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ウィニコットの臨床から見た理論
妙木 浩之
精神分析のなかでの小児医学
児童分析の先駆者たちはほとんどが教育
者、あるいはクラインがそうであるように、
小児科医ではなかった。例外ボウルビィ、
マーラーら
 もともと児童精神科の歴史が浅いこともあ
るが、小児科医は一般に忙しく、精神分析
の訓練、児童分析の訓練を受けることが
難しかった。

ウィニコットのトラウマ
母親のうつ病は、ウィニコットの人生にいろ
いろなところで深刻な影を投げかけている
。クラインとの関係でも、一度目の結婚の
対象選択でも、そして子どもがいなかった
ことでも。
 1917年に駆逐艦の医学生として順軍して
、第一次世界大戦で多くの友人を失った。
⇒夢が見られなくなり、精神分析に。

1917年 バーソロミュ病院で医学を勉強し
ていたときに、従軍。(トラウマ)
1920年 病院で働き始める。
1923年 アリス・テイラーと結婚。子どもの
病院で働き始める。ストレイチーと分析を
始める。
トラウマ、夢が見られないこと、そし
1925年に母親が心臓病で亡くなる。生涯、
ウィニコットが悩まされる病で。
ここで子どもの病棟をもたない選択をして、
外来に特化する。
1927年に精神分析協会の候補生になる。
1933年にストレイチーとの分析を終える。
1935年 協会のインスティチュートを卒業し
て、児童分析のためにクラインからスーパ
ーヴィジョンを受けるために、クラインの息
子エリックを治療していた。
1936年にジョアン・リビエールから分析を受
ける。
1941年に分析を終える。
1941年 第二次世界大戦の疎開計画
個人的体験から
傷つきやすさの活用という視点から
 ウィニコットの母親について、多くの証言がうつ
病であったと語っている。姉たちは結婚していな
い。
 第一世界大戦で仲間を失い、夢を見られないと
いう症状で精神分析と出会う。⇒分析
 最初の結婚相手が、精神障害をもっており、青
年期から成人期をその介護に費やす
その後
 第二次世界大戦における疎開活動
 そこでのクレア・ブリットンとの出会いと不倫
ウィニコットの臨床1:小児科医
1931年『小児科医の臨床ノート』「落ち着きのなさ」
舞踏病の時代に、子供たちの心理的な理由から落ち着
かない子供の観察をした。
論争以前の英国、クラインの大きな影響を受けながら、分
析を行う。唯一の男性児童分析家。
1935年「躁的防衛」→クライン派の仕事
+小児科医としての仕事
1935年よりクラインの息子の分析をし、おおびクライン
からのスーパーヴィジョンを受ける(40まで)。
→独立への道
1941年「設定状況」
⇒クライン学派からの離脱の時期にあたる
母親の謎
仮説「母親は抑うつ的であった」
複数の母親たち- 忙しい父
67歳の手紙(義理の兄へ)-リトルの証言
1948年「母親の抑うつに対して組織さ
れた防衛の観点から見た償い」
↓
治療における環境の位置づけ
Winnicott
アンナの発想のなか
にあった環境論:教
育論を引き継ぎ、クラ
インの内的幻想の技
法を生かそうとしてい
るという点で、中間的
である。
環境のことを考える
のは小児科医なら当
然だろう。
ウィニコットのクラインへの見解
乳幼児性の重要な貢献を認める
 メラニー・クラインの解剖語には賛同できな
い(もちろんポストクライン学派もこれには
賛同していない)
 早期不安の解釈は、ある意味では正しい
が解釈はそれ以外のものでもある→後述
 母子交流の言葉は母国語であり、専門用
語ではありえない(フロイトを読まないウィ
ニコット:精神分析家として)、まして病気で
はない。

ウィニコットのメラニー・クラインとの関係
クラインが重症の鬱症状に悩んでいたことは多くの
同時代人が目撃している。
ウィニコットは彼女の息子の治療者である。
 再び1948年「母親の抑うつに対して組織された防衛
の観点から見た償い」
→彼女との関係が破綻した後に書かれた論文と
しての意義:独立宣言→51年「移行対象」
 にもかかわらず一定の距離を持ち続け、二番目の妻
がクラインの分析を受けることを感受した。

