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1 持つ国×持たざる国 〜9.11とパレスチナ問題からの考察〜 甲原幸実、酒井めぐみ、竹迫優香里、水上宙士、森景子 2 アウトライン 1:アメリカ×中東 2:パレスチナ×イスラエル 3:考察と結論 3 アメリカ×中東 4 1-1 9・11(September 11 terrorist attacks ) 2001年9月11日 AM8:45 世界貿易センタービル北棟に激突 NY(経済の中心) AM9:03 南棟に激突 AM9:39 国防総省ビルに激突 ワシントンD.C. AM10:10 ピッツバーグ郊外に墜落 (政治・軍事の中心) (標的はホワイトハウス) 犠牲者数 2,993人 負傷者数 6,291人以上 容疑者 オサマ・ビンラディン、アルカイダ 5 1-2-1 テロについて 国家正規軍 vs 国家正規軍 単発の奇襲がテロ 6 1-2-2 テロリズムとは… 広辞苑による「テロリズム」の定義… ①政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾 向。 また、その行為。暴力主義。テロ。 ②恐怖政治。 *恐怖政治…投獄・殺戮(さつりく)などの苛烈な手段に よって、反対者を弾圧して行なう政治。 7 1-3-1 定義付けが困難な理由① しかし、国際的に統一された“テロ”の定義は存在しない。 ・・・国連などの国際会議で、テロの定義付けを行なおうとしてい るが、(理由①)各国・組織の立場がテロの定義に強く反映して いることから、一致した定義は確立していない。 Ex) イスラム諸国 パレスチナのように外国の占領下にある地域 においての民族自決・民族解放闘争に伴う武 力行使は“テロ”にあたらない! 8 1-3-2 定義付けが困難な理由② (理由2) ・・・人や組織が自らを「私はテロリストです」「私たちはテロ組 織です」と名乗ったり、ハイジャックや爆弾攻撃を自ら「これから テロが起きます」、「これがテロです」と呼ぶことはない。 歴史的に“テロ”は一方が敵対する他方に攻撃したり、レッテ ルを貼る際に、非人道的・犯罪性を付与するための政治的呼び 名として呼ばれてきた。 →以上の理由により、国際社会で客観的に受け入れられ、誰もが納得い く定義付けをするということは難しい。 9 1-4-1 テロの定義付けに関しての現状① しかし、現実には“テロ”と呼ばれ、暴力組織による不法な暴 力が行使され、市民が大量に犠牲になっている。 →テロを犯罪化するなどの対策を講じる上で、一国単位では “テロ”を規定する必要がある。 テロ対策法や刑法などの個別法の中で個別に定義している。 10 1-4-2 テロの定義付けに関しての現状② 一国単位でそれぞれが個別に設けた定義を一般化していえ ることは、以下の5点である。 目的 ① につい について、a)公衆などを威嚇することや、政府な どに対し何らかの行為を行なうこと又は行なわないことを強 要すること、さらに、b)政治、宗教上の目的遂行がテロの要 素として含意されている。 ② 主体 について、あらゆる組織、個人がなりうるが、基本 的に非国家主体である。 11 1-4-3 テロの定義付けに関しての現状③ ③ ④ 客体 について、政府、民間から所有物まであらゆるも のへの侵害、影響。 行為 について、暴力、破壊、脅迫など、直接公衆に向 けられた不法行為が原則。 ※資金調達や徴募活動はテロその ものとはみなされないが、最近これらの行為はテロを支援する行為とし ての処置がとられている。 ⑤ 効果 について、暴力破壊という物理的な効果はもちろ ん、恐怖や脅威といった心理上の効果を示唆。 ※テロの目 的達成の手段として実際の物理的手段の行使そのものより、心理上の 効果を狙った側面がより強く際立つ。 12 1-4-4 テロの定義付けに関しての現状④ 日本では… 定義は存在しない。 Ex) 「テロ対策措置法」において、“テロ”という言葉を用いて いるが、定義が存在しないため、「一般に、特定の主義主張に 基づき、国家などにその受け入れなどを強要し、又は、社会に 恐怖などを与える目的で行なわれる人の殺傷行為などというも のとされていることを踏まえて、これを用いる」 としている。 13 1-5 テロの類型 主に以下の3つに分類される。 ①テロの客体から。Ex)発生場所による類型 ②テロの主体から。Ex)拠って立つ主義主張、追求する目的による類 型。 ③テロの手段から。Ex)使用される攻撃手法に着目して爆弾型、大量 破壊兵器型、サイバー型と類型。 ※①は国内テロと国外テロとに分類される。 ※②は反体制テロリズムと体制側テロリズムに分類される。また、反 体制テロリズムは、民族型、宗教型、争点型、革命型に分類される。 14 1-6-1 テロリズムの経緯① “テロ(Terror)”という言葉の起源:1789年のフランス革命後 の「恐怖政治」を起源とする。 しかし、 1789年に用いられた“テロ” の概念 ≠ 現代の“テロ”の概念 ※現存する世界のテロ組織のほとんどは冷戦中か冷戦後に発足。 15 1-6-2 テロリズムの経緯② “テロ”という言葉が生まれる数10世紀も前に、既に“テロ”の 概念・手法は存在し、敵を倒すための手段として使われてきた。 アルカイダなどのテロ組織が多用する「自爆テロ」も自殺攻撃 という概念でとらえれば、剣や槍のような前近代的な武器しか なかった時代にも、敵の懐深く侵入し、標的となる人物を殺害 する例は多くあった。 →現代の「自爆テロ」の原点の戦術。 16 1-6-3 テロの経緯③ 前近代時代の敵を倒したり、自殺攻撃を行なう行為と、現代 のテロを比べて… 異なる点 時代の変化や技術の進歩とともに、その手段、規模、動機 に変化がある。 同じ点 人間の憎悪、生き残りのための反撃、暴力の行使といった 本質的なところ。 