フランス革命と女性

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ジェンダーと文明 8

フランス革命

と女性

フランス革命の経過 (概略)

 1789年7月14日 バスチーユの攻略  人権宣言  共和政の樹立  ルイ16世の処刑  ロベスピエール独裁(女性が登場するのは ここまで)、恐怖政治  テルミドール反動、崩壊  総裁政府(ブルジョワ的)  ブリュメール18日のナポレオンのクーデタ

1793年10月30日

 1793年9月 史上初めて女性たちが自律 的な政治活動に結集  国民公会:すべての女性のクラブと結社を 閉鎖(女性はあくまて家庭にその本質があ るという考え)

コンドルセ

 1795『人間精神進歩史』-両性のあいだ の不平等の除去、女性にも選挙権、被選挙 権を認めよ(ただし財産資格による制限)

サロン

       ロラン夫人 (内務大臣の妻)「ジロンド派の女王」 (女性が面に出るのはモラルに反している)、ジャコ バン派に破れて処刑される ロベール夫人 共和主義者(女性の家庭での義務 が行政上の職務につくことを禁じる) ジャンリ夫人 オルレアン派 デュプレ夫人 ロベスピエール(国王批判) ボーアルネ夫人 国民議会の前身 タリアン夫人(ナポレオンとジョゼフィーヌを取り持 つ。 男性のコンパニオンは男性の競争相手になる べきではない ) 女性は影の存在

メリクール

テロワーニュ・ド・メリクール 1762-1817(1) Theroigne de Mericourt  誰からも頼られた革命の女丈夫。最期は悲しいけ れど、革命に純粋に打ち込んだ女闘士。  ベルギー生まれ。幼い頃貧しい親に女中奉公に行 かされ、その後、イギリスの上流社会でコール・ ガールになり、その間に知性と教養を磨く。 フランスの情勢を知るとパリに赴く。バスティーユ監 獄襲撃や ヴェルサイユ行進 に率先して参加したり、 積極的に活動する。

メリクール

 1790 年、

マリー・アントワネット

を憎悪してい たことがあまりにも有名だったため、オース トリア軍にとらえられる。しかし、

オーストリ ア皇帝レオポルト

によって釈放され、 1792 年再びパリに戻る。  彼女を幽閉したオーストリアをやっつけたい という気持ちから、外国との戦争を望んでい たジロンド党と近づいた。

メリクール

  1793 年 5 月 31 日、テュイルリ宮殿でジロンド派の失 政に怒り狂っていた場末町のおかみさん連中が、 ジロンド派議員に罵声を浴びせていた。その中を 一番やじられていた ブリッソー が通った。彼と親し かったテロアーニュはブリッソーを守ろうと彼のそ ばに走りよった。すると、そばにいたおかみさん達 は激怒し、テロアーニュのスカートをまくりあげ、お 尻をいやと言うほど叩いた。 その屈辱の中で彼女の精神は瓦解し、 1 年後精神 病院に入れられ、革命の推進に大きな力となった 彼女の明晰な頭脳は二度と元に戻らなかった。

ローズ・ラコンブ (クレール・ラコン ブ)1765-?

 地方劇場の女優  革命的女性市民クラブの指導者(会員4千人、裁 縫女工、洗濯婦、家内工業者・職人・労働者の妻) 1793、ポーリーヌ・レオンとともに。一部の会員は 武装。  女性の生活圏の擁護(物価抑制、買占め人処刑を 国民公会に要求)  売春婦の再教育、搾取の廃止などの提案  ロベスピエール政権批判、弾圧を受ける(女性の政 治的活動の禁止)、94年逮捕(没年不明)

女性結社の禁止

 ブリュメール 9 日 アマールの演説  「しとやかであるべき女性が、公衆の面前で 演説したり男たちと闘争することは、許され ることであろうか。概して女は高尚なことを 考えたり真剣に物事を考える能力に欠けて いる。したがってわれわれは、女は政治に 口だしすべきではないと考える。」(フランス 革命期の女たち、上、岩波新書、 190 頁)

 フランス革命、憲法で定義される「人間」は 男である

1791年の憲法

 市民の定義:フランス人の父親からフランス で生まれた男性 (性差別)

1793年ジロンド憲法

 市民:1年以上フランスに居住する21歳以 上の男性

モンターニュ憲法 (1793 年)

 市民:フランスに生まれフランスに居住する 21歳以上の男性  (いずれも婦人参政権なし)

