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大峰帯の礫岩
小坂, 共栄
信州大学理学部紀要 15(1): 31-46(1980)
1980-09-30
http://hdl.handle.net/10091/10532
J.FAC. SCI., SHINSHU{JNIVERSITY Vol.15, No.11980
大 峰 帯 の 礫 岩
頭坂共栄
(信州大学理学部地質学教室)
(1980年6月14日受理)
1 はじめに
糸魚川一静岡構造線(以下糸一静線と略称する)は,フォッサ・マグナ生野の大断層とし
て古くからよく知られている。フォッサ・マグナの形成史を論ずる上では,当然のことなが
らこの糸一静線が重要な意味をもつことになる。断層の形成過程とは,すなわちそれを境に
して互いに接する岩体あるいは岩層の相互作用の歴史ということであり,両者の地質構造と
その発達史を無視した議論は意味を持たない。
北部フォッサ・マグナ地域では,従来からその西縁部の地質構造が注目され,糸一門線や
その周辺の地質について論じたものが多い(本間,1928・1931;笹倉,1932;大塚,1946;
小林,1948;小林・平林,1952;小林,1957;姫川団研グループ,19ら8;平林,1962・1967
・1969;田中・平林・小谷団研グループ,1972;石井,1976;小坂・鬼頭・新井,1976;小
坂,1980)。糸 岬山沿いの地域が構造的に特異であることを最初に的確に指摘したのは小林
(1948)であった。そこに分布する地層の特微を具体的に明らかにしたのは姫川四壁グルー
プ(!958),田中ほか(1972),小坂ほか(1976)などである。筆者は,ここ数年来北部フォ
ッサ・マグナ地域の第三系について調査研究を続けているが,糸一静線に沿う地帯が小林
(1948)の指摘どおり,さまざまな面で特異であることを再確認するとともに,ここがフォ
ッサ・マグナ第三系の構造発達史の中でも相対的に独自性をもつ1つの発展段階を表現して
おり,独立した構造区として扱うべきであるとの認識を深めている。筆者は,この構造区を
「大峰帯」と名づけ,今まで数回にわたり,そこの層序や構造,他のフォッサ・マグナ地域
とのちがいなどについて報告した(小坂ほか,!976;小坂,1979ab;小坂ほか,1980)。
本報告は,大峰帯を特徴づける多量の礫岩について,その基本的な性格を明らかにしたも
のである。礫岩の礫組成・分級度・淘汰度などの特微を地域別,層準別に系統的に調査する
ことにより,帯の形成過程,特に後背地の隆起運動,帯独自の沈降運動,火山活動と堆積作
用との相互関係などが明らかとなるであろう。また,それを拠りどころにして糸一静線,ひ
いてはフォッサ・マグナの形成史についても何らかの新しい考えを提起できるのではないか
と期待している。本論文をまとめるにあたり,信州大学理学部地質学教室の山下 昇教授に
は粗稿を読んでいただき,多くのご教示を得た。また同教室藤田 敬氏には図表類を清図し
ていただいた。野外調査では,白馬村大志茂さんご一家にお世話になった。これらの方々に
厚く御礼申し上げる。
32
小坂共栄
巫 大峰帯の概要
1 位置と大鷺さ
大峰帯は,北部フォッサ・マグナの西縁部にあって,その東西を糸一塁線と小谷一中山断
層という2本の大規模な断層に境されて南北にのびる地帯である。西の限界である糸一静線
は,北部の長野・新潟県境地域から白馬村八方地域まで,かなり明確に追跡できるが,それ
より南方の大町市木崎湖付近までは露出不良となり,さらにそれより南では松本盆地の沖積
層にかくされて,まったく露出していない。わ
139。ε
ずかに豊科町西方で地震探査によってその位置
が推定されているだけである(山田ほか,1976)。
13
大峰帯の東の限界は,小谷一中山断層である。
小谷断層(笹倉,1932)と中山断層(本間,1928)
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との関係については,従来さまざま斥考えが表 57。N
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明されているが,筆者はこの2つを一連の断層
とみなし,小谷一中山断層と呼んだ(小坂ほ
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か,1980)。 糸 静線にくらべ,小谷一中山断
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層はかなり明瞭に追跡することができる。北
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端は小谷村雨中付近にあり,南端は豊科町田沢
