粒子は非常に 見分けにくいがほぼ直線状に軌跡を残している。短い軌跡は陽子。

中間子はもともと陽子と中性子を原子核中で束ねている力 を伝達していると予想されていた。 ミュー粒子が最初に発見されたとき、質量が近いことから中 間子と考えられ、「ミュー中間子」と名付けられた。しかし、 核子を強く引き付ける力がないことから、実はレプトンで あったと判明した。 後に、本当に力を伝達するパイ中間子(ミュー粒子に崩壊 する)が発見された。 乾板にうつった中間子の飛跡

1) 偏極ビーム用前段加速器 (2) 線形加速器 (3) ブースター (1) ' 前段加速器 (4) 主リング- 0.8

秒で約 50 万回まわる ( 地球を約 4 回りする距離 ) KEK の 12GeV 陽子シンクロトロン

1.3 質量とエネルギーの保存

原子質量単位( atomic mass unit 、記号 : u ) 質量数 12 の炭素の同位体 12 C の原子 1 個の質量の 12 分の 1 と 定義されている。 m ( 12 C ) = 12.000 u

質量とエネルギーの等価性 1905年 アインシュタイン E = mc

2

特殊相対性理論から質量とエネルギーは等価であることを 提唱。 現在では、陽電子が消滅するときに 発生する放射線の測定で実証可能 1921年ノーベル物理学賞

1905 年 博士号を取得すべく「特殊相対性理論」に関連する論文を書き上げ、大学に提 出した。しかし内容が大学側に受け入れられなかったため、急遽代わりに「分子の大き さの新しい決定法」という論文を提出し、受理されている。この論文は「ブラウン運動の 理論」に発展した。この年は「奇跡の年」として知られている。 アインシュタインは「光量 子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する 5 つの重要な論文 を立て 続けに発表した。 1907 年 有名な式 E=mc² を発表している 1909 年 チューリッヒ大学の助教授となる。 1910 年 プラハ大学の教授となる。 1912 年 母校、チューリッヒ連邦工科大学の教授に就任。 1913 年 プロシャ・アカデミーの会員となる。アインシュタインはベルリンに移住する事に なる 1916 年 一般相対性理論を発表。この理論には星の重力により光が曲げられるという 予言も含まれていた(これは後に実証される)。 1919 年 皆既日食において、太陽の重力場で光が曲げられる(いわゆる、重力レンズ効 果)事がエディントンによって観測により確認され、これが証明となって一般相対性理 論は物理学理論としての不動の地位を得る。 1922 年 3 月にフランスを訪れた他、 によるものであった。 10 月には日本へ。日本へ向かう最中、アインシュタ インはノーベル物理学賞受賞の知らせを受けている。受賞理由は「光電効果の発見」 1935 年 ボリス・ポドルスキー (Biris Podolsky) 、ネイサン・ローゼン (Nathean Rosen) と共 にアインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス( EPR パラドックス)を発表 する(量子力学と相対性理論の矛盾)。 1939 年 当時のアメリカ大統領であったフランクリン・ルーズベルト宛ての、原子力とそ の軍事利用の可能性に触れた手紙に署名。 1946 年 原子科学者緊急委員会議長の役目を引き受ける

1.4 原子質量と原子量

1.5 核種の安定性と存在度

中性子過剰 235 U N/Z = 1.55

と 238 U N/Z = 1.59

定性的には 原子番号が大きくなるにつれて原子核中の正の電荷が増 加し、クーロン反発力が増加するため、それを核力で補うた めに、中性子が相対的に多くなる。 103 番目の Lr ローレンシウムまでが短寿命ではない元素。 80 が地球上に安定に存在する元素。 原子核 安定なもの 約 280 個 不安定で放射線をだして変化するもの ~その数十倍 合計 6000 個から 8000 個あると予測されている

核種の陽子数および中性子数と核種の安定性の相関 2 H, 6 Li, 10 B, 14 N の四つ 奇数個の n, p 40 K, 50 V, 138 La, 176 Lu, 180 Ta も天然に存在するが、 準安定な放射性核種である。

原子番号Zの偶数奇数で安定同位体の数が異なる。 ベリリウム 単一核種からなる元素 Sn 121 Sn にある核異性体は半減期55年