(江崎グリコ創始者)の創業理念

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Transcript (江崎グリコ創始者)の創業理念

「キャナルシティー博多」地下1Fにあるグリコの商品を専門に取り扱っている「ぐりこ・や」
企業理念
「『おいしさと健康』-おいしさの感動を 健康の歓びを
生命の輝きを-Glicoはハート・ヘルス・ライフのフィールド
でいきいきとした生活づくりに貢献します。」
キャナルシティー博多
現在の江崎グリコ(株)本社
(大阪)
現在の取締役社長 江崎勝久氏
江崎グリコ株式会社の財政状態及び経営成績
○増収増益
第99期貸借対象表及び損益計算書
○増収減益
第100期貸借対象表及び損益計算書
○減収増益
江崎グリコ決算報告 単位:百万円
会計期間
第99期
第100期
売上高
134,677
129,697
利 益
888
1,177
江崎 利一年譜 No.1
年月
西暦
年齢
内
容
明治15年
1882年
0歳
明治30年
1897年
15歳
芙蓉高等小学校4年を卒業。家業の薬種業に従事。塩売りも始める。
明治34年
1901年
19歳
父清七死去。家業を継ぐ
明治39年
1906年
24歳
結婚。戦功により勲八等白色桐葉章を受け、その慰労金で外国製自
転車を買う。
明治40年
1907年
25歳
初めて大阪を見物し、薬を安く仕入れる。このころ広告・販売などを独
学
明治44年
1908年
26歳
長男 誠一誕生
大正4年
1915年
33歳
九州で葡萄酒販売高のトップクラスとなり、大阪進出の資本蓄積に努
める。
大正8年
1919年
37歳
早津江川土手にてカキの煮汁に出会い、その分析を九州帝国大学
付属医院に分析を依頼。
大正9年
1920年
38歳
カキエキスの臨床効果を長男の誠一の病気の際に確認
12月23日佐賀県神埼郡蓮池村(現在佐賀市蓮池町)に生まれる。
大正10年
1921年
39歳
蓮池を去り、一家を大阪へ移す。曾根崎の店を南堀江に移し、工場
隣に住む。合名会社江崎商店を設立し、社長に就任。栄養菓子グリ
コを試験販売。
大正11年
1922年
40歳
栄養菓子グリコを三越で販売。公徳販売器、風味袋、クーポン券付き
チラシ、オマケカードなどユニークな販売法を創案。
昭和2年
1927年
45歳
豆玩具オマケを創案し「食べる」「遊ぶ」の子どもの2大天職を満足さ
せる商品化を図る。
江崎 利一年譜 No.2
年月
西暦
年齢
内
容
昭和4年
1929年
47歳
合名会社江崎商店を株式会社江崎に改組。オマケの小箱を考案
昭和8年
1933年
51歳
酵母菓子ビスコを創製発売。豆文広告を開始
昭和9年
1934年
52
私財を投じ財団法人母子健康協会を創立、理事長に就任
昭和20年
1945年
63歳
空襲により大阪・東京工場を全焼し、海外資産も接収される。焼け跡
に従業員を集め、「無一物となったが、まだ消費者の記憶にグリコの
名前と信用が残っている」と励ます。
昭和21年
1946年
64歳
満州国名誉領事として使っていた外車を売って資金とする。
昭和30年
1955年
73歳
大阪府菓子商工協同組合連合会理事長、名誉理事長。アーモンドグ
リコ発売「1粒で2度おいしい」のスローガンを創案。
昭和35年
1960年
78歳
大阪ビジネス同友会会長、名誉会長
昭和40年
1965年
83歳
グリコ商事を設立し、会長に就任
昭和41年
1966年
84歳
体力つくり国民会議大阪協議会保健栄養部会長
全国飴菓子工業会名誉相談役
昭和42年
1984年
85歳
財団法人大阪科学技術センター理事。
第17回全国菓子博(札幌)名誉会長
昭和44年
1986年
87歳
日本菓子工業協議会顧問
昭和48年
1973年
91歳
江崎グリコ株式会社会長に就任
昭和52年
1977年
95歳
「商道ひとすじの記」発刊
昭和55年
1980年
97歳
2月2日呼吸不全により死去
創業者を育てた環境
明治15年(1882年)当時の神埼郡蓮池村
で生まれる。
大阪・北堀江の江崎商会(大正6~8年)
利一の生家:江崎薬店 大正14年
利一の生家(現在は神崎公民館)
“事業即奉仕”の教え
利一の父 江崎清七
(1845~1901)
創業者を育てた環境
利一の母 江崎タツ
(1856~1918)
日露戦争渡満時に母に送ったはがき明治37年
看護兵として活躍した利一(右)
明治37年
赤い箱を選ぶ
●佐賀県で販売されているグリコの商品
1粒300メートル、笑顔のゴールイン印(マーク)、何が出るかお楽しみの豆玩具・・・・・。
誰でもが子ども時代に親しんだ赤い箱のグリコが誕生するまでには40歳を前に佐賀から
菓子業界にうって出た、ある男の強い意志があった。
ハート型の発想
原材料名
かきエキス(グリコーゲンを含む)との記載有り
商品・サービス
販売
売り手
買い手
現金
利益
利益
楢村佐代吉先生
