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ケルビンの
「19世紀物理学の二つの暗雲」
に関する誤解
2003年12月13日
京都大学人間・環境学研究科
冨田博之
ケルビン(W.トムソン)
1900年4月 於:王立協会 (Royal Institution of Great Britain)
『熱と光の動力学理論にかかる19世紀の暗雲』
“Nineteenth Century Clouds over the
Dynamical Theory of Heat and Light"
(収録)
Phil.Mag. Sr.6, Vl.2, p.1, 1901年(総人図書館)
または
“Baltimore lectures on molecular dynamics and the
wave theory of light” (理:地鉱図書室)
大御所のいう「二つの暗雲」とは?
『20世紀に入ってすぐに巻き起こった現代物理学の
2大革命「量子論」と「相対論」の嵐の前兆であった。』
(1)黒体放射が完全に説明できないこと
1900年12月 プランクの理論
1905年
アインシュタインの光子説
(2)エーテル風が観測できないこと
1905年 アインシュタインの特殊相対論
であると,30年以上にわたって思いこんでいた。
• 『はじめに光あれ』
(総合人間学部図書館報 「バベルの図書館」 2巻2号,1999)
.....世紀の変わり目が科学の進展にさほど影響をも
たらすとも思えませんが, 1世紀前, 物理学は2つの難
問に直面していました。 1900年4月の講演でケルビン
は, これを 「2つの暗雲」 と呼びました。 温度の単位に
名前が残っている19世紀の物理学の大権威にすれば,
19世紀に完成した古典物理学のみごとな秩序に 「1点
の曇りもなく」 としたかったのかもしれません。 実はこれ
は気がかりな暗雲どころか, 20世紀に入ってすぐに始
まった現代物理学における2大革命, 量子論と相対性
理論の2つの曙光だったのですが, ともに光に関する
疑問から発したものでした。 .....
実際の論文では?
・ 一つは確かに「エーテルの問題」である。
横波である光の振動を伝える「固体媒質」に対する
地球の運動(エーテル風)を観測できない。
・ もう一つは,「エネルギー等分配則」あるいは,そ
の基礎になる「エルゴード問題」そのものである。
「熱放射」の問題が等分配則の破れにあったことは(あ
とから見れば)事実には違いないが,論文には一言も
「熱放射」と言う概念は現れない。
エルゴード問題
中村勝弘 「量子カオスとビリアード」
(日本物理学会誌56巻2001年4月号)
...もう一つの暗雲は,エネルギー等分配則を導く
マクスウェル・ボルツマン分布とその背景にあるエル
ゴード仮説への疑問である。この後者の暗雲はどの
ように解決されたのであろうか?...
この業界の人たち(数学者を含む)は,正確にその
ように理解していたらしい。
(参照)
『21世紀,物理はどう変わるか』 (江沢洋,物理学会)
マクスウェル・ボルツマン分布と等分配則
• 単原子分子では,回転の自由度を無視して,「f=3」 と
すれば,ほぼあっている。(『γ=1.67となるべきところ,
Arで1.64,Heで1.65で実験値はやや小さい』と難癖つ
けているが,これはむしろよく 「あっている」 というべき
であろう。)
注:質量のほとんどが中心の核に集中していることが知
られたのは,もっとあとである。(ラザフォードの実験:
1911年)
• 2原子分子では 「f=5」(並進3に今度は回転2を加えた,
いわゆる剛体棒近似)でよく合うように見える(γ≒1.4)
が,理論的には原子間の振動自由度2を加えた「f=7,
γ=9/7」である。これがなぜ適合しないのか?
• それでは固体はどうか?(剛体なら比熱0)
• エルゴード性は大丈夫なのか?
