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日本における援助関係論の系譜と
窪田援助論
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稲沢公一(東洋大学)
援助関係
・「援助」をめぐっては、「何を変えるか、どう変えるか」といっ
たことがメインテーマになる
→『福祉援助の臨床』でも、「生の営みの困難」に焦点が当
てられ、アセスメントから終結にいたる援助の過程が丁寧に
説明されている
・しかし、援助の展開過程を支えているのは、援助する人と
援助される人との間に生まれる「援助関係」
→そのため、本報告では、日本で援助関係に注目した
人々を紹介し、窪田先生につなげたい
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坪上宏 先生
1924生まれ
1946東大経済学部入学
1948-53肺結核で療養
(中退、再入学、卒業)
教育心理学科研究生
MSW(非常勤)
1962国立精神衛生研
1976日本福祉大学教授
1995定年退職
2000 逝去
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『援助関係論を目指して:坪上宏の世界』
やどかり出版(1998)
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論文「社会福祉的援助活動とはなにか」
『精神医学ソーシャルワーク』第5巻第1号(1970)
・「ケースワーク論を基底において支えているのは、ワー
カー・クライエント関係である」(『援助関係論を目指して』
216頁)
・「ケースワーク論には、それを支える援助観として二つ
の見方が含まれている。その一つは、『クライエントを変
える』あるいは治すという見方であり、いま一つの見方は、
『クライエントが変わる』という見方である」(217頁)
→まず、ワーカー自身がワーカー・クライエント関係を通し
て変わりうる柔軟性を身につけていることを前提とし、
ワーカーの変化との相互作用でクライエントが変わり、回
復につながるという援助観
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論文「援助関係論」『講座社会福祉第5巻- 社
会福祉実践の方法と技術』(1984:有斐閣)
・援助関係の3性質
①一方的関係 =援助者がクライエントに一方的に働
きかける関係
②相互的関係 =援助者とクライエントの双方が、共
通の関心事の水準で折り合いを求め
る関係
③循環的関係 =クライエントが援助者との信頼関係
を介して変化していく関係(281-4)
※「個別の具体的関係の中に3性質がすべて含まれており、
どれが量的に優位かをとらえるべき」(296)
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回復途上者としての生き方
・クライエントだけでなく、援助者の側の変化に焦点を当
て、そうした変化との相互作用によって、クライエントが変
わっていくことに注目した点に独自性がある
・「自身もクライエント」という捉え方
「援助関係について振り返ってくると、僕の人生は結核に
かかった1948年から現在に至るまで、病の当事者、ある
いは回復途上者としてずっとやってきた、という気がしま
す」(125)
は
→そして、同じく自身の当事者性を深く自覚していたのが
久保紘章先生
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久保紘章 先生
1939香川県生まれ
肺結核で療養生活を送る
1961四国学院短大入学
1965大学編入後卒業
1965三船病院PSW
1966高松保健所
1967関西学院大学大学院
1969四国学院大専任講師
1990東京都立大教授
2000法政大学現代福祉学部
2004 逝去
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『コレクション4 セルフヘルプ・グループ―当事
者へのまなざし』相川書房(2004)
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当事者性の自覚
・20歳前後の3年ほど結核で入院生活を送られた
「患者の立場にどっぷり身をおいたので、援助関係という
点からいえば、患者という『援助の受け手』の側から、医
者やナースの『援助の提供者』をつねに見続けていた。
後に、社会福祉の勉強をするようになるが、すでに『当事
者』から発想するという視点が、知らず知らずのうちに身
にしみ込んでいた」(コレクション4,3頁)
・「私の中には、利用者・当事者によって育てられてきたと
いう実感が強くあります」
(コレクション2,136頁)
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「パートナーシップ」
・「パートナーシップは、当事者の人たちと『人間として対
等である』ことが原点である」
(コレクション4,146頁)
→専門家、援助者ではなく、一人の人間として
・「『当事者の側から発想する』という視点は、専門家、援
助者というように足元の固まったところから患者をみるの
ではなく、足元が危うくなるほどの経験の中で、当事者が
見えるのではないだろうか」(コレクション4,93頁)
→そして、実践現場に入った初期の段階で、まさに足元
をすくわれたのが尾崎新先生
