紙の起源へ - SCHOLA-SHISHI

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紙
の
起
源
紙の起源が中国であることは周知の事実である。
それでは、いつ頃、誰が発明したのだろうか。
『後漢書』蔡倫伝に、「倫すなわち、意を造し、樹膚・麻頭・および敝布・
魚網を用い、以て紙と為す。元興元年(105)、これを奏上し、帝その能を
善みし、これより従用せざるはなし。ゆえに天下みな蔡侯紙と称す」とある。
この記述をもとに、西暦105年に「蔡倫が紙の発明者」とされてきた。
しかし、20世紀に入って、この説に反論する証拠が、中国の新疆、甘粛、
陝西省などの地域から多数発掘された。
これらの紙片は、同時に出土した木簡等に記録されている年号から、何れも
が前漢時代のものであることがわかった。
これらの出土した紙片が、蔡倫以前に紙が存在していたことを実証するもの
である。
文
献
資
料
か
ら(1)
出土紙片とは別に、文献から捜してみよう。
①前漢成帝(紀元前12)の元延元年、趙昭儀(皇后趙燕の妹)が成帝
の子を出産した時、後宮の曹偉能の殺害を企て、薬を包んだ2枚の赫
蹏(かくてい)と一緒に手紙を送った。
ここには「偉能に告ぐ。きっとこの薬を飲み、もう二度と后宮には
戻ってこないほうがいいことは、あなた自身が知ってることです」と
書いてあった(『漢書』)。赫蹏(かくてい)とは、小さく赤色に染
めた薄紙をいう。
②前漢武帝の頃(紀元前93)、江充は、衛太子の殺害を計画したとき、
「その鼻が高いので、武帝にあうときは、紙でその鼻を蔽わなければ
ならない」と教えたことがのっている(『三輔旧事』)
文
献
資
料
か
ら(2)
③光武帝が元年(25)に、長安から洛陽に遷都するとき、素(しろ
ぬき)、簡、紙の経書およそ2千輌乗せた(『風俗通』)。
これらの資料から、紙が誕生したのは、蔡倫よりも200年前に遡る
と考えられている。
現在では蔡倫は、製紙の歴史上で次のような功績を残した人物とさ
れている。
品質のよい植物繊維紙生産普及した。
従来の原料を基礎に現在使用している靱皮繊維の紙の生産をはじめ
た。
帛簡から紙に記録することを促し、製紙を普及させた。
紙
片
の
出
土(1)
これまでに発掘された紙片を年代順に並べ、その発掘場所と発掘年代及
びその特徴を述べる。
(1)放馬灘紙(ほうばたんし);紀元前179~141年頃の紙。
1986年に甘粛省甜水市懸泉置(かんしゅくしょうてんすいしけん
せんち)の古い墓から発掘された。
この墓は、前漢時代の文帝・景帝の頃と推定され、埋葬者の胸部に
地図の描かれた紙片(長さ5.6cm×幅2.6cm)が付着していた。
甘粛省文物考古学研究所の何双全は、1989年『文物』に、「現存
する最古の紙で、わが国の前漢初期には発明され、絵を書写する紙
として使用されていたことを実証している。
原料は麻の繊維である」と報告している。
紙
片
の
出
土(2)
(2)灞橋紙(はきょうし);紀元前141~87年頃の紙。
1957年に陝西省(せんせいしょう)西安市灞橋で漢時代墓地か
ら、銅鏡と一緒に88枚の紙片が発掘された。
これは、前漢時代(武帝)の頃の紙と推定されている。
1965年、四川大学で厳密なる顕微鏡分析の結果、主要原料は大
量の大麻と少量の苧麻を含んでいた。
叩解度は低く、後に出てくる紙に比べて、技術的にも幼稚である
ことが推察される。1964年『文物』に、中国科学院自然科学史
研究所の潘吉星(はんきちせい)氏は、「世界で最も早い時期に
作られた植物繊維紙」と発表した。
しかしその後、上述した放馬灘紙(ほうばたんし)が1986年に
発掘されてからは、灞橋紙がもっとも古い紙とされている。
紙
片
の
出
土(3)
(3)象崗紙;紀元前180~142年頃の紙。
1986年広州市象花崗山南越第2代目王越趙湖の墓から、約
3×4cmの小紙片数点が発掘された。
(4)懸泉紙;紀元前74~49年頃の紙。
1990~91年にかけて甘粛省甜水懸泉置(かんしゅくしょう
てんすいけんせんち)前漢遺跡で発掘。
前漢から晋魏の時代に使用されたシルクロードに沿った郵亭
(郵便局)のゴミ捨て場から甘粛省文物考古研究所副教授双全
氏によって発掘された。
紙
片
の
出
土(4)
(5)中顔紙;紀元前74~49年頃の紙。
1978年に陝西省(せんせいしょう)扶風県太白(ふうふうけ
んたいはく)公社中顔村穴蔵で古紙3枚が発掘された。穴蔵の
文物は前漢(宣帝)時代のものであった。この紙片は、長さ
6.8cm×幅7.2cmの大きさで、淡黄色に白色が混じっていた。
分析の結果、麻紙であることが確認された。
(6)金関紙;紀元前53~50年頃の紙と紀元前6~3年頃の紙。
1972~76年にかけて甘粛省居延(かんしゅくしょうきょえ
ん)遺跡金関軍事哨所(しょうしょ)跡から発掘された最大
辺約21×19cm(平均約11.5×9cm)麻紙である。
紙
片
の
出
土(5)
(7)馬圏湾紙(ばけんわんし);紀元前65~61年頃の紙。
1979年に甘粛省馬圏湾(かんしゅくしょうばけんわん)の軍事駐屯地
跡(敦煌石窟の北西95kmに位置する)で発掘された。同時に出土し
た木簡の紀元は、宣帝(紀元前65~61)から平帝(元始5年)にまで
及んでいる。文物考古研究所副教授双全氏は、「麻紙からできていて、
漉いた跡を示す耳や簾紋(すだれもん)が残っている。1枚は、縦20
cm×横32cmの完全な紙葉で出土した」と報告している。
(8)ロプ・ノール紙;紀元前49年頃の紙。
1933年に、中国の考古学者黄文弼(こうぶんひつ)が新疆省(しん
きょうしょう)楼蘭(ろうらん)ロプ・ノールから発掘した。ここは、
前漢時代の烽火台跡で、同じく出土した木簡に紀元前49年の表記が
あった。この紙には、麻の筋が残っていて、紙質が極めて粗い「麻
紙」である。