電子スペクトル

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第1章 エネルギー量子とスペクトル
(量子力学入門)
化学という学問は原子、分子のレベルで現象を考察する。その
原子や分子の性質を理解するためには、それらの中の電子の状態
を知ることが不可欠である。電子の運動はNewton力学では記述す
ることができない。ミクロな世界、1Å=10-10 m程度の大きさの世
界、を記述する力学は量子力学と呼ばれている。化学を学ぶもの
はこの量子力学の知識が不可欠である。ここでは量子力学を詳し
く扱う時間はないので、エネルギーの量子化に絞って紹介する。
ミクロの世界ではエネルギーが量子化されていること、そしてそ
のことがマクロな世界の性質にどの様に反映されているかを紹介
する。
5. ミクロの世界ではエネルギーは量子化されている。原子・分子
内の電子のエネルギー、分子の振動・回転運動のエネルギーは
量子化されている。この量子化されたエネルギーの値あるいは
状態をエネルギー準位という。
1
2
1・1 ミクロの世界と量子力学
ミクロ(microscopic、微視的):電子・原子・分子の大きさ程度
マクロ(macroscopic、巨視的):我々が直接肉眼で見える大きさ
1・1・1 古典物理学の限界
正の電荷と負の電荷はくっついている状態が最もエネルギー的
に安定。正の電荷(原子核)と負の電荷(電子)が集合して、有
限の領域内で離れて運動している状態を安定に維持できることは
ミクロの世界の特徴。マクロな大きさの正の電荷と等量の負の電
荷を持ってきても、水素原子はできない。
原子は電気的には中性な物質なので、電気的には安定な系であ
る。しかし、原子として天然に存在しているのは希ガス元素だけ。
ほとんどの元素は化合物の形で天然に存在している。これはその
方が原子でいるより安定だから。
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6. 原子核や電子の間には電気的相互作用が働いているが、電磁気
学や力学だけで原子や分子を理解することはできない。量子力
学的性質を理解する必要がある。
この量子力学的性質の一つがエネルギーの量子化である。
1・1・2 電磁波
ミクロの世界の様子を探るために、我々は電磁波を使う。光と
は電磁波の一種である(レジメp.7図8・2スライド5参照)。
電磁波とは、真空または物質中を電磁場(電場と磁場の総称)
の振動が伝播する現象をいう。
一般に光というときは、狭義には可視光線のみを指し、広義に
は赤外線と紫外線を含む。
真空中の光の速さc(=2.998×108 m s-1)と振動数ν、波長λの関係
は次式で与えられる。 c =λν
☆ 望遠鏡と顕微鏡
電波望遠鏡、赤外望遠鏡、X線望遠鏡
4
5
5a. 振動数 ν(波長 λ)の電磁波はエネルギー ε を持っている。
ε=hν=h c /λ
(16)
h=6.626×10-34 J sはPlanck定数、c=2.998×108 m s-1は光速。
上式は電磁波のエネルギーε が h 単位で量子化されていることを
示している。
振動数 ν が高くなるほど、波長 λ が短くなるほど、電磁波のエネ
ルギーが高くなることが分かる。
6
酸素分子O2のO=O結合エネルギーはおよそ497 kJ mol-1である。
これを分子一個あたりに換算すると、8.253×10-19 Jである。これ
と同じエネルギーを持つ電磁波の波長は式(16)より、
λ=hc/ε=(6.626×10-34 J s)×(2.998×108 m s-1)
8.253×10-19 J
=2.41×10-7 m=241 nm
単位の計算を忘れずに!
