北朝鮮の核開発問題と 日米韓同盟の動向

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Transcript 北朝鮮の核開発問題と 日米韓同盟の動向

2012/09/08
第5回外交・安全保障サマーセミナー
報告者 福田毅([email protected])
北朝鮮の核開発問題と
米韓同盟の動向
報告の構成
1
2
3
4
第1次朝鮮半島核危機(90年代前半)
90年代ミサイル外交の展開
第2次朝鮮半島核危機(2002-)
米韓同盟の動向
第1次朝鮮半島核危機
<危機勃発の背景>
1970年代~ 韓国、急速な経済発展
 1970年代末~ 中国、改革開放
 1980年代中頃~ ソ連、ペレストロイカ
 1989年前後 冷戦終結
 1990.9 韓ソ国交樹立
 1992.8 中韓国交樹立

– 国際的に孤立し、経済的にも立ち後れた北朝鮮
にとって、核とミサイルは局面打開と体制存続の
ために残されたほぼ唯一のカード
第1次朝鮮半島核危機
<査察開始までの経緯>

北朝鮮、IAEA加盟(1974)、NPT加盟(1985)
– しかし、在韓米軍の核保有を理由にIAEA保障措置協定
締結を拒否
1991.12 韓国、核兵器の国内不存在を宣言
 1991.12 南北非核化宣言仮署名(1992.2発効)

– 南北は、核実験・製造・保有等をせず、核再処理施設と
ウラン濃縮施設も保有しない
1992.1 北、保障措置協定に署名
 1992.5 IAEAによる対北朝鮮核査察開始

第1次朝鮮半島核危機
<危機の勃発>
寧辺に未申告プルトニウム
約10kgが存在する可能性
が発覚(原爆1個には一般
に4-8kgが必要)
 北朝鮮はIAEAが求める特
別査察を拒否し、NPT脱退
を宣言(1993.3)、ノドン等
を日本海に向けて発射
(1993.5)

第1次朝鮮半島核危機
<核兵器の製造方法>
ウラン濃縮施設の隠蔽は容易(地下にも設置可能で原子炉等も不要)。プロトニ
ウム型には、原子炉と再処理施設が不可欠(衛星等で発見されやすい)。
 濃縮には再処理よりも高い技術力が必要だが、弾頭の製造は容易(爆縮型では
なく砲身型を用いれば核実験も不要とも)。

第1次朝鮮半島核危機
<危機の収束>

1993.6 第1回米朝協議
– 北、NPT脱退の発効を一時的に停止
1994.2 IAEAの査察再開
 1994.5 北、核燃料棒取出しを開始
 1994.6 北、IAEA即時脱退を宣言
 1994.6 カーター訪朝
 1994.7 金日成死去
 1994.10 米朝枠組み合意

第1次朝鮮半島核危機
<米朝枠組み合意のポイント>
米国は北朝鮮に対して2003年までに軽水炉
を提供(軽水炉は黒鉛減速炉よりも核兵器製
造への転用が困難)、かつ、軽水炉1号機が
完成するまでの間は黒鉛減速炉を代替する
エネルギーとして重油を年50万トン提供
 北朝鮮は黒鉛減速炉を凍結・解体(解体は、
軽水炉計画が完了した時点で完了)
 抽出済みプルトニウムの量や用途の検証問
題には言及せず

90年代ミサイル外交の展開(1)
北朝鮮による弾道ミサイルの中東諸国等へ
の輸出が問題化
 ミサイル開発・輸出は原則として合法
 1996.4 米朝ミサイル協議の開始
 北朝鮮はミサイル輸出の見返りとして経済的
補償や経済制裁の解除を米国に要求

90年代ミサイル外交の展開(2)
90年代ミサイル外交の展開(3)
1998.8 秘密地下核施設疑惑の発覚後にテ
ポドン1を発射(三陸沖に着弾)
 1999夏 テポドン2の発射準備
 1999.9 米朝ミサイル合意(ペリー・プロセス
が背景に)

– 米国は制裁を一部緩和、北朝鮮は「米国との高
官級協議が継続する間」のミサイル発射モラトリ
アムを表明
90年代ミサイル外交の展開(4)
2000.10 趙明録(チョ・ミョンロク) 訪米、オルブライ
ト訪朝
 配備済みミサイルの廃棄や禁止対象となるミサイル
の射程等をめぐって米朝が対立
 2000.12 クリントン政権、ミサイル協議の決裂と大
統領訪朝断念を発表

第2次朝鮮半島核危機
<ブッシュ vs 金正日 対立の背景>
2001.10-11 ブッシュ、金正日に対する個人的不快
感を表明、核査察受入も要求
– 北、敵視姿勢を非難、対抗措置にも言及
 2002.1 ブッシュ、「悪の枢軸」演説
– 北、「事実上の宣戦布告」と非難
 米国の先制攻撃戦略採用とイラク攻撃
– 北、「いかなる先端武器による攻撃も圧倒的に撃
退することのできる強力な軍事的抑止力を保有
してのみ、戦争を防ぎ国と民族の安全を守る事
ができるという事がイラク戦争の教訓」