(1844~1906)
自分のため=世の中のため
売り手のもうけ(得)=買い手のもうけ(得)=社会全体のもうけ(得)
グリコーゲンを菓子化
カキの煮汁にグリコーゲンが・・・・
かきのなんでも図書館のページへ
疲労回復や体力増強、糖尿病予防に
グリコーゲン
かきは、含有する糖質の50%がグリ
コーゲンです。これほどグリコーゲンを含
有した食物は他に見当たりません。かき
のうま味の主体でもあるグリコーゲンは、
多糖類の一種で、体内のエネルギーが
不足したとき、糖質に変化し血液中の糖
度調節に使われます。そのため、疲労回
復や体力をつける必要のある人に最適
な栄養素です。
予防こそ治療にまさる・グリコーゲンを菓子化
「われわれ医者は病気を治すことばかり研究しているが、これは国民保健の点か
らいうと実は消極的なことなんだ。予防こそ治療にまさる。病気になった者を治す
よりは病気にからぬ体をつくることが大切なんだ」
グリコーゲンを一番必要とするのは育ち盛りの子どもである。それならば子ども
が喜ぶ菓子の中に入れて嗜好品として売ったらどうか」と思い付いた。
「えっ、キャラメルをこれから始めるんですか?」江崎利一がグリコの製造・販
売に乗り出したとき、菓子業界を知る人の多くが反対した。キャラメルへの新
規参入は難しかったからだ。
日本で最初のキャラメルは、明治41年(1908年)に、森永製菓から発売され
た。
創立者の森永太一郎は、利一と同じ佐賀出身である。二番手は明治製菓。さ
らに次々と同業者が増え、一時は50以上も乱立したが、森永や明治の大き
な力には対抗できず、それら業者の大半は撤退してしまっていた。
一方、そのころ利一は、苦労がようやく報われ、佐賀で興した葡萄酒の販売業で
九州有数の店の仲間入りを果たしたが、40歳を目の前にしている。
これから商業の都大阪に出て、畑違いの菓子づくりに挑むと、危ぶまれたのも無理もない。
しかし、大正10年(1921年)、江崎商店は大阪でグリコを売り出す。森永キャラメル
発売の13年後だ。ただし、江崎利一に森永の後追いという気はない。彼はグリコを
キャラメルとは別のものと考えていた。
“栄養菓子”これがグリコの商品としての立ち位置である。
グリコの名は、グリコーゲンから来ている。肝臓や筋肉に多く含まれるこの多糖質と
利一との出会いは、大正8年(1919年)にさかのぼる。
当時最新式の自転車で、行商中の彼が筑後川沿いの道を走っていると、河原で漁師
達が有明海でとれたカキを大鍋でゆでては煮汁を捨てる場面に出くわした。
江崎利一が友人から教科
書を借りて書写したもの。
家が貧しかった利一は、高等小学校4年までの学歴しかない。教科書も買えず、友人に
借りて筆写。だが、それが予習となり、主席で卒業している。
江崎利一(江崎グリコ創業者)「商道ひとすじの記」より
子供の生活行動をよく観察していると、食べることと遊ぶことが二大天職のように思える。
食べながら遊び、遊びながら食べている。どちらか一方だけでは満足しない。つまりオヤツ
とオモチャの世界に住んでいるのである。
子供にはオヤツとオモチャは切り離せない。手元になければ、あらゆる工夫をして自分た
ちでつくり出している。
子供は、つねに新しい遊びと新しいオモチャを探している。いつの時代でもそうであった。
そして、それに取り組んでいる子供の姿はまことにいじらしく、真剣である。その選択は子
供の教育上からみても、人間形成の上からいっても重大な意義を持つ。だから私は栄養
菓子を子供に与え、オモチャとしての豆玩具を提供しようと考えたのだ。
大阪呑気大事典より
グリコと云えばオマケである。どんなオマケのオモチャが入っているのかは買って開けてみ
なければわからない。気に入ったオモチャが入っておれば得した気分になれるが、しょうも
ないのが入っていると一日気分が悪い。そしてもう一つ明くる日買うと同じモノが入ってい
たら、もうグリコは卒業したいと考える。最悪なのが、女の子向けの人形さんが入っていた
時だ。何もグリコは男の子だけが買うとは限らないので女の子向けのオモチャが入ってい
ても不思議ではないけれど、何かそのへんのブサイクな気分がグリコであり気恥ずかしい。
(川崎ゆきお)
江崎利一語録
●商売は2×2=5(二二んが5)
2×2=4では当たり前、さらに人一倍の努力と工夫をすれば
2×2=5にも6にもなるという考え方。
これは創業以来、グリコ精神の根幹をなしている。
●(人のやらない)面倒なことをやらんば、商売は成功せんとよ
面倒な仕事だとか、これは出来ないとか簡単にあきらめず、
工夫に工夫を重ね粘り強く取り組むことだ。面倒の中にこそ
商売のチャンスがかくされているという教え。おまけを付けたり
アーモンドを粒のまま入れたり、まさに面倒くささの権化である。
●消費者のハラの中に入り込め
いったん消費者自身になりきって、そこから相手の立場に立って
ものごとを考えよ。
特に製品開発や広告・販売の担当者へのアドバイス