大戦の傷
第一次世界大戦で医大生として参戦し、
多くの同僚を失う→PTSD
「夢がみられなくなる」という症状
↓
1.精神分析との出会い
2.外的環境の内界への影響
3.環境欠損の子どもたちのケア(戦火のな
かの疎開計画)
ある反復:発病した妻
1923年7月7日 結婚 →発病 「若い頃のウィニコ
ットの精力を使い果たした」(カーン)
23-25年に起きた多くの出来事
↓
1.子どもを作れなかったことと不倫
2.疎開計画への熱意
3. 在宅でのケア(反社会的傾向):マネージメント
1955年「在宅で取り扱われた症例」
4.holdingと逆転移の意味の深さ
分析体験:ストレイチーとリヴィエール
1923年結婚後にジョーンズに相談して、「抑制
的な若者」であった彼はストレイチィから分析を
受け始める。同時にsvもしていた。ストレイチィ
はしばしばウィニコットがお金の問題を起こすこ
とを憂慮していた。分析は1933年まで続く。
1927年に候補生、1934年に精神分析家、
1935年に児童分析家になる。ともに準会員。
 その後1933年から1938年までリヴィエールに
分析を受ける。1936年に英国精神分析協会正
会員になる。分析はクラインとの確執のなかで比
較的悲惨な終末を迎える。

フロイトをドイツ語で読まないこと
ストレイチィという分析家がしばしばウィニコット
にフロイトを読むことを進めたらしい。だが彼は
あまり読まなかった。
 後にクラインへの手紙(1952年)の中でクライン
学派の組織に苦言を呈して、自分の言葉で表現
することを求める。自分であることpersonalの意
義を求め続ける。
 母子の原初的な交流は母国語か、普遍語か
ウィニコット:母国語が臨床語である。
言語臨界期:三歳から八歳

夢分析の歴史の中で
夢分析の研究の歴史の中で彼のオリジナ
リティは、
1.夢をみるキャパシティがある
2.夢は語る人がいる(怖い夢を語る子供の
親)
3.治療者は、患者の侵襲に対して、反応して
夢を見ることがある。それを理解することで
情緒的に次の段階へ進める。

逆転移のなかの夢
……たとえ想像上であっても,私が彼女の身体と
まったく何の関係も持たないことを要求していた
。彼女には自分のものとして認識される身体が
なく,仮に彼女が存在するとしても,自分自身が
単に心だけだと感じられたであろう。…彼女が私
に要求していたのは,彼女の心に話しかける心
だけを持つべきだということだった。
「逆転移における憎しみ」(1947)
ウィニコットの理論的発展
1.
ストレイチーの分析(1923-33):古典的なフロ
イト的解釈
2. クライン派の時代(1935-46):「躁的防衛」
(35)
/「設定状況」(41)
3. 母性的環境仮説の着想(41-46)
定型的な治療構造から疎開計画の体験
4. 理論的な進歩(46-51)
環境としての母親、クラインから離脱
5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)
治療的な技法の定式化
→リトル(49-)、カーン(51-66)
ウィニコット独自の仕事:発達の理論
1945年「原初の情緒発達」
1) integration
2) personalization
3) realization
最初は病気ではない。
無統合unintegration
↓
陰性のものがすべてではない。
無慈悲な段階(思いやり以前)
→現実適応
攻撃性は天性のものではない


最初子供は無統合で、Motility(運動性)が中心
である。だから相手のことよりも、運動性が前面
にあるので、環境からは、陰性の無慈悲な状態
に見える。だがそこで母親は母性的な機能によ
って、それを抱えるので環境によって、攻撃性に
見えるだけである。
陰性のものの裏側には、環境への期待があり、
環境側はそれを逆転移によって耐えることが必
要になる。
ウィニコット独自の仕事:環境論へ
1948年「母親の抑うつ」
1950年代→ マネージメント
1952年「症状の容認」
分析体験の完成
1947年「逆転移のなかの憎しみ」
クラインからの離脱と自分のあり方
1951年「移行対象論」
赤ん坊というものはない
「赤ん坊」という存在はない。赤ん坊と母親
(養育者)は対であり、乳母車があれば、そ
こには母親がいる。
 精神病は、無統合な時期の環境欠損病で
ある。
 早期の失敗を補うには、母性的な機能の
必要な段階への退行が必要になることが
ある(精神病性の転移:リトル)