17 1-7-1 現代のテロに大きな影響を与えた 9.11①(アルカイダについての補足) • テロ組織は実行主体別に以下の3種類に類型分けできる。 • 左翼過激派組織・・・日本赤軍、赤い旅団(イタリア) • 民族主義組織・・・アイルランド共和軍 • イスラム過激派組織・・・アルカイダ イスラムの原理を 現代社会、特に政 治に適用しようと する急進主義。 「アルカイダ」(アラビア語で「基礎」「基地」の意)とは… 1988年頃、オサマ・ビンラディンらによって設立。イスラム原理主義と反米・ ユダヤを標榜するスンニ派ムスリムによるイスラム過激派国際ネットワーク であり、1990年代以降、主にアメリカ合衆国を標的とした数々のテロ行為を 実行したとされる。特に2001年に実行したアメリカ同時多発テロ事件は世界 に大きな衝撃を与えた。 18 1-7-2 現代のテロに大きな影響を与えた 9.11② • 70年代〜ハイジャックによるテロが多発。 ※民間航空機を使った大規模テロの計画は実は1990年台半 ばにすでに存在していた。 Ex)「ボジンカ計画」 • 9.11はまさにハイジャックと自爆テロを組み合わせた 戦法。 19 1-8-1 テロ組織の存立状況 世界各地には、様々なテロ組織が存在しており、ゲリラ組織と 合わせると、少なくとも300以上の組織名称が把握されている。 • アジア・オセアニア地域・・・インド、パキスタン、フィリピンなど • 中東地域・・・イラク、パレスチナ、エジプトなど • 欧州地域・・・左翼過激派組織が衰退しつつあるが、同組織の中に は少数民族を基盤に活動継続を図る組織、新たに若いメンバーを 加えて活動の活発化を図っている組織が存在。他にも引き続き民 族主義組織が活動を継続しているとみられる。 • 中南米地域・・・冷戦時代から多数の左翼過激派組織が活動して いる。 20 2 なぜアメリカはアラブに嫌われるのか? アメリカの中東政策 ①政治:ソ連の影響力が中東に拡大することを阻止する ②経済:アメリカとその同盟国に対する中東石油の安定的な 供給を確保する ③軍事:イスラエルの安全を確保する このうち①は、冷戦の終焉とソ連自身の崩壊により意味を失った 21 2-1-1 なぜアメリカはアラブに嫌われるのか?① ②アメリカとその同盟国に対する中東石油の安定的な供給を 確保する サウジアラビア政府への援助 • アメリカ軍の兵士約7000人常駐(湾岸戦争~) →イスラム教の聖地(メッカ、メディナ)が汚された!! エジプト政府への援助 • ムバラク前大統領(1982年-2011年2月11日)は、イスラム原 理主義者を弾圧 →イスラム原理主義者の怒りを助長!! 22 2-1-2 なぜアメリカはアラブに嫌われるのか?① <イスラム原理主義者> • 預言者ムハンマドの確立した社会こそが理想 • その社会への復帰を目指すイスラム改革運動 ・アメリカをルサンチマンの対象にする ・アフガニスタンやイランに多い ・現代文明はイスラムの敵 ・現代文明の象徴がアメリカ *ルサンチマン・・・ 強者に対しての憤りや憎悪の感情 23 2-2 なぜアメリカはアラブに嫌われるのか?② イラクへの経済封鎖 1990年8月~湾岸戦争 • イラクがクエートに侵攻 • アメリカ中心の多国籍軍がイラクを攻撃 • 毎月約5000人の子供が飢え・病気によって死亡 →なぜ子供たちが巻き込まれなければいけないのか! アメリカにとって、子供たちの死は何を意味するのか!! 24 2-3-1 なぜアメリカはアラブに嫌われるのか?③ <敵の味方> イスラム勢力 内戦 反対勢力 アメリカ・西欧諸国 レバノンなど内戦状態の国では、米が敵を支援している 25 2-3-2 なぜアメリカはアラブに嫌われるのか?③ ③イスラエルの安全を確保する イスラエルへの経済、軍事支援 • イスラエルの建国により多くのパレスチナ難民 (現在も500万人以上の人が故郷を追われて生活している) • アメリカ製のミサイルや爆弾でパレスチナを攻撃 →パレスチナ問題が アメリカに対する憎しみの根源!! 26 アラブの民衆の認識 イスラム文化はかつて繁栄し、西欧文明を凌駕した。 しかし、そのイスラム文化は侮辱され、アラブ社会は堕ちるとこ ろまで堕ちた・・・ イスラム社会ではさまざまな惨状が起こっているのに、世界は 見向きもしない! 憎悪 屈辱 挫折感 怒り テロ 27 2-4-1 対テロ戦争①アフガン戦争 2001年9月21日 タリバンはオサマ・ビンラディンを保護 「テロリストとこれをかくまう国家は同罪であ り、区別せずに攻撃する」 10月7日 アフガニスタン空爆開始(米軍・英国軍) 12月7日 タリバン政権崩壊 • 死者 1000人以上 • 非人道的な爆弾を投下 • 安全保障理事会の承認なしに国家を攻撃 • 予防的先制攻撃 28 • 2011年5月1日 米軍部隊がビンラディン容疑者殺害 • バラク・オバマ大統領 「正義はなされた」 • ブッシュ前大統領 「米国の勝利」 But・・・ ビンラディンを殺したからといって、 テロが収まるわけではない!! むしろ反米感情を助長させたのでは?? 29 2-4-2 対テロ戦争②イラク戦争 2002年1月 「悪の枢軸国」発言 「フセイン政権が大量破壊を保持し、かつアルカイ ダと連携している」 2003年3月7日 イラクに攻撃開始 2003年12月13日 フセインを拘束 • アメリカ単独での先制攻撃論 • フセイン体制崩壊後の調査で、決定的な証拠は見つからな かった →アメリカに対する不信感がさらに強まった 30 2-5 負の連鎖 暴力 暴力 ア メ リ カ 暴力 暴力 中 東 ・ ・ ・ お互いが限りない“不正義”(終わりの見えない紛争・・・) しかも、暴力の形は文明の発展により激化! 31 パレスチナ×イスラエル 32 1-1-1 ユダヤ人とは <ユダヤ人の定義> ユダヤ教を信仰していれば、人種や言語に関わらずユダヤ人。 “ ‘Jew’ means a person who was born of a Jewish mother or has become converted to Judaism and who is not a member of another religion.” 33 1-1-2 ユダヤ人とは 1970年改正 イスラエル 『帰還法』 ユダヤ人を両親・祖父母に持つ者、或いはユダヤ人の 子孫は、イスラエルに居住し市民権を得られる 若干の相違 ユダヤ人を母に持つ者、もしくは、ユダヤ教に改宗し他 宗教に帰依しないと認められた者 ユダヤ教による定義 34 1-1-3 ユダヤ人とは ヨーロッパ:「ユダヤ人の血統を持つ者」 ユダヤ社会:「ユダヤ人を母に持つユダヤ教徒」 人種的 要素 宗教的 要素 ユダヤ人という概念 35 1−2-1 ユダヤ人迫害の始まり <迫害の始まり> BC1500年ごろ・・・ヘブライ人はパレスチナに定住し、一部はエジプトに移住 BC13世紀の出エジプト: この頃エジプト新王国に一部ユダヤ人がいたが、 すでに迫害と差別を受けていた。 ↓ 預言者モーセがユダヤの民を率いエジプトを出発 シナイ山の頂上で神ヤハウェと契約 ユダヤ人最初の迫害かつユダヤ教起源 36 1-2-2 ユダヤ人迫害の始まり バビロン捕囚:第二のユダヤ人迫害 イスラエル王国はアッシリアに(BC722) ユダ王国は新バビロニアに滅ぼされる(BC586) ↓ 捕虜としてバビロンへ連行される ↓ 新バビロニアもアケメネス朝ペルシアに滅ぼされる ↓ ユダヤ人エルサレムに帰還(BC538) ☆この際に神殿を再興し、ユダヤ教を確立 37 1-2-3 ユダヤ人迫害の始まり [ユダヤ教の成立・特色] • 教養の形成: モーセの「十戒」、民族的苦難が土台 • 特色: 「裁きの神」である「ヤハウェ」一神教 偶像崇拝の厳禁 選民思想、メシアの出現を待望する信仰 キリスト教と相容れない特徴 ヨーロッパの国々はキリスト教が主な宗教 →ユダヤ人に対する宗教的アレルギーが根強い 38 1-2-4 ユダヤ人迫害の始まり <その後の迫害を決定づける大事件> 「ユダの裏切りとキリストの受難」 キリスト教徒が信じる「新約聖書」・・・ *イエスがゴルゴダの丘で 十字架に架けられ鞭打たれた *ローマ帝国に告訴したのはユダヤ教徒 *銀貨30枚でキリストを売ったユダもユダヤ人 *イエスを迫害し抹殺したのは、ローマ帝国でもヘロデ王でもなくユダヤ人 AC70 ローマ軍がエルサレムを破壊→ディアスポラが始まる 39 参考「キリスト教の成立」 1世紀ローマ支配下のパレスチナで誕生。当時ユダヤ教を 指導していた祭司やパリサイ派は律法を形式的に守ることを 重んじ、重税に苦しむ民衆に応えようとしなかった。パレスチ ナの民衆は現状からの救済を期待しはじめる。イエスは祭司 やパリサイ派の形式主義を批判し、神の絶対愛と隣人愛を説 いた。イエスの死後、イエスが復活し、その十字架上の死は 人間の罪を贖う行為であったとの信仰がうまれ、これを中心 にキリスト教が成立した。 40 1-3-1 ユダヤ人迫害の歴史 <中世における迫害> 1096 第一回十字軍遠 • イスラム教徒の支配下にあった聖地エルサレムを奪回すべく遠征。 イスラム教徒のみならず、同じ「旧約聖書」を聖典とするユダヤ人も虐 殺。 • 世界中に散ったユダヤ人たち・・・欧米にユダヤ人街を作って居住。 イギリス、フランスの居住地では追放され、ライン川沿いを十字軍が進軍 した際には大規模虐殺があった。 • 1492 宗教裁判が行われたスペインでは、キリスト教への改宗を拒んだ ユダヤ人が国外追放。 • 1543 マルチン・ルターは著書「On the Jews and Their Lies」において ユダヤ人への激しい迫害および暴力を理論化し、熱心に提唱。 41 1-3-2 ユダヤ人迫害の歴史 <帝国主義と迫害> • 背景:列強間の対立が深まり戦争の危機が高まる中、国民の結束が求められた • 強化の方法: ・国民教育:教育の義務化を通じて国語教育(共通語)の徹底化 ・選挙権の拡大:下層民衆の政治参加を認めて、国民的一体感を形成 ・社会政策の実施:労働者階級の国家への取り込み • 国民意識強化の余波:排外主義、人種主義(racism) 過度な愛国主義(nationalism) →「国民」として排除されるマイノリティへの抑圧が強まる 42 43 1-3-3 ユダヤ人迫害の歴史 <ドレフュス事件> 1894年 フランス軍部によるユダヤ系将校のスパイ冤罪事件。 対独復讐の世論を盛り上げ、同時に戦争の危機を煽ることで 軍部の地位を上昇させる目的 <ユダヤ人虐殺(ポグロム)> ☆ロシア・東欧で横行 1881年 第一次ポグロムが 南ウクライナで発生 「皇帝がユダヤ人に殺された」との噂から ロシアのユダヤ人たち→アメリカorパレスチナに入植を始める 44 1-4-1 イスラエル建国の過程 <シオニズム・パレスチナ問題の発生> ポグロムが契機となり、「シオニズム」の考えが出始める 「シオニズム」:自らの国をシオンの丘(エルサレム)に再建しようという動き 1882年 レオン・ピンスカーが 「ナショナル・ホーム」の建設を提唱 シオニズムに触発された人々が この年初めてパレスチナに到着 ↓ 農業定住地を建設 45 1-4-2 イスラエル建国の過程 ところが・・・ 入植を試みるも、疫病や水問題でことごとく失敗 1890年ごろ エドモンド・ロスチャイルドがパレスチナに3万フランの援助 1896年 テオドール・ヘルツルが「ユダヤ人国家」を著し、 全世界のユダヤ人に シオニズムへの関心を喚起。 1897年 スイス・バーゼルにて第一回シオニスト会議開催。 ヘルツルがパレスチナへのユダヤ人国家建設を提唱。 