メディア理論 〜メディア・情報・消費社会の理論を学ぶ〜
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Transcript メディア理論 〜メディア・情報・消費社会の理論を学ぶ〜
主題2:オング理論
オングの経歴
1912〜2003 (91歳) (マクルーハンは、1911〜1980)
キャリア:
1912:アメリカのミズリー州カンザスシティ(南部)生まれ。
母はカトリック、カトリック教徒として育つ
1935(24歳)
1941(29歳)
1955(43歳)
→以後30年
1958(46歳)
1971
ロックハースト・カレッジでラテン語専攻
イエズス会に入会 1946司祭の資格を授与
セントルイス大学で修士号取得
この時、同大学にいたマクルーハンに指導をうける。
ハーバード大学で博士号 ペトルス・ラムス研究
セントルイス大学で教鞭
『ラムス 方法、そして対話の衰退』
アメリカ学士院会員、アメリカ現代言語学会会長
1985(69歳) 『声の文化と文字の文化』
理論の特徴
分かりやすい二分法
(背景には、カトリック対プロテスタント)
声の文化
オラリティ
言葉の声としての性格
と、言語のそうした性
格を中心に形成されて
いる文化
文字の文化
VS
リテラシー
文字を使いこなせる能力と、
そうした能力を中心に形成
されている文化
マクルーハンとの類似
マクルーハンと類似している。相互に影響しあいながら、、、
マクルーハンの方が大きな影響を受けたといえる。
テレビ以降のエレクトロニクスの時代:「二次的な声の文化」
テレビ以降の「声の文化」は、「書くことと印刷することに基礎をおいてい
る。」
電子メディアの両義性
「声の文化」の復活
閉じられた「文字の文化」が新しい形で変わることで強化されている。
ノスタルジックな「声の文化」へのあこがれ批判
ロマン主義的近代思想批判
※マクルーハンは、
文字以前文化の再来と考えた。
文字・活字にも一定の理解。印刷メディアへの積極的理解の面もある。
口承文化への憧れも批判
オングは、
知識人の「声の文化」へのノスタルジックなあこがれを批判
日本でも、民俗学者の柳田国男が「遠野地方の民話」を集め、
「口承文芸」とか「アヤコトバ」を主張
金田一京助のアイヌの「口承文芸」の研究…アイヌの豊かな文化を「和
人」の「文字の文化」に閉じ込めることに結果的に加担したという批判
オングは、
さまざまなロマン主義的思想を批判
・文学の「独自性」、「創造性」という主張
・近代主義を超えようとする思想、ポストモダン思想のあれこれ
結局は、「文字の文化」にとらわれた考え方
一次的な声の文化 VS Litetates
この何千年かのあいだにわかってきたことは、一次的な声の文化
primary oral culture (つまり、まったく書くことを知らない文化)と、
書くことによって深く影響されている文化とのあいだには、知識がどのように
取り扱われ、またどのようにことばに表れるかという点で、ある基本的な違い
がある、ということです。
この新しい発見からひきだされる帰結は驚くべきものです。つまり、文学や
哲学や科学の思考と表現において当然のものと思われてきた特徴の多くは、
あるいはまた、口頭での話しであっても、それが文字に慣れた(読み書きでき
る)者たち literates のあいだで行われるとき、そこで当然のものと思われてき
た特徴の多くは、けっして人間存在自体に生まれつき直接に備わっているも
のではなくて、書くという技術が人間の意識にもたらした手段によって生み出
されたものだ、ということです。5
エレクトロニクス文化
oral univerese
コミュニケーションや思考
声にもとづいて組み立てられている世界
文字によって組み立てられている世界
literate universe
心性 mentality の違い
書くことと印刷することの両方のうちに築かれたエレクトロニクス文化7
電子メディアと印刷とを対照させることによって、それ以前にあった書くことと声