360N
付近である。従来,この断層の南端は明科町押
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1980)。
上に述べた範囲での糸一号線と小谷一中山断
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された(織田,1977MS;山下・小坂・織田,
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町田沢の犀川河床にもそれの露出するのが観察
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、
野付近までしか確認されなかったが,最近豊科
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35。N
層との間の間隔は5∼7kmであり,南北の延
長は少くとも65kmに達する。これが現段階で
明らかな大峰帯の平面的な広がり(大きさ)で
ある。大峰帯の位置を第1図に示した。
第1図 大峰帯の位置
2 地質の概要
大峰帯を構成する岩層としては,火山噴出物と粗粒の砕屑岩すなわち礫岩が圧倒的に多い。
火山噴出物は下半部に中性のものが,また.ヒ半部に酸性のものが多い。化石としては,北部
に露出する下半部の地層中に海生の貝化石が含まれるが,中∼南部地域では海生化石を含ま
ず,粗粒岩相中の細粒部に植物化石,淡水生貝化石を時おり含むようになる。酸性火山噴出
物の大部分が溶結凝灰岩であることなどから,大峰帯を構成する岩層の多くは陸成層である
可能性が強い。
大峰帯内部の地質構造は,東側の摺曲第三系地帯(高府帯)*といくつかの点できわだった
違いを示している。東側の摺曲帯は,北北東一南南西方向の軸をもった大規模な向斜が雁行
*筆者は,小谷一中山断層の東側に発達する摺曲した第三系の中で,
模な向斜構造をなす地帯を高府帯とよんだ(小坂:,1979)。
特に日影・高府・込地などの大規
33
大峰帯の礫岩
状に配列した構造を基本とし,断層はあまり発達していない。これに対し,大峰帯では,帯
に斜交しそれを胴切りにするような断層が多数発達し,ブロック化が激しい。そして各ブロ
ックが独立して二曲構i造や単斜構造をもっている。摺曲構造の主体が向斜である点は東側地
域と共通しているが,弓長が短く,南へ開いた半愚状をなしている。
大峰帯の岩層は,鮮雨縁∼下部洪積統が主体である。しかし,最下部は下部中新統に属す
る可能性が化石により示唆されている。北部により古い岩層が分布し,南部へ次第に新しく
なる傾向を示している。これらの多くが鮮新統∼下部洪積統に属することは,時代的には東
側の秘曲第三系と同じ地層が大峰帯にも分布するということである。しかし,摺曲第三系地
域では中新統が圧倒的に広い面積を占めており,全体としてみると,大峰帯の地層の方が東
側地域のものより若いということになる。
大峰帯の地層は,層相変化が激しいこと,化石が少ないこと,ブロック構造をとることな
どが重なって相互の地層対比が著しく困難である。
筆者は,これらの各層を第1表のように区分し,相互の対比を行なった(小坂ほか,1976
;ノ」、坂クまカ》, 1980)o
第2図は大峰帯の地質区分図,第3図は地質略図である。
以下に,大峰帯各地区ごとの地質の概略をのべる。
a 南小谷区
東西を小谷一中山断層,姫川断層の2本の断層に境され,また南北を早早断層,横根沢の
両断層にそれぞれ境された地域である。南小谷累層が,北北東一南南西方向で南へ開いた岩
戸山向斜をつくって分布している。本累層は,下位から雨中,細貝および岩戸山の3部層に
Table l Correlation chart of the upper Tertiary∼lower Quaternary
formations of the Omine Belt
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十 十十 十 十十
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十甜 十
十 十
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、
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(中生代∼古第三紀)
ヒコロヒ
、τOYOSHINA
層 13古生界 14 変成岩類
□薩圏醗國團吻囮圃團翻懸囮幽
11 蛇紋岩 12 来馬層・木崎
こ==こ;==∵o
譜
@ 雛
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:1欝1輔無