以降、パレスチナの土地を購入して開拓する形で入植がすすむ 46 1880~1914 ロシアのユダヤ人の 200万人以上がアメリカ、 20万人が英国、 6万人がパレスチナへ移住。 1900年までにニューヨーク市のユダヤ人人口は世界の どの都市よりも多くなり、それ以降現在まで その状況は変わっていない。 47 <20世紀> ~第一次大戦終戦: パレスチナを含むアラブ地方はオスマントルコ帝国の領土 第一次大戦後に初めて「パレスチナ」という地域ができる 1915年、フサイン=マクマホン協定 ☆オスマン帝国統治下のアラブ人に対し、独立を求める約束 ☆条件:対トルコの戦争協力 ☆イギリス・マクマホンとアラブ・フサイン 1916年、サイクス=ピコ協定 ☆第一次大戦後の英仏露によるトルコ領の分割協定 ・シリア、アナトリア南部、イラクのモスル地区…フランス ・シリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)…イギリス ・パレスチナ…国際管理下 1917年、バルフォア宣言 ☆イギリス外相バルフォアがパレスチナにユダヤ人の民族的郷土(ナショナル・ ホーム)の建設を約束。ユダヤ系金融資本の協力を得るため。 48 1-4-3 イスラエル建国の過程 3つの取り決め→相互に矛盾 ↓ パレスチナ問題が発生? <問題点> フサイン=マクマホン協定…パレスチナは含まれていない バルフォア宣言…「ナショナル・ホーム」が曖昧 →「ユダヤ人の国家」とは明記されておらず 「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の確保」は 「パレスチナの国際管理下」と矛盾しないとの見方もある。 49 1-4-4 イスラエル建国の過程 <1920年 セーヴル条約> パレスチナはイギリスの委任統治領となる。 ユダヤ人のパレスチナ移住者増加→イギリスはユダヤ人の流入を制限 <1929年 嘆きの壁事件> 嘆きの壁で起こった ユダヤ人とアラブ人の武力衝突 50 1-5 ナチスによる迫害 <1930年代 ナチズムの台頭> ☆ナチスドイツによってユダヤ人迫害が行われる →ホロコーストへ ☆1935年 「ニュルンベルク法」でユダヤ人の市民権剥奪 51 1-6 迫害の余波とイスラエル建国 1945年 第二次大戦終結 ☆ナチスドイツによって虐殺されたユダヤ人への同情的な国際世論 ↓ 「ユダヤ人のパレスチナへの移住を認めよう」という動き ☆ユダヤ難民のパレスチナ移住激増 ☆アラブ諸国連盟結成される 1947年 国連特別総会、パレスチナ分割案採択 1948年 イスラエル共和国独立宣言 トルーマンはイスラエルの承認を宣言の11分後に発表 ☆アラブ軍がパレスチナ侵入 →第一次中東戦争(パレスチナ戦争)が始まる 52 1-7-1 建国の過程とユダヤ人のまとめ ★イスラムとユダヤ 長年イスラム教徒とユダヤ人は共存していた *イスラム教徒は比較的異教徒に寛容 *ユダヤ人も例外ではなかった *アッバース朝やウマイヤ朝といったイスラム全盛期には *人頭税(ジズヤ)さえ払えば信仰の自由は保障された イスラエル建国以前に入植したヨーロッパからのユダヤ人は、 アラブの人たちと親しく付き合えていた 53 1-7-2 建国の過程とユダヤ人のまとめ ★パレスチナ問題とユダヤ キリスト教の欧米における反ユダヤ主義・差別は根強い それに対して「シオニズム」運動が起きたことが問題の出発 点。 ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終解決手段として実行 されたのが、ナチスによるホロコースト イギリスからアメリカへ: イギリスの統治から、戦後超大国アメリカの支配へとシフト パレスチナ問題がイスラム化・宗教化したのはこの60年 欧米諸国が絡んだために深刻化した 54 パレスチナ×イスラエル パレスチナ問題 55 2-1-1 第一次中東戦争(パレスチナ戦争) イスラエル 対 近隣アラブ諸国 パレスチナ分割案に基づき建国 それを認めない 人数比 1:40 ・・・アラブ諸国人数的に圧倒的有利であったが 統一されていないことにより不利な戦況に。 ↓ 1949年 停戦・調停 ガザ地区:エジプト 三国によって分割 ヨルダン川西岸地区:ヨルダン パレスチナ人の国はどこにもない 他すべて:イスラエル エルサレムは東西に分割 -東エルサレム:トランス・ヨルダン -西エルサレム:イスラエル 56 2-1-2 第一次中東戦争(パレスチナ戦争) 1947年 国連分割案 1949年 第一次中東戦争後 パレスチナ分割案よりも多くの領土(77%)をイスラエルが獲得!! 57 2-1-3 第一次中東戦争(パレスチナ戦争) ☆パレスチナ難民の発生 パレスチナにいたアラブ人の3分の2(=約100万人/パレスチナ地 域のアラブ人の3分の2)が流失 難民化したパレスチナ人の帰還をイスラエル側は認めず ※帰還権 国連総会決議194号 ・・・故郷にもどり、隣人と平和のうちに暮らす事を希望する難民 達は実行可能なもっとも早い段階で認められなければならない。 もどらない選択をした難民達の財産と財産の損失あるいは損害 に対する補償が支払わなければならずそれらは国際法あるいは 衝平の原則に基づいて、責任ある政府あるいは当局によって履 行されなければならない 58 2-2-1 第二次中東戦争(スエズ戦争) ☆アラブの屈辱 第一次中東戦争での敗北は屈辱的だった 敗戦の原因は支配層の腐敗という論調強まる ↓ 1952年 エジプト革命 ナセルらがクーデターをおこし王政崩壊。ナセル政権掌握。 ↓ 1955年 ソ連エジプトに兵器提供 ↓ ナセル、中華人民共和国政権を承認 ↓ アメリカと進んでいたアスワン=ハイダム建設資金貸付の交渉中止 ↓ 1956年 スエズ運河国有化 イギリス、フランスが反対 ↓ 第二次中東戦争へ 59 2-2-2 第二次中東戦争(スエズ戦争) 第二次中東戦争 イスラエルがエジプトに侵入して開始。 