の文化(orality)の対照にわれわれは気づいたのです。エレクトロニクスの時代
は、「二次的な声の文化」、つまり、電話、ラジオ、テレビによって形成される声
の文化の時代でもあります。しかし、そうした声の文化は、その存立を、書くこと
印刷することに負っているのです。8-9
電子的な視覚中心の考え方 electronic visualism
メディアの文明史
ホモ・サピエンス・・・3〜5万年
Oral Universe
「書かれてもの script」 6千年
※エレクトロニクス
電話 130年
ラジオ 90年〜80年
テレビ 80年〜60年
コンピュータゲーム 50年
ワープロ+通信→インターネット 40年〜30年
携帯電話 20年
縄文時代
16000年前〜
弥生時代 3000年前〜
日本は、長いあいだ文字の文化に親しんできました。18世紀から19世紀に
かけて日本人のあいだに文字の文化が広く普及していたことは、近代に日
本が歩み入ることを可能にしました。日本語版への序文 1990 2
声と言語の重要性
●人間の意思疎通は、あらゆる感覚を使用・・・
触覚、味覚、嗅覚、そしてとりわけ視覚と聴覚をつかい、ありとあらゆる感覚
を利用して、数え切れないほどのやり方で意思の疎通をはかっている。
●言語、すなわち分節された音声にまさるものはない。
言語とは声に依存する現象だ。
話し聞く言葉、音の世界に属している。
3000の言語のうち、文学をもっていた言語は106 今日の実際では78
●ことばがもっぱら声として機能している文化は、じつに力強く、美しいこと
ばの演じ語りを産みだす。39
音声、とりわけ口頭での発話は、生体の内部から発するのであるから
「力動的dynamic」なのである。74
オングの強調点
音の世界
論理展開
声とことば
ことばの演じ語り
身体の内部から発する
ダイナミック=力動的だ
口承文化を考える素材として…
日本で口承文化がある自律性・固有性をもってかろうじて残っているところ
ユーカラ文化(アイヌ)と
沖縄・奄美の文化(ノロ・ユタ・島唄(歌掛け遊び)・八月踊り)
●アイヌ・エミシ系言語文化圏
●日本語文化圏…
日本語系言語が
南漸して琉球語諸
方言として発展
●琉球語文化圏(北琉球語圏、南琉球語圏)
奄美大島方言の音節の体系…
8世紀の奈良地方の音節の体系と共通点の少なくない。
奄美…遣唐使船が廃止されると日本の歴史から消えていく。
種子島・屋久島は、弥生文化圏に入り、奄美は弥生文化圏に入らない。
稲作が、本土よりも1000年遅れる。
奄美の口承文化〜島唄・島口〜
「唄遊びは男と女の掛け合いが基本。女の夜なべを励ますために男が歌う。と
きには仕事そっちのけで掛け合う。即興でラブコールを送り、カップルが生まれ
る。」徳之島の民俗研究家・松山光秀(71歳/2003)
「奄美の島うたの呻吟は薩摩藩以前から、そうです。奄美に人が住みついたとい
われているおよそ六千年から一万年くらい前から親から子へ、子から孫へと唄い
つがれ、その折々の自然の現象、社会現象、人間模様によって、さまざまなモ
チーフでさまざまなテーマが創造されつづけてきたのでありましょう。」
松元幸一郎 詩人
わらべ唄
ユングト=祈りのことば
イェト=労働唄・仕事唄
八月踊り唄(盆踊り唄)
遊び唄(島うた・・・シマ唄→大会用の島唄)
島唄〜生活のなかの唄
八月踊り…佐仁集落
歌掛け遊び・座遊び(島唄の本来の姿)
『喜界の島唄〜ランプのもとの座遊び唄』という貴重なCDが個人的に発売されている。制作して公開している
のは喜界島の古い映像、音声、写真、唄、踊りなどをデジタルで残していく活動を行っているグループYON
(ヨン)である。口伝で歌い継がれてきた島唄を集めたCDの歌詞・解説集は、そもそも島唄を次のように紹介
している。
「座遊び(唄遊び)とは、昔、電灯のない時代、庭先のランプの下や月夜の浜辺などで、唄好きの老若男女
が、三味線を弾き、島唄やはやり唄を唄って娯楽にしていた。ところが昭和三十三年に喜界に発電所ができ、
ラジオやレコード、テープ、テレビなどが普及し、座遊びの伝統は次第に消えていった。それに伴い口伝で歌
