ブータンの課題点

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ブータンの課題点
①外憂内患の政治
第4代国王ジグメ・シンゲ・ワンチュク
• 国土消失の危機を回避するため,1989年に「ブー
タン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を
施行し,チベット系の民族衣装着用の義務付け,ゾ
ンカ語の国語化,伝統的礼儀作法の遵守などを実
施した。
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迫る国土消失の危機
ブータンは,これまでたえず脅威にさらされてきた。周囲の
他の仏教国はみな姿を消した。まずインド北部のラダック
は1842年に崩壊し,のちにインドに吸収された。ブータン北
部にあったチベットは1950年に中国に侵略されて以来,ず
っと実効支配を受けている。東隣のシッキム王国もネパー
ル系住民が勢力を増したことをきっかけに,1975年にインド
に編入された。第4代国王が即位して,わずか3年後のこと
である。
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ラダック
中華人民共和国
1950年編入
チベット
シッキム
1975年編入
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1971
国際連合加盟
1990
反政府運動激化(4代国王時代)
南部のネパール系住民が国外脱出
1998
2000年代
2005
難民発生
中国との間で1959以前の境界尊重が確認
2006
中国による越境行為頻発
4代国王,2008の総選挙後の立憲君主制移行
を表明
中華人民共和国が新国境を主張
2007
5代国王即位
2008
新憲法公布,初の民選首相選任
立憲君主制へ
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2006年中華人民共和国により領土侵食
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インドとの防衛協力関係
全国防予算をインドが負担している他,インドから資金
・装備・訓練の支援を受ける等インドとは特殊な関係に
ある。
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2013年7月~の新首相トブゲイの政策
• 前政権は,物質的な豊かさより精
神的な満足度を重視する「国民総
幸福(GNH)」を重視してきた。こ
れについて2013年7月に与党を破
り,首相に就任した野党党首のト
ブゲイ氏は「GNHは国際的な注
目を集めたが,国民の利益には
なっていない」と批判した。
• 国民総幸福量(GNH)の概念か
ら距離を置き,「もっと具体的な
政策目標の下で,国民がもっと
勤勉になり,自分たちの食糧を
自給できるようにし,また自分た
ちの住居も自力で作れるように
なりたい」と語った。
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前首相ティンレイの政治(2008年~2013年7月)
GNH重視の政策
対中接近政策
2012年6月にブラジルで行
われた中国の温家宝首相と
の会談で,両者は外交関係
樹立,未確定国境の確定を
目指すとした。秋にはブータ
ンの郵政公社が中国製バス
15台を,インドの支援金で
調達した。
インド関係を後退
国民議会の選挙直前の今月初め,家庭用ガスのインドによ
る補助金が廃止され,価格が2倍以上に急騰した。有権者
の間では,調和党政権の対中接近にインドが懸念を強めた
ことが,補助金廃止につながったとの見方が広がっていた。
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新首相が決めたインドとの関係
• ブータンはインドと中国
という大国同士の睨み
あいの中で,インド側に
立つことを決めた。
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2012貧困率
• 2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると,
1日2ドル未満で暮らす貧困層は17万人と推定され,
国民のおよそ25%を占めている。国際連合による基
準に基づき,後発開発途上国(最貧国)に分類されて
いる。これに対して国内には,GNIよりも経済発展を
望む主張もある。
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国王トップダウンの民主化プロセスへの批判的意見
• 民主的といわれる憲法の起草と,国王主導の民主化プ
ロセスは,「革命による王政の転覆」を回避し,真の代表
制民主主義を遅らせるためのものである。
• 憲法は国王の特権については,国王の政治特権をあい
まいなまま残した。また独立した司法を定めず,宗教,言
語,文化的自由をはっきりと認めなかった。
• ブータン政府は野党(現在はほとんどが亡命中)と権力
を分かち合う気はない。また,国民のかなりの部分,特に
ネパールとインドの難民キャンプに住む人々への基本
的権利を否定し続けている。全国民の3分と1以上が
家を追われ,選挙権が奪われている。
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②直近の
自然災害の脅威
ブータンの地震ハザードマップ
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ブータンの自然災害の脅威
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GLOF(氷河湖決壊洪水)の脅威
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GLOF(氷河湖決壊洪水)の原因
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「雨季のウォンディポダン」の川の増水
・・・ここで洪水が起こったら・・・
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地震の脅威
20011年の地震で被災した小学校にユニセフが
提供したテント(ワンディポダン)
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地震の脅威
ユニセフの提供テントで授業をする低学年児童
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③教育
学歴で,将来の職種が決定する社会システム
教育制度上,学校卒業時の成績で「仕事」が
決まるため,職業に取り組むモチベーション
が低い人たちも多い。
ほんとうは大学に行きたかった看護士さんなど
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大学へのハードルの高さ(ハイレベルな教育)
12年生では数学大国インドの厚い教科書を利用
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進級のむずかしさ
2011年には,初等教育(小中学校)は97%,中等教育(
高校)は55%が就学しているとデータが発表。進級の際に
は試験がある。万が一,不合格であれば留年をするか学
校を去るかのどちらかになる。義務教育ではないため,こう
いったケースが発生する。そのためクラス12まである中等
教育を終えず,クラス10まで勉強をしたというブータンの人
もいるし,進級の際に授業料が有料の私立学校に移ること
もある。また中等教育のクラス12を卒業した人が大学に進
む場合,国内に大学が少ないので非常に狭き門である。
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6歳~18歳の小学校の出席率(%) 2005年
• 児童・生徒が通う学校は1985年から整備され始めた
が,地方ではまだ学校が不足している。そのため,現
在もまだすべての学校段階を義務教育にすることは
できずにいる。学費は無料だが,制服代などの雑費が
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2012識字率(%)
(4代国王以降,高くなったがそれでも全体で50%)