これは紫外線である。紫外線は可視光線や赤外線よりエネルギー
が高いため、分子を分解する(=結合を切断する)能力が高い。
その結果、光は化学反応を誘起し(これを光化学反応という)、
例えば分子の形を変えたりする。そのため紫外線は人体(を構成す
る分子)にとって有害なのである。しかし、殺菌作用もある。
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☆ 量子化されたエネルギーと電磁波の吸収・放出
レジメp.6スライド9図13・8参照
5b. エネルギー準位の間隔ΔEと等しいエネルギー ε=hν を持つ振動
数ν の電磁波のみが、原子・分子等によって吸収あるいは放出
される。
ΔE=hν
(17)
エネルギー準位の間隔ΔEと等しいエネルギーεの電磁波を吸収し
て、電子はエネルギーのより高い準位へ遷移する(電子遷移)。エネ
ルギーの高い状態への遷移を励起という。この状態は不安定なの
で元の準位に遷移する。このとき、二つのエネルギー準位のエネ
ルギー差ΔEに相当するエネルギーεを持つ電磁波が放出される。
エネルギーが一番低い状態を基底状態といい、それよりエネル
ギーの高い状態は全て励起状態と呼ばれる。
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☆ 光化学反応(1・2参照)
電磁波の中でも特に光によって励起されるとき、これを光励起
と呼ぶ。励起状態から元の基底状態へ戻る場合(これは光物理過
程という)の他に、元の状態には戻らないで励起状態で化学反応
を起こす場合もある。これを光化学過程と呼び、この反応、すな
わち光(可視・紫外領域)を吸収して物質が起こす化学反応を光
化学反応という。
これに対して熱エネルギーによって引き起こされる化学反応を
熱反応という。
光化学過程によって失われるエネルギーは多くの反応の活性化
エネルギーよりもはるかに大きいので、光化学反応では通常の熱
反応では困難な反応が進行可能になる。
その反面、副反応の制御が難しいことや活性種の寿命が非常に
短いことなどの問題点もある。
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光化学反応の代表例は光合成であろう。環境問題との関連でい
うと、光化学スモッグ、オゾン層破壊(オゾンホール)なども光
化学反応が関与している。ここで、光化学反応の例として、太陽
光による皮膚ガンの発生を考えてみよう。
DNAは波長250~300 nmの紫外線を強く吸収する(5b) 。皮膚の表
面細胞に含まれているDNAが紫外線によって損傷を受けると、複
製過程に障害が生じ、発ガンが引き起こされる。これを分子レベ
ルで考察してみよう。
DNAは、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン
(T)という4種の塩基が、糖とリン酸基とを仲立ちにして多数つな
がった鎖2本が、AとT、およびGとCの間の水素結合を介して螺旋
状に合わさったものである。この塩基の並びが遺伝情報である。
このとき、鎖の中でチミンの分子が連続している部分では、チミ
ン分子同士が紫外線により反応して、図1(スライド5)に示すよ
うな新しい結合ができやすい。これをチミン二量体という。
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1・1・3 スペクトル
原子、分子等が吸収、放出する電磁波の強度を、電磁波の振動
数や波長に対して記録したものをスペクトルと呼ぶ。
レジメp.8図10.1、スライド9図2-1は水素原子のスペクトルである。
水素原子の電子エネルギーはレジメp.6、スライド9図13・8に示す
ように量子化されている(5) 。
このエネルギー準位間の電子遷移を記録したものがこのスペクト
ルである。
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このようにある波長の電磁波のみが吸収・放出されるということ
は、原子内の電子のエネルギーが量子化されている(5)ことを示し
ている。原子・分子のエネルギーは量子化されているため、連続
的な電磁波の吸収・放出は起こらず、とびとびのスペクトルが得
られる。
我々は色々な波長の電磁波を使って、原子・分子の電子状態・
運動状態を知ることができる。
レジメp.6、スライド9図13・8の水素原子のエネルギー準位は、レ
ジメp.8図10・1のようなスペクトルを観測した結果得られた。
電子スペクトルから原子・分子などの電子状態の情報が得られる。
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5c. スペクトルはミクロの世界の情報を得る重要な・基本的な実験
手段である。
電子スペクトル(紫外・可視スペクトル)
振動スペクトル(赤外スペクトル)
回転スペクトル(マイクロ波スペクトル)
磁気共鳴スペクトル
電子スペクトル:量子化された電子エネルギー準位間の遷移を観
測する。1・3参照、レジメp.8図10.1参照
電子スペクトルから原子・分子等の電子状態の情報が得られる。
振動スペクトル:量子化された振動運動エネルギー準位間の遷移
を観測する。1・4参照、レジメp.10図17・19参照
回転スペクトル:量子化された回転運動エネルギー準位間の遷移
を観測する。
磁気共鳴スペクトル:2・1・1c参照
14
何らかの方法によって高いエネルギー状態にされた原子が安定
な元の状態に戻るとき電磁波を放出する。これを発光スペクトル
という。
一方、試料に電磁波を照射すると、試料によって電磁波の吸収
が起こる。このとき試料を透過した電磁波を観測すると、吸収ス
ペクトルが観測される。
吸収スペクトルの応用:
《化学実験・無機3:比色分析》吸収スペクトルの強度から溶液の
濃度を測定する。Lambert-Beer(ランバート-ベール)の法則
15
16
1・2 物質と光の相互作用
1・2・1 なぜものには色があるのか?
