近現代史Ⅰ パワポ #7 2011

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Transcript 近現代史Ⅰ パワポ #7 2011

なぜ東欧で起こったのか?
世界史への影響
ハンガリー革命の衝撃
 NHK「証言現代史」
 独裁制を変えようとしたハンガリー国民
 なぜ、ソ連は軍事介入したのか?
 ワルシャワ条約
機構
 ソ連は離脱を
嫌った
ソ連モデルを守る
Cf.アラブのピ
ラミッド
共産党
軍・治安警察・
経済
市民
市民に容
赦なく銃
を向ける
ソ連軍は何をした
 ナジ体制を武力で鎮圧
 市民の抵抗を圧殺
 ナジの盟友だったカダルを誘
拐(?)
 革命最中の11月1日、モスクワ
へ
 11月4日、新政権の指導者に
 「戦車に乗ってきた男」
嫌われる。でも独
試食のうすい国に
しようとした
「民主化」はつぶされた
 1956年「ハンガリー革命」
 1968年「プラハの春」事件
 ソ連圏で「異端」は許されないのか
 1989年東欧革命
new
民族
 ポーランド、
チェコ、スロバ
キア、ブルガリ
アがスラブ系
 ハンガリー人
 ルーマニア人
風土
 概して冷涼
 農業遅れ、後進性
 北部は平原
 軍が進みやすい
 バルカン半島は山がち
 山を越えると別の民族
2つの大戦が起こった
 第一次世界大戦では、旧ユーゴスラビア
 サラエボ事件
 第二次世界大戦ではチェコスロバキア、ポーランド
 ポーランド侵攻で開戦
 ロシアvsドイツ
 「民主主義」対「全体主義」
ドイツ侵攻の理由
ユダヤ人の人口
第二次世界大戦後は人口減っ
ている…
ユダヤ人が多かった東欧
 20世紀初頭、中・東欧全域で400万人以上
 ヒトラーの餌食
 中世・近世の西欧で迫害、逃亡
民族間の憎悪
 互いに隣人を憎む(チェコ対ポーランド、ハンガ
リー人対ルーマニア人ect)
 低い連帯意識
 ユダヤ人への歴史的憎悪
 ドイツ人少数民族(ズデーテン地方のドイツ人)
ミュンヘン協定 英仏は見捨てる
同じ運命
 独ソ不可侵条約
 第二次世界大戦直
前に合意
 ポーランド分割
勢力
ソ連反攻
自力解放できなかった
 ポーランドはソ連軍が解放
 チェコスロバキアは終戦直前までドイツ軍が支配
 ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアはソ連軍が占
領
なぜ東欧は共産圏になったか
 ソ連軍の存在
 地元の共産主義を支持
 非共産圏を粛清
 コミンフォルム
 ワルシャワ条約機構
 コメコン(経済相互援助会
議)
いかなる面でも
東欧をしばりつけた
ピラミッド型独裁
共産党
軍・治安警察・
経済
市民
 ミニ・スターリン
 ポーランドのビエルート、チェコのゴッ
トワルト、ハンガリーのラコシ
 ルーマニアのギョルゲデジ、ブルガリア
のディミトロフ
品悪い→東欧の指導者はみな学歴×
そういう人をソ連は好んで使った
チェコで起こった「正常化」
 プラハの春に関係した知識人、改革派追放
 失職し、清掃員や窓拭きに
 政治的な異論は徹底排除
 経済はさらに沈滞
なぜ国民は支持しなかった?
 全く自由のない共産党独裁
 共産党の背後にはソ連
 物がない共産党社会
再び流れが変わる
ふつうイ
タリア人。
珍!
 1978年、ポーランド人法
王誕生=ヨハネ・パウロ
2世
 東欧のカトリックに大き
な勇気
共産党への反旗
 「連帯」誕生
 「労働者の国家」に労働者が反逆
ワレサ委員長の登場
 電気工
 失業中
 労働者をまと
める
知識人と労働者の「連帯」
また介入か?
 ヤルゼルスキ決断
 戒厳令
ポーランド軍がう
ごいた(ソ連軍で
ない)
東風が吹く
 1985年ゴルバチョフ政権
 ソ連自体で「情報公開=表現
の自由」「経済改革」が進展
 東欧各国に圧力
1989年のドラマ
 すべての東欧諸国で政変
 ドミノ現象=次々と政変が波及
 原動力は市民のデモ
 最大で100万人規模
 独裁国家から自由選挙
 共産党、複数政党を認め、政権あけわたし
 「東側陣営」崩壊
4つの底流
 諸民族の「自由」求める運動
 ソ連が介入を止める=共産党はバックを失う
 「東ドイツ」から西ドイツに切り替える
 どこまで「革命」だったのか?=支配勢力の乗り換
え
過去の試験には出し
た
not 米
共産党は共産党で
あることをやめた
が、たくみに鞍替
え
西側=ドイ
ツ
支持
改革
革
命
まずポーランド
 共産党、「連
帯」に協力を
求める
 立場が平等の
円卓会議
 部分的自由選
挙
連帯圧勝
 6月4日
 上院では99vs1
 下院でも自由選挙分を
ほぼ獲得
連帯
共産党
系列政党
「連帯」主導政権誕生
 タデウシュ・マゾビ
エツキ
 知識人グループ
 共産党も国防相と内
務相
 流れを止められず
ハンガリーでも政変
 「ハンガリー革命」をいつま
でも「反革命」と呼ぶな
という民衆運
動
 25万人が参加
 共産党(社会主義労働者
党)、10月の党大会で、共産
主義放棄
 共産党は「社会党」に
ハンガリーとドイツ
ネーメトが国境を開
放していいと言った
ので、コールはびっ
くり
 「密約」はあったの
か?
 ハンガリーは「ソ連
介入なし」を知る
 ネーメト首相が8月、
ボンに飛ぶ
 「私たちに何をお望
みですか?」とコー
ル首相
 10億マルクの融資
当時の円で800兆円位
ネーメトは答えず
しかしコールは察知して融
資