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人口経済論 第8回
2005年6月6日(月)
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先進諸国の人口転換:人口転換理論
の今日的意義
1.古典的人口転換理論
2.死亡率低下はいつどのようにはじまったの
か
3.出生率の低下はいつどのように起こったの
か
4.ヨーロッパ的結婚パターン
5.人口転換理論の今日的意義
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1.古典的人口転換理論
ヨーロッパや北米諸国においては、18世紀
から19世紀にかけて、死亡率が低下し始め、
約100年の遅れを持って、出生率も低下した。
18世紀から20世紀初頭
「多産多死」→「少産少死」
これを人口転換という
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1.古典的人口転換理論
多産多死から少産少死への動き、すなわち、
出生率と死亡率の動きそしてそのタイミングを、
ヨーロッパの経験を元に理論化したのが、「人
口転換理論」である。
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1.古典的人口転換理論
「多産多死から少産少死へ」という人口動態
の変化は、人口転換(demographic
transition)とよばれている。
主な議論は3つのパターンに分かれる。
(1)人口転換の段階論
(2)人口転換説明の近代化仮説
(3)出生率低下の拡散理論
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(1)人口転換の段階論
すべての人口は、高出生率・高死亡率の段
階から、死亡率の先行低下段階、出生率の
追随的低下段階を経て最後に低出生率・低
死亡率の段階にいたると見る考え方。
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(2)人口転換説明の近代化仮説
人口転換の全般的説明理論としての近代化仮説。
前近代社会では、医学・公衆衛生の未発達により平均的に
死亡率が高いため、家族、社会の存続を図るためには平均
的に高い出生率を必要とする。
近代医学・公衆衛生の発達により乳幼児死亡率が低下して
くると、出生数を減らしても家族・社会の存続は可能となる。
さらには経済成長、工業化、都市化、社会的上昇移動の可
能性の拡大、義務教育制度の導入と教育水準の上昇、児童
労働の禁止、価値観の世俗化、家族構造の変化などが、親
にとっての子育てコストの上昇とベネフィットの低下をもたら
すので、出生抑制の動機が生まれ、少産少死につながる。
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(3)出生力低下の拡散理論
少産動機がはじめに都市の中産階層にはぐ
くまれ、これが次第に他の階層ないし集団に
拡散していくという見解。この拡散の過程では
都市・農村、学歴、所得、職業などによる出生
力の格差が顕著になる。
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人口転換論の紹介:段階論を中心に

人口転換の理論では、人口現象を安定期、
転換期、新安定期の3つの段階に分けてと
らえている。
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安定期
はじめの安定期は、出生率と死亡率がとも
に高い水準にあって、潜在的な人口増加力が
ある「多産多死」の段階である。
死亡率が、のこぎりの歯のように上下に震
動しているのが特徴である。これは産業革命
以前の農業テクノロジーでは、天候の急変、
食糧不足、飢饉の発生に対し、人間はまった
く無力であったこと、食糧に余裕がないために、
みすみす死ぬ人が多かったことを示す。
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転換期
次の転換期は、死亡率は低水準であるもの
の出生率が依然として高いために、人口の過
渡的な増加(transitional growth)が生じる
「多産少死」の段階である。
転換期に入ると、死亡率の低下が著しいが、
同時にその初期に出生率がいくらか増加した
のが特徴。
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転換期
この転換期はじめの出生率の上昇は、3つ
の理由のためと考えられる。
第1に産業革命により一般の生活水準が向
上し、栄養改善によって、母性の健康が増進
し、出産年齢にある既婚女性の妊娠力が上
昇し、今まで見られた出産に伴う女性の死亡、
妊娠中の死産が少なくなったことである。
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転換期
第2に、社会経済的理由によってそれまで晩
婚あるいは生涯未婚を余儀なくされていた
人々が、もっと早い年齢で、もっと多く結婚で
きるようになったことである。
第3に、生活水準の向上の結果、出産に関
して現役の夫婦が以前と比べて死ななくなり、
配偶者にしに分かれる確率も減って、人口全
体の出生率が上昇したことである。
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転換期
死亡率だけが最初急速に下がったのは、死亡率
のほうが出生率よりも機械的に低下しやすいから。
元来無病息災で長生きをすること、死亡率をできる
だけ下げることは、いかなる社会でも普遍的な善で
あり、理想である。死亡率を低下させて平均寿命を
延ばすために、医学・公衆衛生の導入は歓迎される。
さらに、産業革命による生活水準の向上によって栄
養状態がよくなり、また衛生思想が高まっていく。