(物質が自ら光を出さない場合を考える)物質が色を示すという
現象は、その物質が行う可視光領域の電磁波の吸収・反射によっ
て起こる。
物質を構成する原子や分子の中の電子のエネルギーが量子化さ
れている(5)ので、ある限られた波長の光(=エネルギー準位の間
隔ΔEと同じエネルギーεを持った光)だけが物質によって吸収され
(5b)、それ以外の波長の光は吸収されない。その結果、反射光には
吸収された波長の光が含まれず、その欠けた成分の波長に依存し
た色(補色)が見える。
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a 遷移金属元素
遷移金属イオンやその錯イオンが特有の色を示すのは、その金
属イオンの電子状態の反映であり、配位状態が異なると同じ金属
イオンであっても異なる色を示すのは、配位子の影響で金属イオ
ンの電子状態が変化するから。例えば、CoCl2は青色をしているが、
CoCl2・6H2Oは赤色、CoBr2は緑色をしている。
スライド19参照。
宝石やガラス等の色の原因の多くは、そこに微量に含まれる遷
移金属イオンの電子状態にある。
水溶液中の錯イオンの例として、《化学実験・無機2・3:
Cu(NH3)42+, Cu(H2O)42+》
(物質中の)電子のエネルギー状態が物質の色を決める。
遷移金属元素はd電子が電磁波を吸収する。
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b 共役二重結合系
(ⅰ) 共役二重結合
単結合はσ結合のみから成り、その結合電子はσ電子と呼ばれ結
合上に局在している。二重結合はσ結合とπ結合から成り、π結合の
電子はπ電子と呼ばれている。π結合のみから成る単結合はない。
単結合、二重結合、三重結合の結合距離と結合エネルギーの比較
3HC-CH3
2HC=CH2 CH≡CH
結合距離(Å)
1.54
1.34
1.20
結合エネルギー(kJ mol-1) 368
720
962
多重結合になるほど結合は強くなる。σ結合に加えてπ結合が加わ
るためである。
二重結合、三重結合の方が単結合よりも結合エネルギーが大き
い(=結合が切れにくい)にも関わらず、二重結合・三重結合が
付加反応を起こしやすいのは、π結合が比較的容易に切れるからで
ある(=π結合はσ結合より不安定)。
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二重結合と単結合が交互に連なって存在するとき、これを共役
二重結合という。
共役二重結合系のπ電子は、C=Cのみに局在するのではなく、分
子全体を移動することができる。これをπ電子は非局在化している
と表現する。
グラファイトがかなりの電気伝導を示すのは、この非局在化し
たπ電子が結晶内を移動できるからである。
共役二重結合は単純な二重結合と単結合の連鎖ではなく、純粋
な二重結合と単結合の中間の性質を示す。ベンゼンの炭素間結合
距離はどれも同じで1.399Å、シクロヘキセンの二重結合距離は
1.334Å、単結合距離は1.50Åである。
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二重結合、三重結合を持つ分子は付加反応を起こしやすいが、
共役系の代表であるベンゼン分子は、臭素の付加や過マンガン酸
カリウムによる酸化など二重結合に特有の反応がほとんど起こら
ない。
電子の非局在化により、系は安定化する。この安定化エネル
ギーを非局在化エネルギーという。
ベンゼン分子の非局在化エネルギーは150.5 kJ mol-1と見積もられ
る。図2(スライド23)を参照せよ。
22
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☆ 伝導性高分子
伝導性高分子の一つの例はポリアセチレンである。そこでは共