講演のあと論文としてまとめるまでのほぼ1年に
わたって,助手が「人間コンピュータ」としてビリアー
ド問題の数値実験を繰り返したと書かれている。
• 実際,ボルツマンなどは,平衡に達するまでのモード
ごとの緩和時間というものを考え,角振動数ωの
モードでは緩和時間が
のような形になると予想し,現実の時間内では等分
配則が厳密には成り立たないと説明しようとしてい
た。(ボルツマン・ジーンズの予想)
• 等分配則あるいはその根拠たるエルゴード性に関
する疑問が気がかりな「暗雲」であったことは事実で
ある。
[しかし,その解決は,エルゴード性ではなく,量子論を待た
ねばならなかったことも事実であるが,それはプランクよりも
ずっとあと,量子力学が完成し,比熱の量子力学的な計算が
できるようになってからである。あとで見るように,プランクの
『エネルギー要素』(1900/12)の段階では無理であった。]
ケルビンの論文の直前にレイリーが,この問題点
を詳しく解説した論文を書いている。
Phil. Mag. Sr.3, Vol.49, 1900
“The Law of partition of kinetic energy”
(レイリー,1900) The difficulties connected with the
application of the law of equal partition of energy to
actual gases have long been felt. In the case of Argon
and Helium and Mercury vapor the ratio of specific
heats 1.67 limits the degrees of freedom of molecule
to the three required for translatory motion. The value
1.4 applicable to the principal diatomic gases gives
room for the three kinds of translation and for two
kinds of rotation. Nothing is left for the rotation round
the line joining the atoms, nor for relative motion of
atoms in this line. Even if we regard the atoms as
mere points, whose rotation means nothing, there
must still exist energy of the last-mentioned kind, and
its amount (according the law) should not be inferior.
誤解は私だけではなかった!
佐藤文隆 「物理学の世紀」
(集英社新書1999年12月)
・実験でエーテルが検出されないこと
・黒体放射と呼ばれる熱放射の理論の破綻
米沢富美子 「ブラウン運動」(共立出版 1986)
・熱放射と比熱の困難
・エーテル仮説の困難
(以上,京都大学の私とほぼ同世代の方々のもののみ。)
小山慶太 「科学史年表」(中公新書 2003)
『...この19世紀の物理学の歩みを回顧し,その総括
を述べたもの...
・エーテルに対する地球の運動
・熱放射のスペクトルに関する問題
...やがては(19世紀に手に入れた)基本
法則の枠内で晴れるものと楽観していた...』
(今回これを見て,3年前のことを思い出した。)
元凶は 広重徹氏?
• 「物理学史I」(培風館 1968) p.152
..Kelvinはロイヤル・インスティテューションで, 19世紀
の物理学を誇らしげに回顧して, 『原理的な問題はす
べて解決してしまい, いまや物理学は, 地平線上に小
さな雲が二つ見られるほかは, きれいに晴れわたった
青空にも比せられる』 と講演した。 上で述べたエーテ
ルと運動の問題が,ケルビンの言う雲の一つであった。
もう一つの問題は,熱放射の理論であった。..
• ただし,II巻の「量子論」では,後述の熱放射論
の発展史が,忠実にフォローされている。
少なくとも,あとからまとめられた論文では
論文の冒頭から 雲 が湧き出すまでの部分には
§1 The beauty and clearness of the dynamical theory, which asserts heat and light to be
modes of motion, is at present obscured by two
clouds. ...
と,論文ではわずか3行が, 熱と光の動力学論に限定し,
控え目に書かれているだけであり,「19世紀物理学の総
括」 といった気負いもない。
考えられる可能性
1.口述の講演と,1年後に出版された論文は違う?
2.講演の現場に居あわせていた誰かが,偉大なるケル
ビンの『回顧録』で,その直後の量子論の誕生と結び
つけて大いに脚色して講演を紹介した文を書いた?
(広重氏のあたかも 「見てきたような」 名文は,氏の
創作にしては臨場感があり,修飾語が多すぎる。)
3.1900年4月当時,すでに
「等分配則の問題」=「熱放射の説明がつかないこと」
という共通の問題意識ができあがっていたか?