十 十 十
覧
、
輪身+
しモ
ヘ ヰヰ
紐+僧ξ鯉鯉
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2
第3図
雛… 獄_
x鵬 騨蔦。
ォ難“難場ρ嚢一葦耀捲け+脚柵苗苗蕊餓強磁軽塙燐堵塙悼・+魑
+ ・㌔Po四四4
國圖
地質略図
大峰累層
3
北城累層
5
南小谷累層
7
高府帯の摺曲第三系
8
白亜紀花醐岩 9 白亜紀
花闘閃緑岩
10 昏昏凝灰岩
沖積層 2
美麻累層 4
川内累層 6
1
場入
、
0 5 10Km
讐・牒
第2図 地質区分図
二曲第三系 2 二期岩層
1
……
ヒ佐
小坂共栄
34
大峰帯の礫岩
35
区分される。
雨中部層は,姫川沿い,横根山沿い,あるいは城ケ峰周辺によく露出する。砂質泥岩ないし
泥質砂岩,中粒砂岩,礫岩などからなり,層厚約600m以上である。三生の二枚貝化石を多
産する。紹貝部層は,雨中二二を整合におおい,岩戸山の中腹に分布する。固結度の良い中
∼粗粒礫岩が圧倒的に多く,その他にレンズ状に中∼粗粒砂岩,よく連続する3枚の凝灰岩
層などをはさんでいる。全層厚は約500mである。岩戸山部層は,安山岩質火砕岩,溶岩主
体の地層で,細貝層を整合におおっている。
b 川内区
東西丁丁を,糸一静線,姫川断層にそれぞれ境されて南北にやや細長い地域である。川内
累層(姫川団研グループ,1958)が,ほぼ南北走向で東に単肥した構造をもって分布してい
る。本累層は岩相上,下位から千国,浅間山の2部層に区分される。
千学部層は,下里瀬西方から川内付近にかけてよく露出し,安山岩質火砕岩,溶岩主体の
地層である。ほかに火山礫岩,礫岩などをはさむがうすい。浅問山部下は,浅問山一帯に広
く分布し,前者と同じく安山岩質火砕岩,溶岩を主体とするが,ほかに火山礫岩,酸性凝灰
岩などをしばしばはさんでいる。両部層を合わせ,全層厚は約1300mに達する。
c 北城1蒸
北縁を青鬼断層,まπ南東縁を一之倉断層(新井,1976MS)によって境された地域であ
る。西縁は北城盆地の二期堆積物におおわれて不明であるが,姫川断層の南方延長部によっ
て境される可能性が大きい。本累層は,断層によるブロック化が著しいが,岩相上,下位か
ら菅,高戸山,立ノ間,通および郷社窪の5部層に区分される。
菅野層は,菅西方に分布し,酸性凝灰岩,溶結凝灰岩主体の地層である。層厚2501nに達
する。ほかに礫岩をはさむ。高戸山部層は,野平,高戸山および幸田付近にかけて分布し,
安山岩質火砕岩,溶岩主体の地層である。層厚1400m以上に達する。立ノ間部層は,立ノ間
から青鬼および高戸山西方に分布し,凝灰質礫岩,礫岩を主体とする地層である。上部に砂
岩が卓越する傾向を示す。全層厚約150mである。通部層は,通から大出東方にかけて分布
し,安山岩質火砕岩,溶岩を主体とする地層で,全層厚1000m以上に達する。郷祉窪部層は,
郷社窪山塊一帯に分布し,安山岩質火砕岩,溶岩を主体とする地層であるが,ほかに酸性凝
灰岩,押脚凝灰岩などをしばしばはさむ。全層厚約1200mである。
“ 美麻区
東縁を小谷一中山断層,北西縁を幸田・一之倉断層によって境され,くさび状の形をとっ
た地区である。本地域には美麻累層が分布する。本層は岩相上,下位から幸田,峠および新
行の3部層に区分される。幸田部層は,花園西方から長峰西方にかけて分布する。礫岩,泥
岩を主体とし,ほかに凝灰岩層をよくはさむ地層である。層厚約600mに達する。三部層は
峰方から日向大左右,峠付近にかけて分布し,下部は細粒砂岩・泥岩主体でほかに凝灰岩,
礫岩および砂岩の挾在する地層である。金層厚100m以.とにおよぶ。新行部層は,青木湖南
東の加蔵,太郎三,権現山および美麻村新行にかけて分布し,酸性溶結凝灰岩,凝灰岩を主
体としてほかに礫岩,シルト岩などを多量に含む地層である。全層厚10001nに達する。
e 大峰区
大町市東方の霊松寺をおよそ北縁として,それ以南の中山山地を大峰区とする。本地域に
36
小坂共栄
+:. 賀
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醗・03 ’・’臣
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照={娼
第4図 礫調査地点および層準別
㌧嚢
ロ 醐\
礫組成
M一(01∼14):南4、谷累層
H一(01∼02) :オヒ城累層
塵翻’
丁\;昏+
、
醤・
□4
Mi一(01∼21):美麻累層
Om一(01∼19):大峰累層
1
第三系緑色変質岩 2 第三
系火山岩
3 第三系堆積岩類
4類7A
圏2
K−01:川内累層
変成岩・蛇紋岩 5 花崩岩
6 古期堆積岩類(ss, sl,ch)
石英斑岩
OMACHI 昏
、 Q
雨中部層下部 B
雨中部層
