Transcript パワーポイント
ヨーロッパ人の 東アジア進出 15世紀後半~16世紀 ヨーロッパ諸国は世界へ 進出した =大航海時代 ① ポルトガル 喜望峰航路でアジアへ進出 アジアでの根拠地 ゴア(インド) マラッカ(マレーシア) マカオ (中国)根拠地 現 在 の マ カ オ キ リ ス ト 教 教 会 砲 台 マカオタワーから見た市街地 1543年8月 ポルトガル人を 乗せた中国人倭寇の船が 日本の 種子島 に漂着 →鉄砲伝来 平戸へ来航(1550) →貿易開始 平 戸 港 の 風 景 平戸港 遠くに見えるのは平戸城 ポルトガル船入港の地 平戸オランダ商館跡 ②スペイン(=イスパニア) 根拠地 マニラ(フィリピン) ・平戸に来航 →貿易開始(1584) 平 戸 港 日本人は ポルトガル人や スペイン人のことを 南蛮人 とよんだ 鉄砲伝来 ①種子島時堯 が鉄砲を 2挺購入 (1543) 種西 子之 島表 時市 堯 問1:島主種子島時堯が ポルトガル人から2丁の鉄砲 を2000両で購入しますが, 現在の貨幣価値(米価が基準) で換算するとどのくらい? ①5百万円 ②1千万円 ③2億円 問1 解答: ③ 2億円 米価から計算した金一両の価値は, 江戸初期で10万円,中~後期で3~ 5万円,幕末頃には3~4千円になり ます。 江戸時代初期と同じ価値だと 仮定すると,2億円と推定されます。 (参考)日本銀行金融研究所貨幣博物館 http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_faq.htm#question1 種子島へ鉄砲の 製作技術が伝来したこと ≠ = 偶然のできごと 鉄門 砲倉 伝岬 来 の 碑 → 種子島から他の地域に 鉄砲の製造法が広がった 理 由 ことには理由がある 潮漂① 船流流種 ののし子 漂存た島 着在船周 が が辺 多 流の か れ潮 っ 着流 た 理由②砂鉄が採れた 門倉岬の周辺をはじめ, 砂鉄がとれる砂浜が種子島 には多く存在した 鍛以 理 冶前 由 のよ ③ 技り 製 術砂 鉄 が鉄 ・ 鍛 発を 冶 達利 技 し用 てす 術 いる の た製 存 在 西之表市 鉄匠八板金兵衛清定像 鉄 問2:1543年は種子島にポル トガル人が漂着したとされる年 ですが,当時の種子島の島主 種子島時堯はこのとき何歳 だったでしょうか? ① 16歳 ② 26歳 ③ 36歳 問2 解答: ① 16歳 種子島時堯は年若く好奇心旺盛 だったため,鉄砲の威力を見て 即座に2000両の大金を支払い鉄砲 二挺を購入したといわれています。 →家臣に使用法・製造法 を学ばせた →鉄砲製作技術の伝播 鉄砲の国産化 近江国=国友 和泉国=堺 紀伊国=根来 国友 堺 根来 種子島 ②戦法の変化 騎馬隊 →足軽鉄砲隊