情報学を考える -社会学・科学技術史の立場から-

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情報学を考える
-社会学・科学技術史の立場から第10回情報学シンポジウム
情報学は社会にどう貢献するか?
京都大学文学研究科
情報・史料学専修
林晋
1
この講演の話題
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
このシンポジウムのテーマは「情報学は
社会にどう貢献するか?」という問いか
け。
その答については話さない。それは個々
の研究者や研究組織、教育者や教育組織
により、特にそのミッションの違いによ
り、異なるべきだ。
ここでは、その答を個々の研究者や組織
が追求する際に有用と思われる「社会」
と情報学との関係についてのひとつの見
方を紹介する。
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Terry Winograd
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
Stanford 大学、HCI Group 教授、Hasso Plattner
Institute of Design at Stanford の創設メンバー
1968-70、MIT の学生だったころ、AI、自然言語
処理の古典 SHRDLU を開発。SHRDLU はAI の
可能性への大きな期待を呼び起こす。しかし…
1986年に著書 Understanding Computers and
Cognition: A New Foundation for Design (Fernando
Floresと共著)を発表し、AI 特に自然言語処理の
不可能性を主張。
そして、1990年代後半、彼の学生 Larry Page が
世界を変える。Google の創設者 Page は、
Winograd のProject on People, Computers, and
Design のメンバーだった。今もまだ学生らしい。
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Hasso Plattner
Institute of Design at Stanford
4
Design の問題 - Winograd の主張 
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
コンピュータに人間のような知能を与えようとす
る人工知能の思想は「合理主義的伝統」に影響を
受けている。
しかし、この伝統に基づく「合理主義的」思考は、
コンピュータが「何をするか」を理解するために
は不適当である。
それを理解するには「デザイン」を問題にしなけ
ればならない。それは、社会がどのように新しい
発明を生み出し、逆にそれが社会をどう変革して
いくかという問題を考えることでもある。
◦ 1986年の著書の邦訳「コンピュータと認知を理解する 人工
知能の限界と新しい設計理念、平賀訳」より林が要約
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デザインの問題の一例 (同書より)
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Winograd の “design”という用語は特殊で、たと
えばソフトウェア工学でいう design とは相当
に違う。Wingrad の用語の方が遥かに広い意味
を包含している。
また、 “society” という言葉も、日本語の「社
会」より広いと考えられる。ソフトウェア工学
などで使う socio-techno system という場合の
“socio” と思うと大体あっているようだ。
これらの用語の問題もあり、Winograd の言う
ことは分かり難い。
そこで同書で使われた例を使ってデザインの問
題とは何かを説明する。その例とは…
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ワープロとは何か?(1980年代の話!)

ワープロとは何か?立場により異なる答
◦ 工場の責任者:組立・テスト・出荷。電子機器
◦ プログラマ:ソフトウェア
この答は計算理論や電子工学などの “領域”の答
としては正しい。実際、ワープロが障害
(breakdown) を起こしたときには、ユーザにとっ
てもワープロは機械やソフトとして認識される。
 しかし、ワープロが機能しているとき、ユーザ
にとってワープロとは「人間のコミュニケー
ションの一端をなす、言語構造の作成と操作の
ための道具」である。
 これがコンピュータが「何をするか」という問
題への答。最初の二つの答は、この問題には答
えていない。

7
ワープロとは何か? 続き
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
ユーザにとってのワープロという道具の焦点は、
実は工業製品としてのそれではなく、それによ
り「作成される文章」の方である。
しかし、これでもまだワープロという存在の完
全な理解に達してはいない。
ワープロを使用して行う「書く」というユーザ
の行為は、人とのコミュニケーションのための
道具であり、ワープロ(コンピュータ)は、そ
のコミュニケーションという社会的活動やそれ
を担う機器、ユーザなどのネットワークの中で
理解しなくてはいけない。
新しい発明の意義は、このネットワークにどう
組込まれ、それをどう変革するかに掛っている。
そこまで考えて発明すること、それがデザイン。
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Winograd のデザインとは…