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尾崎新 先生
1948生まれ
1966上智大学入学
1970秋川病院精神神経科
1973東京都精神衛生研
1975豊島病院神経科
1984府中保健所
1988日本社会事業大学
1998立教大学コミュニティ福
祉学部
2010 逝去
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『「現場」のちから―社会福祉実践における
現場とは何か』誠信書房(2002)
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「仕事熱心な援助者は迷惑なんだよ」
※【背景】入職2年が過ぎた頃、患者さんは、50歳代半ばの
小柄な男性で、入院して15年になるが、ここ数年症状の再
発は全くなく、病棟から近くの工場に働きに出始めて3年間、
何の問題もなかった。ただし、家族が彼の退院を拒んでい
たという。
・「彼と退院をめぐる面接を開始した。筆者は退院を実現す
る方策を一緒に考えたいと伝えた。彼が積極的に筆者の提
案を受け入れてくれると信じていた。したがって、彼の口か
ら帰ってきたことばが信じられなかった。『仕事熱心な援助
者は迷惑なんだよ』。彼はたしかにこう言った。そして、しば
らく沈黙をつづけたあと、何も言わずに面接室を立ち去っ
た」(16)
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三十年後の理解
・患者さんたちの「声にならない声」
「抑えようとしても溢れるようにわきあがってくる退院への希望
があったからこそ、彼らはいっそう激しく夢を否定しようとした
のではないか」(20)
・「しかし、当時の筆者は彼らの声にならない声を受けとめる
力をもっていなかった。彼らのことばを『拒絶された』『分から
ない』としか考えられなかった。そして、彼らへの働きかけをあ
きらめ、彼らと向き合うことをやめてしまった。筆者は彼らから
逃げることによって、自分からも逃げたのである。ほとんど何
も語ることのなかった彼らは、逃亡する筆者の姿をどのような
思いで見たのだろうか」(21)
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「現場」
・クライエントの声なき声をめぐる対話の困難さ
「なぜなら、そのような対話では、『援助者一般』にも『クライ
エント一般』にも還元できない『わたし』と『あなた』がそれぞ
れに生身の身体、歴史や価値観をもつ者として直に向き合
うからである。理屈では割りきれない一度かぎりの人生、葛
藤に満ちた人生を生きる『わたし』と『あなた』として向き合う
からである」(21)
・「現場にとって何より重要なこと、それは、援助者も含めた
あらゆる人の人生が矛盾や葛藤に満ちていると認識するこ
とから実践をはじめること」(22)
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小括
・援助関係に焦点を当てる人たちに共通しているのは、援助
する側の立ち位置や有り様にとても敏感であること
・坪上先生は、援助者の変化が相互作用によってクライエント
伝わり、クライエントが変わっていく循環的関係に注目した。
・久保先生は、援助者の足元が危うくなるほどの経験を踏まえ
てこそ、人間として対等であるパートナーシップが可能になる
とされた。
・尾崎先生は、援助者とクライエントが「わたし」と「あなた」とし
て向き合うことのあるような場を現場と捉えた。
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窪田理論における「援助関係」
・「援助関係」の重視(17)
・「援助」という言葉の動詞的性格
援助という言葉は、動詞として「援助する者から援助される
者へ」といった一方向的な流れを生みがち
・「臨床」という言葉の場的性格
それに対して、臨床には、援助する者も援助される者も合
わせて包み込む「場」というニュアンスが強い
→そこでは、言葉や気持ちが「お互いに」交換され、課題や
つらさが「ともに」抱えられる
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キー概念としての「共同作業」
・「臨床」(27,28,29,33)
・「援助」とは「共同作業」(34)
→アセスメントも共同作業(112)
→共同作業であると位置づけることの意義(154)
→援助を共同作業であるとする根拠(156)
→家族、他組織や他機関、地域の諸団体との
(161、166、169)
→「評価をめぐる共同作業」(第9章、215-)
・「共同」するスタンス→「共感する他者」(53)
・丁寧な「作業」=「実践と理論をつなぐ言葉」
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窪田先生との関係
・坪上先生
国立精研から日本福祉大へお呼びになった。
(お茶の水の喫茶店に谷中輝雄氏が居合わせた)
・久保先生
四国学院大から東京都立大へお呼びになった。
(『天の鐘』という本の編集に惹かれた)
・尾崎先生
研究が実践につながっていることを実感したという三宅島
調査を共同で行った。(互いに都職員として)
→4人の理論に共通するキーワード=「無力さ」
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坪上先生
・結核からの回復という体験を振り返っての発言
「『援助関係』は、『自助の活動』を刺激して、患者の中にある