フローラ・トリスタン

人権宣言

フランス革命と女性

 オランプ・ド・グージュ

Olympe de Gouges 1748

93

 フランスの女流劇作家,政治パンフレット作家。フラ ンス革命前から奇抜で突飛なユートピズムと鋭い政 治的先見性の混在した数々の愛国的ビラ・小冊子を 著す。彼女は,〈革命によって女性は軽蔑以外の何 物も得なかった〉と憤り,〈人権宣言〉をなぞった 〈女性と女性市民の権利宣言〉17ヵ条 (1791) を発表して,フェミニストとして有名になる。 (ウルストンクラフトより 1 年前) 注あり

女性と女性市民の権利宣言 17か条

 前文:母親、娘、姉妹、すなわち国民の女性代表者 たちは、国民議会の構成員になることを要求する。 女性の諸権利に対する無知、忘却、または軽視が、 公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを 考慮して、女性の譲り渡すことのできない、神聖な 自然的権利を、厳粛な宣言において提示すること を決意した。この宣言が、社会全体のすべての構 成員に絶えず示され、彼らの権利と義務を不断に 想起させるように。女性の権力と男性の権力の行 為が、すべての政治制度の目的とつねに比較され うることで、いっそう尊重されるように。

女性と女性市民の権利宣言 17か条(前文続き)

 女性市民の要求が、以後、簡潔で争いの余 地のない原理に基づくことによって、つねに 憲法と良俗の維持と万人の幸福に向かうよ うに。 こうして、母性の苦痛の中にある、美し さと勇気とに優れた女性が、最高存在の前 に、かつ、その庇護の下に、以下のような女 性および女性市民の諸権利を承認し、宣言 する。

女性と女性市民の権利宣言 17か条

1:女性は、自由なものとして生まれ、かつ権 利において男性と平等なものとして存在す る。社会的差別は、共同の利益に基づくの でなければ、設けられない。

 2:すべての政治的結合の目的は、女性お よび男性の、時効によって消滅することの ない、自然的な諸権利の保全にある。これ らの諸権利とは、自由、所有、安全そしてと りわけ圧制への抵抗である。

省略

 3:  4:  5:

女性と女性市民の権利宣言 17か条

 6:  7:  8:  9:  10:女性は断頭台に上る権利を持つのだ から、演壇上にも上る権利を持つべきであ る。

女性と女性市民の権利宣言 17か条

       11:思想および意見の自由な伝達が女性の最も 貴重な権利のひとつなのは、この自由が、父親と 子供の嫡出関係を確認するからである。すべての 女性市民は、自分があなたの子供の母親であると、 自由に発表することができる。 12: 13: 1 4: 1 5: 16: 17:

          人間は生まれながらにして自由、平等である。 自由、所有権、安全、圧制への抵抗は人間の権利である。 国家の主権は人民にある。 自由とは他人を害しない全てのことをすることができる、ということにある。 法律は、社会に有害な行為でなければ、禁止する権利を有しない。 法の前にはみな平等である。 いかなる者も法律が定める形式による場合でなければ、追訴、逮捕、拘禁はされない。 法律は厳正かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。 全ての人は、有罪と宣告されるまで無罪と推定される。 いかなる者も公の秩序を乱さない限り迫害されることはない。

       思想、言論、出版の自由を保障する。 市民の権利の保障は、公の権力を必要とする。 公権力の維持、行政の費用のために租税は不可欠である。 全ての市民は公の租税の必要を確認し、承諾し、その使途を監視する権 利がある。 社会は全ての官吏に対して、行政について報告を要求する権利を有する。 権利の保障が確保されない社会は、憲法を有していない。 所有権は侵してはいけない。

グージュ

 革命初期:王党派を支持し、共和派を攻撃  国王の国外逃亡発覚後、共和派に転向  国王の死刑宣告、王党派の立場から国王 弁護  のちに処刑される

家父長制をくつがえすグージュ

 家父長制による家族制度 私有財産:家長に属し、男の子の嫡出子が 継承  女性は男性と同等の財産権を有する  性の自由を保証、親子関係の実態を容認  ー「財産権の基礎は労働であり、労働を投 下したものがその成果に対して排他的権利 を持つという市民社会の原理を否定する」 (水田珠枝「女性解放の歩み」、83ページ)

フランス革命と女性(まとめ)

 フランス革命の原理:人類全体の解放  「人間は自由かつ権利において平等なもの として生まれた」(人権宣言1789)  しかし女性解放の視点がなかった  市民的権利を得たのは一割程度の男性だ け(非所有者、小所有者、女性は市民権な し)