母親的な没頭
maternal preoccuaption
母親的機能
 Holding
 Handling
 Object-presenting
母親や養育者に備わっている本能の
解除によって生み出される。→精神
病的なものに対する治療技法
クラインとウィニコットとの亀裂
フロイト-クライン論争後
 中間学派を選択した人たちの意思
 ウィニコットの臨床実践と理論がクラインの
それと異なっていた
↓(46年~51年)
1951年「移行対象」論文
攻撃性の直接解釈を二次的なものにし
た
ウィニコットとクラインとの相違
分裂妄想ポジションは存在しない。
病的な表現は原初の母子関係を正確に記述し
ていない。無慈悲な時期は存在するが、それは
環境がほど良ければ自然に統合される。
 死の本能はない。
子ども時代にあるのは運動性であり、それが対
象を見出せないときに、攻撃的、破壊的なものと
して表現される。
 乳幼児期は健康な環境のなかでは、不安に満ち
ていない。発狂や精神病は環境欠損病である。

小児医学から精神分析へ
1941年「設定状況における幼児の観察」
舌圧子
医師
母親と子ども
第一段階
驚きから「ためらい」の段階
第二段階
欲望を受け入れて、口で噛む、空想する
遊べる段階
第三段階
捨てられる。放っておいても大丈夫な段階
生後5ヵ月から13ヵ月(13ヵ月過ぎると幅が
広がる)に典型的なやりとり。
小児医学から精神分析へ
「児童部門のコンサルテーション」(1942)
「小児医学と精神医学」(1948)
小児医学に精神分析は必要だが、現実に
は全部の子どもに行うことができない。
「小児医学における症状の容認:ある病歴」(
1953)
「在宅で取り扱われた症例」(1955)
別の方法を考える⇒マネージメント
移行対象
1951年「移行対象と移行現象」
生後4、6、8、12ヶ月に発見される
最初の所有物
1952年「精神病と子どものケア」
中間領域と移行対象の理論、そして精神病
↓
1. 枠組みと治療空間、間の体験
2. スクウィッグルと相互作用
3. 内と外、パラドックスの発見と理解
間の体験とパラドックス
錯覚の瞬間 illusionment
二つの線が出会うことで空想と創造が
行われる中間領域が出来る。
↑
↓
 脱錯覚の領域 disillusionment
徐々に失敗することで間が作られる。

交流することと交流しないこと
一人でいられる能力 capacity to be
alone
無慈悲から思いやりの段階への発達
 偽りの自己の形成
環境からの侵襲に対して組織される自己
 交流する領域と一人の領域
交流と内省

治療相談therapeutic
consultation
精神療法面接とは異なる技法
二三回あえば治る症例に対するもので
転移と抵抗を扱うよりも
間の体験のなかでクライアントのニードに合わ
せた体験を提供する。
 スクィグル技法
 オンディマンド法
 在宅などの環境の活用
素材としてのスクィグルの特徴
1.
2.
3.
治療者のほうが子供たちよりもなぐりが
きが上手で、子供のほうがたいてい絵を
描くのが上手である
スクィグルには衝動的な動きが含まれて
いる
スクィグルは、正気の者が描いたのでな
い場合には狂気じみている。そのためス
クィグルが怖いと思う子供もいる
素材としてのスクィッグルの特徴2
4. スクィグルは制約をつけることはできるが、それ
自体は制約のないものである。だからそれが
いたずら描きだと思う子供もいる。これは形式
と内容という主題に関係している。用紙の大き
さと形がひとつの決め手となる。
5.それぞれのスクイグルにはある統合が見られる
が、それは「私」の側にある統合から生じるも
のである。これはよくある強迫的統合ではない。
よくある強迫的統合には混沌の否認が含まれ
ていると思われるからである。
素材としてのスクィグルの特徴3
6.スクイッグルの結果は,それ自体満足のいくことがよくある。
それはちょうど「見いだされた対象物」のようなものである。た
とえば,石あるいは古い木片のようなものであるが,彫刻家
はそのようなものを見つけ出し,手を加えずに一種の表現と
して配置するだろう。このことが怠け者の少年たちや少女た
ちにうけ,怠けることの意味に光を当てることになる。少しで
も手を加えることによって,理想的な対象として始まったもの
が台無しになってしまうだろう。紙やキャンパスがあまりにも
美しいため,台無しにしてはならないと芸術家は感じるかもし
れない。もしかすると,それは,傑作であるかもしれない。精
神分析理論には,そこで夢が見られる夢スクリーンの概念が
ある。
スクィグル・ゲームの特徴
スクイグル・ゲームは,診断の道具であるが,ほどよい環境に
いる子どもにとっては,治療にも役立つ
 スクイグル・ゲームは,援助は必ず見いだされるという子ども(
と家族の)希望と信頼がもとになる
 スクイグル・ゲームは相談者が開始し行うが,決して支配的で
あってはいけない。対等であるということが,きわめて重要な
のである。
 スクイグル・ゲームの技術は,簡単である。目指すところは,
遊びとそのとき生じる驚きの要素を促進することである。
 紙上の相互作用の結果は,無意識の表象として夢にたとえら
れるであろう。