上部 D 細
C 細貝部層下部
貝部層中部 細貝部層上部
E
北城累層 G
F 幸田部層
ルラ ロロ
峠部層 I
H 新行部層 J
新引沢部層下部 新引沢部層
K:
國・
㈱6一 i需\\. 閣・
・ … \
雪,糊J・:・1
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b αηつ9
C Om’oe
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聾}1ヲ
0 4Km
om・15
0m−12
1欝咄
上部 大穴山部層下部 M
L
大穴山部層上部
大峰帯の礫岩
37
は大峰累層が分布する。本層は,岩相上,下位から新町沢,大峰および大穴山の3部層に区
分される。新引沢部層は淘汰不良の中∼粗粒礫岩を主体とし,しばしば凝灰岩,砂岩などを
はさむ地層である。全層厚約500mに達する。大峰部層は,鷹狩山,南鷹狩山さらに大峰な
ど,中山山地の三二をなす山地をつくっている。大部分が酸性溶結凝灰岩からなっている。
全層丁丁700mに達する。大穴山部層は,登波離橋,大穴山さらに押野山など中山山地の南
端部を占めて分布する地層である。最南端は,明科町田沢付近の犀川河床にみられる(山下
・小坂・織田,1980)。大部分が淘汰の不良な,固結度の低い中∼粗粒礫岩からなり,ほかに
砂岩,凝灰岩をよくはさんでいる。全層旧約950mに達する。
皿 大峰帯の礫岩
1 礫岩調査の方法
大峰帯全体の礫岩の特徴をつかむため,調査地点や層準に偏りがないように配慮した。ま
た,礫の組成やその変化を定量的に明らかにするため,各調査地点では1m2のグリッド中
から無作為に100ケ以上の礫を取り出し礫種を調査した。また,礫種鑑定と同時に礫径(長
軸,中間軸,短軸)を測定し,礫の円磨度を調べた。また,方向性のある礫についてはその
方位も測定し,地層面との関係も調べたが,試料不足のため,その結果は本報告から省い
た。
2 調査地点
各累層ごとに符号を付し,第4図に示した。南小谷累層から大峰累層まで,総計56地点,
中土・鬼無里累層まで含めると62地点である。
3 調査結果
a 大峰帯の論結の量
大峰帯の堆積物中に礫岩がどの程度含まれているかを調べてみた。
本報告で扱った地謡において,大峰帯の地層が露出する部分の総面積は約105km2である。
そのうち,礫岩や粗粒砂岩など比較的粗粒な岩相を呈する地層が占める面積は約46km2で,
全体の約44%にも達している。また,地層の平均層厚と分布面積から,各累層,部層ごとに
その総量を求め,その中で粗粒岩相の占める割合を求めてみた。それによると礫岩は全体の
約36%を占めており,絶対量としてもかなりの量が堆積していることになる。各累層別に礫
岩の占める量をグラフで表わすと,南小谷累層から大峰累層までサイクリックな変化をとっ
ているのが明らかである(小坂,1980)。
b 層門別礫組成とその変化
各層準ごとの礫組成を円グラフで表わした(第4図)。これは,各地点ごとの組成を層準
ごとにまとめ,その平均値で表わしてある。古響岩類の中で,硬砂岩,チャート,スレート
を1括して示してある。また,各礫種別にその含有率が時代とともにどう変化しているかを
第5図で示した。
これらにより,大峰帯の礫岩は層準(時代)や地城の違いによって組成が著しく異なるこ
とが明らかである。礫組成とその変化について認められる特徴を列挙すると次のようであ
る。
1)東側の摺曲第三系地帯に属する鬼無里累層,rl・1土累層と,雨中部層の最下部層は,硬
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第5図 層準別礫含有率とその変化(Quartz pQrphyry 1ますの幅が100%を示す)
冒 一 一 一 一 一
噌
39
大峰帯の礫岩
砂岩,チャートなどの基盤岩礫が圧倒的に多い。
2)礫組成が変化に富むようになるのは,雨中丁丁上部以降である。
3)雨中偽層上部以降から第三系火山岩礫が含まれるようになる。
4)雨中部隊上部∼細貝部層は,QP礫が多量に含まれることで特徴づけられる。
5)北城累層立ノ間部層は,QP,硬砂岩,チャートなどの基盤岩礫がきわめて少なく,
蛇紋岩や結晶片岩礫がよく目立つ。また,第三系火山岩礫の多いことも特微である。
6)美麻累層の各部層は,全体的にQP,硬砂岩,チャートなど基盤岩礫の多いことで特
徴づけられる。
7) 峠部層中には第三系の軟い砂岩円礫や溶結凝灰岩礫がかなり含まれている。
8)新行部層南部の礫岩は,大部分が大峰帯の溶結凝灰岩礫からなり特異である。
9)大峰累層新引沢部層は,QP,硬砂岩,チャートなどの礫が目立ち,ほかに第三系火
山岩礫をよく含む。下部に溶結凝灰岩礫が目立つ。
10)大峰累層大穴山部層は,QP礫を含まず,硬砂岩,チャート,花こう岩などの礫を含