→今日はこの点を検討してみる。
結論 『少なくとも 3 ではない』
• 1900年当時は,光(電磁波)はエーテル振動であると
考えられていたが,まだ,エーテルの正体 はおろか,
熱放射の仕組みすら正確につかめていなかったため,
振動の状態(自由度)の密度がわかるはずはなく,した
がって 「等分配則の破れ」 に熱放射の理論の困難
の責任を負わせるところまで問題は煮詰まってはいな
かった。
(注) 放射スペクトル強度=状態密度×熱配分
実際,等分配則を熱放射に適用しようとしたのは,
2ヶ月後のレイリーであり,電磁波理論から振動モード
の分布を確定し等分配則を適用した 「レイリー-ジーン
ズの式」 が完成したのは,1905年になってからである。
→ この前後の熱放射の理論の現状を追ってみよう。
主なもの
1860
1884
1894
キルヒホッフ 「黒体概念と放射の温度の関係」
ボルツマン 「シュテファンのT4則の導出」
ウイーン 「変位則」 「ウイーンの公式」
1900.4
ケルビン 「2つの雲」
1900.6
1900.5
1900.10
1900.12
1905
1905
レイリー 「‘完全放射’ に等分配則を適用」
プランク 「ウイーン分布則の熱力学的基礎」
プランク 「同 改良によるプランク分布の導出」
プランク 「エネルギー要素による完全導出」
アインシュタイン 「光子説」
ジーンズ 「レイリー-ジーンズの式」
ボルツマン
• エネルギー密度uと放射圧力Pの関係(電磁気学)
• 熱力学
• 放射量に関するシュテファンの法則の導出
ウイーン(1)[1894]
• 断熱圧縮におけるドップラー効果:ピストンを速さ v で
ゆっくりと押し込むとき,ドップラー効果により
以上より 『ウイーンの変位則』 が得られる:
ウイーン(2)[1895]
• 『放射を行う分子の速さ v と放射の波長λの間には
関数関係がある。』
『分子速度はマクスウェル分布に従う。』 『変位則』
• 『温度T0でλ0~dλ0のスペクトルが温度Tでλ~dλに変
位するとき,この波長幅ごとにT4則が成立する』
⇒ ウイーンの放射式(1895)
「長波長域で 少しあわない。」(1899の精密な実験)
レイリー [1900/6]
• ウイーンの公式では,T→∞で有限な値になり怪しげ!
• 電磁波の状態密度: 弦や固体の振動にならえば
• エネルギー等分配則はゆっくりした波ではいいだろう:
According to this (Boltzmann-Maxwell) doctrine every mode
of vibration should be alike favoured; and although the doctrine fails in general for some reason not yet explained, it
seems possible that it may apply to the graver modes. ...
• 短波長側で積分が収束しないから指数部は借りる
ジーンズ [1905]
• 電磁波理論から空洞内の振動数分布を計算して,ようや
く 「レイリ--ジーンズの式」 に到達した 。
ここに至って初めて『短波長側で等分配則が破れている』
ことが明らかになった。(アインシュタインが指摘,1905)
• プランク理論は権威づけられておらず,5年後になっても,
まだこういう理論が発表される余地があった。
• なお,プランク(1900)は短波長側でよくあうウイーンの式
と長波長側でよくあうレイリー-ジーンズの式の
「二つの公式の一つの内挿公式を考えた」
(例:朝永振一郎『量子力学』) というのも誤解である。
プランク(1)
• 「共鳴振動子」のエネルギーUと放射の強さR
• 定常状態では
• 共鳴振動子の‘電磁エントロピー’を導入
• 増大則が成り立つ。 (cf ボルツマンのH定理)
• 増大則 (cf ボルツマンのH定理)
• 平衡は ∑U=一定 の条件のもとでの最大より
(∂Stot /∂U) を比べれば,β=T-1 であり,
と,ウイーンの公式が導かれる。
• 一方,非可逆性より