治療相談の臨床
子どもは前もって、医師に合うことを期待してくる
。しばしば医師の夢を見ている。⇒主観的な対象
としての医師
 治療の中で、お互いをすり合わせるtuning inの
プロセスがある。
 カオスが示されて、そのなかに「何か」がある。
 夢を語る場としてコンサルテーション
 良い夢ではなく最悪のバージョン(悪夢は語ること
で悪夢ではなくなる)

スクウィッグルの活用
舌圧子と同様に媒介物なので、治療者は
観察能力を維持できる。
 相互に交流する領域で、治療者の解釈を
子どもに与えて、それに対する反応を(象
徴的)対象としてみる。
 夢(本当の自己)への入り口として活用さ
れる

ウィニコットの理論的発展
1.
ストレイチーの分析(1923-33)
古典的なフロイト的解釈
2. クライン派の時代(1935-46)
「躁的防衛」(35)「設定状況」(41)
3. 母性的環境仮説の着想(41-46)
定型的な治療構造から疎開計画の体験
4. 理論的な進歩(46-51)
環境としての母親、クラインから離脱
5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)
治療的な技法の定式化
→リトル(49-)、カーン(51-66)
ウィニコットの移行対象(1951)
4ヶ月、6ヶ月、8ヶ月、12ヶ月までにあら
われ始める、私でない所有物。
 乳房、内的対象との関係がある。
 現実検討の確立に先行する。
 全能的、魔術的操作から巧みな操作統制
へ
 フェテシズムに発展することがある。

錯覚と脱錯覚
母親ははじめ100パーセント、母性的没頭によ
って、適応して、幻想を生み出す機会を幼児に
与える
 一次的創造性と現実検討に基づく客観的知識の
間に領域が存在し、程よい母親はそれをかかえ
る。自分の創造能力に対応する外的現実がある
のだという錯覚を与える。ここで対象が内的か外
的か問わない。共有体験。
 次第に外的現実が母親の徐々に失敗することを
通して、体験される。

原初的発達の段階理論
1945年「原初の情緒発達」
1) integration
2) personalization
3) realization
無統合unintegration(運動性motility)
無慈悲な段階(思いやり以前)
思いやり→現実適応
これは母性的な
母親的な没頭
maternal preoccuaption
1956「母性的没頭」
母親的機能
 Holding
 Handling
 Object-presenting
→精神病的なものに対する治療技法
発達
絶対的依存
 相対的依存
 自立に向けて

抑うつポジション→思いやりの段階
攻撃性はない。あるのは運動性である。
Winnicottの
gradual failure of disillusionment
転移関係のなかでの治療者の失敗の意義
(ウィニコットの知恵)
 抱える環境とその失敗によって生まれるズレの
意識が生まれるということではなく、むしろ「徐々
に」という点が重要であると思う。
 これをめんどくさいと感じたり、焦ったりしない態
度を維持する治療者(母親)
 Durable therapist(mother)
Overlapping circle
(Milner→Winncott)
Winnicottの発達モデル
Illusion
→母性的没頭
absolute dependence
Holding
-- integration
Handling
-- personalization
Object-presenting -- object-relating
統合が達成される
(realization)
Disillusionment →ほど良い母親
gradual failure
-- relative dependence
toward independence
心‐その精神身体との関係(1949)
最初の「落ち着きのなさ」や小児医学の論
文の中に見られる精神身体と心の発想
 心は精神身体に住み込むという発想が心
と身体との関係を示唆している。
 Mindがpsycho-somaとの関係を、出生
から偽りの自己の形成を含めて、その関
係が取り扱われる。
 Mindには心配という意味がある。