ソフトウェア・電子機器などの “領域”の内での
「問題解決」ではなく、その「領域」という枠組
み自体の分析を含む、ソフトウェア、コンピュー
タを取り巻く社会的文脈の分析と、その社会的文
脈の変更をも視野に入れての、「問題の解決」の
実行。
◦ 注意: Winograd は「問題解決」という言葉は避けている。
「意思決定論」などの色を嫌ってのことらしい。しかし、
「避け過ぎ」は記述の不明瞭さと複雑さを招く。そこで、
この講演では「問題の解決」という表現を使った。

デザインという行為は、社会、環境の変更を含む。
つまり、時にそれは経営的であり、時には法律
的・政治的でさえありえる。
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Stanford Institute of Design の
design innovation 理念図
Business
Technology
Human
Values
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林の経験した実例(脚色あり):
UML 2004 という国際会議での会話…

林:要求を割り出すのは難しい。たとえばエアコ
ンの場合に「リモコンで設定温度をコントロール
できる」という要求の意味だって良くわからない。

A:エアコンの組込みソフトの設定温度という変
数の値がリモコンで設定できることでしょう?

林:本当にやりたいのは、部屋を好みの温度にで
きることでしょ?これがわからない。リモコンの
液晶が25度のとき、部屋のどの部分が25度なのか
色々可能性がありますよ。もし体感温度が25度と
いう意味なら心理の話さえ絡んでくるし…
A:それは情報技術者が考える事じゃないですよ。
林:・・・


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情報技術者が考えることではない?
この例での「社会」(socio)は、エアコン・リモコ
ンとユーザの socio-techno system の socio である
「ユーザがいる部屋」(環境?)。
 Winograd の用語では、Aさんの意見は情報技術
者は「(社会を理解し、働きかける)デザイン
はしなくてよい」という意味になる。
 それは「UML2004 というソフトウェア工学の国
際会議に出席している我々のような技術者は、
我々の“領域”であるソフトのことだけ考えるべき
だ。センサーより先の話は知らなくてよい」と
いう意見であり、 “領域”を「固定」すれば正し
い意見だが、それは「情報学」というものを
「固定」し「閉じ込める」行為となる。

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インド人技術者の「デザイン」
新生銀行のシステムは、ATM24時間稼動、振込み手数
料無料などで評判を呼んだが、その背景にはインド製
パッケージソフト FLEXCUBE+Windows 2000 server と
いう構成の非メインフレーム・システム採用があると
される。基幹システムの開発・運用・保守コストの低
減が、これらのサービスにつながっている。
 その開発の際、金利を1年に数度つけるという日本の
商習慣をインド人技術者が「意味がない」とし、シス
テムでなくビジネス側の考え方を変更させた、金利支
払いを年1度にさせたという。
 (本当だとして)このインド人技術者の議論と説得は、
Winograd の言う「デザイン」にあたる。
 この場合のインド人技術者は、新生銀行という企業、
その顧客、および顧客がその一部である日本社会から
なる「社会」を分析し、また働きかけ、システム開
発・運用のコスト低減を達成した。

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大野耐一はスーパー・デザイナー

Winograd は「社会」としての企業の業務を分析し、
コンピュータの導入は不必要という結論を出すこ
とにより情報システムの問題を「解消」する、と
いうこともデザインであると説明している。

つまり、「デザイン」には、コンピュータという
機械を使うということは必要条件ではない。
そうならば…


トヨタ生産方式の創始者大野耐一が行ったことは
正に「デザイン」。世界を変えた技術史に残る
スーパー・デザインといえる。
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大野のスーパー・デザイン

大野のデザインにおける社会的、ビジネス的、技
術的要素。
◦ 社会的要素:戦後日本の小さな自動車市場。多車種を一つ
あるいは少数のラインで同時に生産せざるを得ない状況。
◦ 経営的要素:トヨタ自動車販売。系列の部品工場。
◦ 技術的要素:「カンバン」というパケット・ヘッダーを利
用した自動車部品と受注情報のネットワークとしてのジャ
ストインタイム生産方式。また、ボトルネック解消として
の「シングル段取り」「多能工」などの概念と実現。