い次がれた島唄も又、大島の唄者の影響で、喜界独特の節回しや、島唄が歌われなくなり、消えていきつつ
ある。」
奥付には、つまり、記録が可能のうちに、かつての唄遊びをできるだけ忠実に記録しようとしてした意図が紹
介されている。「ここに収録した唄は口伝で歌い継がれたもので、一連の流れで唄われる唄が、途中で抜けて
いる部分もあって歌全体が唄いつがれていないところもあり、意味のわからないところもあります。また、島唄
は、集落によって歌詞の違いや節回し、解釈の違うところもあるのでご了承ください。」 『喜界の島唄〜ラン
プのもとの座遊び唄』
シマ=集落/喜界島は、平べったい
シマ=集落…加計呂麻島では移動は船で
「声の文化」の特徴
〈9項目〉を挙げている。
(1)累加的であり、従属構文が少ない。
(2)累積的であり、分析的でない。
(3)冗長ないし「多弁的」である。
(4)保守的ないし伝統主義的である。
(5)人間的な生活世界に密着している。
(6)闘技的なトーンをもつ。
(7)感情移入的あるいは参加的であり、客観的な距離をとるので
ない。
(8)恒常性維持的である。(有機体的、自己維持的)
(9)状況依存的であって、抽象的でない。
声のメディア論の展開・応用
メディアとしての電話論
声のメディア論
ラジオ論→パーソナリティ論
ネット社会論
メディエイテッド・コミュニケーション
音声論としての
サウンドスケープ論
ポピュラー音楽論
声メディア論の文献
川田順造(1988)『聲』
吉見俊哉・若林幹夫・水越伸(1992)『メディアとしての電話』
ポーラ文化研究所IS58(1992)『電話』
山田登世子(1993)『声の銀河系』
INAXギャラリー(1993)『電話』
富田英典『声のオデッセイ』(1994)
加藤晴明(2001)『メディア文化の社会学』
川田順造(1988)『聲』
声の豊穣な沃野のなかに近代社会の個性(ペルソナ)の裡(裏)の姿を浮かび
上がらせる。…(近代的伝統、「我思う、故に我あり」)
人称の多重性
ことばを紡ぎ、文どり、それで人びとを装うことをなりわいとする者たちが、織物
師や鍛冶師などのものの職人と同様に、社会の埒外集団を形作っている…
巫祝(ふしゅく)
奄美のユタの事例
親ユタ 新巫 クチ(呪詞)
言語行為における話者の人称を単一のものと考えること自体…近代合理主義
の発想
語る=騙る
自他の混然としたかかわりあい
メディア=巫女(霊媒)=巫祝
加藤のユタ体験・・夜射さん
ミニ課題(5点)
私たちの生活の中のメディア接触・メディア経験のなかで、
今日、典型的に声の文化だと思う部分。
文字の文化だと思う部分はなにか?
そして、その境界的、両義的領域にあるメディア文化は?
声の文化=オラリティ orality
これって声・ことばの文化だよね〜。
典型例や意識・感じさせられる事例
はあるのか?
文字の文化=リテラシー literacy
これって文字・活字文化だよね〜。
典型例や意識・感じさせられる事例
はあるのか?
カラオケ? mixiはどっち? youtubeは?
ケータイは? メールは? i Pod は?
二次的な声の文化
「ことばがもっぱら声として機能している文化は、じつに
力強く、美しいことばの演じ語りを産み出す。」39
▼
二次的な声の文化の世界(メディア化された声の世界)
「書くことと、印刷することに負っているのです」
ラジオの中の声と語りの世界
テレビ・映像時代の私たちにとってその二次的な世界も、映像的な二次的世界とは違う
のではないか?
ラジオ理論には、「ことば」と「絆」仮説がある。→電話の理論のところで再考する。
ミニ課題(5点)
いろいろなラジオの語り
ことばの演じ語りを感じとってみよう。
ネイティブな声の文化=生活世界
二次的な声の文化・・・・メディア化された声の文化(加藤)
「戦前の祝祭放送」
おじんさん、おばあさんが昂揚した声と語りの世界
平成生まれの人たちが、昔のことばの魔術的な力をどのように感じられるだろうか。
〈課題〉
「特異な声の世界」を批評する言葉をつむぐ