『心その精神身体との関係』(1949)
Deweling-in
Mind
Psycho-soma
中間領域の臨床



中間領域を間に置けるようになることで、一人
でいられる能力を持つ
外傷が乖離によって精神身体からはみ出して
しまうときに、中間領域のなかで、心が場所を
もてるようにすること。
ズレと一致の間に、その人の心が場をもてる
ようにすることで、交流する領域(偽りの自己
)と交流しない領域(本当の自己)が生み出さ
れる。
ウィニコットの第二次世界大戦
Clare Brittonとの出会い(1944)と結婚
(1951)
 疎開計画のなかで発見された愛情剥奪と
「反社会的傾向」
 クレアとの出会いによってソーシャルワー
カーや多くの抱える環境を重視するように
なる。BBCなどでの講演会ほか。

クレアとの出会い
ウィニコットは1943年時点で、心理治療的な
仕事においてチームワークは悪いと述べてい
たが、しだいにその意見を変えていくことにな
る。
1946年10月 ウィニコットはクレアに次のよう
な手紙を書いている。「私の仕事はまったくの
ところ貴方と関連しています。私に対する私
の影響は私を鋭く、生産的にしますし、これは
実に恐ろしいほどなのです。貴方と離れ離れ
になると、私はあらゆる行動、独創性が麻痺
してしまう感じなのです」。
クレアがウィニコットに与えた影響
1945年 遊べない子供という論文
→『遊ぶことと現実』
1946年
里子に出す子供にとって移行のために所有
物が重要であると発見した。
→移行対象論
1954年
子供ケアサーヴィスにおけるケースワーク
技法という論文でholdingの重視
→ウィニコットに取り入れられる
ウィニコットはManegementという言葉とソー
シャルワークをしばしば結びつけて語ってい
る。
ウィニコットの概念:反社会的傾向

盗みで始まって、反社会的傾向によって、
行為障害などにいたる臨床群
:原因は愛情剥奪にあり、彼らの中核に
愛情剥奪コンプレックスがある。
→施設をはじめとして、マネージメントの問
題がもっとも深刻な事例である。
Clare Britton Winnicottの仕事
ウィニコットの概念を流布
 子供たちの内的体験を理解する
 子供とコミュニケーションする技術
 クライエントの人生のなかでの「移行的参
与者transitional participant」としての
ソーシャルワーカー
 治療プロセスで重要な他者を投入する
 援助関係における逆転移反応

精神分析家として働くとき
1.狂気恐怖が情景を支配しているとき
2.偽りの自己が成功をおさめていて、分析を
していけばある時期にはこれまでにつくりあげら
れていた見せかけの成功や才気闊達さなどが壊
れてしまいそうなとき、
3.患者の中に反社会的性向、攻撃的なかた
ちをとるもの、いずれにしても母性愛剥奪の遺産
であるとき、
4.文化的生活が認められないとき、つまり内
的な心的現実と外界の外的現実に対する関係、
その二つの結びつきがうすいとき
5.病んだ両親像が情景を支配しているとき
母親と家族の鏡としての役割(1968)
主観的対象の段階では、二人は融合しているので
赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。
 移行対象の段階では、ほど良い母親によって養育
されていれば、母親の顔は自分の顔であると同時
に母親の顔である。
 ほど良くないと、早期の脱錯覚が起き、母親の顔
は母親の顔にしか見えない。まなざしは自分の見
てくれないので自分の姿を見いだせない。想像力
でそれを補う。

想像力による練り上げが自己愛として環
境から閉じこもって、自分の世界に孤立す
る。ウィニコットにとっては、これが二次的
な自己愛である。
 客観的対象の段階では、普通に発達した
子ども赤ん坊にとっては、母親の顔は母親
の顔であり、自分の顔は自分の顔として鏡
に映ったものと見ることができる。
⇒一次的自己愛は、万能感との関連で融合
している状態のことである。

イド欲求に対応する自我ニード
自我で関係することを通して、イド欲求を
自我のニードに組み込んでいくことで自己
が形成されていく。
1. realization
2. personalization
3. integration
これらは適切なマネージメントによって起
きる。