役二重結合から成る高分子鎖を非局在π電子が移動する。
このポリアセチレンの電気伝導率は、I2などの強い酸化剤で高分
子鎖を部分酸化する(これを化学ドーピングという)と、かなり
高くなる(1000万倍にもなる)。
その生成物はスライド25に示すように、部分局在のカチオンラ
ジカルで、非局在化していないが鎖を通ってどんどん動く。
この現象を発見した白川博士は、2000年ノーベル化学賞を受賞
した。
伝導性高分子は、シリコン半導体よりも少し良い電気伝導体で
あるが、金属伝導体よりずっと悪い。
これらは現在、電池の電極、電解コンデンサー、センサーなど
の多数のデバイスに利用されている。
24
25
(ⅱ) 色素
共役二重結合系は非局在化したπ電子が電磁波を吸収する。吸収
される電磁波の波長は結合の長さに依存する。
ベンゼン
無色
ナフタレン
無色
アントラセン
黄色
ナフタセン
橙色
電磁波の波長が長くなる
グラファイトはなぜ黒色か?
可視光領域の電磁波を吸収するものは、色素(染料と顔料)と
して用いられている。
光化学反応の身近な例として、色素の色が光によって退色・変
色する現象があげられる。色素分子が異性化、酸化、還元、二量
化などの化学反応を起こし、変質する結果である。
26
☆ 指示薬
Me2N
N
N
SO3Na
⇔
Me2N+
N
H
N
SO3Na
PH4.4以上 黄色(580~590 nm)
PH3.1以下 赤(650~750 nm)
O
メチルオレンジ
O
OH
OH
フェノールフタレイン
《化学実験・分析3》
NO2
N
N
OH
HO
SO3Na
EBT指示薬《化学実験・無機1》
27
1・2・2 なぜものが見えるのか?
視細胞中には、11-cis-レチナールとオプシンというタンパク質と
脂質で構成された高分子とが縮合して出来た色素が存在する。視
細胞に光が当たり吸収されると、シス体からトランス体への光異
性化反応(光化学反応の一種)を起こすとともに色素が開裂し
(オプシンの形が変形し)、それが電気的刺激となって視神経に
伝えられ、ものが見えるという生理現象が起こる。つまり、レチ
ナールの中の非局在電子が光を捕らえる検出器の役割を果たして
いる。
9
7
2
1
3
4
6
8
11
10
12
13
5
14
15
O
11-cis-レチナール
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1・3 原子内電子のエネルギー:電子スペクトル
1・3・1 炎色反応
スペクトルという言葉に馴染みはなくても、それに関連した現
象は身近に多くある。
炎色反応は金属原子の励起状態から基底状態への電子遷移で
あって、その波長(=炎色反応の色)は原子の種類によって決ま
る。原子のエネルギーが量子化されていて(5)、そのエネルギー状
態が各原子によって異なるから、特有の色を示す。(物質中の)電子
のエネルギー状態が物質の色を決める。
☆ 花火
花火の美しい色は炎色反応が利用されている。
☆ 流星
宇宙空間にあった塵が高速で大気圏に突入して大気との摩擦熱
で蒸発し、その蒸気が高温で発光する物が流星。
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5c. スペクトルは原子や分子などのミクロの世界の情報を得る重要
な実験手段である。
1・3・2 原子スペクトル分析
元素の発光スペクトル(あるいは吸光スペクトル)はその元素
特有の電子スペクトルを示すので、これを利用して未知試料中に
どの様な元素が含まれているかを知ることが出来る。
1・3・3 天体のスペクトル
太陽からの光を分光器にかけると、多数の吸収スペクトルが現
れる。これらはFraunhofer線と呼ばれ、太陽から出た光がその外
側に存在する原子によって特定の波長だけが吸収される(5b)ために
生じるのである。これによって、太陽表面や地球大気中の成分を