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転換期
これに対して、低い出生率はどこの社会でも普遍
的善とは限らない。
高い出生率を示す国は一般に社会の生存のため
の子宝思想を持っており、子どもの経済価値が高く、
子どもがたくさんいれば老後は安心だと考えられて
いる。これに反して子どもをたくさん持つにあたって
のコストは余り感じていない。
さらに、人類の歴史において子どもが成人に達す
る確率が低い状態が長く続き、これが、高い死亡率
に見合った高い出生率を持たないとならないという、
高出生率志向の価値体系が存在した。
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転換期
死亡率が低下し、高出生率を支える意味づ
けが減退しても、それが今度は低出生率志向
へとなかなか転換しない。
その結果、しばらく多産少死の時代が続き、
高い出生率と低下する死亡率の格差によって
人口増加が起きた。
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新安定期
そして新安定期は、出生率と死亡率がとも
に低い「少産少死」の段階であって、人口転
換の最終段階である。
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参考:第2の人口転換
人口転換の理論が提案された当時は、低
い出生水準といっても、人口置換水準程度の
出生率が想定されていた。しかし、2000年の
日本の合計特殊出生率は1.36で、人口置換
水準の2.07を大幅に下回っている。このよう
な人口置換水準を大きく下回る出生率の出
現をさして「第二の人口転換」ということがあ
る。

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死亡率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
イギリスの事例
18世紀のイギリスの人口増加の原因
・死亡率低下(マッキューンの論)
①近代医療(特に予防接種と治療)は、19世紀後半
においても天然痘とジフテリアをのぞいてはそれほ
ど有効でなかった
②ウイルスの毒性が弱まったという証拠はない
③公衆衛生の改善による感染源の減少も19世紀中
には見られない
④栄養水準の改善による人々の病気に対する抵抗
力の増大
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死亡率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
イギリスの事例
マッキューンの意見に対しては、次のような反論がある。
・生活水準の改善による栄養水準の向上が生じたという証拠
ははっきりしない
・19世紀半ばまでに大幅に弱まったペスト、黄熱病、マラリア、
天然痘は栄養水準とそれほど関係するものではない。
・19世紀半ばから20世紀はじめにかけて低下した死因であ
る、赤痢、しょう紅熱、これら、結核、肺炎などは栄養状態と
関係が深い。
・しかしながら、同時に公衆衛生施設や各種の保健施設、た
とえば、衛生的飲料水の確保、下水道の設置などによる、感
染源のコントロールもまた有効であったと考えられる。
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死亡率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
純粋に近代医薬が直接的に死亡率低下に
果たした役割は限られているが、間接的な影
響も含めて考えたとき、その役割は過小評価
できない。
西欧諸国の死亡率低下の要因に関しては、
近代医薬の発達・公衆衛生の普及か、それと
も生活水準の改善・栄養水準の向上かといっ
た単一要因仮説よりも、複合要因仮説が有力
となりつつある。
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出生率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
コールの知見(Coale, A)
コールはハッテライト指標を考案し、ヨーロッパの出生力転
換について知見を引き出した。
①転換前の総合出生力も結婚(摘出)出生力も古典的人口転
換理論が想定するよりも低く、地域間格差も大きい。
人口転換理論では、転換前の人々は、高死亡率に見合って
最大限の子どもを生むものという暗黙の仮定があったが、こ
の研究によって、転換前の西欧社会の総合出生力ならびに
結婚(摘出)出生力は、最大出生力(ハッテライト出生力)のせ
いぜいおのおの、4割と7割に過ぎないことがわかった。
②転換前も総合出生力に変動が見られるが、これは主として
結婚率の変動によるものである。
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出生率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
③19世紀の第4四半世紀ごろから20世紀の第1四
半世紀にかけての転換時については、総合出生力
の低下はもっぱら結婚(摘出)出生力の低下によるも
ので、結婚行動の変化はみられない。
④出生力低下が始まると(結婚(摘出)出生力が10%
以上低下すると)、それは不可逆的であった。
⑤出生力の低下の開始は、ヨーロッパ中に広がって
いった。
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出生率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
コールに対する議論(④⑤について)
出生力転換が歴史的に見てまったく新しい
事象なのか、それとも前代までにも存在した
人口や経済の変動に対応した一時的適応行
動であったのか?