偽りの自己と本当の自己
偽りの自己(患者によっては世話役の自己)
はうその患者の分析作業開始の最初の二
三年は取り扱わなければならない。
 それは健康から病理まであるが、本当の
自己を防衛するために存在する構造であ
る。
 偽りの自己が知性を利用すると、簡単に
人を欺くことができる。迎合と妥協の場に
なる。
それぞれのウィニコット
クラインに彼が言い続けたこと:偶像破壊
のために、学派的な言葉をつかわないこと
⇒自分が作り出したそれぞれのウィニコット
がいるはずだろう。
 自分の領域は、偽りと本当が乖離しない程
度に、good-enoughなスタンスを維持して
、良くも悪くもある程度でい続けることが重
要だろう。

大人の分析におけるウィニコット
IPAの最近の特集「大人の分析におけるウィニコッ
トの創意」
Michel Eigen, Jan Abram, Vincenzo
Bonaminio
‘‘On Winnicott’s clinical innovations in the
analysis of adults’’(introduction by Blass)
 アイゲン「喜びの重視、破壊性が創造的、孤立が
発達の重要な要素、早期の外傷的な状況への回
帰が臨床的転機である」
 エイブラム「分析の三段階から、非分析的関係の
必要な場合について」
 ボナミノ「非分析的な関係の中の現実的な要素」

ウィニコットの夢の臨床理論
患者に対して主観的対象であることが臨
床家の仕事である:期待と希望
 夢は語ることで、無意識の外傷的体験の
入り口になる:聞き手がそれを抱える
 夢で語ることの前に示されること、そしてそ
れを受け止めることが優先される:表現そ
のものの直接性
 早期の外傷へ到達することができる

遊ぶこととは何か
彼はしばしば夢と遊びを同じこととして述べた。
1. 遊ぶことは,本来創造的なものです。
2. 遊ぶことは,いつも興奮を伴うものです。というのは,主観
的なものと客観的に知覚されるものとの聞の不安定な境界
の存在を,取り扱うものだからです。
3. 遊ぶことは,赤ん坊と母親像(mother-figure) との聞の
潜在的な空間で起こります。この潜在的空間は,母親と一
体化している赤ん坊が,母親が分離していくと感じるときに
,十分考慮されなければならない変化とかかわりがあるの
です。
4. 赤ん坊が,実際に分離してしまうことなく分離を体験しな
ければならないときに応じて,この潜在的空間のなかで遊
ぶことが展開します。このことが可能となるのは,母親と一
体化している状態が,母親が赤ん坊の要求に応じることで
置き換えられるためです。つまり遊ぶことの始まりは,母親
像を信頼するようになった赤ん坊の生活体験と関連してい
るのです。
「なぜ子どもは遊ぶのか」(1968)
遊べない大人がいるなら、遊べるようにする設定や構造を提
供することが精神分析になる。
精神分析の治療目標(1962)
Keeping Alive
 Keeping Well
 Keeping Awake

精神分析することと精神分析家とし
て働くことは異なる。
解釈とは



治療上重要なのは、私の才気ばしった解釈の瞬間では
なく、子どもが自分自身を突然発見する瞬間なのです。
『遊ぶこと』
一方には…患者にされる素材は理解され解釈されるべ
きものとなる。他方には以上の内部で遂行される設定が
ある。「メタサイコロジカル」
今話されている患者の材料の中にある流れが、言語化
を必要としているのだと分析家は感じるのである。分析
家が言葉をどう用いるかが重要であり、それゆえ解釈の
背後にある分析家の態度が重要なのだ。。。。解釈の内容
とともに言語化の裏に潜む態度も重要であって、こうした
態度がニュアンス、タイミング、さらに詩の多様性に比し
うるほどのさまざまな形で現れている..『あかちゃん』
私はいつも解釈の重要な機能とは、分析家の理解に限
界があることが明示されることにあると感じている。「交
流すること」
 創造的な広がりが生じてくるような休息状態にいたること
ができるようにすること
 患者の遊び能力、つまり分析作業において創造的であ
る能力を許容してほしいという懇願である。患者の創造
性は、知りすぎる治療者によっていとも簡単に奪われ得
るのである。『遊ぶこと』
 舌圧子に似たものとして解釈
 精神分析の設定全体が一つの大いなる保証である、特
に分析家の信頼にたる客観性と行動、そして瞬間の情
熱を無駄に食い物にするのではなく、建設的に使用する
転移解釈がそうだ。