続いて英仏軍が出兵。 ☆平和のための結集(1950) ・・・安保理の運営が拒否権の乱発で麻痺した場合に、要 請があってから24時間以内に 特別緊急国際連合総会を 招集して議決を行うことができる制度 (朝鮮戦争でのソ連との対立の反省から) →英・仏が拒否権発動したためアメリカは〈平和の ための結集〉決議を利用、停戦・撤兵へ ⇒汎アラブ主義はさらなる高まりを見せる 60 2-2-3 第二次中東戦争(スエズ戦争) ☆国連平和維持軍(国連緊急軍、UNEF) 軽装備の兵士たちを紛争当事者の間に割り込ませる「敵 なき兵士たち」 そもそも国連は独自の軍事力を持たない(米ソ対立によ り国連軍構想は叶わなかった) →事務総長ダグ・ハマーショルドに計画を48時間以内で 提出することを求めた ⇒活動は成功 ☆アメリカの中東への介入の事始め 1957 アイゼンハワー・ドクトリン 61 2-3-1 第三次中東戦争(六日間戦争) シリアにイスラエルが侵攻する恐れからエジプトが対イスラエル 戦争の準備始める。チラン海峡封鎖。 イスラエル ↓ 焦ったイスラエルがエジプトに先制攻撃 ↓ イスラエルの圧勝 • ガザ地区、シナイ半島全域(エジプト) • ゴラン高原(シリア) • ヨルダン川西岸、東エルサレム(ヨルダン) を奪い、イスラエルによるパレスチナ支配の完成。 ★多数のパレスチナ難民発生 62 2-3-2 第三次中東戦争(六日間戦争) ☆国連安保理決議242号 ・・・イスラエル軍の占領地からの撤退、公正かつ長続きする平 和の確立を求める。 英語の決議文:占領地の前に定冠詞なし(必ずしも全占領地 からの撤退を意味しない) フランス語の決議文:定冠詞あり(明白に全占領地を意味) わざと英仏文で違う意味を織り込んだ→不明確 ★しかし、イスラエルは占領下の土地にユダヤ人の住宅建設を 続ける。(国連決議を全面的に無視) 63 2-3-3 第三次中東戦争(六日間戦争) ★消耗戦争(1968~70) エジプト 対 イスラエル 1968年からエジプト軍が散発的な砲撃をイスラエルに加えるよ うになり、消耗戦争と呼ばれる砲撃の報復合戦となった。 この砲撃戦によってスエズ運河は実質通行不可能に。 ↓ 断続的に2年間続く イスラエル軍がスエズ運河を越えてエジプト軍を攻撃し、砲撃 陣地を破壊して占領。 ↓ 1ヶ月以上の占領の末、8月に停戦。 64 2-4-1 PLOとファタハ 1958年 ファタハ(パレスチナ解放運動)設立 ・・・アラファト率いる武力によるパレスチナ解放を目指す軍事組織。 パレスチナ民族解放運動:HATAF(死)→FATAH(勝利) 1964年 パレスチナ解放機構(PLO)結成 ・・・イスラエル支配からのパレスチナ解放を目指してアラブ連盟が結 成した諸機構の統合機関。 第三次中東戦争でのエジプト(アラブ諸国)の敗北 ↓ パレスチナ人の団結の必要性 ↓ 1969年 アラファト、PLO議長就任 パレスチナ人の民族主義の母体へ 65 2-4-2 PLOとファタハ ★PLOの政策 ・・・パレスチナ全体にイスラム教徒、キリスト教徒そしてユダヤ教徒が宗教によって差別さ れない非宗教的な民主国家の設立 =宗教的に排他的なイスラエルへのアンチテーゼ 本拠地:ヨルダン ★ヨルダン • 人口の半分以上がパレスチナ難民 • 第三次中東戦争で東エルサレム占領される • ヨルダン国内に多数の軍事基地 • パレスチナ解放人民戦線(PFLP)による旅客機同時ハイジャック事件 ↓ ・シリア、ヨルダンに侵攻 ヨルダン内戦 「黒い九月」(ブラック・セプテンバー) ・アメリカの介入 ・・・多くのパレスチナ人死亡(2万人以上) ・イスラエル軍、シリア牽制 ↓ ★アメリカ、イスラエルを中東 ヨルダン政府、PLO及びPFLPを国外追放 における「戦略的資産」とみな ↓ し始める。 レバノンへ拠点を移動 66 2-5-1 第四次中東戦争(十月戦争) 1970 ナセル死去、サダトが後任 サダト・・・イスラエルとの早期和平望む 1973 シリアと共謀してシナイ半島の一部を取り返そうと奇襲 して開戦 ↓ 初期苦戦。(エジプト・シリアはソ連製武器保有) ↓ イスラエルはアメリカに緊急軍事援助要請 ↓ イスラエルの反撃 ↓ 両大国の介入、停戦呼びかけ 67 2-5-2 第四次中東戦争(十月戦争) ☆国連安保理停戦決議338号 ・・・第四次中東戦争の停戦決議。 しかし、イスラエルは停戦決議に違反して交戦続ける。 ソ連:これを止めるようアメリカに求め、必要ならば自ら軍事介 入する姿勢を示す。 アメリカ:ソ連の自制を求めると共に、全世界の米軍を核警戒 態勢に置いた。 ↓ イスラエル攻撃停止。 68 2-5-3 第四次中東戦争(十月戦争) 停戦後、アメリカのキッシンジャー国務長官による和平交渉 「往復外交」「ステップ・バイ・ステップ」 ・・・妥協の用意な事項を他の問題から切り離して解決し、小さな妥協 を積み重ねて最終的な和平を構築しようとする。 ☆三回の中東戦争後には調停に強い興味を示さなかったアメリカが、 第四次中東戦争後の中東和平に大きく勢力を傾けた理由・・・石油 ★第一次石油危機 第四次中東戦争のアメリカのイスラエルへの緊急援助に対抗 OPEC(石油輸出国機構)・・・石油価格の四倍増 OAPEC(アラブ石油輸出国機構) ・・・アメリカへの石油輸出禁止 →アメリカの戦争調停(経済危機から) ⇒石油が国際政治における「パワー」に 69 2-6 エジプトの転換 1977 エジプト、サダト大統領エルサレム訪問 理由①エジプトの経済状態の悪化 ②イスラエルの圧倒的な軍事力の危惧 →平和と経済建設を求める声が勝った 1978 キャンプ・デービット合意(カーター、ベギン、サダト) ・・・エジプト・イスラエルの国交正常化とシナイ半島の返還 *イスラエルの意図 1979 エジプト・イスラエル平和条約 • エジプトはイスラエルを国家承認 • エジプトはアラブ諸国連盟から脱退。 →湾岸産油国からの援助の打ち切りダメージ 1981 サダト大統領暗殺・・・和平に反対するイスラム原理主義者により。 70 2-7 第五次中東戦争 レバノン 1975年以降内戦続く イスラム教徒・パレスチナ人 対 キリスト教徒 →他国の介入容易に 1976年 シリア介入 1982年 イスラエル介入(アメリカの支援) ・・・パレスチナ人のゲリラを全滅させる目的 ↓ アメリカの調停で合意が成立し、アラファトとゲリラはチュニジアの チュニスへ亡命 ↓ サブラ・シャティーラ難民キャンプ 800余名の難民が親イスラエルキリスト教徒グループによって虐殺 イスラエル軍止めず。 71 2-8-1 インティファーダの時代 ☆PLOへの失望 PLOのベイルートからの撤退 →パレスチナ人は頼みの綱PLOにまで見捨てられた ⇒イスラエルの入植や弾圧に対して何も対抗できないという「絶望」と 「閉塞感」が蔓延 ↓ パレスチナ住民が乗った車2台とイスラエル軍の大型トレーラーの正 面衝突事故:パレスチナ人4名死亡 ↓ ★インティファーダの開始 1987年12月 検問所のイスラエル人などに対して「投石」する非武装の抵抗運動が 自然発生的に起こる 72 2-8-2 インティファーダの時代 「投石」対「最新兵器」という構図が世界的に広まる *最初の13週間で332人のパレスチナ人と12人のイスラエ ル人死亡 →国際人道法違反 ⇒国連でパレスチナの人権問題話題に *国際的にパレスチナを擁護する流れができ始める 対 73 2-8-3 インティファーダの時代 ☆インティファーダの影響 ・・・パレスチナ人の悲劇を世界中の人が知る機会となった ☆今までの国際世論 ・・・イスラエルのプロパガンダ活動によってイスラエル支持の風潮が あったので、「正義」を盾にして思いのままに行動することができた ⇒インティファーダ以降は行動するのに「高い代償」を伴うことになっ た PLOはインティファーダを支持(これを利用して人気取りに来る) 1988 PLO、パレスチナ国家樹立宣言 ・・・イスラエルの承認・テロリズムの放棄・パレスチナ国家の成立 74 2-8-4 インティファーダの時代 冷戦終了。アメリカが唯一の「超大国」に。 →アメリカ主導で和平交渉進む • 1991 マドリッド • 1992 ワシントンでアラブ・イスラエル和平交渉 • 1993 オスロ合意 イスラエルの占領地からの順次撤退と、パレスチナ人による自治を 認める合意。 イスラエル(ラビン首相)とPLO(アラファト議長) クリントン大統領が保証人 ↓ インティファーダ終わる。 事態は平和的解決を見ると思われた。 75 2-9-1 悪くなる状況 オスロ合意の「和解」にも関わらず・・・ イスラエル人の入植者 1993 32750戸 ↓ 62%の増加 2000 53121戸 1995年 ラビン首相暗殺・・・ユダヤ教徒 →和平に消極的なネタニヤフが首相に →交渉進まず ≪問題点≫ ①パレスチナ自治政府の支配下に入った土地 • 占領地全体の40% • 全パレスチナの8.8% ②A地域(完全な自治)とB地域(イスラエルとの協同管理地域) ③分断された土地 76 2-9-2 悪くなる状況 2000年 イスラエルのシャロンが東エルサレムのイスラム教の聖地「ハラ ム・アッシャリーフ」に護衛をつれて足を踏み入れる。 目的:エルサレム全体はイスラエルの支配下だと示す ↓ 第二次インティファーダ(アルアクサ・インティファーダ) 投石・銃・自爆攻撃 パレスチナ人の犠牲者5年間で3300人以上 2001年 シャロン、イスラエル首相に。 「和平より治安を」 検問所・・・パレスチナ人の仕事・教育マヒ 壁の建設 ユダヤ人のみが移動できる道路 2001年同時多発テロ → テロへの報復 77 2-9-3 悪くなる状況 ★憎悪の報復の連鎖 パレスチナ人自爆テロ→イスラエル報復→テロ→・・・・ 例 2002年 ①アラファト議長監禁 3月27日:ユダヤ教徒の大切な祝日「過ぎ越しの祭り」 ・・・パレスチナ人の自爆テロによりイスラエル人19人死亡 3月29日:ラマラにイスラエル軍戦車部隊侵攻。 ・・・自治政府の総合庁舎砲撃、電気・電話・水道止め、アラファト議長監禁。 ②ベツレヘムの教会 4月3日 ベツレヘムのキリスト生誕教会で200人近くを閉じ込め、戦車で包囲、クレーンの先端に狙撃 兵を配置して教会内部へ乱射。 ③ジェニン難民キャンプ虐殺 4月6日~19日 ジェニンの難民キャンプ虐殺・廃墟化 ・・・ハマスやイスラム聖戦のメンバーが多く住む パレスチナ人自爆テロで対抗→上空からミサイルで無差別攻撃 ブルドーザーで住宅を破壊 78 2-10-1 2006年~現在まで 2006年 イスラム原理主義組織ハマスがパレスチナ立法評議会(PLC) の選挙で過半数獲得。 ハマス・・・ムスリム同胞団が源流。イスラム教の教えを正しく実行し、個人、 家庭、社会と下からイスラムの教えを復興させよう。イスラエル、PLOのライ バルとして黙認。 ↓ 国際社会は、ハマスをテロ組織であるとして認めず。 ↓ ファタハとハマスの対立。パレスチナ側の分裂。 ↓ ハマス、実質的にガザ支配。 