第2次朝鮮半島核危機
<ウラン濃縮疑惑の発覚>
2002.9 小泉訪朝
 2002.10 ケリー国務次官補訪朝
– 米、北朝鮮がウラン濃縮を認めたと公表
– 北朝鮮は否定
 2002.11 米、重油提供を凍結
– 2002.12 北、「電力生産に必要な核施設の稼働
と建設を即時再開する」 と宣言、IAEA査察官を
追放
 2003.1 北、NPTとIAEA保障措置協定からの脱退
を宣言

第2次朝鮮半島核危機
<核開発を正当化する北朝鮮のロジック>

NPT脱退宣言(2003.1)
– IAEAは「米国の下手人、代弁人」
– NPTは「力で我々を武装解除させ、我々の制度を崩壊させよう
とする米国の対朝鮮敵視政策の道具」
– 「米国は我々を「悪の枢軸」と名指しして我々の制度を否定す
るということを国策として宣布し、わが国を核先制攻撃の対象
に決めつけることにより、公然と核宣戦布告までした」
– 「NPTからの脱退は、わが共和国に対する米国の圧殺策動と
それに追従したIAEAの不当な行為への当然な自衛的措置」
– 「われわれはNPTから脱退するが、核兵器を製造する意思は
なく、現段階においてわれわれの核活動は、唯一、電力生産
をはじめ平和的目的に限られるであろう」

核保有宣言後は、核の軍事転用は自衛目的と主張し、核放
棄の前提として米国に敵視政策の撤回を要求
第2次朝鮮半島核危機
<6者協議の開始>
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2003.4 米朝中の3者協議
– 北朝鮮が核保有と使用済み核燃料棒(90年代に取り出した約8,000
本)の再処理ほぼ完了を米国に伝達(公式にはまだ認めず)、核実
験や核輸出も示唆
2003.8 第1回6者協議
– 米、核計画の「完全、検証可能かつ不可逆的な廃棄」(CVID) を要
求
– 北、6者にはこれ以上期待は持てず、核抑止力を強化する以外の選
択肢はない
2003.10 北、使用済み核燃料棒の再処理完了とプルトニウムの用途の
核抑止力強化への変更を宣言
2003.12 KEDO、軽水炉建設を停止
2005.1 第2期ブッシュ政権発足、ライス「圧政の拠点」演説
2005.2 北、核保有を正式に宣言、6者参加は無期限中断
– 2005.3 米朝対話停止でミサイル発射モラトリアムも失効と宣言
– 2005.5 黒鉛減速炉から新たな使用済み核燃料棒8,000本を取り出
したと主張
第2次朝鮮半島核危機
<6者協議2005年共同声明>
2005.7 米朝非公式接触を経て6者再開
 2005.9 6者協議共同声明

– 北朝鮮=全ての核兵器と「既存の核計画」の放棄、NPT
及びIAEA保障措置への早期復帰を約束
– 米国=朝鮮半島に核兵器を配備せず、北朝鮮に核・通
常兵器による攻撃を加える意図も持たないと宣言
– 適切な時期に北朝鮮への軽水炉提供問題を協議
– 北朝鮮へのエネルギー支援の意思も表明
共同声明は枠組み合意の焼き直し
 「既存の核計画」にウラン濃縮が含まれるかも不明
(北朝鮮はウラン濃縮は一貫して否定)

第2次朝鮮半島核危機
<北朝鮮による核実験の実施>
2005.9 米、BDA制裁発動
 2006.7 ミサイル7発発射(テポドン2は失敗)
 2006.10 初の核実験
 2007.2 6者「初期段階の措置」合意

– 制裁解除・エネルギー支援と引き換えに、核凍結
作業を再開

2008.12 核凍結の検証方法等をめぐり米朝
が対立、6者協議は決裂(現在まで再開され
ず)
第2次朝鮮半島核危機
<オバマ政権の発足と2度目の核実験>
2009.1 オバマ政権発足
 2009.4 テポドン2発射(約3,000km飛翔)
 2009.4 北、独力による軽水炉建設と核燃料
生産を宣言(軽水炉の燃料は低濃縮ウラン
=ウラン濃縮の口実)
 2009.5 2度目の核実験
 2009.7 スカッドやノドン等7発発射

第2次朝鮮半島核危機
<南北関係の悪化と金正日死去>
2010.3 天安沈没事件(南北関係ほぼ断絶)
 2010.11 延坪島砲撃事件

– 韓国は両事件への謝罪を6者再開の条件に
2010.11 北、ウラン濃縮施設を米研究者等
に公開、濃縮は平和利用目的と主張
 2011.7-12 南北、米朝接触
 2011.12 金正日死去、金正恩体制発足

