Transcript 幕が張られている
弓場の変遷に見る「武張った時代の弓」 (生弓会中央研修会 発表抜粋) 発表日:平成17年8月27日 発表者:赤門支部 多々良茂 中世の射場始 雅な世界で、弓を楽しんでいたのか。宮中の庭が射場? 日本古義より 吉田流・竹林派の故郷 蒲生野 吉田一族も、六角丞禎も、竹林坊如成もこの蒲生野で、どんな風に射術を行っていたのか。 大地でノビノビと稽古に励んだのか、ロマンがかきたてられる。 吉田親子、竹林坊など眺めた 雪野山。この麓で稽古したのか。 三島神社 現在は左右神社 三河 豊川八幡宮 弓場 おそらく江戸期の弓場のかたちが残されていると思われる。 たたきになっている弓場。 岡山後楽園(御後園) 弓場 江戸期の弓場雰囲気を後世に伝え ている。 ・備前池田藩の公式道場(5人立ち) ・距離は手先13間半 ・茣蓙にて行射 昔の射場・・・ 小屋と呼ばれ筵の上で射って いた 射筵(いむしろ) :弓場に用いる射手の敷物:獣皮 筵 畳など (弓道辞典より) 射口 射術的前之心得(道雪派)明治22年刊より 筵 幕末の弓場を伝える松代藩「文武学校弓術所」 小屋から板張りの稽古場へ 安政2年(1855年)に建てられた。 本多利実翁の射姿 利実先生の射の写真は全て野外である。武士は幕が張られてところで、射を披露するの が本分か。(当時の写真技術のためということで屋外とは思えない) 幕が張られ ている 本多利実写真帳より 的前射礼 武士は、元々射小屋でただただ、恬淡として 弓だけ引いたのでは。その中にも気位が必 要。 それが武張りか。 ●野立ち→小屋→道場の変遷 → 道場へ 野立ち → 小屋・弓場 射る場所も名称も小屋から道場と立派になっていく。 江戸期の中期以降あたりから板敷き道場が出現? 基本を身につけるための稽古場たる小屋がだんだん立 派になって来た。 更に 大正・昭和から道場という名前に引っ張られ、 稽古場が神聖化したのではないか? 剛健典雅とは 強いて言えば、 剛健≧典雅 術を要する弓を引き、飛中貫を具現する武張 る術だから剛健であり、近代流儀としての本 多流は合理性と科学性を持つもの。近代知 識人が嗜む武術。それ故に典雅である。