勢力拡大の理由 ①和平の停滞(ファタハ・・・和平路線) ②アラファトの死 ③ハマスの社会活動(人道NGOといえる) 79 2-10-2 2006年~現在まで ★ガザ攻撃 2008年12月26日 イスラエル、ガザに空爆→陸上部隊侵攻 死者数 パレスチナ1400人以上 イスラエル13人 ★2010年 南アメリカ諸国においてパレスチナの国家承認の動き ★2011年 5月 イスラエル占領に抗議する集会・デモ → イスラエル軍砲撃・発砲 → 12人死亡 9月9日・10日 エジプト革命がおきたエジプトで、イスラエル大使館がデモ隊に襲撃される 9月23日 パレスチナが史上初めて国際連合への加盟申請 →アメリカ拒否権行使する? →「パレスチナの春」としての独立を求める 10月31日 国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の加盟国として承認 80 2-11-1 パレスチナ問題と国連機構まとめ ★なぜアメリカはイスラエルを支持するのか? ①ソ連の影響力の排除 ・・・エジプトやシリアへの武器輸出消極的 ②石油の確保 ③イスラエルの安全保障 ・・・アメリカのユダヤ人 ・教育水準が高い ・経済的成功 → 大統領選挙資金(伝統的に民主党支持) ・人口の大きな州に集中(ジューヨーク) 81 2-11-2 パレスチナ問題と国連機構まとめ ★パレスチナ問題を解決する上での問題点 エルサレム問題 土地の取り分の問題 水資源問題 ・・・年間降水量が少ない。川、湖、地下水も少ない。 ⇒人口増加し、消費量増加した時にどう分配? 難民の帰還権 ・・・難民、その子孫をどうするか 難民総数500万人以上 二国家解決案か、一国家解決案か 82 2-11-3 パレスチナ問題と国連機構まとめ ★守られない国連決議と条約 第一次中東戦争 → 国連総会決議194号 難民の帰還権 第三次中東戦争 → 国連安保理決議242号 イスラエルの占領地からの撤退 第四次中東戦争 → 国連安保理決議338号 停戦要求 インティファーダ → ジュネーヴ第4条約 戦時および占領下における民間人の保護 考察と結論 3-1 二つの紛争の比較 二つの異なる紛争から同じような構造が浮かび上がってくる 富める者 パワーを持つもの キリスト教徒 貧困 無力 イスラーム • テロvsテロとの戦い • アメリカのイスラエル支持が9.11の遠因 以上のようなことからこの二つの紛争は同じ文脈で語られるこ とが多かった 3-2-1 同一視の危険性とプロパガンダ 確かに構造的に似てはいるが、同一視することは危険 ←テロが起こっている文脈が異なる • 9.11 アメリカの様々な行動に対する原理主義者のジハード • パレスチナ 国を追われた者の抵抗運動 →これら二つの紛争の同一視によって様々な誤解を招きかね ない • パレスチナとアルカイダの同一視(パレスチナ人はテロ組織ではない) • アラブ人=イスラーム=悪という認識の広まり ←この同一視の論理を補完したのはプロパガンダである 3-2-2 同一視の危険性とプロパガンダ 【9.11におけるプロパガンダ】 • 何度も世界貿易センタービル崩壊の映像を世界中に流す →「テロ=悪」を強調することで相対的に「対テロ=正義」を浮 かび上がらせ自らの攻撃を正当化 • 9.11に歓喜の声を上げる「アラブ人」の様子を繰り返し放映 →アラブ人に対するヘルトクライムの発生 • アメリカのイスラエル支持者が「いまや我々はみなイスラエル 人だ」などと言い、同時多発テロとパレスチナのテロ行為を結 びつけた →イスラエルの攻撃を正当化 ⇒それぞれの歴史を顧みずに「世界テロ」(パレスチナのテロの 世界化)と単純化して考えてしまうのは誤解を招くため危険 3-3-1 アメリカとイスラエルの相似点 二つの紛争の構造は同一視できないが、テロの被害にあった 国の対応の仕方は同じだと言える ⇒両者ともに安全な暮らしのための「テロ撲滅」を掲げ、武力に よってテロリストを排除しようとしている 3-3-2 アメリカとイスラエルの相似点 御存知の通り、テロはなくなるどころか逆に増加の一途をたど るのみ ⇒テロの根源となっているのは「貧困」や「抑圧」であり、その問 題に対してアメリカとイスラエルは「対テロ戦争」を行うことに よって目をそらしている ⇒暴力行為(テロ)に暴力行為(対テロ戦争)でかえす「負の連 鎖」 ⇒結果戦争は長引き、解決する術がない ☆「テロ」という言葉に関連した全ての紛争の問題点ではない か 3-4-1 対話の試み テロの原因…貧困、抑圧などによる無力感・絶望 →それを和らげるというのが「テロなき世界」において一番必要 なことなのではないのか? …暴力に暴力でかえすだけでは対立は終わらない ⇒その代替物としての「寛容」による対話 3-4-2対話の試み ☆対話の試みの例 • コソヴォ紛争 • アパルトヘイト ⇒根深い対立が暴力で解決された例はなく、対話のみが解決 への可能性を生んできた 3-5-1 国際立憲主義 暴力に対して暴力を生まないための方法 →国際社会に法の支配を植え付け、法を犯した者が中立的な 第三者機関に裁かれる必要性 =暴走したものを止めることができる ☆「対テロ戦争」の最大の問題点は「正義の個人化」 (自己判断的な正義の基準で行動すること) ⇒国際立憲主義の試みは「正義の普遍化」を可能に =テロに対する「勝手な」報復を予防することができる 3-5-2 国際立憲主義を阻害するもの エスノセントリズム(自民族中心主義) =非協力的な国家が国際立憲主義の構築を妨げる 例①国連においてアメリカは国連に支援している金額の比率で 投票権求める(IMFや世界銀行のように) →国の大小を無視するような国際民主主義は達成されない 例②国際刑事裁判所(人道に対する罪、ジェノサイド、戦争犯 罪が取り扱われる)にアメリカが未加盟 →アメリカ軍が法的真空となる ☆国際立憲主義が達成されるためには協力する姿勢が必要と なる 3-6-1 暴力とは―平和学の観点から― 平和学において平和は2つに大別されている 消極的平和…武力行使がないという意味での平和 積極的平和…社会的公正が達成されるという意味での平和 3-6-2 暴力とは―平和学の観点から― 暴力 直接的暴力 間接的暴力 消極的平和 積極的平和 平和 直接的暴力をなくす=テロへの報復の抑制(=国際立憲主義) 間接的暴力の抑制=テロ行為の抑制 3-6-3 暴力とは―平和学の観点から― 暴力 直接的暴力 間接的暴力 消極的平和 積極的平和 平和 直接的暴力をなくす=テロへの報復の抑制 間接的暴力の抑制=テロ行為の抑制 3-6-4 暴力とは―平和学の観点から― 往々にして片方の達成によりもう片方が犠牲になる 例.