むほか,第三系砂岩礫をかなり多量に含むことが特徴である。
cQF(ss+sl+ch)凋v相関
大峰帯の礫岩を構成するさまざまな礫の中で,どの層準にも含まれかつ層準や地域によっ
QP
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四噛隔
、、
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証♂
SS+ch+sl T’V,
第6図 QP礫,古期岩類礫(ss+sl+ch)および第三系火山岩礫(Tv)の相関
1 大峰累層大穴山部層 2 大峰累層新旧沢部層 3 美麻累層 4 北城
累層 5 南小谷累層細貝部層 6 南小谷累層雨中部層 7 中土累層
8 鬼無里累層
40
小坂共栄
てその割合が大きく異なるのは,QP礫,基盤岩の硬砂岩,スレート,チャートなどの礫,
それと第三系火山岩礫である。大峰帯各地の礫岩の基本的な性格は,これらの礫の量比によ
って規定されているともいえる。
基盤岩の硬砂岩,スレート,チャートを一括し,これとQP礫,第三系火山岩礫の量比を
各地点で求め,それぞれを端成分とするダイヤグラムを描いてみた(第6図)。 これによる
と,大峰帯の礫岩はその礫組成からみると1∼]V型に大きく分類できる。各型の特微は次の
とおりである。
1型:硬砂岩,スレート,チャートなどの基盤岩礫が,平均すると60%以上に達し,QP
礫,第三系火山岩礫が非常に少ないもの。南小谷累層雨中部層,美麻累層峠部層,大峰累層
大穴山部層などがこのような特微をもっている。
皿型:QP礫が平均すると60%以上にも達し,硬砂岩,スレート,チャートなどの基盤岩
礫,第三系火山岩礫が30%以下と少ないもの。雨中三層最上部∼細貝部層がこの特徴をもっ
ている。
皿:型1硬砂岩,スレート,チャートなどの基盤岩礫,QP礫がほぼ等量ずつ含まれ,第三
系火山岩礫が10∼30%程度含まれる礫岩である。大峰累層新引沢部層がこのような特徴をも
っている。
]V型:基盤i岩礫が少なく,逆にQP礫や第三系火山岩礫が非常に多い礫岩。川内累層,北
b
o
C
30
50
30
20
20
2
%
%
lO
%
10
Io
24681012
cm
2 4 6 8 10 12
cm
24681012
cm
e
d
50
50
20
20
%
%
10
lO
24681012
cm
第7図
a 南小谷累層雨中部層
d 大峰累層新引沢部層
24681012
cm
層準別の礫径頻度分布
b 南小谷累層細貝部層
e 大峰累層大穴山部層
。 美麻累層
41
大峰帯の礫岩
城累層あるいは美麻累層などの厚い火砕岩層にはさまれる礫岩が,しぼしばこのような特徴
をもっている。
“ 礫径とその変化
層準別,礫種別にみた礫径の頻度分布を第7,8図(ヒストグラム)で示した。これによ
って,各層準別および礫種別の礫径変化の特徴をまとめると次のようになる。
d−1 層準別にみた礫径変化
第7図は,QP・古期堆積岩(硬砂岩,スレート,ヤヤート)・花陶岩のほか,第三系火山
岩・堆積岩などの礫も含めた層準別の頻度分布図である。これによれば,南小谷累層雨中部
層,大峰累層新引沢部層は比較的礫径の集中度が高く,いずれも径4∼5cm大の礫が卓越
している。それに対し,南小谷累層細貝部層,美麻累層,大峰累層大穴山部層などは,モー
ドMoを中心として変量の値のバラツキが大きい。
“一2 礫種別にみた礫径
礫径分布が分散している層準で,その原因となっている主な礫が何であるかを,礫種別の
頻度分布図によって検討してみた(第8図)。基盤岩の硬砂岩,スレート,チャートなどは,
どの層準も高径分布の集中度が高い。QP礫は,雨中部層,新雪沢部層および大穴山部層な
どが比較的集中度が高いのに反し,細貝部層,美麻累層などはバラツキが大きい。特に美麻
累層は,ヒストグラムのピークが5−6Clnと12cm以上の部分にみられ,特異である。花闘
岩礫は南小谷累層雨中部層から大峰累層大穴山部層まで,どの層準も礫径分布は分散してい
G
b
30
C
50
50
20
20
%
20
%
%
10
Io
246810「2
Cm
lo
2468正012
cm
d
2468fO 12
cm
e
30
30
20
20
%
%
IO
10
246810i2
cm
24681012
αη
第8図 礫種別の礫径頻度分布(a∼eは第7図と同じ層準を示す)。
1 基盤岩類礫(硬砂岩・スレート・チャート)
42
小坂共栄
α
b
C
30
30
30
20
20
20
%
%
10
10
2
4
%
lo
6 8 10 12
Cm
d
2 4
6 8 10 12
2
6 8 10 12
2 4 6
cm
cm
8 10 12
e
30
30
2%
20
0
一
O
IO
2
4 6 8 10 12