• S,Uは独立な振動子の数について加算的とすれば
これから先ほどの電磁エントロピーの形が導かれる。
「ウイーンの公式の熱力学的基礎ができた」
• 残念ながら精密な実測では,長波長側で少しあわない。
仕方がないから渋々 『手直し』 せざるを得なかった。
プランク(2)
そこで,代わりに最も近いと思われる式
と改良してみると
となり 『なぜか実験とぴったりあうよ!』(10月)
プランク(3)[1900/12/14]
• 振動子の集団の全微視状態数からエントロピーを
定義する。(「ボルツマン原理」と呼ばれているが,実際に
は第三法則との関連でこの形と比例定数 k を決めたのは,
プランクである。)
• 状態の数Wを有限にするためには,エネルギーの
最小要素εが必要である。P=U/ε個のエネルギー要
素をN個の振動子に配分する組み合わせ数は
よって
• (∂S/∂U)=1/T より
• 放射エネルギー密度 u と 強度R,振動子のエネル
ギー U と R は各々,比例関係にある。
• ウィーンの変位則によれば,放射エネルギー密度 u
は『ν/T の関数』でなければならないから,上の式な
ら,振動数νは指数の肩にν/Tの形で入ってくるはず
である。したがって,h を比例定数として
でなければならない。(この比例定数が後に プランク
定数と呼ばれるようになったもの)
• これより,完全な放射スペクトル式が得られる:
• これは,まさにエネルギー量子による等分配則の破れ
を表しているのであるが,振動の状態密度という考え
方が確立できていない段階では,問題点をそのように
正確に理解する余地はまだなかった。
(レイリーの論文を「知らなかった」らしく,また,ジーン
ズの論文は5年後)
アインシュタイン[1905]
• ウィーンの公式(今や定数 h を用いてよいだろう)により,
体積 V 中の振動数ν~ν+dνの放射のエネルギーを
とし,T-1=∂S/∂E より,放射のエントロピー
を求めた。ここで『アインシュタイン原理』 を用いてエネル
ギーの揺らぎの確率を求めれば,以下の性質をもつ:
n=E/hν とすれば,これは独立粒子系のポアソン分布の
特徴であることから,これを「粒子性の現れ」と考えた。
これは,比熱∂E/∂T と揺らぎの一般的関係式から
が得られることからも推測される。そこでエネルギー hνを
持つ粒子を 光子 と呼び,ウイーンの公式は光子のマクス
ウェル・ボルツマン希薄気体に対して成り立つものである
と考えた。 [注:光子気体は,一見意外に思えるが,通常の分子
気体と違って,低温で希薄気体になる。]
さらに,この光子により 光電効果 なども説明できること
を示した。
これをプランクの 『エネルギー要素』 とすればよい。
(補足)アインシュタインとプランク
アインシュタインは 「プランクの仕事を無視した(知ら
なかった?)ため,ウイーンの公式に依拠した」 と言わ
れているが,「光子仮説」 により初めてプランクの 「エネ
ルギー要素」 を導入した最終理論が権威づけられ,「量
子論の創始者」 たる地位を得たといえよう。
ウイーンの公式 (短波長または低温域でよい) は,
アインシュタインにしたがえば,「光子の古典気体(マク
スウェル・ボルツマン気体)」 という考えを持ち込めば理
解できる形になっている。ウイーンの公式の熱力学的導
出を行ったプランクの1900年の最初の論文は,そのよ
うに,すなわち,ボルツマンのH関数に現れるエントロ
ピーが導入されていると解釈すれば理解しやすい。
結 論
• エネルギー等分配則が気がかりな 雲 であったことは
事実である。[これは後に,エルゴード性ではなく エネ
ルギー量子 によって説明された。]
• 後世になって,これを直後に続いた プランク の功績と
解釈したため,「ケルビンの第二の雲は熱放射の問題
だった」 という誤解を生んだ。
• ケルビン(あるいはプランク)の信奉者が,やや大げさ
に脚色したのではないか。
『さすがケルビンは,20世紀初頭の量子論と相対論の
2つの嵐の到来を予感していた』
『プランクはケルビンの19世紀の第二の暗雲を,新しい
世紀を迎える前に,吹き払ってしまったのだった』