Transcript ブータンの概観
Bhutan 1 ブータンの位置 ブータンは何色の国か? 面積は日本の九州とほぼ同等 インドと中華人民共和国という大国に挟まれている 日本からの直線距離は? 日本からの飛行距離は? ①歴史 1616~ チベット仏教ドゥク派の後継者争いが勃発 ガワン・ナムゲル(1651没)が現在の ブータンに移住、自らの政権を樹立。 チベット ガワン・ナムゲル ドゥク派が東部を除いて全土に浸透 1617 チベットによる第1回侵攻 1634 1639 1644 チベットによる第2回侵攻 チベットによる第3回侵攻 チベットによる攻撃 1648 チベットによる攻撃 1649 チベットによる攻撃 撃退 ガワン・ナムゲル 18C~ 隣国であるアッサム、ベンガルなどの平野 部を植民地化。 このブータンの南進が19世紀徐々にインドの支配 力を強めていたイギリス帝国の反発を招く。 ブータン アッサム インド ベンガル イギリスの進出 1864 イギリス=ブータン戦争勃発 ブータン イギリス 敗北してシンチュラ条約を締結 イギリスにアッサム、ベンガルを割譲 1906イギリスの正式入国承認 1907 ブータン王国成立(親英のワンチュク政権) 強大な軍隊を形成して他勢 力を一掃、領国内の統一を 果たした。 絶対君主制 1910 プナカ条約 補償金と引き換えに外交指導権 をイギリスにゆだねる 1949年までイギリスの保護国(半植民地)へ 1949 インド・ブータン条約調印 独立権は回復したもののイギリスとの 関係が引き継がれる 5代にわたってワンチュク家が王権を引き継いできた GNH(国民総幸福量)の提唱者 5代国王 ②自然 南北方向 地形 東西方向 標高差・・・150m~7300mで大 南北差・・・北が高く,南が低い 特徴 気候 ブータン 大量の雨 ヒマラヤ山脈 標高差・・・亜熱帯から寒帯までさまざま 南北差・・・北が低く,南が高い 気温 ・北は1000mm未満で 乾燥 ・南は1000mm以上で 湿潤 降水 居住地域 人口70万人 ③国の担い手 2005人口の分布 首都・ティンプー 民族構成(各説あり) 少数民族 15% 35% ローツァンパ (ネパール系) 50% ドゥクパ(チベット系) ドゥクパ(チベット系) ガロン タシガシ ブムタンパ 1,000年以上前にチベットから移 住してきた民族集団。文化もチベ ットの影響が色濃い。現在国語と して普及が進められているゾンカ 語は、これを基礎として規範化さ れたもの。 ローツァンパ(ネパール系) • もともとブータンの土着の住民ではなく、プランテーションの 労働力として、アッサムやダージリン周辺に移住が奨励され19 世紀末以降ネパールやインドのダージリンなどから移住してき た人々。従って、ニューカマーという印象が強く、ネパールの伝統 文化を固持する生活スタイルなどから、チベット系住民から偏 見の目で見られ、不当な扱いを受けることも多い。 少数民族 北部の遊牧民族ラヤッパ族、東部 のインド国境近くに住む遊牧民ブロ クパなどが知られる。 竹帽子をかぶるラヤッパ族 外国人労働者としてのインド人 産業 人口の約8割が農業に従事 発電所職員 オーストラリア・インド・日本の援助による発電所 農家 道路工事の方々はみんなインド人。ブータン政府か ら長期(1年とか2年とか)ビザを発給されて働いてい る。 建築業 僧侶 教師 CA 警察官 医師・看護師 運送業者 床屋 機織り 木工業者 ④教育 教育施設 教育省 学制 基本は6・2・2・2制 6年(小学校) 2年(中学校) 進級時の試験あり (落第あり) 2年(高校) 2年(大学進学前 の予科) 4年(大学) きわめて優秀なもの のみ進級 1985年からのGNH教育の推進 GNH教育の教育目標 (1)人を羨ましがらず、足るを知る生活を心がけさせる (2)自国文化への理解を促す (3)自然を愛する心を育てる (4)他者への思いやりを育てる・・・・など 教科書への繁栄 算数の問題文の表現 • 「●●さんが牛を3頭飼っていましたが、ある日1頭盗 まれてしまいました。残りは何頭でしょう」 • 「●●さんが牛を3頭飼っていましたが、困っていた ○○さんに1頭あげました。●●さんの残りの牛は何 頭でしょう」。 ⑤生活文化 衣 ゴ キラ 食 ドウガラシ料理+ご飯 住 農村の標準的な民家 台所 居間 国王の写真 仏間 ⑥チベット仏教への信仰 ダルシン(経文旗で、旗竿型のもの) ルンタ(経文旗) 風通しの良いところに、たくさん設えてあり 、風が吹いて、はためくと、お経を読んだこ とになる。きれいな色で染められており、 青は水、赤は火、黄色は土、緑は木、白 は空気を意味している。 町中のマニ車 チョルデン(仏塔) 仏教そのものの象徴 ツァツァ ブータンでは輪廻転生が信じられている。 そのため死者の死をいたんで埋葬する習 慣はなく,墓はない。死者は,火葬によって 灰になるまで荼毘に付され,そのまま川に 流す。 ただ一部の灰は,病気平癒などの目的で 使われる。粘土と混ぜて,小さな三角錐型( 仏像)のツァツァにされて,山奥の道端の窪 みなどにそっと置き,自然に返す。