cm
4
H
cm
QP 礫
α
C
b
0
30
30
0
20
20
%
%
0
%
IO
2 4 6
Cm
10
8 10 12
d
2 4
6 8 10 12
cm
2 4
6 8 10 12
e
50
30
20
20
%
%
10
lO
2
4 6 8 10 12
cm
C「n
皿 花闘岩礫
一
2 4
6 8 10 12
cm
大峰帯の礫岩
43
るが,中でも著しいのは細貝部層,美麻累層,大峰
累層大穴山部層である。
これらのことから,次のようなことが考えられる。
1) 細員部層の礫径分布の分散は,主にQP礫,花
闘病礫の不淘汰による 2) 美麻累層の礫径分布の
分散もQP礫,花醐岩礫の不淘汰による 3)大穴
山部層の分散は主に花闇岩礫の不淘汰による。
/残∼
e 礫の供給地
これまで述べたことから,大峰帯の礫岩が各累層
単位で比較的よくまとまった性格をもつことが明ら
@ @ @ @ @ @ @ロ
坥
@ @ @ @ @ @ @ 臨
かとなった。このことは,累層単位で堆積環境が変
化し,その後背地にもうつりかわりがあったことを
示している。各時期ごとの礫組成をもとにその後背
地を予測し,その結果を第9図で示した。後背地と
して糸一言線以西の古期岩類地帯,小谷一中山断層
以東の高情第三系地帯および,大峰帯それ自身が考
えられる。
f 礫岩の堆積と断層運動
大峰帯の礫岩の堆積作用が,帯の形成初期段階か
ら連続的に進行したものでないことは,多量の火砕
岩の発達からみて明らかである。礫岩が火砕岩をは
さんで間けっ的に堆積していることは,後背地が山
けつ的に隆起したか,または大峰帯自身が間けっ的
に沈降したかのいずれかであることを示している。
帯の東西両縁が糸一静線,小谷一中山断層という2
本の大規模な断層に画されている事実は,後背地の
間けっ的な隆起あるいは沈降が,即これらの断層の
第9図 大1峰帯各地区の礫の後背地
1 岩戸山地区 2 北城地区 3 北
部美麻地区 3” 南部美麻地区 4 大
峰地区 5 大穴山地区 6 松本盆地
地区矢印は各地区への堆積物(礫)の
供給方向を概略的に示している。
間けっ的な運動に関連したものであることを強く示
唆している。言葉をかえていえば,大峰帯の形成史
は即ち,二一二線,小谷一中山断層の形成史という
ことにもなる。
W ま と め
本論で述べた,大峰帯の礫岩の諸特徴を要約すれば以下のようになる。
1) 大峰帯の礫岩は,帯全城の面積の約44%を占めて分布し,量的には堆積物総量の約36
%を占めている。
2)礫岩の発達する層準は,大きくみると3つである。1つは南小谷累層細貝部層,他の
1つは美麻累層,そして大峰累層大穴山部層である。
3) 前記3層準以外でも,厚い火砕岩層に挾在されて各累層中に礫岩層が発達している。
44
小坂共栄
大峰帯全体からみると,礫岩層と火砕岩層の組み合せからなる堆積一火成サイクルが2度認
められる。
4)大峰帯の礫岩は,層準や地域の違いによって礫組成が著しく異なっている。
5)礫組成とその変化で最も特徴的なことは,① 組成が複雑で変化に富むようになるの
は,南小谷累層雨中部層上部以降であること。②礫種としては,大峰帯西側の古期岩類だ
けではなく,東側の第三系摺曲帯の堆積岩類,大峰帯の火山岩類なども含まれること。以上
の2点である。
6)罪種の主なものは,古期堆積岩類(硬砂岩,スレート,チャートなど),古期火成岩
類(大部分がQP,花こう岩),および第三系ないし第四系火山類(玄武岩∼流紋岩,凝灰岩
∼丁丁凝灰岩)である。
7)大峰帯の礫岩を,古期堆積岩類,QP,第三系火山岩類の礫の量比によって比較して
みると,それらは大きく4つのタイプに分けることができる。
8)礫径の特徴を層準別にみると,礫岩が厚く発達する南小谷累層,細貝部層や美麻累層,
大峰累層はいずれも礫径分布が分散しており,淘汰度が良くないことを示している。
9) 同じく礫径の特微を礫種別にみると,礫径の分布が分散する主な原因となっているの
はQP礫,花こう岩礫であることが明らかである。
10)大峰帯に多量の礫を供給した後背地としては,糸一静線以西の古期岩類地帯,小谷一
中山断層以東の摺曲第三系地帯および,大峰帯そのものが考えられる。
11) 大峰帯の形成過程は,豊新世以降の糸一静線あるいは小谷一中山断層などの活動に
密接に関連している。
献
V 文
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大峰帯の礫岩 45
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部紀要,5号,49−71.
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総:研研究報告,No,2,77−92.