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出生率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
従来存在しなかった夫婦の子ども数制限行動で
あって、その不可逆性から見て一時的な結婚・出産
タイミングの変化による適応行動ではない。
出生力転換の説明としては、各種の近代化指標、
たとえば乳幼児死亡率、工業化、都市化、教育水準
の上昇、女子の雇用労働力率などと、出生率との関
係はおおむね近代化理論の予測するとおりである
が、統計的には必ずしも有意の関係ではない。
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出生率低下はいつどのようにはじまっ
たのか
近代化指標と出生力の関係がそれほど明瞭でない理由は、
近代化水準の違う地域でも、言語、宗教などの民族的・文化
的共通性がある場合には摘出出生力が同時期に低下する
傾向が見られたため。
ノーデルはその理由を、かつては夫婦の間で認められてい
なかった子ども数制限を目的とした出生抑制行動、この革新
的行動がある地域のある集団に受け入れられると、これが
文化的チャンネルを通じて他の地域にも拡散していったため
ではないかと考えた。
またある地域についてみると、子ども数制限という革新的行
動を最初に受け入れた「先行グループ」があると、そこから次
第に他の「遅滞グループ」に広がる傾向のあることがわかっ
た。
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ヨーロッパ的結婚パターン
転換前の西欧社会は高出生率ではあった
が、今日のアフリカ諸国ほどの高出生率で
あったわけではない。
西ヨーロッパ社会は、きわめて高い結婚年
齢(晩婚)と高い生涯未婚率(非皆婚)により特
徴付けられていた。
これはヨーロッパ的結婚パターンと呼ばれる。
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ヨーロッパ的結婚パターン
このような晩婚=非皆婚の結婚パターンが登場し
た理由としては、長子相続制、各家族制、未婚男女
の奉公の一般化などがあげられている。
転換前の西ヨーロッパでは、人口増加が続き生活
水準の低下が始まると、初婚年齢が上昇し出生率
が低下したことが確認されており、逆にペストのよう
な危機的死亡により人口が激減した後には初婚年
齢の低下による出生率の上昇が認められた。
→人々は結婚年齢を操作することにより人口増加を
調節し、生活水準の維持を図ろうとしたと解釈可能。
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人口転換理論の今日的意義
フランスという例外
フランスは18世紀の死亡率低下開始からそれほど
遅れることなく出生率低下を開始し、19世紀中両方
ともほぼ同じペースで低下した。
新大陸の果たした役割
19世紀から20世紀にかけて、人口転換による人口
増加に直面したヨーロッパ諸国から新大陸への移民
が続いた。
ベビーブーム
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人口転換理論の今日的意義
人口転換過程は、西欧諸国の経験についてすら国による
多義性があり、一般化が困難な部分がある。もはや統一的
な人口転換理論を語ることはむずかしい。
転換前の人口の多様性、人口転換過程自体の多様性、転
換後の出生力の不可知性は、人口転換理論の「理論」として
の意義を損ねる
しかしながら、近代化過程の中での多産多死から少産少死
への変化は事実であり、それが近代西欧社会に最初に起こ
り、ついて非西欧社会に広がってきた歴史的に革新的な出
来事であるというのも事実である。
人口転換は多産多死から少産少死への変化をあらわす包
括的概念としていきつづけるであろう。
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