第7課 顔をなくしたふるさと

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Transcript 第7課 顔をなくしたふるさと

第7課 顔をなくした ふるさと 本文の説明

第一段落 今、日本全国の市町村で「村興し」「町興し」が行われて いる。より多くの観光客を集め観光収入を増やせるようにと、 また人で不足解消のために若者離れを止め、さらには、既に 都会に出てしまった若者をUターンさせられるようにと、活 力ある村づくり、町づくりが目指されている。各自治体とも それぞれの実態に即した政策を立て、それに沿って、あるい はリゾート開発プロジェクトを実施し、また中央から大企業 の誘致を図ったりと、いわゆる「地域の活性化」に躍起であ る。一方、政府も、大都市への人口集中化、そうの結果とし ての地方都市の疲弊化を問題視しており、1989年には地域の 活性化を促し、それを経済的にバックアップする目的で、全 国三千余の市町村に一律1憶円の援助金を交付するほどの熱 の入れようである。

ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな (石川啄木『一握の砂』より)

第二段落 私が生まれ育った地

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山陰の小さな地方都市なの だが、そこを後にしたのは10歳の時のことだから、 もう三十数年も前のことになる。当時小学生だった私 は、毎日学校が終わると仲間と集まっては、暗くなる まで湖で魚釣りをしたり、うっそうと茂る杉林に囲ま れた城跡で泥だらけになって遊び回ったものである。 父の転勤が決まった時、この仲間たちと別れるのが嫌 で、一人でここに残ると言って両親をてこずらせたこ と、ふるさとの駅を離れる列車の窓から、遠ざかって いく思い出の山や川を見つめながら身を切られるよう な思いがしたこと、みんな昨日のことのように覚えて いる。

第三段落 先日、仕事の関係で十数年ぶりにそのふるさとを訪ねる 機会に恵まれた。プラットオームに降り立ってまず私が感 じたのは、「違う。何かが違う」という思いであった。そ んな私をよそに、迎えの車の中では取り引き先の人たちが 早速打ち合わせを始める。私は心ここにあらずで上の空。 「何が一体どう変わってしまったんだろう」と思いが頭を 離れない。依頼された仕事を無事に終えた後も気になって ならないので、「ここまで来たついでに、昔なじみに会い たいからと夕食の誘いを断り、一人で町を歩いてみようと 思った。

第四段落 歩いているうちに、やはりここは自分の知っている ふるさととは違うぞと思い始めた。

第五段落 私は仕事柄、よくあちらこちらへ出かけるが、そのどこ かの地方都市を歩いているのと少しも変わらないのである。 確かに、通りの名前も湖に架かる橋の位置も昔のままだ。 商店街にしても名前は昔のままなのだが、今風の店の造り といい、そこに並んでいる品物といい、どこにでもある物 ばかりなのである。ふるさとにつながる思い出の建物、懐 かしい建物が、すっかり姿を消してしまっている。「そん なはずはない」そう思って見回す私の目に付くのは、どこ にでもある全国チェーンの店の看板ばかり。顔をなくして しまったふるさとに、私は何かしら裏切られたような気が した。

第六段落 目指す食堂に着いてみると、これがまた昔とは似ても似 つかぬ高級レストランに変貌しているではないか。メ ニューを見ると、懐かしい郷土の名前の横には、眼の玉が 飛び出るような数字が並んでいる。観光客相手にもうけな ければ商売にならない。過疎に悩む地方の小都市が生き延 びるためには、仕方がないことなんだと頭では納得しつつ、 すっかり食欲がそがれてしまう形になった。それでも、店 に入った手前、そのまま出るわけにもいかず、せめて雰囲 気なりとも味わおうと気を取り直して注文したのだが、応 対する店の人たちの言葉には、ふるさとのにおいがない。 十数年ぶりのこととて、全く昔のままとは考えていなかっ たが、私のふるさととは、すっかりその顔をなくしてし まっていた。

第七段落 地域の活性化のために、活力ある村興し、町興しを図 る上で、今取られているような政策が不可欠だというこ とに異論はない。しかし、久しぶりにふるさとを訪ねて、 顔をなくしてしまったそのよそよそしいたたずまいに、 私は言いようのない寂しさと、何とも割り切れない気持 ちを感じるばかりだった。