首都・ティンプー
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農村地域の貧困率(%)
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農村地域のある学校での
国際援助団体による学校給食プログラム
の支援内訳
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都市部の学校の昼食(自宅からの弁当)
農村部の学校の昼食(WFPや地元有志による配給)
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④医療
病院への平均アクセス時間
(2007年)
色が濃いほど時間がかかる
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地域別のカロリー摂取状況(食事情)
色が濃いほど食事情が悪い
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5歳未満の発達阻害児の割合(県別:2007年)
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総合病院で働く青年海外協力隊の隊員
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総合病院で働く青年海外協力隊の隊員レポート1
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総合病院で働く青年海外協力隊の隊員レポート2
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総合病院で働く青年海外協力隊の隊員レポート3
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人工透析の道具は,水道で洗って何度も使う
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現代医療の病院のICU(集中治療室)の様子
治療で使うガーゼは,ガーゼ布を切り,折って作る。
また患者に使うときは,普通のテープで留める。
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現代医療の病院のICU(集中治療室)の様子
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現代医療の病院の人工透析室の様子
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⑤生活の変化
農村部からの人口流入による建設ラッシュで,
消えゆく棚田
都市部の多くの棚田が次々に宅地,アパートやホテルの建設用地に
変わっている。首都周辺の棚田はこれからの数年でほぼ全てが宅地
に変わってしまうだろうといわれる。
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都市部からのゴミの急増
首都ティンプー郊外の山中にあるメメラカ処分場
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メメラカ処分場の廃液は,漏れ出して,山中の沢へ
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情報化の進展
• ブータンでは1999年にはテレビ放送とインターネットサービスが
解禁された。現在のネット普及率は14%。Facebook利用人口も9
%。首都ティンプーにはインターネットカフェが増えている。
• テレビのある世帯は全体の28%,携帯電話は11%,コンピュータ
ーは約3%に普及している。近代的な通信網が整うにつれて,人
々は世界はもちろん,国内でも結びつきを強めている。
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首都ティンプーで渋滞回避のための交通整理
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物質至上主義的で画一的なグローバル文化が,ブータン人の価値
観をむしばんでいる。政府もテレビ放送の制限に乗りだし,音楽チ
ンネルのMTVやファッションチャンネル,過激なレスリングを売りに
るスポーツチャンネルなどが禁止された。
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韓国スターが若者の間で人気がある
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首都ティンプーにできたショッピングセンター
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首都ティンプーの街中の様子
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⑥ローツァンパへ
(ネパール系住民)への対応
もともとネパール人がブータンにきた理由
• 実際には,ネパール人はブータンに1624年以来,
住んできた。19世紀と20世紀の前半,ブータン政
府に誘われて,労働者や建設労働者として多数や
ってきた。
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ブータン国内の学校に通う
ローツァンパの女の子(右下)
女の子が勉強が分からなくて困っていたら,先生から,
「あなたの親の教育がしっかりしていないから,そうな
るのよ」と叱られていた。
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難民キャンプ1
遠景
診療所
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難民キャンプ2
子供が多く3交代の学校
食料の配給
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11万人の難民が流出している
ネパール・インドの難民キャンプ
難民キャンプには,ヒンドゥー教寺院の他に仏教
寺院やキリスト教系の集会所があり,ブータン国
内よりも人権や自由,多様な文化への尊重がある
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政治犯として1989~99年までブータン政府
に拘束されていたテク・ナット・リザル氏
(前国王の諮問委員)
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難民問題・・・・国際援助団体からの情報
1980年代末期から第4代国王は,一民族,一国家 主義に基
づく「チベット系の民族文化・礼儀作法・言語・宗教・服」の
全国民への強制をはじめた。例えば暑い南部で北部の民
族衣装の着用を強制した。これに対して抗議の中心人物と
なったテク・ナット・リザル氏(前国王の諮問委員)は逮捕さ
れ後にネパールへ亡命。半年後にはブータン政府に誘拐さ
れて,89年から99年まで囚人となった。同化政策に反対し
たネパール系エリート層も逮捕され,ネパール系(主にブー
タン南部在住)のデモ(他の民族系住民も参加)は徹底的に
弾圧され,1000人以上が警察・軍に殺害された。次に政府
は,追放政策を実行した。虐待・拷問・レイプなどがあったと
言われる。ネパールやインドへの難民数は,2003年には13
万人以上。人口約70万人の国で驚くべき数だ。いまだブー
タン政府は,王室関係者や一部政治家・軍人(エリート)に
利益を供する政治を行い,体制批判者は排除している。
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第4代国王による「ローシャンパ追放」の理由
1. ブータンでネパール人が多数派になると,もうひとつ
のシッキムになってしまうことをあげた。シッキムは
ネパール人が多数派を占め,1975年,投票でインド
に入ることを決めた地域である。
2. ブータンに定住し国籍も取得しているにも関わらず,
ネパールやヒンドゥー教に基づいた生活様式や文化
を頑なに守ることで,国家に対して非協力的な態度を
取っていた。
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