警察国家 =平和の達成とはいえない(テロ行為はなくならない) ⇒消極的・積極的平和(社会公正や平等の実現)両者の達成 が本当の意味での「テロの撲滅」といえる 3-7-1 積極的平和のためのアクター ① 国連 第二次世界大戦での反省から「枢軸国の台頭を生まないように」という目 的のもとに作られた「消極的平和」を実現するための組織(安保理中心 型) →冷戦勃発に伴い安保理が凍結、国連軍すらできず ⇒「牙を持たない国連」の誕生 しかしこの間に国連は「現業活動(=開発援助、教育援助、食糧援助など (多くが総会によって設立された)国連機関が現地で行う活動)」を増やす ⇒国連の志向が「積極的平和」に 3-7-2 積極的平和のためのアクター ② 非政府組織 国連ではどうしても世界各国の人が何に苦しんでいて何を望んでいるの か把握するのは厳しい →NGOなどの市民活動が国連の目の届かないところを補完する NGOが国連の会議に参加することも(90’s~) ⇒NGOと国連が手を合わせることによって社会的公正が進められる 3-8 暴力なき世界に ① 直接的暴力を国際立憲主義の確立によって未然に防ぐ =消極的平和の実現 …本当の意味での「国連改革」の検討(法の支配を国際社会に根付かせ るため) ② 間接的暴力を草の根的な対話によってなくしていく =積極的平和の実現 …テロの要因となっている不平等をなくすため ☆①と②がバランスをうまくとりながら同時進行的に進むことで で「平和」が実現される 3-9 そして 積極的平和の実現に欠かせない3つ目のアクター=「あなた」 平和を信じる個人の存在が互いを勇気づける ⇒対話の道が開ける 102 参考文献 ―書籍― • 安部川元伸著『国際テロリズム101問』、立花書房、2008 • アマルティア・セン 『アイデンティティと暴力』、勁草書房、2011 • アマルティア・セン『自由と経済開発』、日本経済新聞出版社、2000 • アマルティア・セン『貧困の克服』、集英社新書、2002 • アラン・ダーショウィッツ『ケース・フォー・イスラエル 中東紛争の誤解と真実』、ミルトス 2010 • 池上彰「そうだったのか!現代史」、集英社 2000 • 池上彰「そうだったのか!現代史パート2」集英社、2010 • イマヌエル・カント『永遠平和のために』、岩波文庫、1985 • エドワード・E・サイード 『オスロからイラクへ―戦争とプロパガンダ―』、みすず書房、2005 • エリアス・サンバー『パレスチナ』、創元社、2002 • オリバー・ラムズボサム、トム・ウッドハウス、ヒュー・マイアル『現代世界の紛争解決学』、明石書店 2009 • 小俣和一郎『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』、第三文明社、2003 • 鏡武『中東紛争』、有斐閣選書、2001 • 片桐悠・久住文雄『アフガン戦争の意味』、あかね図書販売、2002 • 加藤秀治郎『政治学の基礎』、一藝社、2002 • 川村享夫『ブッシュの世界戦略』、ダイヤモンド社、2003 • 川本兼『平和のための政治学』、明石書店、2006 • 小山茂樹・大原 進『世界の紛争~イスラム・アメリカ対立の構図~』、東京書籍、2002 • 酒井啓子『中東の考え方』、講談社、2010 103 • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • ジョセフ・ナイ『国際紛争 理論と歴史 原書第8版』、有斐閣、2011 ジョナサン・バーカー『テロリズム その論理と実態』、青土社、2004 高橋和夫『アメリカとパレスチナ問題―アフガニスタンの影で』角川書店、2002 高橋和夫『アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図』講談社 1992 高橋和夫『なるほどそうだったのか!パレスチナとイスラエル』幻冬舎、2010 チャールズ・タウンゼンド 『テロリズム』、岩波書店、2003 野間佐和子『アメリカvs.イスラム~宿命の永久戦争の世紀~』 、講談社、2001 花崎皋平『アイデンティティと共生の哲学』、筑摩書房、1993 広河隆一『パレスチナ』、岩波書店、2002 藤岡惇『グローバリーゼーションと戦争』、大月書店、 2004 マイケル・ベーレンバウム『ホロコースト全史』、創元社、1996 マーティン・ギルバード『エルサレムの20世紀』、 草思社、1998 マーティン・ギルバード『ユダヤ人の歴史地図』、明石書店、2000 ミシェル・チョスドスキー『アメリカの謀略戦争』、本の友社、2003 メイヤ・レヴィン『イスラエル建国物語』 、ミルトス1994 最上敏樹『国境なき平和に』、みすず書房、2006 最上敏樹『国連とアメリカ』、岩波新書、2005 最上敏樹『いま平和とは』、岩波新書、2006 最上敏樹『国際機構論 第2版』、東京大学出版会、2006 最上敏樹『国際立憲主義の時代』、岩波書店、2007 山井教雄『まんがパレスチナ問題』、講談社 2010 104 • 養老孟司『ヒトはなぜ戦争をするのか?』、花風社、2001 • 吉見俊哉『社会情報学ハンドブック』東京大学出版会、2004 • ヨハン・ガルトゥング『構造的暴力と平和』、中央大学出版部、1991 ―雑誌論文― • 現代思想2011年9月号 臼杵陽『ポスト・アメリカ時代へ向かう中東とイスラエル』 坂井定雄『エジプト革命が開く新地平』 西谷修『2011年、二つの歓呼』 板垣雄三他『予め破綻した戦争の後に』 小田切拓『今こそガザ地区に向き合う時』 鈴木均『対テロ戦争からアラブ民衆の覚醒へ』、青土社 • 世界2011年7月号 最上敏樹『動き回る世界大戦、混濁する世界秩序』、岩波文庫