知ることが出来る。
星の光をプリズムで分けても、太陽と同様に暗い線や逆に明る
い線が観測される。これを原子や分子の構造とてらしてみれば、
その星がどのような元素から出来ているのか、どのような状態に
あるのかを知る手がかりになる。
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1・3・4 希ガス元素の発見
希ガス元素の発見あるいは確認はスペクトルによって行われた。
空気中に酸素と窒素以外の元素が含まれていることが分かった。
このスペクトルを観察すると、それまで発見されていたどんな気
体にも観察されたことのない線スペクトルが現れた。これがアル
ゴンである。
1868年夏にインドで皆既日食があった。太陽の彩層のスペクト
ルをはじめて観測した。そして、当時知られていたどんな元素に
も当てはまらない、黄色のスペクトル線を発見した。これがヘリ
ウムの発見である。
☆ ネオンサイン
放電管に希ガス元素を封入して放電させると、それぞれ特有の
色を発光する。これも原子のエネルギーが量子化されていて(5)、
電子状態が各元素で異なるから。
ネオンサイン、キセノンランプ
31
1・3・5 単位の定義と量子標準
a メートルの定義
「パリを通過する子午線の北極から赤道までの長さの1000万分の
一」(最初の定義)
1960年にクリプトン86原子の特定の量子遷移に基づく光の波長
による定義がされた。これは量子標準の最初の例である。(メー
トルの定義は1983年に光速度を基準に改定されている。)
b 秒の定義
1967年にセシウム133原子の超微細構造遷移にともなう電磁波(
マイクロ波)が9,192,631,770回振動する時間を1秒と定義した。原
子時計
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1・4 振動運動のエネルギー:地球温暖化
-なぜ二酸化炭素が赤外線を吸収するのか-
1・4・1 分子の振動運動と赤外線
5. 分子が行う振動運動のエネルギーも量子化されている。
a 振動運動
復習:運動の自由度(0・2b参照)
並進運動・・・3
回転運動・・・3
(直線分子の場合は2)
振動運動・・・3n-6(直線分子の場合は3n-5)
直線分子とは、2原子分子を含めた直線形の分子である。H2Oは非
直線形の分子なので、その振動モードは3個であるが、CO2は直線
形の分子なので、その振動モードは4個ある。
振動運動は原子間結合距離や結合角が変化する運動である。
伸縮振動、変角振動(レジメp.10、スライド34図16・46、CO2の振
動モード参照)
33
34
電子エネルギーが各原子・分子で特有の値を示したように、振
動運動の振動数も結合に固有の値を持つ。これを固有振動数とい
う。結晶中の原子も振動運動している。これを格子振動という
(スライド34図3-14)。クオーツ時計の水晶発振子は水晶の固有振
動数を利用している。
b 熱放射
物体から熱エネルギーが電磁波として放出される現象を熱放射
という。これは激しい熱振動によって物質中の電子が運動するこ
とによって電磁波が発生するからである。太陽光は太陽の熱放射
である。温度の上昇とともに放射電磁波の波長は短くなる。
全ての物質から熱放射が出ている。例えば、人間の体からは赤
外線が、地球表面からも赤外線が熱放射されている。
35
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c 赤外線
紫外線はエネルギーの高い電磁波。赤外線は紫外線や可視光線
よりもエネルギーの低い電磁波である。
赤外線は人体を構成する分子の振動運動を効率よく励起し、そ
の結果体を暖める効果がある。これはなぜか。
分子などの振動運動のエネルギーも量子化されていて(5)、その
エネルギー準位の間隔に相当するエネルギーを持つ電磁波(この