自然回復力を伸ばしていく。そして僕がそのときに求めたの
は、治療者は人間ではなく、人間を越える何者かで、そうい
うものに抱えられないと、僕は死ぬこともできない、生きるこ
ともできないという感じでした。
やはり人間のリミットのなかではどうにもならないという無
力感の中で、人間を越えるものを求めます」(123頁)
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久保先生
「いわゆる『専門家』『援助者』は、当事者の重さの前で、一
度は、自らの専門性が色あせるほどの経験、無力になる経
験をする必要があるのではないか。」(『自立のための援助
論』(川島書店)「あとがき」227頁)
→「自らの専門性が色あせる」とき、人は、専門家や研究者
としてではなく、一人の「人間として」、当事者に向き合わざ
るを得ない
←「足元が危うくなるほどの経験」
「人間として対等」=援助者ではいられない経験
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尾崎先生
「クライエント・援助者にかぎらず、いかなる人生にも矛
盾や謎、葛藤が存在する。絶対的解答のないテーマ、矛
盾に満ちた人生の前で、いかなる人も悩み、無力さを痛
感する。この点で、援助者とクライエントは対等である。
援助というかかわりはここからはじまる。援助者が相手と
自分の葛藤から逃げださないこと、否認しないこと、これ
が援助の出発点であり、現場の力の基礎である」(19頁)
→答えの見つからない状況で「無力さ」を共有するとき、
当事者と支援者は「あなた」と「わたし」として「対等」にな
る
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窪田先生
・「アルコール依存症の回復をエンパワーメントの視点からみ
る」『リーディングス日本の社会福祉4 ソーシャルワークとはな
にか』(日本図書センター)
「アルコール依存症者のエンパワーメントに求められる第一の
ステップは、ワーカーが援助できることは極めて小さいというこ
との認識であり、クライエントを支配しようとしたり、あるいは、
答えを提供するのは自分しかないといった誇大な妄想を捨て去
ることである」(358頁)
「アルコール依存に関わる援助は、ソーシャルワーカーにとって
自己の『全能信仰』を打ち破って、その無力を認めることから真
に有効な援助が始まるという逆説を最も鋭く提示している領域
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ということができよう」(359頁)
「無力さ」の実感
・4名に共通する「無力さの実感」は、「~する」主体の成立を阻
む、すなわち、「無力である=~できない」ため、「援助する-さ
れる」といった「主-客関係」がそのままでは成り立たず、関係
性そのものを根底から問い直させる
・その結果行き着いたのが、坪上先生の「循環的関係」であり、
久保先生の「パートナーシップ」であり、尾崎先生の「現場」であ
り、そして、窪田先生の「臨床」であって、そこにおける「共同作
業」であった
・援助者における「無力さの実感」が援助関係論の背景にひそ
んでいる
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「敗北の援助論」構想
・窪田理論を継承する一つの方向性としては、「無力さの実感」
をたとえば「敗北」ととらえ、その地点においてどのような援助が
あり得るのかを考察する「敗北の援助論」といったものが構想で
きるのではないか
・「~する」とか「~できる」を前提とする援助論ではなく、「できな
い」地点で、たとえば「存知のごとくたすけがたければ」(思いの
ままに助けることはできないのだから)から出発し、にもかかわ
らず、人は人に対してどのように関わりうるのかという問いを立
てることも可能
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【補足1】アメリカのセラピー
■ハリー・グーリシャンの言葉
「セラピストが変えることができる人がいるとすれば、それ
は自分自身なのだ」
Anderson, H. (1997) Conversation, Language, and Possibilities: A
postmodern approach to Therapy. Basic Books.
(=2001,野村直樹・青木義子・吉川悟訳『会話・言語・そして可能性
-コラボレイティブとは? セラピーとは?-』金剛出版.)
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【補足2】アメリカの精神分析
・患者だけを変えようとする従来の「一者心理学(oneperson psychology)」から、治療者が変われば患者も変わ
り、患者が変われば治療者も変わるとして、両者を一つ
のユニットと捉える「二者心理学(two-person
psychology)」への転換が主張されている
Gill, M. M. (1994) Psychoanalysis in Transition:
A Personal View. The Analytic Press, Inc
(=2008, 成田善弘監訳『精神分析の変遷-私の見解-』金剛出版)
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ご清聴ありがとうございました。
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