46 tixW -irk elk
Conglomerates in the Omine Belt
By TOMOYOSHI KOSAKA*
*Department of Geology, Faculty of Science,
Shinshu University
(Received June 14, 1980)
Abstract
The Omine Belt, on the western border of the Northern Fossa Magna, is about
65 km long from narth to south, and is from 5 to 7 km wide from east to west.
Its Western limit is the Itoigawa-Shizuoka Tectonic Line(I-S TL), while the eastern
!imit is the Otari-Nakayama Fault(O-N Fault). The Belt is one of the important
zones of the Northern Fossa Magna region, and its tectonic history is related intima-
tely to that of the I-S TL and of O-N Fault. The Omine Belt is underlain by the
Pliocene to early Pleistocene sediments, in which conglomerates and pyroclastic
rocks of andesitic to rhyolitic series are characteristic.
From the sedimentological studies on the conglomerates the fol!owing results
are obtained. The most remarkable conglomerates occur at three horizons in the
Pliocene-Pleistocene succession, i. e. in the Hosogai Member of the Minamiotari
Formation, in the Miasa Formation, and in the Oanayama Member of the Omine
Formation. They are polymictic, and contain such various kinds of pebbles as
graywacke sandstone, slate, chert, quartz porphyry, granites, metamorphicrocks,
serpentinite, and clastic sediments and volcanic rocks from the Tertiary formatjons
nearby. The facies of the conglomerates vary remarkably not only from horizon to
horizon but. also from place to place within the same horizon.
The analytical studies on the pebble compositions of these conglomerates have
led the author to the following conclusions. The source areas of the sediments
were present not only to the west of the Omine Belt, but also to the east, i. e.
in the Tertiary areas. And the analyses suggest that even the areas of the Omine
Belt itself had become source areas several times since the early Pliocene time. It
suggests that upheaval and erosion repeated one after another since the beginning
of the Pliocene, and that the fault movements took place several times during the
Pliocene and Pleistocene times.