場合は赤外線)が吸収されるからである(5b)。
1・4・2 温室効果ガス
温室効果とは地表および大気からの熱放射(これは赤外線なの
で赤外放射と呼ばれる)を温室効果ガスが吸収することによって
地表気温を保つ効果のことである。
37
38
分子の振動運動のエネルギーが量子化されていて(5)、地表から
放出される赤外線の持つエネルギーが分子の振動運動のエネル
ギー準位の間隔に一致するので、大気中の気体分子によって赤外
線が吸収されてしまう(5b)。
任意の分子が赤外線を吸収するかしないかを決める因子は、分
子が振動するときに分子の電気双極子モーメントが変化するかど
うかにある。CO2は極性分子ではないが、振動運動によって電気双
極子が生じる(=電気双極子が変化する)ので、赤外線を吸収す
ることができる。
地球大気成分のうち、希ガスを除く、水蒸気、二酸化炭素、メ
タン、一酸化二窒素、オゾン、クロロフルオロカーボン(フロ
ン)、一酸化炭素、二硫化硫黄、一酸化窒素、二酸化窒素、ホル
ムアルデヒド、過酸化水素、などはすべて赤外線を吸収する。
39
1・4・3 電気双極子モーメントと分子の極性
有限の距離にある正負の電荷の一対を電気双極子という。±qの電
荷が2点r1、r2にあるとき、負電荷から正電荷に向かうベクトル
p = q(r1-r2)
・+q
p = q l (l=|r1-r2|)
- q・ l
を電気双極子モーメントという。
水分子のO-Hの結合では(OとHの電気陰性度の違いにより)電荷
の偏りがあり、酸素原子は僅かに負に、水素原子は僅かに正に帯
電している。このとき、OH結合は分極しているといい、水分子全
体で永久電気双極子モーメントを持つ。
(有)極性分子、無極性分子
無極性分子も電場中に置かれると電気双極子モーメントを持つ
が、これは誘起双極子モーメントと呼んで永久双極子モーメント
と区別する。
40
1・4・4 振動スペクトル(赤外スペクトル)
振動スペクトルではエネルギーの単位として波数単位 cm-1(カ
イザーと読む)を使う。
1 cm-1=1.986×10-23 J
cm-1をエネルギーの単位とするときは、そこにhcをかけた値が使わ
れる。すなわち、
1 cm-1=h c cm-1
=(6.626×10-34 J s)(2.998×108 m s-1)(102 m-1)
=1.986×10-23 J
となる。
分子振動の場合、隣り合うエネルギー準位の間隔ΔEはおおよそ
500~3500 cm-1程度である。レジメp.10 図17・19参照。
41
42
振動スペクトルを観測することにより未知物質の分子構造を決
定したり、物質の同定をすることができる。
赤外スペクトルが与えてくれる主な情報を以下に列挙する。
未知化合物の分子構造決定(レジメp.10図17・19参照):例えば、NH3基のN-H伸縮振動の振動数は、-NH3基がどのような分子の中に
あってもほとんど変わらないので、未知化合物の振動スペクトル
にこの伸縮振動に対応するスペクトルが観測されれば、その未知
の分子は-NH3基を持っていることが分かる。このように任意の基
に特有の振動スペクトルが観測されれば、その基を未知の分子が
持っていることが分かるので、未知分子の構造を推測することが
できる。
分子の存在の確認:例えば、気相中ではHClは分子として存在する
が、水溶液中ではイオンに電離しているので、HCl分子は存在しな
い。これは赤外スペクトルを観測すれば、H-Cl結合の伸縮振動に
対応するスペクトルがあるか無いかで、分子の存在の有無を確認
できる。
43
44
45
1・5 エネルギーの量子化と原子・分子の安定性・同一性
原子というものは、それがどこから得られたものであっても、
また、それ以前にどんな歴史を経たものであろうとも、同一の性
質を示す。
分子も原子と同じ意味で同一の性質を示し、一定の形(固有の
形)をしている。遠い昔から未来永劫、分子は同じ性質を示しそ