精神分析的であるとき
その個人固有の同一性を失わずに、患者に同
一化する能力をもっていること
 患者の葛藤を受け入れるcontainする能力を持っ
ていること、言い換えると、患者の葛藤を受け容
れ、治療法を必死に外に探し求めるかわりに、
患者の中で、それらの葛藤が解決されるのを待
ってあげられる能力をもっていること
 患者の挑発に乗って、仕返しをする傾向のない
ことなど

対象の使用
1.
2.
3.
4.
5.
主体は対象に関係する
対象は主体によって世の中に位置づけ
られるのではなく、発見されるプロセスに
ある
主体は対象を破壊する
対象は破壊を生き残る
主体は対象を使うことができ
「ピグル」とはいう症例
1964年1月4日付 母親からの手紙(2歳4か月の
治療依頼)問題として
_心配ごとで夜眠れない
_「黒ママ」など、黒に関係した空想
_「ババカー」の空想
_妹スーザン(7か月)の存在
_父親への愛着,母親への強い態度
「オンデマンドの精神分析」年2月3日~66年10月
28日(全16回の面接) ピグルの要望で、翌回の面
接が決まる形
治療構造
オンデマンド治療の意義:精神分析家が行
い、転移が扱われていれば、それは精神分
析的関与である。
週一回の治療への疑念(虻蜂取らずへの懸
念)
主観的対象であることと、語りたい悪夢が
あるときに語ること→オンディマンド
治療構造:遠方でしかも
(ウィニコットフォーラムでの吉村先生のPPTをお借りしました。)
①
2月3日
2;4
⑨
②
3月11日
2;5
③
4月10日
④
1月29日
3;4
⑩
3月23日
3;6
2;6
⑪
6月16日
3;9
5月26日
2;8
⑫
10月8日
4;1
⑤
6月9日
2;9
⑬
11月23日
4;3
⑥
7月7日
2;10
⑭
3月18日
4;6
⑦
10月10日
3;1
⑮
8月3日
⑧
12月1日
3;3
⑯
10月28日
1964年
1965年
1966年
5(?)
5;2
遠方に住んでいて、しかも心臓の問題を抱えるウィニコット
が体調の都合で会えないことがある。
結構自由な振る舞い
〇面接室の中のウィニコット
_面接中に記録をとる
* M.Kahnの指摘 「余白のいたずら書き」
_頻回にわたる両親との手紙電話
自分自身の精神分析に対して自由である、
自発的であろうとしている、そしてそれを公表
している。
治療経過から―1
〇精神分析的な出会いというintercourse
_母親の導入(黒ママについてよく分かって
いる人に会いに行く)
_“ピグルが作業のためにやってきたこと
は、彼女を見るとすぐにわかった”
_「とっても恥ずかしい!」という第一声、初
回から展開される性交とエディプスの解釈
治療経過から―2
(#2)貪欲なウィニコット赤ちゃんの誕生
(#5)自分の赤ちゃんを欲するピグルの空
想の解釈「赤ちゃんを作るために(舟を)
食べているんだね」
(#6)Identityの問題の取り扱いの自覚「ガ
ブリエルがまたわたしに会いに来たね」・・
「先生に私の名前はガブリエルだよって言
いたかったの、でも先生はもう知ってたよ」
治療経過から―3
(#10)DWWの死にまつわる解釈,破壊
衝動への罪悪感,両親の性交
(#11)「はにかんだ喜び」とともにやって
くる。男性性機能の解釈。攻撃への
罪悪感と男性の償い。
(#13)“恥ずかしそう”にやってくる
治療経過から―4
(#15)”男の子に似たもの”をねじ上げるピ
グル、痛がるウィニコット。「あなたが作り
上げたウィニコットは永久になくなった」
という解釈
(#16)以前の遊びの反復。死と再生。相手
を探す主題。「あなたがいつ恥ずかしい
と思うか知っている、それはあなたが私
を愛していると言いたいとき」という解釈
オンディマンドの精神分析
患者と両親とやりとりしながら、それらの「
期待」に、できるだけ必要だと訴える自我
ニードに合わせていこうとしている。
 相手(そして自分の)都合に合わせて、で
きるだけそれに対応しようとしている
 解釈において、フロイトとクラインの伝統に
しっかりと準拠している。
 患者の空想を遊びとして劇化している。

以下のアドレスのブログでカテゴリー「
ウィニコット」を参照してください。
http://winnicott.cocolognifty.com/psychoanalysis3/