第2次朝鮮半島核危機
<金正恩体制下の核・ミサイル問題>




2012.1 北朝鮮声明「我々は既に堂々たる核保有国であり、
核抑止力はかけがえのない我々の革命遺産」 、一方で米国
に食糧支援を要求
2012.2 2.29米朝合意
– 北朝鮮=長距離ミサイル発射、核実験、寧辺におけるウ
ラン濃縮活動を含む核活動のモラトリアム実施に合意
– 米国=北朝鮮に24万トンの栄養補助食品を提供、追加
的な食糧支援実現にも努力
2012.3 米朝食糧協議
2012.3 北、人工衛星打ち上げを予告
– 宇宙の平和利用は各国の権利であり、衛星打ち上げはミサイル発
射モラトリアムの対象ではないと主張
– 米、食糧支援停止

2012.4 テポドン2発射(失敗)
米韓同盟の動向
盧武鉉政権期(2003-2008)(1)

米韓関係の漂流
– 在韓米軍再編(在韓米軍
の1.25万人削減、戦略的
柔軟性確保で合意)
– 戦時作戦統制権移管問題
(2012.4移管で合意)
– 北東アジアのバランサー
構想(2005.2)
– 「概念計画5029」の策定を
めぐる対立
米韓同盟の動向
盧武鉉政権期(2003-2008)(2)

南北間の緊張緩和
– 平和繁栄政策=南北の経済
協力と核・ミサイル問題の解決
を並行、金大中政権の包容政
策(太陽政策)を継承
– 2007.2 第20回南北閣僚級会
談、離散家族再会事業の開催、
京義線、東海線での列車試験
運行の実施等で合意
– 2007.10 2度目の南北首脳会
談(1度目は2000.6)、具体的
な緊張緩和措置や経済協力計
画を明記した10.4宣言
米韓同盟の動向
李明博政権期(2008-2013)(1)

米韓同盟の立て直し
– 2008. 4 首脳会談、在韓
米軍削減凍結(28,500人
態勢維持)
– 2008.10 概念計画5029
の検討加速で合意
– 2009.6 首脳会談、「米韓
同盟のための共同ビジョ
ン」発表(核の傘を含む拡
大抑止を再確認)
米韓同盟の動向
李明博政権期(2008-2013)(2)

南北関係の緊迫化
– 「非核・開放3000構想」 =核を放
棄すれば南北統一を視野に入れ
た経済協力を実施
– 2008.7 金剛山観光客射殺事件
– 2008.11 北、南北連結鉄道遮断
– 2010.3 天安沈没
– 2010.5 5.24措置、北も対抗措置
– 2010.11 延坪島砲撃
– 2011.5 北、李明博政権を「これ以
上相手にしない」
– 金正恩体制は米韓分断を狙って李
明博政権批判を激化
米韓同盟の動向
李明博政権期(2008-2013)(3)

米韓同盟の更なる強化(1)
– 2010.6 首脳会談、統制
権移管を2015.12に延期
– 2010.7 米韓、初の2+2
– 2010.10 拡大抑止政策
委員会設置に合意、「戦略
同盟2015」署名(統制権
移管の工程表)
– 2010.11-2011.1 オバマ、
JCS議長、ゲーツの訪韓
米韓同盟の動向
李明博政権期(2008-2013)(4)

米韓同盟の更なる強化(2)
– 2011.10 李明博、国賓として訪米(ペンタゴン訪問、
議会演説等、異例の歓迎)
– 2012.1 参謀総長会談、北朝鮮の局地軍事挑発に
共同対応するための戦略企画指針に署名
– 2012.6 在韓米軍司令官、在韓米軍の能力増強に
言及(アパッチやパトリオットの増強を要請)
– 2012.6 第2回米韓2+2、韓国のMD態勢強化、「サ
イバー安保協議体」設立等に合意
米韓同盟の動向
李明博政権期(2008-2013)(4)

日米韓の防衛協力
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2010.7 日本海での米韓演習に日本がオブザーバー参加
2010.11 日韓がGSOMIA締結交渉を行っていることが判明
2010.12 日米共同統合演習に韓国軍がオブザーバー参加
2010.12 訪韓したJCS議長、今後の米韓演習への日本の参
加を願うと発言
2011.1 日韓防衛相会談、ACSA締結交渉開始に合意
2011.6 日米2+2共同発表、日米韓の安保・防衛協力強化を
宣言
2011.8~ 慰安婦賠償問題が再燃
2012.6 済州島近海で日米韓合同演習
2012.6 日韓GSOMIAが韓国で問題化、署名は延期に
2012.8 李明博、竹島訪問