このようにして大野は「生産」の概念を根底から
変えてしまった。それは概念の改革だったから、
従業員や系列各社という「社会」の「生産」とい
うものへの意識改革が必要であった。
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いや、これも情報の話!
大野の話を情報とは関係ないと思ってはいけない。
 現在、ソフトウェア工学の花形の一つは、Agile
methods, Lightweight methods と呼ばれる、同じ価値
観を共有する一群のソフトウェア開発技法である
が、その背景には大野などの日本の機械メーカの
発想法や経営法がある。
 たとえば、その一つ Mary Poppendieck の方法論は、
TPS の「別名」である “Lean” の名前を冠して Lean
Software Development と呼ばれる。また、その教科
書では、大野やトヨタ、KANBAN, MUDAなどのト
ヨタ由来の言葉が多用される。


日本でもトヨタに学べというソフトウェア開発の
研究会が二つ立ち上がっている。
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超整理法は情報技術か?
野口悠紀夫氏の超整理法の「押し出しファイ
リング」の方法を知って、コンピュータにお
けるメモリ管理などの方法を連想した人は少
なくないだろう。
 TPSも、「押し出しファイリング」も広い意
味での「情報技術」といえる。情報技術にコ
ンピュータは必ずしも必要ない。これはコン
ピュータの歴史を紐解けば分かる。

◦ 例えば:数値計算による天気予報を提唱した
Lewis Fry Richardson の天気予報計算のイメージ
図は、人間をコンピュータに置き換えれば、現
在のスーパー・コンピュータを連想させる。
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Weather Prediction by Numerical Process
(1922) by Lewis Fry Richardson
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2010年情報通信分野が消える?
文部科学省 科学技術政策研究所 (NISTEP)の2000
年のデルファイ調査「第7回技術予測調査
(NISTEP REPORT No. 71 2001.7)」では、多くの
研究者・技術者が、2010年を境に先端分野とし
ての情報通信分野の重要性が急激に低下すると
予測し、調査関係者を驚かせた。(情報通信は
NISTEP の重点分野の一つ。)
 追加調査により、その主な原因は、多くの研究
者および技術者が、情報通信分野の技術が他分
野と同化し始め、独立した一分野ではなくなる
と考えているためであると結論づけられた。
 つまり、すべての科学技術分野が「情報分野」
になるという予測だったと考えることもできる。
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情報通信分野の未来は?
このデルファイ調査が示した未来は、Winograd
の「思想」や、現在、世界のソフトウェア工学
やソフトウェア産業で起きている、様々な動き
と符合している。(例:IBM の Services Sciences,
Management and Engineering 戦略)
 この調査が正しいかどうか、まだ分からない。
また、アルゴリズム論、プログラミング言語論、
情報理論などの情報通信分野特有の基本分野が
消えるとも思えない。
 しかし、すくなくとも「情報産業」の大きな部
分が Winograd のいう「デザイン」の方向に傾き
「社会」と「システム」の相互作用の理解や構
築が情報技術者に求められる最大のスキルとな
る時代は目の前に来ていると思われる。

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情報通信分野の未来は? 続き

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
情報産業の現場の方たちと話すと、かなりの数
の企業は、すでに、そのような状況に突入して
いると感じることが多い。
このように変化した現場で必要とされる知識と
スキルの体系は、まだ十分構築されていない。
たとえば、Winograd の「デザイン」という概
念も、まだ十分洗練されているとはいえず、社
会学的理論による分析が必要と考える。
このような新たな知の体系の構築が待たれる。
京大情報学にも、そのような体系への貢献を期
待したい。
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参考文献
林晋、黒川利明: “二つの合理性と日本のソ
フトウェア工学”、文部科学省科学技術政策
研究所、 “科学技術動向” 2004年9月号
 林晋: “ソフトウェア開発法の新傾向”、応用
物理学会、 “光学”、第34巻、第8号、2005年8
月
 林晋: “情報通信技術と「思想」 -科学技術の
能力としての「思想」-”、文部科学省科学技
術政策研究所、“科学技術動向”, 2006年10月号
 林のHP: http://www.shayashi.jp に関連した論
説などがある。
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