の形は同じである。
なぜ、このように原子や分子は安定に存在できるのであろう
か?それは原子や分子のエネルギーが量子化されているからであ
る。
原子・分子の安定性・同一性という事実は、エネルギーの量子化
と緊密につながっているのである。
46
☆ エネルギー等分配則
温度T である気体がある。このとき、エネルギー等分配則による
と、1個の気体分子が持つ平均の運動エネルギー EKは
<EK>=(3/2)kBT < >は平均を表す
である。ここで、kBはBoltzmann定数である。
kB=R / NA=1.38066×10-23 J K-1
(18)
この立場から、気体の状態方程式PV=nRTは次のように解釈さ
れる。右辺のnRTはnモルの気体分子が持つ運動エネルギーで、こ
の気体を体積Vの中に閉じ込めるのに必要な圧力がPである。
絶対温度の単位Kはエネルギーの単位としても使われる。このと
きはBoltzmann定数kBがかかった値がエネルギーの単位としてのK
の大きさである。
1 K=kB K=(1.38066×10-23 J K-1)(K)=1.38066×10-23 J
47
酸素分子O2一個のO=O結合を切るのに必要なエネルギーはおよ
そ、8.253×10-19 Jであった(1・1・2参照)。これに等しい運動エネ
ルギーを気体分子が持つには約4万Kにする必要がある。
この計算から、室温程度で分子同士が衝突しても結合が切れる
ことはないことが分かる。それはエネルギーが量子化されていて
、ΔE が大きな値を持つからである。
48
第1章のまとめ
この講義の目的は、原子・分子のレベルで化学現象を考察する
ことができるようになることである。従って、ミクロな世界の原
理(量子力学)を知る必要がある。
6. 原子核や電子の間には電気的相互作用が働いているが、電磁気
学や力学だけで原子や分子を理解することはできない。量子力
学的性質を理解する必要がある。
その一つがエネルギーの量子化である。
5. ミクロの世界ではエネルギーは量子化されている。原子・分子
内の電子のエネルギー、分子の振動・回転運動のエネルギーは
量子化されている。この量子化されたエネルギーの値あるいは
状態をエネルギー準位という。
49
ミクロの世界の様子を探るために、我々は電磁波を使う。
5a. 振動数 ν(波長 λ)の電磁波はエネルギー ε を持っている。
ε=hν=h c /λ
(16)
h=6.626×10-34 J sはPlanck定数、c=2.998×108 m s-1は光速。
5b. エネルギー準位の間隔ΔEと等しいエネルギー ε=hν を持つ振動
数νの電磁波のみが吸収あるいは放出される。
ΔE=hν
(17)
遷移、励起、基底状態、励起状態
(物質中の)電子のエネルギー状態が物質の色を決める。
共役二重結合:電子の非局在化により、系はエネルギー的に安定
化する。
50
我々は色々な波長の電磁波を使って、原子・分子の電子状態・運
動状態を知ることができる。
5c. スペクトルはミクロの世界の情報を得る重要な・基本的な実験
手段である。
電子スペクトル(紫外・可視スペクトル)
振動スペクトル(赤外スペクトル)
回転スペクトル(マイクロ波スペクトル)
磁気共鳴スペクトル
電子スペクトルから原子・分子等の電子状態の情報が得られる。
原子の電子スペクトルを観測することによって原子の同定をする
ことができる。
未知の物質の振動スペクトルを観測することによって、その分子
構造を決定したり、物質の同定をすることができる。
伸縮振動、変角振動、固有振動数、赤外活性、赤外不活性
全ての振動モードが赤外スペクトルとして観測できるわけではな
い。振動運動に伴って電気双極子モーメントが変化しないモード
は観測できない(=赤外不活性=赤外線を吸収放出できない)。
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